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廃盤であるバイレードのボードレールを入手する。その名の通り詩人ボードレールから着想を得ており官能的でスモーキーな香りである。
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先週末、親しい後輩から誕生日に引っ掛けて出かけたいと相談があり水戸へと行く(その後、単独前橋へと移動している)。夜に到着しお祝いにフグをご馳走したのだが、刺しも揚げも鍋も何でも旨く、フグを食べた遠い記憶の印象があっさりと上書きされる。
翌日、水戸芸術館の磯崎新展へ赴く。初代館長であった吉田秀和の提言通りに音楽、演劇、美術を一つに包括した磯崎建築である。磯崎の観念的テキストは難解なものも多いが、話す時はわかり易くというように建築は実のところ捻くれながらもわかり易いと感じている。形態操作に忠実なのであるが、それは大きな建築ほどミニマムな所作に瞬時には注意が向かないからとも言える。当該建築にも古典的形象の引用を扱いながら空間は錬成される。演劇空間にグローブ座を引用するなど最たるものだ。聳え立つ塔はブランクーシとイサム・ノグチの操作を援用したようである。展示に関してはプロジェクトの膨大さに圧巻されるのだが、やはり若かりし磯崎と瀧口修造との関係性が垣間見えるところには熱い思いとなるし、磯崎自身も駆け出しの頃に瀧口に背中を押されたような話をしていた記憶がある。「間」展においては瀧口から送られた文章に対する感謝の便りを磯崎が書いており、それも展示されていた。彼のモノづくりが中心の展示であったため、こうした感想であるが、改めて建築が表現の世界観を持ち、あらゆる表現に通底していることを思い知らされるのであった。
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昨夜、前橋に着く。ホテルのチェックインを済ませ、歓楽街へ赴いた。日曜日は休みの店が多いのは知りつつも、メイン通りの人気の無い様に少し驚く。事前に調べておいたスナックの扉には会員制の札があるため諦め、暗い裏路地をぶらぶらと歩いていると一軒のジンバーに辿り着いた。そこで先程のスナックの札は日曜日に流れてくる団体客を捌くようなものらしいと聞く。棚に陳列された辰巳のジンを頂くと、マスターから辰巳さんの知り合いかと聞かれ不思議に思ったが、こっちではあまり出ないらしく話している内にマスターが辰巳さんの大学の後輩であることが分かった。好きな蔵元なので話が弾む。東京在住と伝え、質問に対し最寄り駅を答えると兄弟子の店があると教えられた。そこはたまたま行き慣れた店であったためもうひと盛り上がりする。改めてお酒は人を繋げるなと思う夜であった。
今朝は目的であったアーツ前橋の企画展へと行った。Ghost展、足を向かわせる程度に魅惑的である。松井冬子、丸木夫妻、諏訪敦、ボルタンスキー、アウスラーやアピチャッポンなど、ゴーストをテーマにするならば錚々たる面々による不可視の存在への接続や憑依、儀礼を目の当たりにする。先に老齢の団体客が鑑賞していたのだが、平田尚也のVR作品をキャッキャしながらプレイしていたり、マームとジプシーのミクストメディアの黒電話から流れる一方向性の音声と対話していたりと、作品の意思を十二分に汲み上げているように見えつつ一方ではディストピア感も受け取れ個人的には歓喜した。また、諏訪敦のMimesisを踏まえ大野一雄のラ・アルヘンチーナの映像展示も鑑賞できたのは貴重であった。
昼食は老舗の町中華に入り、レバニラとビールで乾杯する。前橋は近年、ギャラリストや建築家を取り込みながら新しい文化拠点へ発展しているように思っていたが、結局は長年営んだ、味のある店に惹きつけられ、馴染みの客と店主の会話を聞くのが好きで、そうした店に町の一側面を表す説得力があると感じるのはどこに行けど変わらない。建築家が設計した新しい商店が建ち、建築や都市によって内容物が規定されているのか、内容物が建築を規定するのか、そうでなく隔たった間柄にこそ絆が生まれているように見受けられた。隔たりの中に規定を埋め込むことや、建築が街や人に無関心な様については背景となる性質に相応しい佇まいを建築が有することで正しいと思われるが、しかし、内にはスキャンダルを秘める至高の無関心をどのように作り抜くかは個人的な関心事である。
今後、前橋初の蒸留所の立ち上げをするようで、昨夜のマスターも監修に入るとのこと。お酒は良いぞと思うのは自分がのんべいだからか、しかしまた前橋の銘柄を飲みに訪れたいし、少しの滞在ではあったが好きだと思える街に出会えた。アーツの次回展示は向井山朋子展のため直ぐに来ることになるのだが、本人のライブは未定であるとのこと。
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最近は麻婆豆腐を作ることに楽しみを覚え、あれやこれやと調味料を集めている。豆板醬と味噌は良いものを使う。そこにピーシェンを混ぜるとより本格的だなあとなっている。あと、キンミヤを珈琲割で飲むことが好きで、わざわざ寒い時期にマンデリンの水出しをしている。安くて美味しい生活である。
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北千住まで遠征しソ連の映画監督であり[ざくろの色]のパラジャーノフの[火の馬]を鑑賞する。ウクライナの伝統を重んじ動物をシンボルとする祭祀を行う信心深い部族に生まれた男女の悲恋物語である。山岳の民俗文化をその自然を背景に歌や踊りをもって構成してゆく。パラジャーノフ映画の中でも特に好きな作品であり、撮影した時代を踏まえて、ここまで訴求力のある作品は他にあるのだろうかといった具合に映像技術や画角が的を得ているのである。
その後新宿に移ったが、毎日の深酒を改める意味でも早めに切り上げる。サムライという好きな店があるが、若い男らが入店し大して呑まずに勝手にぱしゃぱしゃと写真を撮っていた。新宿で写真家中平が育んだジャズ文化、それを今まで積み上げてきたマスターの店がある。理解は無くとも一回きりの投稿で終わるので無く良い店にはまた行って欲しいなと思うよね。と思った側から理解とは何を偉そうにアラサーの分際でと自戒もありつつ。
映画の星映画の星
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Rothko Chapel: 2nd Movement

デイヴィット・アベル, Deborah Dietrich, Karen Rosenak, Philip Brett, UC Berkeley Chamber Chorus & William Winant

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この食前酒、伏見の京料理清和荘の敷地内で湧く水を使っており、店でしか入手できないのだけどとても美味しいの。
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新生姜の天麩羅で一杯し始める。鳥飼置いてあると嬉しいね。
酒飲みの星酒飲みの星
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眼下の神社では秋祭りが催され屋台が出揃っている。だいたい土曜日の日中は今朝までの酒が抜けきらずだらだらと過ごすことが多いのだが、祭囃子を聴きながらこの陽気に身を投げ自室に籠ることになんとも言えぬ心地良さがある...
左川ちかの詩集を手に取る。その早過ぎる死を悼みながら、言葉尻に付き纏う消失の諦念を迎えいれてゆく。ちかは病弱であった、その存在の不安定性からか言葉自体の意味や文脈を捻じ曲げ、多重性を帯びた様相を呈す。相互依存性を断ち言葉のグロテスクさを喚起させる。詩のモダニズムである。そういえば北園克衛も彼女の信奉者だとか。

死は私の殻を脱ぐ
詩は私の殻を脱ぐ
私は私の殻を脱ぐ
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昼にママから連絡があり町中華に行く。ママのお客さんでもあるのだが、先代から店を継いだ美人すぎる娘さんが営む店で、その彼女はタンクトップで中華鍋を振るい休みの日には外車のオープンカーに乗る漫画のような料理人である。そこでご馳走頂いたレバニラが忘れられずにいる。そんな素敵な店に連れて行ってくれるママもまた面白い。昔はレディースでやんちゃをしていたのだが、長身で腰までの金髪三つ編みのスタイルで真っ赤なニンジャに乗っていた。やんちゃ仲間には外道の初期メンバーである中野良一もいる。この町では顔が広く、ママが来店すれば皆の背筋が伸びるのを肌で感じる。顔が広い分、僕みたいな外部の人間で町の事情も知らず、かつ息子がいたらこれくらい歳が離れていたであろう客の方が楽なんであろう。
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ドゥルーズは毎週末のように美術館や映画館に行くことの努力を問われ、「私は待ち構えているのだ。」と答える。自分が取り攫われる瞬間を待ち構える。そして、どこで思考を強制するものの現れと立ち会うか...。
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私の本棚から『中動態の世界』を持ち去ったのは誰ですか...
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『斜め論(松本卓也著)』読了。かつての精神病理学が陥ったハイデガー主義の垂直方向の特権化、それを乗り越えるべく、統合失調症患者の内なる声が垂直方向の思い上がりに発病原因があるとすることから隣人との水平的な関係性の欠落を認めその回復を目指したビンスワンガー、しかし、水平性は人間の平準化へ向かうとし、本書ではこれらの抑圧性を乗り越えるためガタリの【斜め横断性】へと接続させてゆく。勿論、ここでの垂直水平から抑圧性や強迫性を緩和させると言祝ぐだけでは不十分であり、到達点が硬直したものになっていないか絶えざる問い直しが必要となってくる。そしてこの垂直水平を包括する問い直しを斜めとする。また、ケアする・されるの対で図り得ない態度を國分功一郎は【中動態】という態で示したが、受動能動の意志の前提は解体されるという態度はどこか『斜め論』と通底するところがある。
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お誘いがあり江崎さんというピアニストの公演に伺う。坂本龍一亡き時代を担う若手作曲家である。演奏にはクラシカルなソロもあれば、Teenage Engineeringのシンセを用いたダークアンビエントやポストクラシカルな作品もあり充実したインプットであった。会場は草月会館であり、舞台上には奏者の知人である師範が草月流生花を設置している他、建築は丹下健三、ホール壁面は勅使河原宏のレリーフ、エントランスにはイサム・ノグチの庭がある、なんとも文化の交錯点のような会場であった。
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シーナリー

福居良

JAZZの星JAZZの星
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映画はまだ始まらないため一杯し始めた。
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『私の意識の辺縁という識られない感覚の海に、私たちが何かを「見る」というときのその「見る」という意識は深く侵されている。感覚は〈わたし〉がそのなかに侵されている〈わたし〉よりも古い、いのちの無名の蠢きであり、ときにはときめき、ときには疼きなのであろう。ただ、この身体の幽い記憶とでもいうべき感覚の風景は、そのまま思い出したように浮上するとは言えない。歪みということが感覚にはどうもはじめから襲うようなのだ。しかしこのように歪曲されたり贋造された記憶こそ、「私たちが知ることのできる最初の記憶」であるとフロイトはいう。「私が感覚する」のではなくて、私の中で私を跨ぐようにして、感覚はいつもすでに世界の探求をはじめている。』
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しこたまシャンパンを飲みべろべろではある。
酒飲みの星酒飲みの星
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今年は秋刀魚が好調で早いものが出始めているので、刺しで一杯し始める。
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松井良彦の『追悼のざわめき(1988)』を観る。残虐性や差別的表現を多分に含み多くの者が非難するであろう作品である。寺山修司すらスキャンダルと評したくらいだ。松井の脚本としてはそうなのであるが映画となればこれが引き込まれてゆく。『快楽の漸進的横滑り』や『午後の網目』が参照されたようなモチーフやシークエンスに加え、当時ならでは?のゲリラ的な撮影による捕えられた都市空間、挙げ句の果てに無許可であろう屋上火災と消化活動。舞台となる80年代釜ヶ崎の高度成長の裏で影としての生々しい都市の底に埋め込まれたかのような映画であった。
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部屋の片付けをしつつ、しまってある松浦理英子の葬儀の日をプリントアウトした紙を取り出した。学生時代の恋人がくれたものだ。こうした物を何年も保管しているとは女々しい奴だが、偶には明るみの下で眺めたくもなる。紙媒体は貴重だ。9月末からアーツ前橋で始まる展覧会のテーマが当時の恋人が食い付くものだっただろうと想像したのもあった。前橋まで一人遠征とは腰が重く、高崎の夜でも楽しんでくるかと企んでいる。
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79年に漬けられた自家製梅酒をいただいた。円やかで美味しいね。アイスコーヒーで割るのも好きだが勿体無いのでロックで。
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そうはいえ腹は減るので寿司屋で梅水晶で一杯し始める。
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アルフォンス・イノウエ氏が逝去された。
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チロルチョコの包装紙に好きな写真をプリントしてくれるサービスがあるみたいで、馴染みの店のママがお客さんに作ってもらったからあげるってくれた。包装紙だけスマホケースに入れてる、可愛いね。ママとDUGと上村一夫とカサヴェテスと何か水のやつ。
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アートの星アートの星
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先日は吉祥寺MANDA-LA2にて灰野敬二と割礼の2バンであった。割礼は好きだったが生ではお初。灰野氏とのサイケデリックなセッションがたまらなく良かった。灰野氏のソロは相変わらずのエフェクター使いで、あれはギルモアを越えているだろうという感じ。生み出されたリフは地獄からの爆撃のように轟いていた。
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西荻窪の盛林堂で収穫した古書。生田耕作譯の「この世界を見よ(サンダスン著)」は亡き佐々木さんが営んでいた京都のアスタルテ書房刊行本である。その後奢霸都館から刊行されている。ご主人の顔が浮かび懐かしくなった。
古書の星古書の星
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コンブレ/倉俣史朗
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写真は国立新美術館で開催されているリビング・モダニティ展で展示されたミースの原寸大模型である。改めてクロームメッキの十字柱による独立柱システムの発明には感動する。また、鏡面や突板などの物質同士の無関心な関係は基壇の上においては共鳴しているかのようだ。部分のヒエラルキーはこの空間では沈黙する。
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パティ・スミスのライブが始まりマリア・カラスが主演を務めた王女メディアの映像が映し出された瞬間に老齢の吟遊詩人の試作に触れることができたようで大変興奮した。というのもその映像の監督であり詩人のパゾリーニは憎悪や貧さの現実を映し出し、ファシストの父の元で過ごしたが迎合すること無く本当の自由を求めた作家であったからだ。何処となく境遇も似ていないだろうか。偽りの生を抜き去りコード化を免れた詩的思考はアジールであり革新的自由の試みとなるのだろう。本企画のために書かれたパゾリーニという詩のパンキッシュな歌唱は鳥肌ものであり、貧者の聖人の不在でも純粋な心を弄ぶ世界は続いていくそれでも、と自らの心に戒めるかのようであった。チェロ奏者はMODEでお馴染みの?lucy railtonでもありパフォーマンスに大満足である。また、カラックス同様に小津の墓参りをしてくれており嬉しいことだ。
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大阪での視察を終え、約束があり京都へと移動した。合間にアンゼルム・キーファーのソラリスへと足を運んだがカメラのバッテリーをホテルの部屋に忘れたと気づき鈍臭さに項垂れる。相変わらず神話や戦争、歴史を制作の糸口にした壮大なスケールの美しい作品群なのであるが、「アンゼルムスここにありき」と題した一つに私見ではミレーのオフィーリアを思わせる構図があり惹かれ立ち止まる。キーファーの作品は強烈な表現に対し脆弱な素材を利用し摂理までをも包含する。それはモチーフが内在するアイデンティティを表現する手段として適しているのであった。翼は墜落をひまわりは重力をオフィーリアは死を密やかに抱えている。
夜は二軒目に移転後のbar oilを訪ねた。人を連れて行くのに適したバーだが、移転しさらに良い空間を獲得していた。入りやすさもあり格好をつけるにはよい店だ。それでいうと祇園の幾星も忘れてはならない。
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坂本龍一展に滑り込む。毎回こうなる怠惰を治したいものである。幾つか好きな作品もあり、中でも被災したピアノの音律を自然が調律したとして地震データと連動するピアノの自動演奏へ転換した作品など気象情報と連関する作品群は素敵であったし、アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品は長編のMEMORIAに通じ眠りをテーマとしてティルダ・スウィントンが映画とは違って安らかな眠りを得ていた。教授のホログラムはエヴァンスと重なって見えた。最後のプレイリストにはTime Rememberedが入っている。
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何かと問題作とされるセリーヌの『夜の果てへの旅』と同タイトルを掲げたカラックス特集、その中でもPola xは真実とする暗闇へと突き進み死体を跨ぎ救いようの無さにぐったりとする作品である。しかし、欺瞞的な日常の光ほどグロテスクな様相を呈するものはないのである。ピエールを夜へと誘ったイザベルを演じたカテリーナは若くして没している。呪われた作品の果てに救済はあったのであろうか。
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