他のもの(嫌いなもの、好きでもないもの、どうでも良いもの)とまるで【差】をつけずに「好き」という感情はあるのだろうか。「ウサギの糞は汚いが、ヤモリの糞はカワイイ」と、言う人が仮にいたとしたら、我々は差別であると罵るだろうか。
(A) 価値中立の“区別”例:色や味を区別する、好みを選ぶ→これは moral neutral(道徳的に中立)(B) 不当な扱いをする“差別”例:人種・性別など変えられない属性に基づき不利益を与える→これは moral wrong(道徳的に誤っている)ふぅ、よく長文書いたおれ
誰かに対する好きは特別扱いになりやすいが誰かが向ける誰かに対する好きは贔屓として捉えられやすくなる。特別扱いと贔屓は、それをみる人の不満や嫉妬の不服の心情がその好きの形を勝手に差別として認識しているだけに過ぎない