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日常でふと浮かんだ、けど、誰かに言うには恥ずかしいような言葉をたまに吐き出す垢。
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vivy
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モノノ怪

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放送当時にも2期を見ていたため、数年ぶりに見返した形になるのだが。ただ泣きのシーンで感情を揺らされて終わり。ではなくて、彼女の「やりたいことがわからない」「意思を持つことは許されない」と言う感覚に、わたしの中で近づこうとしながらの視聴だった。まだ全てはわからない。境遇があまりに違いすぎるのだから当然と言えば当然だが、あと少しで触れられる、彼女の感覚を、もう少しでわたしも実感できる、わたしは彼女に入り込める。そんな手応えがあった。
実のところ、わたしは主人公である羽鳥チセにすら、まだ感情移入はできていない。当然他のキャラクターにも。見ていて面白いなとは思うが、このキャラクターの言いそうなセリフを考えてと言われたら、多分私は何も出せない。
今回つかんだ感覚を、もっと色々なキャラクターに広げていければ、作品の見方が大きく変わって、もっと面白くなりそうだなと、ふと思った。

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「あれこの時代に言うことじゃないでしょ笑」
と大口叩いた男子高校生お前は許さん今すぐペリリューを見てこいと言いたくなった。他にもいろいろ言ってたけど、口ぶりから察するにネットで見た批判の内容そのまま言って気持ちよくなってるだけに見えたんだよなぁ。
何も手放しに傑作とは言わないけどさ、作品には自分の言葉で向き合おうよ。

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感想。
言いたいことはわかるし最終的に行き着く先がそのテーマっていうのには同意するけどもう少し説得力ある展開描けますよねあなた!?!?!?
でした。
悪くはなかった。映像も音も良かった。
芦田愛菜はちょい気になったけど鑑賞そのものにはそこまで影響はないと思う。
ただ求められるレベルが高かったのと、客層的にこれじゃあ満足しないよねぇって展開でした。

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なんでか知らないけど小日向さん好きなんだよね。みんな顔見せればわかるのに名前知らないのなんでだ。小日向さんおじいちゃんに欲しい。

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自分が辛い時にそれを言葉にできない、原因を深いところまで探っていけないのは、きっと苦しい。

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このテーマで、戦後80年の今年に上映というのは、制作陣のプレッシャーも相当なものだったろうなと思います。原作も二時間に収まるような量ではないので、取捨選択の難しさもあったでしょう。
戦争を経験した方が少なくなってきている中で、これからを生きる世代が知らなければならないことに、向き合わせてくれる作品です。
もしも気が向いたら、ぜひ一度足を運んでみてください。


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例えるなら、春のよく晴れた日に外を歩いて感じるような、綺麗だなあと、愛おしさすら覚える心地よさ。しっくりくる表現は、そういうものだ。
一方的に信頼しているし、尊敬している。もしもその人が困っていたら、わたしはきっと迷いなく手を貸すけれど、その人に同じことは求めないのだろうなとも思う。
こちらに目を向けてくれるのは嬉しいけれど、迷惑はやはりかけたくないから、たまに会話をすることが私にとっては十分過ぎるほど幸せだから、だからどうか、自分の望む道を歩いて幸せになってほしい。中学校で、たくさんの思い出をくれた友人たち、高校で出会った先生、塾でアルバイトをしている大学生。ここに書ききれないほどに、わたしは人との縁に恵まれている。
だから、もしも誰かに聞かれたら、私は世界一の幸せ者だと、そう胸を張って言えるのだろうな。そんなことを考えている。

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と、そんなことを現実逃避のように考えた。

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綺麗事で、甘い考えなのかもしれない。皆自分が大切なのだから、どうせ誰かが助けるだろうから、面倒なことに自分の時間を使いたくはないだろう。
しかし、やらない善よりやる偽善と誰かが言った。だから私も、この甘さを抱えたままで。人生の苦楽を知り尽くした老人のような、そんな悟りに憧れて、理想とは程遠い自分を感じながら、生きていくのだろうなと思った。

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受験生故にすぐ撤退です。とほほ

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そして、私は人が人の苦しみを笑うのが苦手だ。
スキャンダルを起こした芸能人を、揶揄して楽しむクラスメイトが苦手だ。
なぜそんなことができるのだろうかと、純粋に疑問も沸く。
自分のプライベートを、大切な時間を勝手に食い物にされる。世間は真偽を確かめもせずに煽り、騒ぎ立て、安全な場所からナイフを向けてくる。
私なら、心が折れている。
ネット上での書き込みには慣れている。しかし、現実でそう言う話題を口にして、揶揄して笑っているのを見ると、強烈な違和感が胸に広がって、どうにもやるせない。
あるとき、高校で講演会があった。
子供たちを支援する団体の代表。その人が挙げた、虐待の記事。
「4歳の子供と1歳未満の乳児を、母親が3日放置して餓死させた」
二人の胃の中には、マヨネーズと段ボールが入っていたという。ろくに食べ物が入っていない冷蔵庫から、食べられるものを必死に取り出したのだろう。そして、自分の弟にも、どうにか食べさせようとした。
母親が帰ってくると信じて、弟を守ろうとして、必死に飢えを耐え忍んで。その辛さに、私は耐えられるだろうか。
それは当時の私にとって、あまりの衝撃で。しばらく頭の芯が痺れるような心地で、講演を聞いていた。
講演が終わり、教室に戻ると、隣から声が聞こえた。
「寝てた。なんか、段ボール食べたみたいな話しか覚えてないわ」
笑いながら、なんて事ないように告げられたそれ。胸の重い私を置いて、周りはどこまでもいつも通りだった。
あんな話を聞いて、なぜ周りは笑っていられるのだろうか。なぜそんなにも、何事もなかったと言うように、ゲームに興じていられるのだろうか。
疎外感、閉塞感、孤独感。周りのことが理解できない、自分だけが異物であるような感覚。
ああ、そうか。
私がおかしいのか。と、その時初めて、輪郭が見えた。

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妥協を初めて知ったのは、今思えばあの時だったかもしれない。

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私は恵まれている。そう思う。いい大人に、いい友人に、たくさん恵まれている。
自分は今幸せだと、そう言える。
しかし、それはやはり、どこか外向きの言葉だ。
間違いなく恵まれているけれど、心の底で幸せだと思いきれない自分がいる。そんな自分を未熟だと思うし、人に見せたいものではないから、やはり私は取り繕う。
私はどうも、その取り繕い方が同年代より上手いようだった。
内面の成長が、外面に追いついていない。自分はそれほど大人ではないのに、周りにそう見せることばかり長けている。
やはり、私は臆病者だ。

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