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❶人の意志には自己を動かすという意味ではエネルギーがある。❷意志を生み出すためには物質的なリソースは必要ない。この前提からあなたが意志を再評価したらどうなるか?

愛善院

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もし本当に「物質的なリソースが必要ない」と仮定するのであれば、自己というものが存在しない。
いわゆるセムハム教の「大いなる意志」の奴隷でありさえすればよい。私たちは最も不自由なものに自由という呼称を与えたようだ。しかたがない、物質リソースがないのだから。私たちが「選択している」のは、そういう「大いなる意志」が働いているだけだ。

こういうカルトやらスピやらに混じりこんだ宗教と戦ってきた身としては、実に不快な仮定だとは思うが、これに委ねてしまえれば人類は楽でもあろうねぇ。
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ココ🥃

ココ🥃

①まず人間は本当に自由意志を持っているのかと言う哲学者と脳科学者の長年の口喧嘩に終止符を打たないことには、その人の行動が完全に自分の意志に基いたものかの判断は不可能です。

②例えば「パンツを脱ごう」と言う意志を脳から神経細胞を経て両手に伝えるのは微弱な電気信号とされています。脳も電気信号も、そして神経細胞も、物質的なリソースではないのですか?

たぶん違うことをお尋ねになりたいのでしょうが、崩壊した前提条件を元に再評価をと言われても私のような愚か者には議論は愚か考えることすらできません。

できればわかるように書いていただけませんか?
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アリス

アリス

意志を物質から切り離せば、残るのは純粋な自由。
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

物質的エネルギーはなくても、人は動かせるということ
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まりけん

まりけん

この前提を再評価すると、意志は「人が自分を動かす力」ではなく、外部との摩擦が生み出す“構造的な産物”として捉え直される。

つまり
• 意志は原因ではなく結果
• 内面ではなく外部が生み出す
• 個人の力ではなく構造の出力

となる
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あきよし

あきよし

意志力を脳の消費エネルギー量で代替計測できないか、という医学論文をどこかで読んだ気がします。結論覚えてないですが。(覚えてないんかい)

提示頂いた前提条件は、この現実世界では成り立ちませんが、エネルギーではなく、ドライバ、と読み替えれば成立するかと思います。

その場合、意思とは自己の行動や選択を駆動する内的原理、要は選択アルゴリズムであろうかと思います。

実際は、意思とは脳に実装された機能の一つだと思いますが、当然に、意思という機能を維持するためにはATPなどのエネルギー源が必要です。当然、機能の稼働率によって消費量も変わります。よって、前提条件②は、厳密には成り立ちません。
また、エネルギーとは「ある系の状態を記述する保存量」であり、意思は駆動するプロセスであって、エネルギーそのものではありません。意思それ自体は保存されませんし。

あるいは、これが成り立つ世界とは、意思が知性や生命に依存せず、この宇宙の基本的な駆動原理として組み込まれた世界でしょうか。
星は回りたいから回っているし、太陽が輝くのも輝きたいから輝いている、という世界ですね。
もしかしたら、そういう世界が存在するのかもしれませんが。
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レート

レート

餓死寸前でも馬鹿力を発揮できることを表す。
前提が確かに正しいものならのはなし。
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としゆき

としゆき

人の意志には、が誤り。

人は周囲の物を感覚器官を通じて認知・認識し、その刺激が脳に伝わりその人固有の能力や思考、身体から心理構造に様々な化学反応を起こし、その結果として人の意志と呼ばれる自身の存在意義的な何かに突き動かされていると感じる。

つまり②の物質的なリソースを必要としない事はまず周囲の物質認知による刺激が必要とする意志の発生過程における欠くことのできない要素を考慮に入っていない事から、間違いであることが導かれる。
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はるた

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人=意志であるということ。
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🍊🍊🍊

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全然禅禅善善
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