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Hatred of Music II

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二日目の直島は地中美術館から訪ねた。これぞ安藤建築といわんばかりの完成度である。個人的には無いこと、空隙を扱わせれば右に出るものはいないであろうと思っている。強度な空隙は強度なマッスによって成される。また、視覚的操作は壁に施された穿孔によるものだが、これは建築から外界を臨む行為そのものの視覚化である。つまりは、建築の瞼のようなものであると思われた。現代のプログラマティックな複数性はそこに実質的偏差は存在しない。しかし、安藤のアプローチや現象にあるのは個々の充実したポテンシャルである。そうした空間の魅力を十二分に、デ・マリアの作品は建築を劇場化させる。鎮座する球体はシーシュポスの岩のように不遇にも永遠に転げ落ちる象徴かのようで、停止した時間を感じさせるのであった。ラ・モンテ・ヤングら現代音楽家と活動を共にしていただけある。李禹煥美術館ではその作品に始原的な地場の発生の場としての彫刻を、ベネッセでは草間彌生の伝説級の【ナルシスの庭】や杉本博司の【海景】シリーズを鑑賞する。ナルシスの庭はミラーの球体が無数に点在する作品だが、集積彫刻として異質な部類であろう。無数に映る自己を、その自己愛の中に溺死させてゆくのである。杉本博司の時の回廊では、静謐な無限遠の位置を眼差し作家の心を映し出した写真を鑑賞する。ズント―の聖ベネディクト教会やジャコメッティの彫刻作品を写した作品を見られたことに感激した。インプットの多き大晦日を過ごすことができ、一年の締め括りとなった。




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尾道を後にし直島へ向かう。安藤建築がまた一つ増えたということで、それを目的に含め初めての訪島である。その直島新美術館には蔡國強の【壁撞き】が展示されている。昔、横浜で展示があったものの、その後見ることはできないと思っていた作品である。99匹の狼が宙を舞い不可視の存在であるガラスに衝突してゆくというインパクトの強い作品であるが、障壁が見えないために永遠の循環として潜在的な絶望感を繰り返して行くのである。その他、チンポムの作品はコンテナ内に埋め込まれた都市の暗渠あるいはねずみの視点に見せ方のうまさを感じたし、念願のソ・ドホの建築的彫刻はその布製の繊細さと作りこまれたエレメントに驚いた。また、会田誠の溶けて寄生虫のような触手が這い、時事の球体を埋め込んだ鳥居には、まるで、未来へと行くのであればここを潜らんさいと言わんばかりのネガティブさを感じたが、当の本人は非常にフラットに現在のシンボルを製作したようであった。直島は二日に分けた計画のため、家プロジェクトである、タレルの南寺や杉本博司の護王神社に伺った他、ANDO MUSEUMを堪能でき一日目を終える。


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港の傍のホテルで朝を迎える。日が昇るのが遅く不思議な朝であった。薄く海霧のたつ風景をぼおっと眺めながら支度をする。せっかくなので昼間は散策に出かけた。時かけの舞台でもある艮神社へ向かう道中には猫が出迎えてくれた。猫の街でもある。山側を散策してる内に迷い込んだ細道で4体の石仏と対峙する。そういえば尾道は歴史的に石工が多くおり石造りの建築や仏教美術が点在していた。街へと下り、訪ねた骨董店が魅力的で港町の土産としてカニの置物を購入する。不勉強のため深掘ってはないがいくつもの視点で楽しめる街だなと思う。
夜は軽く食べ、中国出身の美人なママが営む店で飲み始める。16年前に日本に来て、名古屋などで働いた後に10年前に尾道に来たこと、母も尾道に住まわせていること、独り身であることなど話してくれたが、ママの人柄も合わせて愛される店だなと思った。その後は、昨夜の女性から連絡があり合流し歓楽街のいくつかの店を教えていただき尾道の夜を知るのであった。


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年越しの挨拶の酒も抜けぬまま、2時間の仮眠の中、早朝より福山へと向かう。神勝寺の名和晃平の洸庭を鑑賞することが目的である。境内には年に二度咲くフユザクラが見頃を迎えていた。舟形の建築内部にプールが設けられ、その水面への微かな光の反射や音響による作品で瞑想体験との紹介であった。後に直島にある南寺にてタレル作品で同様の体験をすることとなる。その後、尾道へと移動する。昼間は観光地として古寺巡礼や映画尾道三部作として有名であることもあり観光客で賑やかであったが夜になると街はとても静かなものである。ホテルを出て飯屋を探すため赤線の面影もある新開を散策する。たまたま目に留まった寿司屋に入る。どうやら55年の老舗であった。大将と都はるみの写真が自慢げに飾られている。先に呑んでいた不動産の社長が一緒に飲もうと誘ってくれたが、帰り際、会計は割り勘と言い始めたためにすかさずビール一本は奢るとの約束でしょうと咎め約束は果たさせる。それはおじさんとの対話の一部として楽しいのである。その後、これまた老齢のママが立つ雰囲気の良い【せつこ】というスナックに入った。後に来た一人の女性と意気投合し楽しい時間を過ごすことができた。


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翌日、水戸芸術館の磯崎新展へ赴く。初代館長であった吉田秀和の提言通りに音楽、演劇、美術を一つに包括した磯崎建築である。磯崎の観念的テキストは難解なものも多いが、話す時はわかり易くというように建築は実のところ捻くれながらもわかり易いと感じている。形態操作に忠実なのであるが、それは大きな建築ほどミニマムな所作に瞬時には注意が向かないからとも言える。当該建築にも古典的形象の引用を扱いながら空間は錬成される。演劇空間にグローブ座を引用するなど最たるものだ。聳え立つ塔はブランクーシとイサム・ノグチの操作を援用したようである。展示に関してはプロジェクトの膨大さに圧巻されるのだが、やはり若かりし磯崎と瀧口修造との関係性が垣間見えるところには熱い思いとなるし、磯崎自身も駆け出しの頃に瀧口に背中を押されたような話をしていた記憶がある。「間」展においては瀧口から送られた文章に対する感謝の便りを磯崎が書いており、それも展示されていた。彼のモノづくりが中心の展示であったため、こうした感想であるが、改めて建築が表現の世界観を持ち、あらゆる表現に通底していることを思い知らされるのであった。


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今朝は目的であったアーツ前橋の企画展へと行った。Ghost展、足を向かわせる程度に魅惑的である。松井冬子、丸木夫妻、諏訪敦、ボルタンスキー、アウスラーやアピチャッポンなど、ゴーストをテーマにするならば錚々たる面々による不可視の存在への接続や憑依、儀礼を目の当たりにする。先に老齢の団体客が鑑賞していたのだが、平田尚也のVR作品をキャッキャしながらプレイしていたり、マームとジプシーのミクストメディアの黒電話から流れる一方向性の音声と対話していたりと、作品の意思を十二分に汲み上げているように見えつつ一方ではディストピア感も受け取れ個人的には歓喜した。また、諏訪敦のMimesisを踏まえ大野一雄のラ・アルヘンチーナの映像展示も鑑賞できたのは貴重であった。
昼食は老舗の町中華に入り、レバニラとビールで乾杯する。前橋は近年、ギャラリストや建築家を取り込みながら新しい文化拠点へ発展しているように思っていたが、結局は長年営んだ、味のある店に惹きつけられ、馴染みの客と店主の会話を聞くのが好きで、そうした店に町の一側面を表す説得力があると感じるのはどこに行けど変わらない。建築家が設計した新しい商店が建ち、建築や都市によって内容物が規定されているのか、内容物が建築を規定するのか、そうでなく隔たった間柄にこそ絆が生まれているように見受けられた。隔たりの中に規定を埋め込むことや、建築が街や人に無関心な様については背景となる性質に相応しい佇まいを建築が有することで正しいと思われるが、しかし、内にはスキャンダルを秘める至高の無関心をどのように作り抜くかは個人的な関心事である。
今後、前橋初の蒸留所の立ち上げをするようで、昨夜のマスターも監修に入るとのこと。お酒は良いぞと思うのは自分がのんべいだからか、しかしまた前橋の銘柄を飲みに訪れたいし、少しの滞在ではあったが好きだと思える街に出会えた。アーツの次回展示は向井山朋子展のため直ぐに来ることになるのだが、本人のライブは未定であるとのこと。



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その後新宿に移ったが、毎日の深酒を改める意味でも早めに切り上げる。サムライという好きな店があるが、若い男らが入店し大して呑まずに勝手にぱしゃぱしゃと写真を撮っていた。新宿で写真家中平が育んだジャズ文化、それを今まで積み上げてきたマスターの店がある。理解は無くとも一回きりの投稿で終わるので無く良い店にはまた行って欲しいなと思うよね。と思った側から理解とは何を偉そうにアラサーの分際でと自戒もありつつ。


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Rothko Chapel: 2nd Movement

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左川ちかの詩集を手に取る。その早過ぎる死を悼みながら、言葉尻に付き纏う消失の諦念を迎えいれてゆく。ちかは病弱であった、その存在の不安定性からか言葉自体の意味や文脈を捻じ曲げ、多重性を帯びた様相を呈す。相互依存性を断ち言葉のグロテスクさを喚起させる。詩のモダニズムである。そういえば北園克衛も彼女の信奉者だとか。
死は私の殻を脱ぐ
詩は私の殻を脱ぐ
私は私の殻を脱ぐ

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『斜め論(松本卓也著)』読了。かつての精神病理学が陥ったハイデガー主義の垂直方向の特権化、それを乗り越えるべく、統合失調症患者の内なる声が垂直方向の思い上がりに発病原因があるとすることから隣人との水平的な関係性の欠落を認めその回復を目指したビンスワンガー、しかし、水平性は人間の平準化へ向かうとし、本書ではこれらの抑圧性を乗り越えるためガタリの【斜め横断性】へと接続させてゆく。勿論、ここでの垂直水平から抑圧性や強迫性を緩和させると言祝ぐだけでは不十分であり、到達点が硬直したものになっていないか絶えざる問い直しが必要となってくる。そしてこの垂直水平を包括する問い直しを斜めとする。また、ケアする・されるの対で図り得ない態度を國分功一郎は【中動態】という態で示したが、受動能動の意志の前提は解体されるという態度はどこか『斜め論』と通底するところがある。

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シーナリー

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夜は二軒目に移転後のbar oilを訪ねた。人を連れて行くのに適したバーだが、移転しさらに良い空間を獲得していた。入りやすさもあり格好をつけるにはよい店だ。それでいうと祇園の幾星も忘れてはならない。
