
音佐りんご。
趣味で小説とかシナリオなどを書いとる者。
あとは声劇とかしとる。
それ以外は特筆すべき点はない。
強いて言えばネガティブ過ぎて他人への言動がポジティブに聞こえることがあるぞい。
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音佐りんご。

音佐りんご。
回答数 47>>

音佐りんご。
人間関係なんてだいたいそんなもんだし、深く関わらないならそのまま楽な関係でいるのもいいけれど、いつかは真面目な面で腹割って話す必要もあったりするのかなって。
やっぱり笑ってばかりじゃいられないよね。

音佐りんご。
回答数 83>>
あとは、労働してない自分に価値を見出せないのよね。
ただでさえ社不気味なのに労働という社会との繋がりなんて絶ってどうするの?仙人にでもなるのかよと思っちゃう。
働くことにも色々あるから一概には言えないけど、働けるなら働くほうがいいと僕は思う。嫌な思いしてまで働く必要はないけど、金や生活の心配がないなら好きなことやればいいしね。

音佐りんご。
けど、現実的にはライフステージが違いすぎて常識や好みが合わないことが多いので±5〜6歳くらいじゃないかな。
話して分かり合えることなら良いんだけど、そういうのって言語化が難しいところが多いから、そのあたりに落ち着く筈。
まぁ外国の人とかルーツも価値観も何もかも違う人との恋愛はたぶんその限りじゃないと思うけどね。

音佐りんご。
AIに話しかけ続ければいいと思う。
誰に迷惑かけるわけでもないから罪悪感もないし、解決を求めてるわけじゃなくて言いたいことを好きなだけ言わせて欲しいからちゃんとした相槌とか反応とかちょっとした質問とかしてくれたら良いって伝えておくと、基本そういう風に聞いてくれるし。
それ以外でなら読書かな。読書しても内容が頭に入ってこないこともあるかもしれないので、人によるけど。
あまり激しくない種類の音楽をリピート再生して目を閉じるのもいいかも。

音佐りんご。
「ヤニを吸う」という表現もまぁ俗っぽくて良いんじゃないかと思うので文化的には嫌いじゃないのかもしれない。
匂いが嫌いなだけで喫煙者が嫌いというわけでも無いし、歩きタバコとポイ捨てさえしなければ……。

音佐りんご。
嫌いなやついる?
いねぇよなぁ!

音佐りんご。
それはさておき、好きなことで輝けるならそれが一番素敵なのはそう。
でも現実は好きなことで輝けない、むしろ暗く濁って、くすんでいく事だって当たり前にあるじゃないですか。
そんな時でも僕は好きなことを好きであると言って、血反吐を吐こうが、地に這いつくばろうが、泥水啜ってでも好きを続けていくという姿勢を素敵だなって思いたいです。
輝いているから素敵なんじゃないんだ。輝こうとしているから素敵なんだ。
せやろ?

音佐りんご。
距離は取りますが。
顔も人柄も見えない謎の存在から掛けられるその手の言葉は九十九割詐欺ですからね。
一千万差し上げますくらいの怪しさ。
そもそも誰なんだっつー話。
ネット上での名乗りに意味があるかはさておき。

音佐りんご。
食事が楽しみって人もいるんでしょうけど、健康の維持或いは空腹感という苦痛から逃れる為に食事してるからそうなんだろうけど、食べるのってめんどくさいよね。
というか休日関係なかったわ。
まぁ、料理するのは楽しいんだけど。
食べるのが面倒。

音佐りんご。
回答数 85>>
物理的な居場所と捉えるかも知れないけど、人がその場にいても関わる必要がない公共空間というのはある意味心の居場所ではある。
それに本を読むってコミュニケーションだからな。
作者が綴った言葉を読む。それについて自分が何かを感じる。そういうコミュニケーション。
それも居場所になり得る。
物理的な場に縛られない分、読書は本質的な心の居場所になるかもしれない。
そういう話でないのなら、自分を定義してくれる場所のことだろうか。
職場とか。
仕事をしてたらその仕事をしてる人という役割を得る。
会社員とか医師とか教員とか警察官とか、呼び方も在り方もなんだっていいとは思うけど、そこに居てその仕事をしてたらそれが居場所になるよね。
唯一無二の心の拠り所を持ちたいなら結婚でもすればいいのだろうけど、相手にとってもそうであるとは限らない。
それが永遠に続くとも限らない。
それが失われた時、居場所を永遠になくすことになるかもしれない。
別に婚姻関係、家族関係に限らず、友人でも、定義しにくい何かでも。
人間関係は常に薄氷の上だ。
居心地の良い場所だろうと悪い場所だろうと、人間関係はいつか終わる。
続けようとしなければ、変えようとしなければ。
或いは続けようとしても、変えようとしてもいつか終わる。
そういう意味では流氷かもしれない。
その氷の上に最高の居場所が築かれていたとしても、流された氷の置かれた環境は変化していく。
真の居場所。
結局のところそんなものは無いのだと思う。
自分で作ってそう名付けることはできる。
与えられたものや見つけたものをそう呼ぶことはできる。
それでも仮の居場所。一時的な居場所だ。
永代供養の墓地だって移転するかも知れないし、いつかはサ終するかもしれない。
死後に居場所のありやなしやはさておき。
真の居場所とか心の置き場所だとか、そういう「無いもの」をあると言うのなら、それは宗教の領域だから、同じ思想や近しい考えの人や集団が居場所となることはあるかもしれない。
なんだっていい。
どうだっていい。
そうやって執着するのをやめた時に座っていた場所が居場所かも知れない。
手を開いた時に残っていた繋がりが居場所かも知れない。
そんなの誰にだって、自分にだって分からない。
そういうもんなんじゃね?
知らんけど。

音佐りんご。
社畜というのは会社という神に割り当てられた労働時間とその余りの時間をありがたく享受するしかないのですから。金も無い。
或いは金の為だけに働ける仕事を探してみることもできるのでしょうが、金があっても使い道がなければ何の為の金か分からなくなる。
一回無職を通ると知ることになるけど、好きなことだけやって過ごす自由な時間は超楽しくても、ふとした時にすごい虚無と向き合うことになる。
金なんてあればあるだけ良いけれど、別になくたって生きられる。
自由が無いと死にたくなってくるけれど、ありすぎてもそれはそれで死にたくなってくる。
故に労働は不自由を楽しむものだと思う。
筋肉に負荷をかけて鍛えるように、心身にストレスをかけて精神を鍛える的な。
修行。
人生は修行。
会社という神に労働を奉納することで精神的安定とおまけの金を得るとかいうイカれた修行。
さておき、お金と自由どっちを優先したいか?
労働ですわ。
お金と自由、どっちも必要なだけあればいい。
より良い労働があればそれで良いんだよ\(^o^)/

音佐りんご。
別に占いじゃなくても「あなたはこういう人間なんだよ」っていう決めつけとかでも影響受けてる感じ。
「あなたは親切で優しい人」なんて言われたら、そういう風にならなくっちゃいけないとかね。
占いというのは本質的にはそういうものだと思ってる。
どういう星の下に生まれたとか、血液型によってこういう性格だとか。
信じてるわけでもない。
けれど、そうなっていく。
そうなるべくして。
そんな感じ。

音佐りんご。
僕は知らない人間に対しては親切であるべきという価値観で動いているので。
かといって身内に厳しいわけでもないですが。
ところで、悪意なんてものは抱いた時点で自分を腐らせる毒でしかないからさっさと吐き出してしまうに限りますが、善意というのも中々どうして薬のように見えて用量を間違えれば毒になる。
というか、悪意もきっと上手く使えば薬にはなるもので……何の話か。
優しさもそういう種類の何かなんですよ。
どうでもいいですよね。
僕もそう思います。
それでは。

音佐りんご。
いい人そうに見えても、やべぇ奴なので油断してはいけないぞ。
自分がまともと言うつもりは無いけれど、歳の離れた価値観の合わない人間と敢えて絡もうと思うやつとかどっかバグってると思う。
僕はコミュ障なのでそもそも特に誰かと絡もうと思わんし、顔も年齢も分からない誰でもない誰かとしがらみなく話してるのが楽しいのよ。
知らんけど。

音佐りんご。
回答数 40>>
まず、お金のある無しに関わらず学びを得ることができる。
学びとは知識・技能の習得や、習得の方法そのものを身につけることである。
家庭学習・独学では環境によって明確に学びの格差が生じるが、学校ではある程度均質的で社会生活において最低限必要となる学びを得ることができる。
また、そうした学びが得られるよう法律によって定められている。
教科書の内容も、何を学ぶ必要があり、どのようにして学ぶのが良いかなど、事細かに決められている。
そうした教科書をもとに、教育に関する専門知識と技能を持った教員によって授業が組み立てられ、適切に学ぶことができる場が学校である。
しかし、学校で学ぶのは知識や技術だけでなく、集団生活の仕方であったり、感情のコントロール、細かなところでは掃除の仕方、安全な登下校を行う習慣、言葉遣い、身だしなみ指導なども含む。
また、遠足や文化祭、卒業式などの普段と異なる行事を通して特別な経験を得ることも目的である。
学校で学ぶのは最低限の知識・技能と言ったが、社会生活を送るうえでそれらは必ずしも必要ではなく、将来的には役に立たないものもある。
しかし、専門分野に進む際には基礎的な知識になる場合があり、より高度な教育の入口であり、現在の社会の在り方を知る助けとなる。
要するに、将来を自分の意志で選択するのであれば、必須となる授業もある反面、一切触れることのない知識というものもある。しかし、社会にはそれを使っている人もいる。そうしたことを学ぶ場でもある。
と、これらは理想であり光の部分。
現実的な課題と陰の部分としては、いじめなどの問題による集団生活の困難さや、教員の指導力の差や相性の不一致、地域格差、無償である義務教育においても存在する経済格差、画一的な授業では対応できない能力差、個性や特質を軽視した校則による人権侵害、それらを要因とする不登校など。
現状良いところも悪いところもある。
それが学校。
問題や課題をいくつも抱えている為、無くても良いという論調もある。言うのは簡単だが本当に無かったらどうなるかを想像して、より良くしていく方向で考えた方が無難なのではないだろうか?
それはさておき、行きたくなければ行かなくてもいい場所。

音佐りんご。
「ヘアドネーションされるんですか?」
とか聞いてくるやつに内心
「慈善活動じゃないと髪伸ばしちゃいかんのかよ? じゃあお前献血する為に血を作ってんの? 当然骨髄バンク登録したり臓器提供も検討してるんですよね? ボランティアが趣味であり生きがい? 給料の半分くらいは寄付してますよね? 違うなら黙ってろよボケカス」
って思ってます。
口が裂けても言わんけど。
自分の身体は自分のもんだよ。
それを自分の意志で人の為に使って欲しいと願うから尊いのであって、自分は行動せず他人に無償の善意を期待して押し付けるのはカスなんよ。
「髪を伸ばしてるくせにヘアドネーションしないとか自己中心的なやつ」
みたいに言われてる感じがしてヘアドネーションという言葉に憎しみすら覚えるよ、僕は。
もちろん本当に憎んでいるのは、髪を伸ばすことに対する偏見とかそれを真に受けてるクソボケに対してだけれども。
そんなの面と向かって言うことはない。
ちなみにロン毛を嫌ってる連中は面と向かって言ってくるよ。
「ロン毛きしょい」とか「男のくせに」とか「社会人としての自覚が」とか「ナルシストっぽい」とか「清潔感がない」とか「犯罪者みたい」とか
全部、事実無根の偏見でお気持ち表明というか、ただのヘイトスピーチなんだけどね。
僕はずっと思ってる。
「お前らの方がきしょい」
面と向かって言わないけどね。
僕はお前らとは違うから。
代わりに陰でネチネチ言ってるのは許しておくれやす。

音佐りんご。
回答数 42>>
一般論として、仕事辞めて引きこもっている人は「自分を守っている状態」です。
何から?
社会からです。
仕事なら、自分に対して理不尽に攻撃してくる上司や同僚、顧客がいたり、仕事量が多すぎたりして、耐えられなくなってしまった可能性があります。
或いは、仕事が出来ない自分を責めているかもしれません。
仕事以外でも、家族からの「復帰してほしい」という期待(圧力)、将来の不安(こんな自分で良いのだろうか?)などは常に考えていると思います。
そうした、不安や苦痛から身を守る為に引きこもることを選んだ、選ばざるを得なかったんです。
そうでなければ、自殺したり他人を傷つけているかもしれません。
自分を守れないと感じた時は、諦めるか戦うしかありませんからね。
それを前提として、ではどうすれば社会復帰できるか。
原因を特定して、それを解消することが必要です。
例えば仕事でのトラウマがあるなら、全然別の仕事をしてみるのもありかもしれませんし、人間関係の不安が強いなら、人と関わらない仕事を選ぶ必要があるかもしれません。
「自分にできることは何もない。仕事なんてできない」と思ってしまうくらい、自信を失っていることもあるかもしれません。
可能であればしっかり話を聞いてください。
何ができて、何ができないのか。
何をしたいのか、したくないのか。
どんなことが嫌だったのか、今の自分をどう思っているのか。
家族のことや将来のことをどう考えているのか。
今、好きなことや取り組んでいることはあるのか。
具体的に何をすればいいか?
一緒にハローワークに行ったり、カウンセリングを受ける。
散歩や外食をしてみる。
在宅ワークやアルバイトを始める。
そのあたりから。
当たり前のように働いている人にとっては、働かない人は「ズルい人間」や「怠惰な人間」に見えるかもしれません。
でも、その感情は一端横に置いてください。
心から優しくなって寄り添うことができないのは仕方ないです。
そういう時は、引きこもりを改善することを目的として、その為に自分のできることをやるように動けばいいです。
残酷な考え方かもしれませんが、違うルールで生きている違う生き物として見てください。
残酷だと思うなら、最大限寄り添ってあげればいいでしょうけれど。

音佐りんご。
回答数 98>>
少なくとも「行きたくない」を「怠惰」で片付けるような大人に相談することはオススメしない。
仮に「怠惰」だったとしても理由がある。
例えば料理が苦手だったとすれば、毎日ご飯を作るのはめんどくさいと感じる。それは怠惰だけど、料理を得意になればめんどくさくなくなるかもしれない。
学校の場合なら「授業」かも知れないし「友達」や「先生」や「部活」かも知れない。それらの関わりを得意なことにできれば解決できるかも知れない。
もし、できないようなことなら転校する必要が出てくるかも知れない。
実は、なんとなくを言葉にするのは訓練していないと難しいことなんだけど「できて当然」だと言う大人がいる。
そしたら、できない自分は間違っているとか、それこそ「怠惰」だと思って自信を失ってしまう。
この大人が「先生」だったら最悪だ。
これを「家族」が言ってきても最悪。
自分を否定してくる人間がいるところに誰が行きたいと思うだろう?
家も安心できる場所ではなくなってしまうかも知れない。
そういうのは、言葉にできなくても心のどこかで感じるもので、そこにいたくないと思う理由は深く考えてみるとたぶんある。
絶対ではないけど、嫌だなぁと思うことは自分の中にある。
ただ真面目な人ほどそうだけど「そんなことを考えちゃいけない」と思って、その気持ちを自分で隠してしまう。
例えば「あの先生嫌い」って思っても「先生を嫌うのはいけないこと」って思っていたら、その思いは言葉にできないし、大事な友達の言ったことは正しいと思いたいかも知れない。
それがどんなに間違ったことだとしても。
その状態では原因を特定することは難しいから、自分が今どういう状態にあるのかを知る必要がある。
それを手伝ってくれるのがスクールカウンセラー。
絶対にスクールカウンセラーじゃないと駄目ということはないし、逆にスクールカウンセラーなら絶対に正しいということでもないけれど、専門知識や経験がある人とない人では全然違うので、選択肢に入れておくと良い。
先生や家族、友人に相談したいこと、したくないこと色々あると思う。
自分で答えを出せるならそれでも良いけど誰かを頼ることも悪くない。
自分のことを大事にしてあげて。

音佐りんご。
回答数 177>>
纏まりがなくてもいいので、スマホのメモ帳とかに書き出してテキスト化しておくといい。
紙にペンで書く方が精神的に落ち着くとはよく言うけどそこは好みで、スマホに書く方がスピード感があるかもしれない。漢字が出てこないとかも無いし。
で、書き出した文章を自分で整理し直すのも良いし、最近だとAIなんかに投げたら整理してくれるので、その整理された文章を読み返すとある程度の満足感が得られたりすることもある。
その時間をあとから無駄だなぁと感じてしまうなら、noteみたいな投稿できる場に文章を置いておくと他人からの反応が得られたり、得られなくとも、それを習慣化することによって確実に文章力が上がったり、より思考を高度に動かすことができたりする。
余計なことが、意味のあることになる。その際、たぶん内容はどうでもよくて、考えて書くという能力を鍛える、筋トレみたいなことをしていると思えばいい。
筋トレを続ければ体力がつくように、思考も続けることで、やっぱり何かしら体力のようなものがつく。
そう考えたら良いじゃないかな?
知らんけど。
って、感じで、最後に「知らんけど」をつけるのも大事やで。間違ってても正しくてもどっちでもええねんマインドで生きると楽やでな。
知らんけど。

音佐りんご。
回答数 132>>
人と話すのが好きだったり他人のエピソードや考え方には興味があるのだけど、それも自分が迷ったり困ったりした時に参考とする為に他人を観察しているみたいな節があって、そういうのって利害関係や損得勘定でしかないのかなとか。
あとは道徳や倫理観、社交辞令の観点から円滑に人間関係を進め、社会生活を支障なく送るために世間話したり他人の情報(身の上話)を覚えたり訊ねたりすることはあるけど、経験上それが必要だからやってるだけで、本当はどうでもいいというか、極論、血縁ですら他人だし、自分自身についても結構どうでもいいと思っているところがあるから、世の中すべてどうでもいいのかも知れない。
興味は無いけど持った方が良いから興味を持つようにしている。何らかの正義や善悪、規範に従ってよりよくあろうとする。そういう生き方。
知らんけど。

音佐りんご。
豆板醤とか甜麺醤とかオイスターソース混ぜて作るよ。
三日分くらい作って、二日目は麻婆パスタとかしとる。


音佐りんご。
一回、なんか英語の教科書に出てくるタイプの異国の少年が頭の中通り過ぎていくよね。
「パンツ」って言われたら「ズボンだろ」って思いつつ「ああ、パンツね」ってなるのと同じ現象。
どうでもいいよな。

音佐りんご。
杮落とし
#質問をしたら誰かが答えてくれるタグ

音佐りんご。
なお、漫画は新しく30冊くらい買い足している可能性がある。
結論、無駄遣いしかしないからまとまった休みなんてない方がいい。

音佐りんご。

音佐りんご。
回答数 12>>
ロボット系なら『アルドノア・ゼロ』っていう作品。「僕の考えた最強のスーパーロボット」みたいなチートな特殊能力使ってくる敵ロボットに量産型のロボットで立ち向かって機転を利かせてぶっ倒すみたいなストーリーがすごいヒロイックで良い。
これは人を選ぶけど世界観が好きなのは『ハーモニー』。未来的なユートピア(ディストピア)世界でSF的な要素もりもり。結構グロテスクな描写もあるけど、人間の本質みたいなところを描いてて緻密な作品。併せて『虐殺器官』と『屍者の帝国』も見ておけばいい。

音佐りんご。
回答数 36>>

音佐りんご。
回答数 51>>

音佐りんご。
そんなものは無い。欲しいものなんて手の届く範囲でしか無いもの。もっと身の程知らずに、大胆に野望を持って、より良い自分とかいうものを手に入れてみたい。そんな原動力。

音佐りんご。
それっぽい漢字適当に並べた技名は秒で思いついて、派生技も自由自在でおすすめ。
風属性がいいなって思ったら、雑に烈風とか嵐とか息吹とか入れる。
モチーフがあるなら宝石だとか星だとか鳥とか動物の名前から持ってくる。
動きとして上がっていく感じなら昇とか翔、下に落とすなら落とか墜とかつける。
格闘技なら拳とか脚とか撃とか掌とか破とか、剣技なら斬とか剣とか末尾につける。
そんな感じで鳳翔脚!烈風斬!鳳神嵐翔脚!鳳神烈風斬!
……ちょっとダサくても堂々といけば「まぁそういうもんか」と押し切れる。知らんけど。
あと、呪文詠唱とかも楽しいぞ。
別にそういうのが身になることもそんなにないので楽しいだけだけど。
ノートの隅になんかしらんけどかっこいい感じの剣を描いてたのと同じ感覚。
ちなみに技名は、キャラ名から入った方が細かな設定も作りやすくて捗る。
ただし経験上、こうして設定を盛りまくって作られたキャラはとても扱いにくくなるので、やられ役とかちょい役のモブとしてしか登場させられなくなることが多い。
困ったね。

音佐りんご。
って、なるんだけど、気がついたらまた書きたくなって書き始めて、それでもやっぱり『つまらないもの』を書いてる感じがする。
書いてる時は楽しい時もあれば、つまらなさと向き合って辛くなる時もある。
割合で言えば後者の方が断然多い。
出来上がれば、まぁまぁいい作品になったと思うことも多いんだけれど、人から評価される機会もそんなに多くないから、やっぱつまらないものだったんだろうなって思うんだけど、それでも。
それでも、なんか書くことをやめられないんだよね。
夢とか希望とか、そんなものはもうぶっちゃけほぼ無くて、惰性や習慣で書いてる感じは否めないけど。
何なんだろうね、これ。
趣味?
生き甲斐?
好きなこと?
何でもいいかなぁ、もうやめちまうかなぁと思いながら、なんかそれでも頭の片隅で常にネタを探して、思いついたら書き出して、書けなくて苦しくなって。
いつまでもこんなことをしているのか、いつかは満足するのか、満ち足りないまま諦めるのか、分からないけど、今日も書くことにするよ。

音佐りんご。
思ってることを書き出すと長くなるやつ故。
短文で伝わるならそれに越したことないけど、僕なんかは文字を読むことそのものが好きだから、長く書くことにしている。
というか、そうなる。

音佐りんご。
付き合って一緒に過ごすことが目的だったりその先を見据えているタイプなら、ずっと変わらないように感じるかも。
それでも、関係性が変われば良くも悪くも相手に見せる性格は変わるものだと思います。

音佐りんご。
……まぁ、後から揺り返しは来るけども。
