なぜ人々は努力はいくらでもできると思ってしまうのか。努力すれば...
による概要

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自分が努力できる力を把握しておくことは大切だと思います。
努力できるかどうかには、遺伝的な要素が約30%〜50%程度影響しているとされていますが、残りの大部分は環境(家庭環境、教育、経験など)が定説です。環境は成長期によるものが大きいと思いとます。大人になって力を伸ばすのが難しいことが伺えます。

愛善院
正しい努力は成果さえ出せれば終わりである。

koji先輩
何回やっても同じ失敗で終わるかもしれない
だけどか買ってみなきゃ絶対に当たらないよ

のぼ
子供の時ほど感覚は鋭いんですね。
努力と言ってる大半が苦しそうなんです。
違和感に気付いた人から努力に躊躇いを感じるんですよね。
「やりたくない。自分には合わない」
そう思っても様々な理由でせざるを得ない。
「本当はあれがしたかった」なんて想いを持ちながら、ずっと生きられるほど人は強くないみたいです。
「辛かった人生には意味がある!」
「このまま続ければきっと!」
そうしていないと自分で自分の人生を否定しちゃいそうなんです。
頑張れなくなっちゃうんです。
そんな先輩方がたくさんいる世の中ですから、研究で明らかになった事実をもとに自分に合った生き方をして、肯定できる人生を歩みたいですね。

憂い顔の騎士
太古の昔、獲物を得るため、武器を作り、罠を仕掛ける「努力」をしてきた

よん
それから、ただ夢中になってやってたら、側から見ると努力に見えることもある。

ココ🥃
餅max
心身ともに健康でいてかつ生活基盤整っててはじめてできるものだと思うよ
まれにそうでなくても努力できる生物学的エリート個体がいるだけ
だから努力できてる人は自分の親や家族、友人知人、ひいては社会に感謝し、成功した暁にはちゃんと還元しようね

蘇我霊幻道師准尉

ナトル
としゆき
よくあるテスト勉強の やればできる というお決まりの台詞などでも、
テストという学問的な本質を無視したいわゆる学習時間のノルマ達成のような作業努力が学習する学徒たちに自身の能力と努力への過信という構造を産み、
そうしてエリートコースを歩むしかできなかった人が学歴厨といった人種の発生を助長しているのは間違いない
そうした人々は、日本の教育制度の根底に隠れている学歴ステータスに対する社会からの評価の根底がこうした作業の努力の対する報酬によって与えられているだけのものであることに気づかない。
この教育制度の中だけで成長した教員たちもまた少なからず、というかかなりの部分で努力に対する構造を理解できていないから、当然学問的な本質を教えることのできる教員も輩出しにくい出現もしにくくなる。
この負の連鎖が伝統のように日本の教育社会に組み込まれているから、今の日本人たちの意識に染みついた誤った努力の観念から抜けきることができない。
つまり努力をあからさまに、まるで何かの宗教のように支持するこの日本人の努力信仰は、もう性根のくさった独自文化であるといっても言い過ぎではない、と思っています。
教育改革、できたらいいですね
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