自己犠牲の正義は子ども達に教えるべきか?理由も教えて欲しい。


サイダー
単なる人助けから自己犠牲を読み取ってしまうのは世間擦れした大人の悪い癖なので、そういう概念自体教えたくない。気楽に人を助けてほしい。

Akira777
まあアメリカなどはディベートを通してそういうことを学ぶんだろうけど、無茶苦茶な意見を堂々と述べる人も多いのはそういう教育でも上手くいってないのかもしれないけど。
しかし正解だけを覚えたり、導くための教育なんてもうそろそろ限界。
AIの発達によってますますその傾向は加速している。

エマ

なおき
子供達に教えるべきは、「困っている人がいたら助けてあげてね」「助けてもらったら、『ありがとう』を言えるようにしようね」くらいで良いと思います。これさえできない大人が多いんですから。逆に、これができるだけで、人生結構変わるんじゃないでしょうか?
追伸:余談ですが、時々、アンパンマンの正義が「自己犠牲」と言われることもありますが、原作者は「ひもじい人を助けることが正義と思った」と語っているので、ややニュアンスが違うのではないかと思います。ご参考までに。

ハンプティダンプティ
建物が4本で支えられてる時にそのうちの一本に「自己犠牲をしなくていいんだよ、頑張らなくていいんだよ、自己犠牲は時代遅れだから」って抜けたら3本で支えないといけなくないですか
4本で支えてて「もうきついから抜けるから、だいたいこの柱重すぎるんよ、お前ら3人どうしてこんな重いのを担がせるんや、重すぎるんや、早く抜けたい早く抜けさせろ、ねぇ君に石投げていい?ねぇ?他の柱は軽いってよ。俺そっちに移動しよっかなぁ」
4本で支えてる時に「きついだろうから君が休みなさい」「いや、君のおかげで頑張れてるんだよ」「いやー君だよ」「みんなありがとう、だから僕もがんばれるんだ」
4本で支えてて「オルァおまいら、支えろ支えろもっと支えろ、生命のありったけを支えるんだよ、支えバンザーイ」「あいつダリィ」
支えに入ったならば足が折れる一歩手前までは頑張る、お互いを思いやること、抜けたい時は5人で支えてる時になるだけ抜けるって教育が必要なんじゃない
みんなが根幹にそういうものがあれば自分の分まで支えてくれている同僚に石を投げてくる奴は生まれないし、重い柱もなんか軽いような気がしたって余裕が芽生えて全体のレベルが上がって本当に軽くになっていくんじゃなかろうか
自己犠牲の正義ってそんなんやと思うけど

愛善院

すずめ
自己犠牲とは自分を犠牲にして他者、全体の未来にとって得な行動をすることです。
全体の未来を考えて行動するという感覚を教えておくのは人類の存続にとって有効です。
一般的に年齢が若いほど視野が狭く短期的、年を重ねるにつれ広く長期的になります。
その子供たちに自己犠牲を納得させるのは難しいかもしれません。
愛情を教えれば自然と発生すると思います。

憂い顔の騎士
事の道理を教え、生きること大切さ、命の大切さを理解させなければならない

ゆいこ
誰かの為に何かをしたいと思い行動する日に向けて、自分の満たし方を知るのが
まんべんない、適宜ご対応な気がするから。

りり
子どもには絶対に教えたくないです。
それは、幻想で不健全な愛だと私は感じます。
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