「偏差値70あるよ😤」みたいな発言って頭悪いと思わざるを得ない。前後の文脈次第だけど、偏差値っていう言葉を単体で使うのは頭悪い。だって、偏差値ってある集団における自分の相対的な立ち位置であって、その集団を指定しなければ偏差値っていう言葉自体意味をなさないから。例えば進学校内のテストで偏差値60の人と底辺校で偏差値60の人って同じじゃないし。
「(x,y)と(X,Y)は一体一対応なので~」って一体一対応である理由を述べるべきだと思う。写像f:S₁→S₂として逆写像f^-1の存在を示せば一体一対応って言えるらしい。写像fが全単射であることと、fの逆写像が存在することは必要十分条件だから。
e^(i(θ+π/4))=ie^iθってiがe^iθを+π/4回転させてるって捉えられるからこの式は成り立つ。i=e^logiだからe^(πi/4)=e^logiでlog i =πi/4って言えるのか。あんまわかんないけど。複素数に対して対数とる状況があるのか知らんけど
pを素数とすると(p-1)!≡-1(mod p )って前はめっちゃすごい主張だと思ってたけどよくよく考えると大したことない。1≡1、p-1≡-1で残りp-3個の積は偶数個で、ある2組選べば-1になって重複なく組があるから結果-1になる。感覚的にわかる。元々見えていたらすごい。
素数p自然数nに対して、フェルマーの小定理n^(p-1)≡1って今考えると全然強くない主張。だって原始根gとしたら任意の自然数はn=g^aと表せるはずだし、その性質から(g^a)^(p-1)=(g^(p-1))^a=1^a=1なんかすぐ導ける。gを1乗2乗していってp-1乗して初めて1になるようなgと定めてるのに、その性質使わないし。高校とかだと帰納法やら二項定理やらでフェルマーの小定理より強い主張の命題だとしたら簡単に示せないのに、セコセコ頑張ってたと思うと虚しいような。今だから遠回りだと思ったけどその当時は最短ルートだったのかな?今のやり方も遠回りだと思う時が来るのかもしれない。
互いに異なるn本の式から1次n元連立方程式を解くのは、n次行列の逆行列を求める操作と同じなのを知った時、感動せざるを得ない。中学の頃、1次2元連立方程式をヒーヒー言いながら解いてたのに。ただn次方程式だと5次以上だと一般解は新しい概念がないと求まらないらしい。よく知らんけど
ソシュールの記号論によると、超簡単にいうと、言葉の定義は他の言葉との差異によるものである。だから矛盾ない言葉の定義定義は不可能。だったら自然科学系の専門用語も抜けや重複がでるはずだから、いつか大きな穴とか無駄が生まれるのかな??もうあるかもしれないけど。数字とか演算の定義とかどうなんだろう。正しいと"勘違い"しているだけなのかもしれない。
Cuの安定なイオンが、2価の陽イオンじゃなくて一価の陽イオンになる理由がやっとわかった。他の周りの原子の電子配置を考えるとAr4s(2)3d(9)なるはずだけど4s(1)3d(10)になる。なぜなら、d軌道には5個の軌道があって、異なるスピンで電子が各軌道に2つずつ入り、4s軌道を埋めて、3d軌道で電子が1つ不足するより3d軌道を埋めて、4s軌道に電子が1つ不足した方がいいから安定するから。
0^0は未定義だけど1^2=(1+0)^2=∑₂Ck1^k*0^2-k=₂C₀1^0*0^2+₂C₁1^1*0^1+₂C₂1^2*0^0=1*0^0になるから0^0=1にしてもいいんじゃないかと。そうじゃない(0^0=0)と1=0になるからね。0^xの連続性から定義しないとか聞いたことあるしあんま勉強してないからはっきりとわかんないけど0^0=1と定義した時のデメリットがわからん。
「~より写像φ:(x,y)→(x+y,xy)が定義できる」みたいな書き方よくみるけど、定義ができるってなんやねん。この文章だと受動的に定義してるように思う。定義は主体的にやるのもでは、、たぶんいろんな文章読んで噛み締めてこの文章が理解できるだろうけど。
有限体𝔽ₚの世界ではp=7では、6÷5=46÷5≡4(mod7)(∵4×5≡20≡6(mod7))と言ってること同じなんだけどね掛け算の順番とかどうでもいいし、本質的じゃないけど、5×4って書かないあたり他の世界の演算を意識してるよね
##GRAVITY自己紹介カード はじめまして!GRAVITY初心者ですが、仲良くなってくれたら、嬉しいです!フォロー待ってます!趣味タグ:話を聞くのが好き,おしゃべり,映画,神奈川,東京,学生,飲食,椎名林檎,東京事変,ジョギング,水泳,サイクリング