ある『キリスト教徒』と『イスラム教徒』が、それぞれに自分の宗教の教義は正しいと認識し、正対正の衝突が置きている場合、これを解決するための対話には何が必要か?
関連:文化相対主義、世代差

まつげ
お互い目を覚ませば?
世界史を学べば?
と思う。
ささやかな暮らしのために信仰を取り入れて、
敬虔な気持ちで過ごすことはいいと思う。
やっちん坊♂
僕的には🎯宗教🪯は勝手に異教徒の敵を作り💦
戦争を仕掛けて仕舞う悪しき存在だと思って居ます😭

シス
キリスト教とイスラム教に限らず、宗教とは人の精神の拠り所であり、日々生きていく上で規範となるモノてす。
その規範を必要としなかったり、周りに伝承者が少なければあまり浸透はしないですし、現在の生活、人生において不満が少なければ、また、必要としないでしょう。
そして、宗教において重要な点は伝承する事、布教する事であり、その地域に、深く根付いている場合普及率は高くなります。
この様に宗教は布教し、信者の数を増やし、地域を増やし拡大していきます。これによって当然他宗教との接触が生じます。これは宗教を広める上では非常に厄介な点です。どちらが正しいのか、間違っているのかを人間は判断したがるからです。
そして、一旦自分の宗教を否定されると自分や地域、親族、国家を否定されていると認識します。
故に争いも生じてしまうのです。
逆に国家として独裁政治を行いたいのであれば宗教を禁止する事で内乱を防ぐ事が出来るかもしれません。ある国では基本的に宗教は禁止されています。
そして、衝突を解決する為の対話は難しいと私は考えます。何故なら、両者とも正しい答えを持っているからで、これを証明できる概念がないからです。
一つ可能性があるとすればこの二つの巨大宗教を超えるカリスマの誕生しかないと思います。
それはきっと人間ではないモノかもしれません。

愛善院

たまご

憂い顔の騎士
さんかく

めいか
そもそもどちらの方も、【深く教えを信仰しているという姿勢そのものが素晴らしい】のです。
お互いに自分の宗教の教義を信じ、それに従って行動ができているのであれば、「その姿勢を続けることこそが最も神の御心に沿うこと」ではないでしょうか?
例えば旧約聖書において預言者たちが神の使命を果たせなくなる場面では、必ず周囲や内面からの言葉による揺さぶりが関わっています。
言葉によって信仰が揺らぐと、「神の意志を伝えるという役割を全うできなくなる」のです。
また新約聖書における福者や聖人、守護聖人たちは、悪魔の甘言や誘惑に打ち勝ち、信仰を実践し続けた人々です。
言葉や説得に左右されずに自らの行動で信仰の価値を示したことが、彼らを真の聖性へと導きました。
さらに、イスラム教においても同様です。
預言者ムハンマドや信仰深い信者たちは、悪魔や周囲の誘惑による言葉の影響に揺らぐことなく、コーランの教えと神への信仰を体現しました。
彼らの行動が、信仰を実践する模範として後世に伝えられています。
そのことから、「争い合っている時間を全て信仰のために注ぎ、言葉ではなく黙々と続ける姿勢と態度でもって体現することで、相手に自然とその素晴らしさが伝わるのではないでしょうか?」
それこそが真の信仰者の姿である、と私は唱えるでしょう。

Lycaon
ノクスト
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