
のぶ
40歳既婚。ランニング、筋トレ、ヨガ、瞑想を継続しております。
好きなもの、こと。
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神社仏閣
邦画
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仲良くお話ができる方いらっしゃればと思います。よろしくお願いします
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料理
ランニング
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SUP

のぶ
肩がぶつかりそうな人は私に何を教えてくれるのだろうか。
笑顔のない定員は私に何を教えてくれているのだろうか。
壊れた家電は私に何を教えてくれているのか。
小さな出来事や気付きは、後々の人生に大きく影響を及ぼす。
バタフライエフェクト効果
日本では
風が吹けば桶屋が儲かる
という言葉がしっくりくる。
自分の行いは数年後の誰かのために、
仏教ではそれを因果応報という。
これを科学的に証明できれば、本になる。でも儲かるとか必要ない。
俺には口がある。口で誰かのバタフライエフェクトになればいい。


のぶ
初めて作ってから今に至るまで、不器用ながらも頑張ってる。
作り始め当初は
「作ってやってんのに文句言うなよ」
「仕事で疲れてんのにこっちの身にもなってみろよ」
「まずいんならお前が朝早く起きて作れよ」
等と他責思考だった私は、毎日が嫌で仕方なかった。
今は全ての出来事を自責で捉えているので、文句も泣き言も悪口も一切言わない。
言葉にはエネルギーが宿ると知っているから。
私の人生は家族から学び、同僚から学び、全てが師である。
カール・ブッセさんの詩
やまのあなたの空遠く
「幸」住むと人はいう
噫、われひとと尋ねゆきて
涙さしぐみ帰りきぬ。
やまのあなたになお遠く
「幸」住むと人はいう
幸せの本質を理解しないと、皆そのまま死んでいく。そんな人生は絶対に嫌だ。


のぶ
回答数 89>>
私は幸せになることはできないと思っています。
生きていることが幸せ。
目があることが幸せ。
G-SHOCKつけていることが幸せ。
毎日お風呂にはいれることが幸せ。
つまり、幸せはなるものではなくて、感じるものだと思っています。

のぶ
回答数 38>>
道端で人に道を聞いたら丁寧に教えてくれる。
携帯落としたら警察署に届いてる。
足りないものを探したらキリがない。
それよりも足りてるものに目を向けると世界が明るくなる。
足るを知る。それでいい

のぶ
先日職場で「傾聴」を基盤として、仕事で活かせる技術を学んできた。
私はカウンセラーでもない。
心理学者でもない。
哲学者でもない。
でも、40年という短い経験の中で、沢山の経験をし、学び、1度は命を絶とうとしたこともあった。
その中で、ムカつくやつ、殺したくなるくらいのやつもいた。それを全て「学び」と捉え、今に至る。
感情→学び→感謝
というプロセスを経て、人生が変わっていくのを肌で感じる。
数年間、休みの日に布団にこもっていた自分が、まるで殻を破って新しく生まれてくるような感覚。
ソクラテスさんの「問答法」
カールロジャースさんの「人は生まれながらに成長したい生き物である」
小林正観さんの「うたしの法則」
仏教、神道、哲学、心理学、人間関係
全てが師である。
自分の取り巻く環境にもう苦労や怖いものはない。
まっすぐ死ぬまで突き進め。



のぶ
苦労君は、人を苦労させるという役目がある。
いつも人に対して苦労させたくて仕方ない。
人を病気にさせたり
人と人を交通事故に合わせたり
人が人を殺し、訴えたり訴えられたり
人を怪我させたり
人と人の別れを経験させたり
とにかく、人を苦労に陥れることにしか興味がないから、どんどん苦労を与える。
人は苦労すると愚痴、泣き言、文句、悪口を言う。
苦労君はそれを聞いて、もっと苦労を与えたくなる気持ちになる。
ある時、苦労君が苦労を与えた人が苦労に対して「感謝」をした。
「この苦労のおかげで私はこんな立派な人間になれました。」
「この苦労のおかげで私は成長できました。」
「この苦労のおかげで私は道が切り開けました」
苦労君は今まで感謝されたことがないから、その人に近づかないようにしようと決めた。
そして、苦労君は別の人に苦労を与えようと別の人のところへ行く。
感謝をできた人間に苦労は訪れなくなる。これ、宇宙の法則。
別名、鏡の法則、ブーメランの法則、自業自得、いろんな言葉に置き換えられる。
人は腹落ちすると成長できる。
心理学者のロジャースさんの名言「人は本来、成長したい生き物である。」
さぁ、明日も楽しむよ。


のぶ
自分軸の甘い誘惑と罠について
昨日「アナと雪の女王」の有名なシーンを観る機会があった。
数年前、
エルサが歌を歌いながら自分の氷の城を作っていくシーンは、心揺さぶられるシーンであった記憶がある。
数年を経て同じシーンを観たのだが、ものすごく違和感を覚えてしまった。
数年前は心揺さぶられていたのに、昨日見たらそれが違和感に変わるという変化。
これは見逃してはいけないと、脳の中で紐解いてみた。
エルサは恐らく「隠していた本来の自分」と「社会の中で生きる自分」に違和感を覚えていたのだと思う。
それが、爆発していた「ありのままの自分」と言う形で表現されていたのだが、
「ありのままの自分」と
「隠していた本来の自分」には大きな違いがあると感じた。
先程のシーンでは恐らく、「隠していた本来の自分」が出たわけだが、プライドや自分の価値観が氷の刃となって他を受け付けないようになってしまった。(これを苦難災難と捉えられるならば話は早い)
「本来の自分」は魂レベルで考えれば、
心理学者のロジャースさんが提唱した「人は本来成長したい生き物である。」という言葉の通り、エルサにも成長過程が考えられる。
つまり、隠していた本来の自分を表現するのはあくまでも成長過程であって、その後に苦難や災難が訪れる。その結果「本来の自分」が現れる。
それは災害後の成長を感謝に変化できる考え方のような、まるで外傷後成長(PTG)と言われるものと似ているのではないだろうか。
映画を観ていて、心理学と繋げてみた。
私の違和感に常に目を向けてみることで、答えがどんどん出てくる。
そして、そういう自分が怖い。


のぶ
最近の自分のことが怖い。なんか人間離れしてしまうんではないかという感覚。
27の時に躁鬱病
37の時に適応障害
そして今40歳過去の精神障害が嘘かのように今が明るい。
太陽の光が敵だと思ったこともある。
今現在
過去の友人から続いて連絡がくる
職場でやりたかった研修に選抜で行ける。
研修後、同僚から突然3人続けて人生相談を受ける
好きな瞑想に関連したお願い事をされる。
必要な人間関係がみるみる構築されていく。
人生がうまくトントンと進みすぎて怖い。
別にお金を沢山得ている訳でもない。
地位を得ている訳でもない。
何かを大成功したわけでもない。
でもなんだろう、このひしひしと感じる何か見えない力に背中を押されている感覚。
すごく怖い


のぶ
明るい、暗いの違い。
私はランニングを習慣にしている。いろんな時間帯で空を見上げるのだが、時として東に太陽、西にうっすらと月が見える時がある。
その時、「そう言えば「明るい」という明けの字は、日と月が会意している文字だけど、何で何だろうと疑問に思った。」
調べてみると、昔の中国人はこう考えていた。
日(太陽の明かり)+月(月の明かり)
日は太陽にさらされて周りが明るさで物や人が認識できる。
月の光も、太陽の光を浴びて夜でも物や人が認識できる。
つまり日中も夜も太陽と月のおかげで明るいという字が生まれたんだ!!と合点した。
そして本題はここから。
「暗」は日+音(静けさや、隠れているという負のイメージ)
つまり太陽の光が差し込まず、陰湿なイメージはこの字の象徴である。
でもね。「暗い」を知っている人間だからこそ、「明るい」を認識できる。
それはつまり、、暗い経験をしたことのない人は本当の明るさを知らないんだ。
明るい「明日」は必ずくる。
だから明日(あした)は誰にでもくる。
本当の明るさは暗さを経験した人にしか分からない。
今日がワクワク。明日が楽しみだ。


のぶ
今日も少なめ。それでもお腹いっぱいになる。
退店後、私の横に座ってラーメンを先に食べていた女性が、お店の前でまだラーメンを食べている友人を待っているようだった。
その人に1言聞いてみる
(俺には普通のラーメンでもお腹はち切れるくらいなのに。。)
私「ラーメンを普通盛りで食べたんですか?」
女性「はい!とても美味しかったです。でも美味しいものは7割位が丁度いいですね。」
とケロッと。[冷や汗]
まさに「足るを知る」
を感じた。
しかし、2.5玉くらいある普通盛りよく食べられるなぁ。。。若いおねえさんすげぇ。[パチパチ]


のぶ
回答数 215>>
執着は相手に期待をする

のぶ
人生には山あり谷ありというが、山もない、谷もない。
人生には辛いことがあるというが、辛いことは存在しない。
そんなことはないという意見がでてきて反論されそうだが。
でもそれでも言い切れる。
辛いとか悲しいとか嬉しいとかそういう人間の感情は人間だから生まれるものであって、
辛い現象
悲しい現象
というものは存在しない。
は?何言ってんの?と思われるかもしれない。
仏教用語の愛別離苦、四苦八苦等の苦しみは、苦しいと思うから苦しみという言葉が生まれた。
人間はそれぞれ魂レベルが異なる。
魂レベルを引き上げるために「災難、苦難」などといういわゆる苦しい現象を通して学びを得られる。
でも、後になって気付く。
それは苦しいんじゃなくて、自分が成長するために必要だった「学び」だと。
↑
あっ、気付かない人はもっと苦しくなるよ。


のぶ
甘柿は渋柿になれない
渋柿も甘柿にはなれない
今年始めて渋柿を干し柿にしました。
毎年買っていたのだけど、結構高いから。。。農家さんにお願いして要らないと言うのでもらってきました。
甘柿は生で食べるとものすごくジューシーで甘くて美味しい。
でも干し柿は甘柿に負けない甘さを持っている。ジューシーじゃないけど、熟成された感触は何とも言えない。
それぞれがそれぞれの良さを持っている。
人間も同じで、この世に無駄な人は1人もいない。
無駄だと思っているのは「自分の心」なんだと。
脳に酸素が行き渡り、ブレインフォグから抜け出した。
20.30代はものすごくもやもやした人生だった。
今は使命が見えてきた気がする。
過去を振り返らず、未来を見据える。
さあ、明日も楽しもう。
悩んでいる人の少しでも力になれますように。



のぶ
私達の魂は産まれる前に何もかも決めてくる。
どんな身体に入って、どんな人と結婚して、いつ死ぬのかまで決めてくる。
身体はただの借り物。借りてるから大切に扱わなきゃだめ。結婚相手や出逢う人は学びの相手、嫌な役目をしてくれているだけ。(笑)→そう思え。(笑)
人生の先が決まっているとしたら、未来に目を向ける必要も無くなる。
人生の先が決まっているとしたら、過去に目を向ける必要も無くなる。
じゃあどこに目を向けるか。それは今だけ。
考えるのが今を一生懸命に生きるだけだから脳が楽になる。
あの時あの選択をしていれば
あの時あの人と結婚しなければ
と思う必要はない。
だって、自分の未来は決まっているから、私達は選択をしているだけなんだ。
人生の決定権は他人じゃなくて自分にある。

のぶ
人生が曇り空の時は何かにすがるといい。
24歳の時くらいから休みの日は布団にこもっていた。1日中こもっていた。その生活を6年くらい続けただろうか。
病気の時は患っている状態。「患」という漢字は心を串刺しにしている状態なんだ。心を串刺しにされたらみんな疲れてしまうと思う。
病気の時は、薬を飲んだら症状は緩和されるけど、根本解決にはならない。
でも渦中にいる時はそれが理解できない。
本当に辛いから。
だから辛い時は何かにすがるといい。占いでもいい。食べ物でもいい。何かにすがってほしい。
それが依存に向かってしまう人もいるかもしれない。その人の人生は他人には決定権がない。
決定権があるのは「自分自身」なのだ。
今なら、言える。
自分の生まれてきた使命はきっと、誰かの拠り所になることかと。


のぶ
夏から秋になると、心地よい気候が訪れる。
人は、下を向いたことがある人にしか見えない世界がある。それを辛い夏や冬ととらえるならば、春や秋は上を向けた世界とでも例えようか。
下を向いている期間がながければ長いほど、上を向けたときの感動は言葉にできない。
身体にしっかり降り注ぐ太陽の光は病気の時は敵のように思えたのに、今は恵みのよう。
しっかり伸びをして身体をシャキッとすると、さぁ、歩いて行こうと思える。
生きていてよかった。


のぶ
使っているフライパンに対して
きりがないんですが。。。身の回りの物、人、雲、空、地面、なんでもありがとうと伝えてます。
変なやつですみません。
色んな物に魂が宿ってると思ってるので。

のぶ
新車の不具合で車をディーラーに持っていった。結論、不具合が生じる原因が分からないが、コンピューターの不具合によるものかもしれないという結論に至った。
様子を見て、今後も同じ現象が出るようだったらまた次の対処をしますという結論。
妻は納得せず。
「私がディーラーに持っていけば良かった」
「なんであんたは説明が下手なの」
「イエスかノーかだけ応えて」
と私と話す時はいつも怪訝な顔をする。
人相で眉間にしわが寄っている人がいる。
妻は普段穏やかであるが、納得が行かないと眉間にしわが寄る。
さぁ、この現象は私に何を伝えようとしているのだろうか。他責にするんじゃなくて、自責で物事を捉えていく。
この人生を常に自分のせいにして生きてみる。
他人のせいにしたら成長はできない。


のぶ
人生はドラクエと似て非なるもの
私達人間は、人と人との間で壁を乗り越えてレベルアップする。ドラクエと違ってモンスターは出てこないけど、レベルアップの感覚は同じ。
そして人は、他人をけなしたり、戦いに勝ったり、罵ったり、お金を稼いだり、名誉を得るだけでは成長(レベルアップ)しない。
じゃあどうやったらレベルアップするのかというと、日々の日常の事象や出来事に一つ一つ向き合うこと。
文句、泣き言、悪口、不平不満を言わずに向き合うこと。
それをやっていくと、自然と文句等を言わない現象が現れてくる。
それを自業自得、鏡の法則、引き寄せの法則とも言うかもしれない。
ドラクエと同じなのは、仲間を作って、何かに立ち向かう時もある。仲間が助言してくれることもある。倒せば仲間になってくれるかもしれない。
ドラクエと同じなのは、仲間があるレベルを超えると他の仲間が必要になる時がある。つまり前の仲間の役目を終えて、新しい仲間が増えるということだ。だから来るもの拒まず去る者追わずの精神でいればいい。
人生はドラクエだ。


のぶ
破壊と再生はインドの神様シヴァ神
グラ友さんだと思っていた人から一方的にブロックをされた。
私がお相手の魂に触れたことで激怒したような様子でメッセージをいただきその後ブロック。私が返答する間も与えない。
でも勝手にグラ友さんだと思っていたのは自分の方で、勝手に期待していたのかもしれない。
人は魂レベルの異なる人を通して人生を学ぶ。
その人が自分から離れていったということは私の学びが終わったということ。
夏の暑さにやられたオリーブの木が、また元気に葉を出し始めた。植物が生きているのをすごく実感できる。新しい葉の再生は、破壊と再生を意味する。それはつまり死と再生。
人間の死の先には、次の身体に魂が乗り移って別の人生を歩むが、死の前に何度も破壊を繰り返して再生する。
つまり、生きるために体や心が破壊され回復してまた再生するようなイメージ。
再生されることでまた心が強くなっている。
私はそれを「心の筋トレ」と呼んでいる。
今回のお別れは寂しいが、心の筋トレをするうえでは必要な別れだったのかもしれない。
いつもポジティブではない。ネガティブだって発信していい。


のぶ
よく、「結婚前に戻れたら今の配偶者を選びますか?」という質問を目にする。
大半の人の答えは「絶対に今の配偶者と結婚しない」という。
今のマインドで過去に戻ったら、そりゃ今の配偶者を選ばないのは当たり前なんだけど。。。
仮に今のマインドを持ったまんま過去に戻っても、配偶者は人生の学びの相手なので、結局また結婚生活がうまくいかなくなるはずなんだ。
人生は常に学び。
配偶者はその最たる例。
だから配偶者のことが嫌いでも、学びに変えなければならない。もし学びと捉えられないのであれば、その課題は一生解決しないまんま来世に持ち越される。
神様が「はい、もっかい出直してこい」と。
人間は10万回人間を繰り返すと次のステージに行ける。
明日から仕事で新チーム。
学びに変えていこう。


のぶ
回答数 77>>
感じるには辛い経験を乗り越える必要があります。(人によっては乗り越える必要のない人もいます。)
その頂に到達したとき初めて頂が幸せなんではなくて、目の前の全ての現象が幸せなのだと初めて「気付かされます」
それに気付かなければ、神様はまた頂を何度も見せようとします。頂に到達したとき、崖から落ちて怪我するかもしれません。死ぬかもしれません。
でも、気付かない人間は何度も試させられます。
幸せとは何か教えてくれるために。。

のぶ
神様が用意してくれる壁
27歳の時躁鬱病
37歳の時に適応障害
を経験する。
27歳の時は、頑張ること、必死になること、自分の体を痛めつけて必死になっていた。
必ず死ぬと書いて必死。俺、生き急いで死のうとしてたんだなって。
神様が「そっちの道じゃないんだよ」と教えてくれた。
37歳の時、パワハラで押しつぶされた。
でも、ふと後になって気付く。「俺が、後輩にしてきたことじゃん」って。
仏教で言う煩悩
スビリチュアルではカルマを解消させること
鏡の法則を実践することは容易ではない。
神道、ヒンドゥー教ではどうやって表現するんだろう。まだまた知らないことがいっぱいある。
神様はいつもきっかけを与えてくれる。そのきっかけを無視すると災難として現象を現してくれる。
この世には気付ける人と気付けない人がいる。
気付けた人が神様の役割をして、気付けない人を引っ張ってあげるといい。
共同体感覚やワンネスもその類。
でも、知ったかぶりはだめ
自分の腹から出る言葉で相手に伝えなきゃだめ。
誰かの心に響くといいな。


のぶ
自責と他責
自宅の車が追突され見るも無残な姿になった。
過失はお相手の車が100%。
お相手の保険で修理費等は賄えるが。。。
ふと考えた。神様は何を私に伝えてくれてるのか。なんでこの事象を与えたのか。
直感で思ったのは。。。自責と他責
私の配偶者は
「あんなに広い駐車場でなんで私の車に突っ込まれなきゃいけないのよ」
「全部相手方が悪い!」
「もう今日一日最悪」
という発言をした。
明らかに他責だと感じた。
自分に怪我がないことに感謝
相手の保険で賄えることに感謝
お相手も謝ってくれることに感謝
自分は仏様でも偉くもなんでもないけど、他人のせい(他責)で生きていくと、人生がうまくいかないということを知っているので、物事をすべて自分のせいにしている。
他責は自分の成長にはならない。相手のせいにしているうちは。
それは何故か。答えは明白。今後同じような事象が起きた時に同じレベルの人間のままだと同じ思考(悪口、なき言、文句)が脳裏に浮かぶ。
そのままだと成長できない。
すべて自分のせいにしてみる。
視点を変えると人生が変わる。
人生が変わると思考が変わる。
思考が変わると目の前事象が変化する。
事象が変化すると人生が豊かになる。
人生が豊かになると自分が笑顔になる。
笑顔になると周りが笑顔になる。
また1つ、学びになった。


のぶ
幼少期から社会のルールの中で生きていると、〇〇するべきという言葉をよく聞く。
ルール、法律、やくそく、決まり事、
を通して私たちの当たり前が自分にまとわりつく。
国が違うだけでもそのルールは変わってくる。
全人類にそれぞれの言葉を作り、肌の色を変え、目の色まで変え、文化も異なるように仕向けた神様は、学びの機会を沢山与えてくれる。
べき論はおとなになるにつれ気付けば捨てられていくもの。捨てられない大人は不平不満文句悪口なき言を言いながら死んでいく。
しかし、それも魂の道筋。
階段は自分の足でしか登れない。
成長も、自分が納得しないと成長できない。
何故なら、みんなルールにまとわりついてるから。
捨てて作業はものすごく困難を極める。
だって成長する過程で自分を守るものだったから。
今度はその鎧を捨ててく過程だ。
大丈夫、人間は絶対死ぬから。
ゆっくり捨ててこうぜ


のぶ
鶏むね肉、ブロッコリー、豆乳、ナッツも取り入れてる。食費もそんなにかからない。慣れれば毎日続く。
そう言えば、最近40歳を過ぎてから感じたこと。「あっ、もう人生の折り返しだ」って。
俺、約40年後には必ず死ぬんだって。
そんな時今日出会った本、「鏡の法則」という野口嘉則さん著者。
内容的には20代の頃読んでいてもきっと納得のいかなかった本。
でも40になった今、本の内容が腑に落ちる。
目の前に起こる現象はやはり偶然ではなくて、「必然」なのだと。
そして自分が素直にならないと人生の次へのステップは踏めない。
人生で起こる現象は自分が乗り越えられるか乗り越えられないかのギリギリで攻めてくる。
この世界には同じ気持ちで、同じ波長で、同じ感覚で生きている人間が沢山いるんだ。
彼らを仲間にして、ドラゴンクエストのように生きていく。
あと40年、折り返しスタート🔫


のぶ
整っている芝生も、実は無秩序に伸びたいのかもしれない。
人間も無秩序に生きたいのかな。
人間社会のルールも同じで芝生を刈るかのように、ルールを統一することによってみんな同じ生き方をする。
先日、気づかなくて電車の中で女性専用車両に乗ってしまった。
私の一挙一動を睨みつける女性がいた。
「あの、ここ女性専用車両なんですけど」と私を睨みながら言葉を発する。
私が悪かった。すぐに慌てて車両を出た。
でも、社会のルールに少し悲しさを感じた瞬間でもあった。
でも、彼女の正義に触れられた。それでも学びになった。
お姉さん、ありがとう。




のぶ
回答数 55>>
相手がAと答えたら何故Aなのか。Aに至った経緯を聞いて、どんどん深掘りしていきます。相手を知ろうと深く深く掘り下げていきます。
深堀りしすぎると相手の守っている盾みたいなものに辿り着きます。盾に辿り着いたら、それ以上質問はしません。
盾は時としてプライドと読んだり、触れて欲しくない部分であったり、彼を守っているものだから。それに触れると信頼関係を失い、その人は近づいてこなくなります。

のぶ
気付きの連鎖
人は、苦難、苦行、辛さ、キツさを味わうと「気付き」が生まれる。気付きを元に学びを得る。
でも、気付かない人は神様から「はい、やり直し〜」ってまた苦難が与えられる。苦難は気付きの度合いによってどんどん大きくなったり小さくなったり。
小さな気付きから学べることを通して人は成長する。
でも大きな気付きからしか学べない人もいる。
先日、娘がプリンを食べたいと言った。
私は良かれと思って健康のためにと「豆乳プリン」を買った。
娘はへそを曲げて怒る。
もし、私が「せっかく買ってやったのに。。ふざけんなよ」と言う様な気付きのない人間だったら、また別の形で怒りを生む出来事が現象として現れる。
だから、豆乳プリンの健康の大切さを伝えたうえで、今度は普通のプリンを買おう。
これは、「嫌われる勇気」という書籍にも同じようなことがかかれていた。
自分は娘のフィールドに勝手に入らないこと。
豆乳プリンを強制しないこと。
私は私の課題を超えていく。
人生はしんどい。でも面白い。
でもしんどい。やっぱりしんどい。
脳はそう感じさせる。
でも面白い



のぶ
回答数 15>>

のぶ
イチローさんの時と同様、文化を超えて活躍するのは並大抵なことではない。
体格と環境に恵まれ、並々ならぬ精神力と努力の上での活躍はまるでスーパースターのようだ。同じプロ野球選手の中でも怪物扱い。
ふと、考えた。現実を見てみれば、やはり自分がスポーツ選手になろうと思っても普通に無理だと。
彼と同じ筋トレをしたって、同じ食事を摂ったっ、同じ運動量を継続したって彼にはなれない。(まぁ、そんな運動量耐えられる自信もないが。。。)
じゃあ私は何になりたいんだろう?
お金もち?
人気者?
モテモテな男?
人間には煩悩や欲というものがある。それらを脳から取っ払ったら人間じゃなくなる。
でも、その欲が少ない人は人格者と呼べるのかもしれない。魂レベルが高い人の共通点。
支離滅裂な文章になったな。
さあ、将来がCDのアルバムのように決まっているのならば、今日はどんな選択をして生きていこうか。
2025.0816


のぶ
という映画がある。ふと1年に1度観たくなる映画。
人との出会いも素敵だけど、小説、映画やドラマで感化される時がある。
その時、映画監督や脚本家の方とコミュニケーションがとれた気になる。
コミュニケーションって対人だけではなくて、自分の魂や鉱物、雲にも成り立つと思う。相手は言葉は発さないけど気を感じる時がある。



のぶ
(人間関係の取扱説明書)
目の前に苦手な人、嫌いな人、どうしても好きになれない人がいたらどうされますか?
10.20代の頃の以前の自分だったら。。。文句、泣き言、悪口しかでず、いつも相手のせいにしていました。
相手のせいにすることを「他責」(他人責任論)
「だってあいつが悪いんだ」
「あいつが俺にパワハラをしたんだ」
「向こうからぶつかってきたんだ」
「相手が100億パー悪い」
等と言っている人は問題解決がなされず、また別の壁にぶち当たります。ぶち当たった時に、問題解決をしないともっと大きな壁にぶち当たります。
神様は優しいから、優しい課題から難しい課題まで沢山用意してくれるんです。
優しい課題をクリアしないとどんどん難しい課題になっていきます。
その課題に気づいた人は人生がものすごく変わります。
壁にぶち当たった時、その壁を眺めてみて、「自責」(自分責任論)に変えてみるとすこし視点が変わると思います。
視点が変わったらこっちのもん。
ただし、ここで注意点。いっつも自責だと疲れちゃうので、たまには他責で対応して下さい。脳を癒やしてあげて下さい。あいつが悪いんじゃボケボケ!!と言い放ってください。
でも、その後にもう一度問題に向き合ってみる。
そうすることですこしずつ人生が変わり始めます。


のぶ
人は簡単には変わらない。
でも変わる事ができる時がある。
怪我をする。→健康のありがたみがわかる。
人間関係でパワハラ等を受ける。→他人への感謝や接し方を学べる。
配偶者から暴力を受ける。→好きで結婚したのに、こんなはずではなかったのにと後悔する人が多いが、これを自業自得という。それを学べる。
etc
つまり、いわゆる社会一般的に不幸、災難と言われている事を通してでしか人は学べない。
人は他人から大きく学べる。だから人と人の間に立つことを「人間」という。人は人の間で生きることでしか学べないのだ。
⚠️注意しなければならないのは、神様がせっかく災難や不幸を与えてくれているのに、その災難や不幸に対して愚痴、文句、泣き言ばっかりを言っていると、更に厳しい災難や不幸を与えてくれる。
逆説的に感じるかもしれないが、神様はそういった意味でとても優しい存在である。
災難があることを「有り難い」という。
なにもない事を「無難」という。
つまり、何も無い日常にどれだけ感謝できるかがポイント。
人生って意外とシンプルで楽しいはず。
そして、無難な人生こそ面白い。
と神様は教えてくれる。


のぶ
芦田愛菜さんの言葉に
「自分に人生の最終決定権があると思ってしまうと、うまくいかなかった時に自分を責めてしまう。結果は決まっていて自分はそこに行くための方法を選んだだけ。そう思えると、楽になると思います」
というものがある。
自分の人生が決まってるはずないじゃないかと若い頃は思っていた。
でも人生経験を積むにつれ、「自分を認識している脳は自分で人生の決定権がある」と認識し、「自分の魂は、魂が決めた人生を歩んでいる」という結論に至った。
つまり、脳と魂は似て非なるもの。
トゥルーマン・ショーというジムキャリーさん主演の映画がある。ふとそれが脳裏によぎった。
今日もコーヒーが飲める1日に感謝をしつつ、行ってきます。



のぶ
すべてが、あなたにちょうどいい。
今のあなたに、今の夫がちょうどいい。
今のあなたに、今の妻がちょうどいい。
今のあなたに、今の親がちょうどいい。
今のあなたに、今の子どもがちょうどいい。
今のあなたに、今の兄弟がちょうどいい。
今のあなたに、今の友人がちょうどいい。
今のあなたに、今の仕事がちょうどいい。
死ぬ日も、あなたにちょうどいい。
すべてが、あなたにちょうどいい。
愚痴、悪口、泣き言を言うとそれが自分の投影だと気付く。他人に言っているつもりでも、実は自分に向かっている言葉。
でも人間は完璧じゃないから。言ったっていい。脳が癒やされてからゆっくり気付けばいい。


のぶ
回答数 630>>

のぶ
自分にはものすごく大きな事なのに。
人の価値観、捉え方は本当に違う。
自分基準だと、人生がうまくいかなくなる。




のぶ
たまにふと訪れる動悸。
過去を拭い去れていない証拠。
ものすごい不安感に襲われる時がある。
そういう時は瞑想しても深呼吸してもランニングしてもヨガしても治らない。
ただ、嵐が過ぎ去るのを待っようにぐっと耐える。
脳が過去を忘れさせてくれない。
でもいつか、その過去は私の後ろ盾になることを知っている。
その日が来るまで。耐えよう、吐き出そう。



のぶ
回答数 6506>>
相手の人生を生きない。自分の人生を生きる
相手の心は表面上ではわからない
価値観は人それぞれ、期待するな
相手に与えた恩は忘れろ。相手から受けた恩は忘れるな。
相手には優しくしろ。自分にも優しくしろ
嫌な人間と出会ったら、「なんでこの人は自分の前に現れてくれたんだろう」と思え。学びに繋げろ
人間関係から出た愚痴、泣き言、悪口は言え。外に吐き出せ。でもちゃんと、そこから学べ。

のぶ
西日に当たりながら瞑想とヨガ。
芝生の上で裸足になる。
ヨガのポーズにプルプルいいながらも日々の成長を実感できることに感謝。
自分がこの人生で望んでいることはなにか考える。
人生も折り返し地点。
何をして、死んでいくのか。自分はどういう目的でこの身体に、この魂を宿らせたのか。
自分との対話で考えてみる。
まだまだ楽しみは尽きなさそうだ。


のぶ
人生は気付きの連続だと思う。
人は気付きを得るまでに辛い経験をする。
たとえば、パワハラ、大怪我をする、家族が亡くなる、事故に合う。
パワハラを通して、人には当たっては行けないんだと学ぶ
大怪我をして、怪我をした部位の大切さを学ぶ
家族が亡くなることによってその人から何を得られたのか学ぶ
事故に合うことによって今までの行いを振り返れる
もしここで気付きを得なかった場合、また同じような事象が目の前に現れる。それは壁として。
逃げてはいけない。でも乗り越えようとしなくていい。遠回りしていい。時間がかかってもいい。ゆっくり問題と向き合う。
それが気付きと学びへの一歩。


のぶ
コンビニでおにぎり2つ購入しようとしたときふと考えた。
おにぎりをレジに投げるように置いたら店員さんの1日にどう影響するのだろう。
お金の支払いを投げるように支払ったら、どう影響するのだろう。
人って1日に約6万回も思考するみたいです。
その6万回の思考の中に、私のいや〜な態度を見せることで、相手の脳にどれだけの影響を及ぼすか考えた。
ふとその思考がよぎった時、
おにぎりを丁寧にレジに置いてみた。
お金の支払いを丁寧にしてみた。
笑顔でありがとうございますとレジを去ってみた。相手がどう思うかではなくて、自分がどうしたいかを考えてみる。
結果はわからないけど、日頃の行いが、きっと次に繋がる。
今日もありがとう。



のぶ
【この惑星で楽しみたいこと】
同世代の方とお話を楽しみたいと思っております。
【最近のマイブーム】
ランニング
ヨガ
瞑想
筋トレ
サウナ

のぶ
わけがあって、去年のクリスマスに職場の仲間とクリスマスケーキを作ろうという提案に至った。
材料はホットケーキミックスでホットケーキを作って、それを生地にクリームと果物を載せるという簡単なものであった。
材料は簡単に用意できるが、クリームを凸凹のないようにしたり、体裁よく果物を載せるのにすごく神経を使った。パティシエさんってすごいんだなぁと。。。
私が「こんな美味しそうなもの食べれるなんて幸せだなぁ」なんて発言したら、ある後輩くんが「こんなんで幸せって思えるんですか?苦笑」という返答をした。その言葉の真意を聞くことは敢えてしなかった。
何故なら幸せの価値観は他人と違うと理解していたから。
その後輩くんは仕事を辞め、別の道に進んでいる。幸せの価値観の違いを教えてくれてありがとう。







