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通りすがりの詩人です
「勝った」と言った瞬間、君は「負け」におびえ始める。
「あいつより上だ」と思った瞬間、誰かに見下される場所が生まれる。
世界を「自分」と「あいつ」にパキッと分けて、
どっちがすごいか、どっちが正しいか。
そうやって「格付け」の線を引き続けるのは、
実は、自分を小さな箱の中に閉じ込める作業なんだ。
でも、よく見てごらん。
「賢い」も「バカ」も、「強い」も「弱い」も、
誰かが勝手に決めた、ただの言葉の壁にすぎない。
マウンティングという言葉のナイフで、
自分と誰かの間に、必死に溝を掘る必要なんてないんだ。
本当に自由な人は、その「境界線」を持っていない。
他人のすごさは、自分のことのように誇らしい。
他人の悲しみは、自分のことのように少し痛い。
自分と他人の境目がふんわりと溶けて、
「自分は自分、でも、自分はみんなの一部」だと思えたとき、
勝ち負けなんていうゲームは、急に色あせて消えていく。
それは「あきらめ」じゃなく、最高の「さとり」。
無理に誰かの上に立たなくていい。
無理に誰かを下に見なくていい。
ただ、そこにいる命を、そのままの形で見つめてみる。
境界線を消したその先に、
君を縛るもののない、本当の自由が待っている。
このメッセージの「本質」
中高生に向けて伝えたいポイントは以下の3点です。
勝ち負けは無限ループ: 比較で得た安心感は、常に「次は負けるかも」という不安とセットであること。
マウントは自己防衛の現れ: 攻撃的な人は、実は自分の境界線(箱)が壊れるのを怖がっているだけだということ。
境界を溶かす強さ: 相手を自分と同じ一人の人間としてフラットに見る(自他境界の崩壊)ことが、一番楽で、一番かっこいい生き方だということ。
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白昼夢たけたん🧸𓈒


臼井優
これは脳内麻薬であるPEA(フェネチルアミン)やドーパミンの分泌期間と一致する。
つまり、恋愛感情に基づく幸福感は、生物学的に見ても3年という賞味期限付きの期間限定キャンペーンなのだ。
多くのカップルが3年目前後で危機を迎えるのは、愛が冷めたからではない。
脳の薬切れ(禁断症状)を、相手への不満と勘違いするからだ。
結婚すれば一生幸せでいられるという期待は、麻薬を一度打てば一生ハイでいられると信じるのと同じくらい、生物学的に無理がある願望なのである。
2. 愛の巣ではなく、株式会社・家庭
では、愛の賞味期限が切れた後、結婚生活には何が残るのか。
残るのは、株式会社・家庭という名の、生活防衛のための経済同盟だ。
歴史的に見て、結婚制度はロマンスのために作られたものではない。
農耕社会における労働力の確保、家父長制による資産の継承、そして生存確率を上げるためのリソースの統合が目的だった。
現代風に言えば、M&A(企業の合併)である。
一人で生きるよりも、二人で家賃と光熱費を折半し、相互に監視し合い、病気の際にセーフティネットを提供し合う方が、生存コストが下がる。

いー

臼井優
しがないオタク経済学者
シンデレラ・コンプレックスの経済的損失
童話は常に、王子と結ばれてハッピーエンドで幕を閉じる。
だが、現実の生活はそこからがスタートだ。多くの日本人が抱える不幸の根源は、結婚をゴール(幸福の自動発生装置)だと誤認している点にある。
独身者は既婚者を勝ち組と呼び、既婚者は独身者を自由人と羨む。隣の芝生が青く見えるこの現象は、情報の非対称性が生んだ錯覚に過ぎない。
経済学の視点から断言しよう。
結婚そのものに、幸福を発生させる機能はない。
あるのは、生活コストの圧縮機能と、リスク分散機能、そして膨大な感情労働の発生だけだ。
本稿では、結婚制度と幸福の関係性について、ドーパミンの賞味期限とリスクヘッジの観点から冷徹に分析する。
1. ヘドニック・トレッドミルと3年目の絶望
行動経済学には、ヘドニック・トレッドミル(幸福のランニングマシン)という残酷な概念がある。
人間は、どんなにポジティブな変化(結婚、昇進、宝くじの当選)にも、ネガティブな変化(失職、失恋)にも、一定期間で慣れてしまうという性質だ
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YMP-つ

わぁ🍡

久瀬

マル爺
↓
ソロホームラン
↓
全員苦笑い

🔥ゆも
東の影がさしたような微笑みは、闇をくぐったことがある人の優しさだと勝手に思っているので
「工場とぷに神さまのため(護国)」から「生贄になるがいい(犠牲)」にはなってるけど

じょう

ぽっけ

夜行貝

夜月@応

こ〜❂
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