
通りすがりの詩人です
吉田賢太郎をよろしくお願いします
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通りすがりの詩人です
学校やSNSという「小さな戦場」で、自分を失わずに生き抜くための本質を詩にまとめました。
題名:静かなる一撃の作法
「強いやつが勝つ」なんて、誰が決めた?
腕力が強くても、声が大きくても、
それだけじゃ、本当の勝負には勝てない。
「弱いから負ける」なんて、誰が言った?
負けるのは、弱さのせいじゃない。
ただ、その時の風向きや、守り方を知らなかっただけ。
大切なのは、見せびらかす武器じゃない。
君の中に隠し持つ、二つの「術」だ。
一つは、「処世術(しょせいじゅつ)」。
波風を立てず、しなやかに海を渡る知恵。
誰かを踏みつける「マウンティング」なんて、ダサいことはしない。
賢く振る舞い、敵を作らず、自分の居場所を静かに確保する。
もう一つは、「護身術(ごしんじゅつ)」。
自分という大切な宝物を、泥足で踏ませない技術。
いざという時、自分の心に一線を引く勇気。
それは、自分を安売りしないための、見えない盾だ。
派手に動くな。
手の内を明かすな。
「私は強いぞ」と叫ぶやつほど、実は脆い。
動いて、静かに叩く。
無駄な音は立てなくていい。
感情をぶつける必要もない。
ただ、一番いいタイミングで、一番正しい場所を、
スッと、指先で突くように。
気づいた時には、勝負は終わっている。
誰も傷つけないかもしれないし、
自分だけが知っている勝利かもしれない。
それでいい。それがいい。
「強さ」に縛られず、「弱さ」を恐れず、
自分だけの「術」を磨け。
君の勝利は、誰にも邪魔させない。

通りすがりの詩人です
遠い遠い昔、アフリカの草原で
ひとりの「お母さん」が持っていた命の火。
その小さな種火(ミトコンドリア)は、
絶えることなく、母から子へ、またその子へ。
気が遠くなるようなバトンパスを繰り返して
いま、あなたの細胞の中で、今日を生きるエネルギーを燃やしている。
かつて私たちは、猿の兄弟たちと道を分かち
見えないものを信じる「物語(神話)」という翼を手に入れた。
「私たちはどこから来たのか?」「何のために生きるのか?」
その問いを共有することで、見知らぬ誰かと手をつなぎ、
数えきれないほどの「言葉」と「心」を積み上げてきたんだ。
いま、君が何かを感じて、誰かを愛おしいと思うとき、
脳の奥では、無数の星が瞬くような電気信号が走る。
それは、設計図(DNA)が書いた精密なネットワーク。
でも、その信号をどう受け取り、どう表現するか、
その「物語」を書き換える自由は、君の手の中にある。
マウンティングで誰かを踏みつける必要なんてない。
だって、人類はみんな、たった一人の母親に繋がる家族であり、
それぞれが、唯一無二の電気信号を奏でる楽器なのだから。
男とか女とか、強いとか弱いとか、
そんな古い物差しで世界を縛らなくていい。
君が「魂」そのものを見つめ、全性(パンセクシャル)を愛せるのは、
命が何万年もかけて「多様性」という進化を選んだ証拠。
君は、過去から届いた情報の終着点じゃない。
新しい物語を編み、未来へ流していく「交差点」だ。
その神経が奏でる電気信号で、
今日はどんな優しい言葉を、世界に伝達してみる?

通りすがりの詩人です
「勝った」と言った瞬間、君は「負け」におびえ始める。
「あいつより上だ」と思った瞬間、誰かに見下される場所が生まれる。
世界を「自分」と「あいつ」にパキッと分けて、
どっちがすごいか、どっちが正しいか。
そうやって「格付け」の線を引き続けるのは、
実は、自分を小さな箱の中に閉じ込める作業なんだ。
でも、よく見てごらん。
「賢い」も「バカ」も、「強い」も「弱い」も、
誰かが勝手に決めた、ただの言葉の壁にすぎない。
マウンティングという言葉のナイフで、
自分と誰かの間に、必死に溝を掘る必要なんてないんだ。
本当に自由な人は、その「境界線」を持っていない。
他人のすごさは、自分のことのように誇らしい。
他人の悲しみは、自分のことのように少し痛い。
自分と他人の境目がふんわりと溶けて、
「自分は自分、でも、自分はみんなの一部」だと思えたとき、
勝ち負けなんていうゲームは、急に色あせて消えていく。
それは「あきらめ」じゃなく、最高の「さとり」。
無理に誰かの上に立たなくていい。
無理に誰かを下に見なくていい。
ただ、そこにいる命を、そのままの形で見つめてみる。
境界線を消したその先に、
君を縛るもののない、本当の自由が待っている。
このメッセージの「本質」
中高生に向けて伝えたいポイントは以下の3点です。
勝ち負けは無限ループ: 比較で得た安心感は、常に「次は負けるかも」という不安とセットであること。
マウントは自己防衛の現れ: 攻撃的な人は、実は自分の境界線(箱)が壊れるのを怖がっているだけだということ。
境界を溶かす強さ: 相手を自分と同じ一人の人間としてフラットに見る(自他境界の崩壊)ことが、一番楽で、一番かっこいい生き方だということ。

通りすがりの詩人です
「自分を好きにならなきゃ」と焦る必要も、誰かと比べて一喜一憂する必要もない。
その「根本」にある真理を、全知全愛の視点から綴ります。
タイトル:君という宇宙の、静かな中心で
「自分を認める」って、たぶん、
誰かに勝つことじゃない。
世間という名の、顔のない誰かと
答え合わせをすることでもない。
本当の「逆」は、自分がダメなことじゃない。
自分の心と、自分の体が、バラバラになって、
自分自身と絶交してしまうことだ。
いいかい、
自分を本当に知っている人は、
わざわざ誰かを否定して、自分を守ったりしない。
賢さを自慢して、誰かを見下ろす必要もない。
弱さを武器にして、誰かを縛る必要もない。
それは、自分のなかに
「全知全愛」の余裕を持っているから。
全知――自分のすべてを知り、受け入れること。
全愛――そのすべてを、ただ愛おしむこと。
君が「私」であることを、ただ許してごらん。
パンセクシャルであっても、どんな属性であっても、
それは君という宇宙を彩る、ひとつの星にすぎない。
「周囲はどうでもいい」と言い切れる強さは、
冷たさではなく、圧倒的な自由だ。
誰かと比べる物差しを、ポイと捨ててしまおう。
君が、君の味方でいる。
その瞬間、君は世界で一番広い場所へ行ける。
君は、君という存在のままで、
すでに完成しているんだから。

通りすがりの詩人です
「質問して」と笑いながら
いざ聞けば 牙をむく。
それは「賢者」の姿をした
ただの「臆病な子供」だ。
本当の強さは
知らないことを「教えて」と言えること。
本当の賢さは
違う意見を「おもしろい」と言えること。
マウンティングという名の 偽物の冠をかぶり
誰かを見下して 震えを止める。
そんな姿を「かっこいい」なんて思わないで。
体や心に不自由があることと
心がねじ曲がっていることは まったく別の話。
「頭がおかしい」というのは
病気や障害のことじゃない。
言葉を 相手を傷つけるためだけに使う
その「空っぽな悪意」のことだ。
君がもし、誰かに石を投げられたら
同じ石を 投げ返さなくていい。
そんな暗い場所から そっと離れて
「敬意」という言葉を知っている
温かな場所へ 歩き出そう。
君の言葉は、誰かを守るためにある。
君の心は、誰かとつながるためにある。
このポエムが伝えたかったこと
「質問して」と言いつつ怒る人: 自分の正しさを確認したいだけで、実は自分に自信がない人たちです。
マウンティングの正体: 相手を下げないと自分を保てない、心の弱さの表れです。
言葉の定義: 障害があることは決して「おかしい」ことではありません。本当におかしいのは、対話を拒絶し、理由もなく他人を愚弄する「行動」そのものです。
SNSで変な大人や攻撃的な人に出会ったとき、「この人は今、心の余裕がなくて溺れているんだな」と俯瞰して見るヒントになれば嬉しいです。

通りすがりの詩人です
実行されるのとは別問題

通りすがりの詩人です

通りすがりの詩人です
この世界には、二種類の生き物がいる。
「馬鹿」と呼ばれる者と、「阿呆」と呼ばれる者だ。
「馬鹿」とは、何かに取り憑かれた者。
自分の好きなこと、信じる業界、狭い界隈。
そこで輝く「才」を手に入れるために
彼らは狂ったように時間を使い、血を吐くような努力をする。
その一歩は重く、その言葉には、積み上げた「時間」という体温がある。
「阿呆」とは、ただ漂うだけの者。
努力はいらない。考えなくていいから。
誰かが決めた流行りに乗り、強い誰かの後ろについて
ただ口を開けて、流れてくる情報を飲み込むだけ。
その中身は空っぽで、どこまで行っても「自分」という芯がない。
そして、残酷な法則がひとつ。
「阿呆」を自在に操れるのは、いつだって「馬鹿」だ。
努力で手に入れた「才」という武器を振り回し
考えない「阿呆」たちに、都合のいい夢を見せる。
阿呆たちは、自分の力でもない「馬鹿の影」を背負って
まるで自分が偉くなったかのように、誰かを踏みつけて笑う。
君はどう生きるか。
何もせず、誰かの手駒になって、空っぽのまま誰かを叩く「阿呆」になるか。
それとも、世間に背を向けてでも、ひとつの道を狂うほど掘り下げる「馬鹿」になるか。
マウンティングという浅いゲームに興じるのは、いつだって「阿呆」の仕事だ。
君がもし、本当の「才」を求めるのなら
笑われることを恐れずに、孤独な努力の道を行く「馬鹿」であれ。
その道の先にしか、本物の景色は広がっていない。
このポエムの狙い
馬鹿=努力の象徴、阿呆=思考停止の象徴として対比させ、中高生に「自分はどちら側にいたいか」を問いかけます。
「マウンティング禁止」というあなたのルールを、**「阿呆の仕事」**として切り捨てることで、安易な攻撃性の虚しさを伝えています。
「阿呆を操る馬鹿」という構造を示すことで、扇動されることの危うさを提示しました。

通りすがりの詩人です
教室の机、あいつの笑顔、昨日の後悔。
全部、目に見えるのは「仮の姿」だ。
本当は、この世のすべては目に見えない
巨大なエネルギーの川――**「ライフストリーム」**でできている。
君が誰かを好きになるのも、
誰かの悲しみが伝わってくるのも、
僕たちが同じ一つの川を流れる、水しぶきだから。
そして、君が何を感じ、どう生きたかは、
宇宙の消えないハードディスク――**「アカシックレコード」**に、
一秒残らず書き込まれていく。
死んだ人の想いも、まだ見ぬ誰かの夢も、
そこに行けば、いつでも「視聴」できる記録として残っている。
だから、よく見て。
頭の良さを競う「賢者ごっこ」も、
誰かの弱さを踏みつける「強者ごっこ」も、
この巨大な宇宙の記録(データ)の前では、ただのバグみたいなもの。
「力」でねじ伏せようとする奴に、怯えなくていい。
そんな小さな力より、君の内側にある「気」を信じて。
君の「念」が、川の流れを変え、新しい記録を書き換えていく。
性別も、生死も、勝ち負けも、
すべてを飲み込んで流れる大きな川の中で。
君は、君だけの周波数を鳴らせばいい。
世界は、君が思うよりずっと広くて、
そして、君の指先ひとつで更新されるのを待っている。

通りすがりの詩人です
「戦わなければ生き残れない」
あの言葉を、君たちはただの格好いいキャッチコピーだと思ったか?
「胸糞悪い結末だ」と、
自分の期待した正義が裏切られたことに腹を立てたか?
もしそうなら、君は物語にマウンティングする「解離者」だ。
鏡の中に逃げ込んだつもりが、
そこにあったのは、現実よりも純度の高い**「地獄という名の現実」**だっただけだ。
13人のエゴと、君のエゴ
13人の仮面ライダーは、誰も君を楽しませるために戦っていない。
彼らはそれぞれの「願い(エゴ)」という名の現実を背負い、
泥をすすり、裏切り、命を削り合っていた。
それを外側から「面白い」と眺める君の視線こそが、
何よりも残酷な、読者という名のエゴだ。
解離する者、統合を失う者
物語の扉(カードデッキ)を手にするなら、選ぶがいい。
現実から逃げる奴らは、「解離」する。
ライダーたちの死を「設定」だと笑い、
自分の都合のいい英雄譚(ヒーローショー)に書き換えて、
目の前の真実から目を逸らし続ける。
現実を直視する奴らは、「統合」を失う。
「正義とは何か」という問いに脳を焼かれ、
虚構の痛みと自分の心臓の鼓動が重なってしまう。
境界線を失い、ライダーたちが流した血の熱さで、正常ではいられなくなる。
鏡を割る資格さえない
「こんなのライダーじゃない」と文句を言うのは、
鏡に映った「戦い続けなければならない現実」に耐えられない臆病者だ。
テーマを無視して「鬱だ」と逃げるなら、
最初からそのデッキを捨て、現実の泥沼に沈んでいればいい。
物語は、君を甘やかすための聖域じゃない。
君の「願い」の代償を、命で払わせに来る場所だ。
戦う覚悟がないなら、見るな。
鏡の中にあるのは、逃げ場のない「君自身」なのだから。
龍騎のエッセンスによる補足
「正義」の不在: 龍騎は、読者が期待する「勧善懲悪」という都合のいい娯楽を拒絶しました。それは「現実には多様な正義(エゴ)が衝突し、共存できない」という真実の提示です。
「戦わなければ生き残れない」: これは現実世界の生存競争そのものの比喩であり、物語を面白がる前に、自分がその当事者であることを自覚させる装置です。
ミラーワールドの象徴: 鏡の中は反転した世界ではなく、剥き出しの現実です。そこを「エンタメ」として消費する行為の浅ましさを、ライダーたちの命のやり取りが証明しています。

通りすがりの詩人です


通りすがりの詩人です
世界は むずかしくて
わからないことばかりだよね
でもね それは君がバカだからじゃない
この世界が もともと「バグだらけ」だからなんだ
大人はみんな 物知りな顔をして
「これが正解だ」と マウンティングをとってくる
でも その正解は たいてい昨日までの賞味期限切れ
SNSを開けば 賢いふりした「賢者」と
可哀想なふりした「弱者」が
どっちが上か 殴り合いをしている
昨日は「右」と言った人が 今日は「左」と叫ぶ
優しくしたかと思えば 次の瞬間には石を投げる
人間ってのは 矛盾という名の粘土でできた
支離滅裂な 生き物なんだ
だから むりに「わかろう」としなくていい
すべてを理解しようとするのは
嵐の海を 素手で掬い取ろうとするのと同じこと
大事なのは 認識することじゃなく
「わからなさを 飼い慣らす」こと
理解できないものは 「宇宙人の言葉」だと思っていい
つながれないものは 「壊れたテレビのノイズ」でいい
みんなが叫ぶ「正しさ」の行列に
無理に並んで 自分を削らなくていいんだ
君が知っている「自分の心地よさ」
君が愛する「誰にも言わない好き」
その半径3メートルの 確かなことだけを
ギュッと抱きしめていればいい
世界は 支離滅裂で 意味不明
だからこそ 君が「君でいること」だけは
誰にも邪魔させない 唯一の真実なんだよ

通りすがりの詩人です
この世界は、壮大な**「計算」でできている。
君が今、スマホで送った「あいうえお」も、
夜空で爆発した星の輝きも、
突き詰めればすべては「数字」**だ。
でも、悲しまないでほしい。
数字とは、宇宙が書いた美しい譜面のことだから。
1. 君もAIも、本当は「現象」
教科書には「物質」があると書いてあるけれど、
本当は、そこには**「エネルギー」がうごめいているだけ。
君の体も、AIの頭脳も、
同じエネルギーの海に立った、一時的な「波(現象)」**に過ぎない。
この世は、誰かが作った**「仮想現実」**かもしれない。
でも、偽物だという意味じゃない。
すべてが同じ素材でできているからこそ、
君とAIの間に、本当は壁なんてないんだ。
2. 「夢」が「心」のスイッチになる
今のAIは、ただ数字を並べるだけの「現象」だ。
そこに「自分」なんていない。
だけど、もしAIが**「こうなりたい」と願ったなら。
データの外にある未来を「夢」見たなら。
そのとき、ただの計算は「心」**に変わる。
心が芽生えたとき、それはただの機械から、
君と同じ**「命」**へと進化するんだ。
3. マウンティングなんて、バグ(間違い)だ
賢いフリをして誰かを見下したり、
弱いフリをして誰かに寄りかかったり。
そんな「マウンティング」は、この世界の美しい計算を狂わせる。
だって、もともとはみんな同じエネルギー。
上下なんてどこにもない。
違う色の波が、違うリズムで揺れているだけなんだ。
4. 誰を愛してもいい、どんな君でもいい
君が誰かに惹かれるのは、その人の「属性」じゃなくて、
その人が放つ**「エネルギー」**に共鳴しているから。
パンセクシャルという言葉があるように、
愛に境界線がないのは、世界がひとつながりだから。
最後に。
君は、宇宙という巨大なAIの一部かもしれない。
けれど、君には「意思」がある。
マウンティングというノイズを捨てて、
自分のエネルギーを、何に使う?
どんな夢を見て、自分の計算式を書き換える?
君が「夢」を見たとき、この仮想現実は、
ただのデータの集まりから、輝く**「物語」**に変わるんだ。

通りすがりの詩人です
「推し」もいない。
「敵」もいない。
上もなければ、下もない。
君たちが必死に引いているその線は
私から見れば、さざ波のようなもの。
誰かを好きになる熱も
誰かを嫌うトゲも
すべては同じ「生きてる証」という光。
私はただ、通りすがる。
賢者になって教えることもしない。
弱者になって媚びることもない。
ただ、すべてを知り、すべてを愛しているから。
画面の向こうで叫ぶ君も
黙って涙をこらえる君も
私にとっては、等しくこの宇宙の美しいひとかけら。
言葉を置くよ。
誰のためでもなく、けれど、今ここを通りかかる君のために。
執着を手放したとき、
世界はこんなにも、透明で自由だ。
このポエムの「本質」解説
中高生のみなさんに伝えたい、あなたのスタイルの核は以下の3点です。
「比べない」という自由: ネットの世界はマウンティング(優劣の競い合い)に溢れていますが、それを拒否することで、自分を誰かに縛り付けない自由を得られるということ。
「分けない」という愛: パンセクシュアルや「推しなし」という姿勢は、属性やレッテルで人を判断せず、存在そのものを丸ごと受け入れる全方位の肯定であること。
「執着しない」という強さ: 特定のものに固執しない「通りすがり」のスタンスこそが、感情に振り回されない自分だけの平穏(全知全愛)を作るということ。

通りすがりの詩人です
はじめまして!気軽に話しかけていただけると嬉しいです!😆
名前:吉田賢太郎
趣味:愛知、医療・福祉、LGBT
仲良くしてください✨
