30年以上前になるかな、大学を一年休学して中南米をふらついていた時期がある。旅行と言えば旅行になるのかな? ブエノスアイレスで1958年製のシボレーを買って、カルネ手帳(車のパスポート)を手に入れて、気の向くまま、また知り合った人に勧められるまま、色々走り回った。そのままアメリカ🇺🇸まで行きたかったけど、コロンビアからパナマに車で行けず、キトーで車を叩き売って、(カルネがある以上本当は違反なんだけど)船でパナマシティーにわたり、最後は休学期間が気になりメキシコシティーから日本に帰ったけど、日本から持っていった円は飛行機代を引いて80万位。勿論現地で色々やったけど、成田から名古屋まで帰れる円は残っていたな。だから100万位の旅行と言えると思うが、その思い出に匹敵する買い物なんてちょっと思い浮かばないな。
知識の量を語るな、感動の質を誇れ。先にやられても、痛みから自分が創られる事を知れ。先人の知識をあたかも自分の知恵のようにひけらかしても、先につながる物は自己否定だけ。それよりも完全に否定され続けよ、知識の量は年を重ねる程増えていくが、純粋な悔しさは自分自身の肥料となる。
今日の一本をリカーマウンテンで物色していたら、珍しく国産のイカを使ったサキイカが入荷したんですよと薦めてくれた。えっサキイカのイカって国産珍しいのと驚きながら思わず購入。初めて飲むブレンデッドスコッチ「グレンギャリー」とともに。
本当に感謝されるなら、どんな美人の女の子でも、絶対気の合わない男でも、その人のために使いたい。見返りは心からの感謝に価値を置く。では、使う金額が一万円になると贈り物をする人によって価値が変わってくる。自分が明日死ぬかそれともまだまだ生きるかでも価値は変わるし、1000円という金額の設定が低すぎる。だいたい自分のために使う1000円って現実味があんまり湧かないし.人のために使う1000円とでは価値が違いすぎる。解答、自分のために使う1000円はあまり考えないが、人のために使う1000円は多様な感情が作用するので、相当な価値の相違がある。ではどうだろうか?
ピリッとした甘辛のタレに漬け込んだイカにうっすらとコロモを纏わせ、両面プレスで絶妙に焼き上げた、えびせん家族のその名もズバリ「おつまみ」そのなんとも言えない歯触りと噛むほどに染み出すイカの旨み!もう止まりません!今宵は「ティーチャー」のパートナーとして
その人が正しいか間違っているのかは関係ない。自分の考えに信念が持てるかどうかが大事。その人の考えが正しいどうかを判断する自分の考えが正しいと思っているのなら、結局君も「自分は正しい」と認識しているということ。
坂の上の雲(司馬遼太郎)永遠の0(百田尚樹)大空のサムライ(坂井三郎)水滸伝シリーズ(北方謙三)北の海(井上靖)白夜行(東野圭吾)蜜蜂と遠雷(恩田陸)妖星伝(半村良)海辺のカフカ(村上春樹)冬の童話(白川道)
私のいた大学に哲学科があり、一年の時に「哲学概論」の講義を受けた。法学部だったが一般教養の一科目として軽い気持ちで選んだのだが(単位が取りやすいという理由もあった)。最初の講義の時の教授の言葉を今でも覚えている。「僕はみんなに哲学を教えることは出来ない。でも哲学することは教える事ができる」あとでそれはカントの言葉だと教えてくれたが僕にとってすごくインパクトのある言葉だった。授業メインは教授の出すテーマに答え教授や学生同士のディベートが中心で、他の記憶中心の講義の中でリフレッシュできる時間でもあった。その影響もあってか、僕にとって哲学するということはポジティブに考える事が大切だと思っている。今までも、大きな事故を起こした時、弟の死に直面した時、仕事で失敗した時、なぜ自分は生きているのか?という自問に、解答を見つけられないまま決して不幸ではない自分がいる。考え続けながら、答えを見つけられないまま、そして不満なく生きている私は、哲学を楽しんでいるのではないかとおもっている。
なるほど、面白い問題だ。 だが実際には泳げる鳥はいるし飛べる魚もいる。目的は鳥は餌を捕食するため水中を泳ぎ魚は外敵から逃れるため空中を飛ぶ。 この問題はそれが出来なくなったらどちらが生存への影響が大きいか?と置き換えることができそうだ。そう考えると、空を飛べる魚は飛魚くらいしか思い浮かばない。泳げる鳥は水鳥他猛禽類や多くの鳥が水中で餌を捕食している。そこから考えて、鳥が泳げなくなった方が魚が飛べなくなるよりダメージがかなり大きい。したがって飛べない魚の方が優れている。 という解答ではどうだろうか?
次の一本はブッシュミルアイリッシュウイスキーはあまり飲んだことがない。一時期スコッチのシングルモルトにこだわっていたこともあるが最近はグレーンモルトのブレンデッドウイスキーを楽しんでいる。柔らかくて飲みやすいし、何より安価なのが嬉しい。今日はビーフジャーキーをお供に さてどんなお味だろう
何十年も前、昭和40年代だったろうか テレビのC Mを覚えている。小林亜星作曲の「夜が来る」のリズムが流れ、寿司屋のカウンターの上にある棚に置かれた一本。和食にもウイスキーが合うんだよという狙いがあったのだろう。そして半世紀同じデザインで売られ続けられていることに不思議な感動を覚える。考えてみればこれ程よく知っているのにほとんど飲んだ記憶がない。さてどんな味わいだっただろう。次の一本に決めた。
リキュール 学生時代友達の寮で二人で飲んでいた日本酒がなくなり、寮中の後輩の部屋を探し回り見つけたメロンリキュール、大喜びで飲み干したが頭に鉄杭を打ち込まれたような二日酔いがトラウマになり、リキュールは匂いを嗅いだだけでもサブイボが出る。
母親の遺品整理していたら物置の隅から出てきた「石原通廣」 兼元孫六や兼定の流れを引く関の刀工。昭和初期、主に軍刀を打っていたらしいが戦後は作刀をやめたらしい。思うところがあったのだろう。サビだらけだったが警察に届ける前に少しでもキレイにしたいと思いここまで磨いた。おそらく陸軍将校だった伯父の遺品だと思う。なんとか登録して手元に置いておきたいと思っている。