学校の清掃時間は「無償労働」か「環境整備の習慣づけ」か。【教育論争@ドイツ】

ねじまき

風の音
あれだけの場所を毎日終業後、清掃業者に依頼すると学費と支援金だけでは回らない。こちらが主の目的かな?
また、「掃除をサボる人」「真面目にやる人」など、集団で行う労働に対して適応するための耐性や積極性を身につければ二兎を得るな~的な淡い目的もあると思う。
お題の回答としては「両目的」、あえてひとつを選ぶ必要があるとしたら、習慣づけは大人になって働くようになったらわかるけど“ほぼ成果無し”なので[笑う]「無償労働」を選択します

D.O(ダメオヤジ)

紀文屋
『学校環境衛生活動』か『校内美化活動』かによっても思う所はありますが、清掃時間をボランティアや無償労働という言い方で、その意味も説明されていたら…
今みたいな“気分屋”では無かったと思います。

正宗(ろー)
ここから、
自分の群れとか、自分のチームの部屋の場合だったらどうでしょうか。
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共同体感覚の概念も背後で関わっていると思います。
無償労働という概念が呈示されるのは、自他の境界が厚い個人主義を前提としていると思います。
一方で、日本は集団主義とか村落共同体の性質があります。
『文化的土壌』の上に、本論が乗っかっている構造だと思います。
┌──────────┐
│無償労働or習慣づけ │
└──────────┘
┏━━━━━━━━━┓
┃ 文化的土壌 ┃
┗━━━━━━━━━┛
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この場合、二階部分だけを論じると、二階部分の理解は進みますが、本質を見失う可能性が高いと思います。
この議論が行われる国、宗教的背景、文化的背景、教育スタイル、慣習等の『変数』が無いと、論じるのは難しそうという印象を受けました。
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私が先生なら、生徒に対して質問します。
先ず、
無償労働か環境整備の習慣づけかを聞きます。
その後に、
無償労働の意識でやる場合と、環境整備の習慣づけという意識でやる場合とで、心理的変化があると思うかを問い、
教育内の生徒をAグループとBグループで分けて、Aグループには前者の意識で、Bグループには後者の意識で取り組んでもらい、
その後に、AグループとBグループそれぞれの生徒から、私が作成した評価シートを記入してもらい、どのような心理的充足や不満感があったかを把握し、
その後にAグループとBグループで議論してもらいます。
教育の本質は、『性質を大人が決める』ことではなくて、行生きた実学の形で、生徒や子供達の理解を深めるのに役立つことだと思います。
子供を子供扱いしすぎていると思います。
小学生でもかなり深い議論ができます。
『新人のバイト君扱いで接する』のか、『将来博士になりうる未完の存在として接する』のかで、子供側や生徒側の意識も大きく変化します。
ルールは大人が考えて、大人が決めて、子供達にはそれを履行させる。
これは私は教育的ではないと考えます。
※問は教育論にまでは言及していないと思いますが、私の視座だとこのような回答になりました。

ゆうたん
家庭で教えることである。但し、校舎内に限る

すかい🍉🍅🍡🍒
私が、考えるところでは、
『無償労働』ではなく、『有償労働』。
無償という言葉の定義としては、
対価を得ずに労働をすることです。
対価を、お金やサービスに
限定すれば、学校の掃除は、
『無償労働』だと思います。
しかしながら、
学校の掃除、つまり、他者のために働くことは、
人生の徳を積むことだと考えるならば、
徳という対価が与えられるために
『有償労働』になり得ます。
この考えの拠り所となるのは、
この世界には、科学で証明できない、
不可思議な存在や現象に帰依し、
救いを受けたいという
一縷の望みや、なにを善とするのか、
善く生きるとは何なのかという
暫定的な答えを追求したいという思いです。

じゃんく
まず、無償労働ではある。これは事実。
ただ意味のない無償労働か?これは違いますね。
というより意味のない無償労働にしてしまうことが1番の問題。
どういった意図があるのかを共有することが、ただの無償労働にしない「教育」なのだと思う。

マツ

くろわっ
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