
瑞樹
学生
話を聞くのが好き
絵描き
音楽
歌うこと

瑞樹
勝手に落ちていけば底もなく沈んでいくだけ。
掌を握りしめても、痛みは軽減されないし、
上を見ても下を見ても首はおかしくなるだけ。
世界は勝手に変わってはくれない。
目を閉じてみても、開いてみても、映るもの
への感動はさほど変わらないような気がした。
演じてみても、素でいても、今生きている事
への実感はさほど差はないみたいで。
けれど確かに生きているというのが、ひどく
奇怪なことに思えてまた息が詰まった。
この世の中、知らないことだらけだけど
いつかその理由も分かるのだろうか。

瑞樹
私には生きる理由がない。
力があって、安定した生活があって、
それでもなお生きている理由がないなと
思ったら、今度こそ本当にないんだろう。
だからいつも探している。私が生きたいと
本気で思えるのか、足掻いている。
けれどきっとそこに辿り着こうとする過程で
私は何度も死にたいと思ってきた。
長い時間は、人を孤独にする。私は大抵
そうだった。できない、分からない。でも
誰にも頼りたくない。わがままな私も、
甘えすぎる私も、全部大嫌いだった。
けれど大抵、成果を見ないで行動し続ける
ことができる人は、安心が何処かに眠って
いると私は思う。奥底でこれは崩れない
と確信できる何かが存在しているんだと
そう感じられる人が、少なからず多い。
それは簡単に言えば依存先、自分の安全基地
と呼ばれるものである。私にとっては存在
しないが、これがあることによって人は格段
に人として力を発揮している。
そんなにいいものなら私もやれば良いと
いう人もいたのだが、それができない理由は
きちんと私の中で定まっている。
私は完全主義だ。夢に縋って生きることで
そうでない自分を否定し続けることが多い。
それはバイタリティのように見えても私には
酷く使いこなせないものだ。自己否定の渦に
飲み込まれる最たる例、そのものである。
個人的に言えば、人に興味も関心も湧かない
私にとって「人」という全体は好きだからこそ
優しくしたい、幸せになって欲しいと願って
いるが、このマイナス思考の際に思いやりは
いともたやすく消えてしまうのである。
それは私の意思に反して、依存や脅迫、
はたまた陰湿な感情を抱かせていく。
「お前は生きやすくていいよな」「私は今
こんなにも苦しんでいるのに、呑気に笑って
いられるのが羨ましい」
知っているのに、彼らが何もしていない
わけじゃないことも、私と違う人間であるから
素敵なのだということも分かっているのに、
簡単に人を傷つけられてしまう。
だから私は自分が恐ろしかった。そんなつもり
じゃなかった、は起こってしまってからでは
遅いのだ。嫌われることももちろん辛いが、
それ以上に泣かせたあの人たちの顔を忘れる
ことができなかった。
私が振り翳した「努力の正しさ」で傷ついた
人がいる。私は未熟な私を制御できる自信が
何処にもない。だから深く関わるのは嫌いだ
自分が悪いのなんて、この世で自我を持った時
からとっくに理解している。
他責にすることは私がやるということ限定で
悪であるのである。

瑞樹
そういう意味での他者からの干渉は
嫌いでないことに気がついた。
ずっと「こうした方がいい」「私は〜だから
そのやり方じゃ厳しいと思う」そんなこと
ばかり言われてたから、そうなんだなって
思ってたけどそうじゃない。
綺麗事とか関係なく、その通りにする必要
なんて何処にもなかったんだと気づいたのは
貴方のおかげなのかそれとも私がただ
たどり着いただけなのか。
理由はわからないけど、ひどくふわふわする。

瑞樹
そして生きるために、何かしていなければ
落ち着かない。そしてそれは意味があって
欲しいと願っている。私にとってどうか
価値がありますように。価値を捻り出せ
ますように。

瑞樹
むしろいいことじゃないかなと思う。
けど多分それだけで認めてもらえるほど
世界は優しくないよね。生きられる地盤が
あって初めて考える余裕が生まれるのかも
そうでなく考えている時は思考が深くに
留まっている時じゃないかな。
私なりには頑張ったつもりだった人生
だけど、何か得たかと言われればただ
考えていただけと結論づけられる気がする。
迷いや悩みは中間点、ゴールじゃない。
途中で終わらせればそれは停滞している
わけだから到着の旗はもちろんもらえない
よね。答えが早く欲しいなら他のところ
から加速装置でもなんでも持ってきて
いいのかもしれない。人、物、知識、環境
なんでもいいけどきっとそれを使ったって
誰も責めたりしないと思うよ、人道に
反してないなら。
苦しみって本当に辛いものだけど諦めを
生み出す恰好の餌でね、やらない理由を
作り出しがちだと思うの。私がそう。
ほんとにやりたいこと見つからなくて、
多分これからも見つからないなって
何もしなかったんだ。もちろん趣味とかは
あったけどそれも全力でするほどのもの
じゃなかったし。
つまりね、きっと結果を出すことを目指す
のはある種そういう停滞に留まらないために
必要な節目なんだと思うんだよ。一度ゴール
にたどり着けば、また次のゴールを設定
できるでしょ。気力はやればやるほど湧いて
来るってそういうことなんだよ多分。
大抵2、3回やり方を学んだものって、
「ああこんなもんか」って慣れてくるもの
じゃないかな。そっかこんなに活かせる
ものがあったんだね。

瑞樹
たのしくない

瑞樹
何もないのは当たり前なんだから、
何かを得ていればきっと他のやり方だって
見つかりやすいでしょう。
趣味、仕事、人生、考えれば考えるだけ
味が出そうな題材だけど、考えてるだけ
では人生は楽にならないしね。
まあそれはさておいてもめんどくさいとか
しんどいとか色々あるとは思うんだけど、
多分すごくなりたいんじゃなくて生きる
ためだと思えば平気なのかも。
少なくとも生きたいとは思えそう。
死にたくないから、ほんと。
やりたいことよりできることが欲しい。
能力なんてなくて当たり前なのね。
やってないんだもん。やらなきゃ、そして
見せなきゃ。そうしていれば何処かで
きっと役に立つ。

瑞樹
成功するように努力することがいいんだ

瑞樹

瑞樹

瑞樹
置かれている。人の体は、そんなに
意地悪にはできていない。大丈夫、信じて。
大丈夫だから。深く息を吸って、吐いて。
ほら大丈夫。貴方はいい人。私もいい人。
それでいいんじゃないかな。世論なんて
関係ないでしょ。私にとってあなたは
いい人なんだから、いい人だよ。
それにね、人生の中で思考がどれほど
先に行くかを目的にしていないなら、
生きやすさを考えたっていいんだよ。
どうしてそれを悪だと決めちゃうの?
じゃあ逆に質問するね。楽しさを知らない
のにどうして生きたいって思えると思うの?
そうだよね。楽しくなかったらいきたく
ないよね。辛いことばっかりだったら
そりゃ生きたくもなくなるよね。
ね、そうでしょ。生きる理由もなく生きる
のは大抵苦しいよ。自分を苦しめてるのは
自分なんだよ。泣きたい時に泣いて何が
おかしいの?きっとおかしいと感じている
理由はもっと他にあるんじゃない?
思い出して、何に対して泣いていたの。
何がなくて怖かったの。教えて。
それがわかったならもう大丈夫、私がいる。
見つけよう、それを。生きよう、どんな
時だって苦しかったら投げ出してもいい、
逃げてもいい。ちゃんとそれでも生きよう。
ここで生きているのも何かの縁でしょ。
出会ったんでしょ。だったら、一緒に
生きよう。耐えるんじゃない。ただ生きよう。
貴方が楽しくなれるなら、きっと世界は
変わっていくはずだよ。ねえ教えて、
貴方の世界を教えて。
君はどんな色をしているの?教えて。
ねえ教えて。分からないなら聞いてみたい。
知りたいよ、全てを。

瑞樹
ひどく安心する。まだ足掻けるまだ時間が
あるその時間をまだ使える。
私はまだ生きているぞ。死ぬな死ぬな死ぬな
苦しくても生きていれば生きていれば私は
まだ、まだ生きていいと思えたら。
あなたに憧れた私は本当だった。私は貴方に
なりたかった。そしてきっと、答えを出す
ことよりも今よりずっと生きやすくなる
方法を探してた。そしていつか私が信じた
ものが、自分の中で正しいと思えることを
願っていた。

瑞樹
私の存在する価値など知ったことではない
他者に見せる価値など存在しない。
私が私のために生きて何が悪い。
私はそうでなければ生きられない。
生きたいのだどうしようもなく。諦められない
いい人になるのも知るのもやめられない。
頭がなくても生きてはいけませんか
綺麗なものを綺麗とは言ってはダメですか
答えは否である。
肯定しろ。死ぬ気で肯定しろ。
みっともない人生を、変えてみせろ。
それしか生きられる方法がないんだ。
崩れるのならそのやり方は私には
できないのだ。考えろ、考えてみろ
死ぬ気で。私にはわかる。私は馬鹿だ
答えは出せない。方法をいくつ持っても
その通りに最適解なんて出せやしない。
少ない情報を少ない頭で使いこなす?
ふざけるな傲慢も大概にしろ。
お前にできることは何だ、考えろ。考えろ。
それができなければ死ぬんだ。考えろ。
誰に救ってもらうつもりなんだ、考えろ。
そんなことを望んでいるうちに崖はそこに
置いてあるぞ。

瑞樹
生きるためには必要なのだ。どんな形で
着飾ってもいい。泣いてもいい喚いても
構わない。けれど他者に「いい人」で
ありたいのなら、自分を信じなければ
ならない。私は知っている。他者について
考えることは好きだが、他者にとってそれを
行えるかどうかは私には分からないと
いうことを。信じるためにはソースが必要だ。
私が私であるためには、私を知らなければ
ならない。だからなのか。だから知るのか。
人は大抵、自分が知らなければならない
瞬間が幾度か訪れる。これがチャンスで
これが最後かもしれない。だから考え方を
間違えるな。信じろ。

瑞樹
自分の将来を本気で不安に思って上手く
眠れない時が最近よくある。
私は今資格をとっているが、あまり現実的
じゃあない。子供に対して守らなければ
いけない存在という認識はあるが、綺麗事を
どこまで貫けるかわからないからだ。
私はこの資格を手にしても、そこまで全線で
働くことは望んでいない。だから今考える
のはどこまで自分の力を伸ばせるかと、
どこに自分の良さがあるのかを知ること。
私には才能がない。能力もない。そして
言ってしまえば学もない。ない状態に
不満を持たない人種がいるがそれは私だ。
誰に誇りたいわけでもなかったから。
生きられればいいと思っていたから。
けれどそれでは世界は狭いようだ。
私には人を信じられる力がない。人が
幸せになって欲しいと思いながら、
それはその実懺悔のようなものなのである。
本当は何の関心もない。悲しいほどに。
私は楽しいことがあまり好きではなかった。
楽しいは疲れるからだ。そして脳をバグらせ
行動を変えさせるからだ。
私には耐える力がない。継続力がない。
そして何より、夢を見る力がない。
好きなものは平穏、閑静、その他動かないもの
確定したもの。
白黒の間のグレーをひどく嫌う。
飛び込む力をすぐに無くす。
無力なまま生きている事を愛する人だった。
私には行動力がない。何かを試してみよう
と思うことが極端にない。そして将来の
不安を抱えながらもスキルを身につける
気概がどこにもない。
つまり、このままいけば近いうちに
生活保護になる。それは困る。
だから私は変わらなければならない。
継続できるかじゃない、どうやって継続するか
好きなものがないじゃない、どう好きになるか
生きたい理由が分からないじゃない、
どうしたら生きたいと思えるか。それを
考えなければならないと思った。
精神論的な解決法だが、実際それが馬鹿な私
には一番必要なのかもしれない。
逆転して疑問に思えないのなら、いっそ
ずらして考えればいい。
問題をどのように捉えるかは、選択肢の中
では関係ない。
つまり私は、もっと上手い生き方がある
ということだ。

瑞樹
他人のためでない自分に価値を感じなく
なってしまった私はきっともう欠けてしまった
んだろうな。

瑞樹
つけられてしまったら、いったいこの思いは
どこに捨てろと言うのだろう。
その時の私は一体何のために生きたのだろう。

瑞樹
私は答えを知るのが好きだった。
正確に言えば、確定したものが好きだった。
どうしてそうだったのか。
理由は、私の特性によるものだった。
私の学習はとても遅い。理解するまでの時間
がものすごくかかる。だからいつも、終わりが
見えないような気分になる。
不安に押しつぶされ、苦しさに絶望しながら
それでも内側で燻る「答えへの渇望」が
不安から逃げ出すことを許してくれない。
そんな時間ばかりが過ぎるから、私にとって
答えが出ること=救われることそのものだった
「ああようやく息を吐くことができる」
一度思考が確定すると、初めて呼吸を覚えた
かのように心が凪いだ。その時の快感は、
まあ悪くはないものだ。ただ、達成感の
ようなものではなく、もっと老廃しきった
残りカスのようなものだけれど。
私はそうして一時的な休息を得る。
ただ、当然ながら答えは長くは保たない。
いつまでも変わらない答えとはやがて価値を
無くしていき、新たな世界から取り残される。
そのままであることは世界が許してくれない。
私はまた、答えを探す作業に戻る。
私にとって人生が苦しい理由はここにある。
答えがいつまでも定まらないこと。そして
その答えが定まらない理由に、私の特性が
あること。どちらも解決するにはもはや
人の手が必要なのかもしれないが、私は
人に本当の意味で興味も大切さも感じる
ことができない故に、人の恐ろしさばかり
感じるのでそれもできない。
手詰まりのように見えるが実際死にはしない。
死ぬ勇気はなく、また死ぬ気もどこかで
感じるだけで実行に移すほどの考えも出せない
それに、人間はご飯を食べて睡眠をしていれば
死ぬことはない。当然ながら。
生きることは苦しい。でも生きなければなのだ
必ず終わりは来るのに。意味は他者には存在
しないというのに。私は私のために、生きる
ことをしなければならないらしい。
無力感に押しつぶされたいつかの日から、
ずっとずっと静かに絶望しながら生きてきた。
もはや何かに挑戦する前から私は死んでいた
と言えるのかもしれない。初めて挑戦しよう
とした時も、私は他者の意見で動いた。
本当は、挑戦などしたくなかったけれど、
「そうしなければならないから」そうした。
世間体は「積極的で」「努力家な」私を
求める。一体何が楽しくてそんな面倒な
存在であらなければならなかったのか。
私は存在していい理由を知りたくて、
ずっと演じる事を努力していた。
そうでなければ生きていていることすら
否定されるなら、そう生きてやろうでは
ないかと思った。認められれば、
ただ生きている事だって許されると信じて
いたから。
なぜ生きることに他者の許可が必要だった
のだろうか。なぜ私はそのままの私では
愛されなかったのだろうか。
愛されるとは、都合がいいということだった
のだろうか。
私はひどく胸が冷たかった。布団を何枚も
敷いているはずなのに、怒鳴った声からも
ビンタからもどれも私を守ってはくれない。
全ては私が不甲斐ないからである。
でも、こんなにもひややかなものかと思った。
「ここには私ができるまで待ってくれる人は
いないんだな」と、子供心ながらに感じた
記憶が残っている。
必死に努力するフリをした。実際、それまでも
寝不足になるまで同じところを繰り返し暗唱
していたけれど、一定の基準を超えない私は
お呼びじゃないらしかった。
彼らの求める私は「頑張っている私」だ。
何を美談にそんな事を言うのだろうか。
私が苦しむ事を彼らは讃える。いつも
頑張っている、そこがあなたのいいところだと
肯定しているようで私を盲信して何も見て
いない彼らに、頭が割れるほどの熱を感じた
出来事は、一体どのくらいの回数繰り返された
のだろうか。
うんざりだった。肉親がこうなのに、どうして
愛されたいなどと願わなくてはならないのか。
さみしさも苦しさも、受け止めてくれるのは
それでも親しかいない。歯を食いしばりながら
けれどその苦しみから逃れたくて温かさが
欲しくて、必死に縋りついた。いっそ殺して
欲しかった。こんなものにすがらないと生きて
いけないなどと、私はこんなことのために
生きているのかと思った。
いっそ誰でもいい。誰か私のことなど興味も
ないような人に縋っていたかった。
過干渉で、私のことなど見ないあの人たち
よりはよほどマシだと信じた。
依存したかった。
けれどいつしか気づく。自分はもはや
救えないような存在になっていたことに。
そしてあの頃の穴は一生癒えずとも、彼らは
私を丁重に扱うまともな人間になっていた
ことに。
いつか必ず離れてやる、そのために生きよう
と信じて生きてきた私の復讐は、もはや
どこにも行き場がなかった。
母は私に謝った。父も、私の望むことができず
申し訳ないと言った。どうして謝るの。
どうしてそんな苦しそうな顔をするの、泣くの
泣きたかったのは、こちらの方だ。
心の底ではわかっている。一番受け止めて
欲しいものを受け止められなかっただけで
この人たちなりに愛したのだと、そして
私が社会で生きていけるように力をつけ
させようとしていたことだって、知っている
けれど、怒りはおさまらなかった。
今更、いい人になるつもりか。いい人で
あれなかったら生きる理由がないと、そう
思わされた私に対して、いまさらいい人に
なるつもりだとでも言うのか。
そんな人達に、私が刃を向けられるとでも
思うのか。
私の怒りも、絶望も、もはや刃を向けられる
存在は私しかいなかった。全て、私に力が
なかったから起こったことだ、と。
そう片付けた瞬間、全てがどうでもよく
なったのを今でも覚えている。
私はこんなことのために、これまで生きて
きたとでも言うのか。なんて、つまらない
惨めで傲慢な生き物なのだろうと、そう
思った。
誰も恨みたくなどなかった。誰も悪くない
とそう言いたかった。全ては私が悪い。
今は、彼らの人間的な部分に対して、
恨む要素は存在しない。そのため友好的に
なるだけ接している。実際そうしないと
学費も払えないし生活できないという現実的
なものも存在するが。
元々一人で悠々と生きることが夢だった。
それが苦しみを伴う一人旅に変わった
だけだ。
しかしおそらくこの記憶が消えることはない
私は笑いながらも恨んでいるのかもしれない。
きっと今でも恨んで、冷たさの中にいる。
そうでなければ説明ができないほど、
いまだに心の底で軽蔑しているような感覚が
消えてくれない。

瑞樹
けれどまだ、答えは出ない。だってまだ
何も得られていないのだから。でも、
でも私は答えが欲しかったんじゃない。
ただ平和に行きたいだけなのにどうして
こんなに苦しいの。1人でいたいの、誰も
近寄ってほしくなかったの。耐えられない時
人と関わるとひどく惨めになる。
フィクションでよかったのに、私がもっと
強かったら人とか変わらなくて済んだのに
ってたくさんたくさん思ったの。
関心がないのほんとうに!どうでもいいの!
なのに自分のためだけに人に関わって
もらうなんて嫌で仕方ないんだよ。
感謝も謝罪も真似事なのにどうしてみんな
許しちゃうんだよ。どうして心配するんだ
答えをくれるんだ。そんなもの私に贈ら
なくていいんだよって。いっそ殺して
くれ。何も求めてないのに何かしないと
生きてはいけない世の中が嫌いなだけなの。
ワガママなだけなんだよ。勝手に傷ついて
勝手に崩れて人任せになっただけなの。
今が崩れても終わってしまうのはわかって
いるのに、いまだに生きたいと思う理由
すら見つからない。他者の意見を遠くから
眺めている時が一番生きている心地がする。
「あ、まだ私はこれを聞けてるから、
生命活動してるんだな」って思う。
人間ってそういえば死ぬ時最後まで残る
感覚って聴覚らしいね。とっくに死んでる?
そうであったならよかったのに。苦しい時
自分か他者が支えになるよね。でもその
どちらも存在しないよ。どちらも、私の
なかにはないんだから。縋るのは過去の
誰かの言葉か。ああもっともっともっと
楽に行きたかった。幸せでありたかった。
誰もを大事だとは思えないのに、誰もが
傷ついてほしくないと思った。馬鹿みたいに
頭お花畑で、ほんとうに救えない。
私のしたいことしかしたくないだけで、
こんなにも人を不幸にする。私は一体何が
したかったんだろう。いいやしたかったのは
もう叶わない。私は私も周りも全部全部
大嫌いだ。いっそ目の前から消えてくれ。
ほんとうに大嫌いだ。考えなんてクソ喰らえ
だと思うのに答えの出ない考えを捨てる気に
まったくなれない。殺してくれ。殺してくれ。
いっそのこと消してくれ。もういいの。
もう無理ほんとに無理。どこまで行っても
ほんとうじゃない。本当がどこにもない。
ねえわかる?わかんないよクソみたいに
この場に留まっても、動いてみてもどっちも
苦しいに決まってる。何もしなかったくせに、
何も見ようとしなかったくせに。一体どこまで
人を馬鹿にすれば気が済むの。私のことなんて
誰もみないで欲しかったし、私も私のこと
なんて知りたくもなかったのに。どうして
生きることに対してこんなにも求められるの。
ただ平穏に生きることがこんなにも大変なの。
羨ましい。何もいらないから、ただの平穏を
ください。悪いことしないからいい子になる
からそれでもダメならいっそ殺してよ。
何かないとただ過ごすことも罪だって言うの。
なんでなんでなんでいつもこうなの。
でも誰もどうでもいいのにどうでもいいのに!
なぜ人に頼らなきゃいけないの。人の人生を
こんなものにつき合わせるなんて私は
耐えられない。許せない。一生許せなくなる。
ねえ、考えをください。ねえ助けて。
誰か助けて。誰でもいい。助けて。でも
助けないで。ほんとうは弱い人間なんです。
それでも1人で生きたいの。
実験動物としていきたい。

瑞樹
結局やり方なんてわからなかったけど。

瑞樹
好きなものがないのは知らないからなのかも
しれない。存在だけを見ても素敵に見える
ものは確かに好きだ。表面しか理解できない
自分にだって素敵だと理解できるから。
けれど結局長い目で見て意味を持たない。
私に内容の深いところまで見たいと思う
ほどの興味は、みつからないからだ。
興味がなくても動ければよかった。
でも、やっぱり動かない私がいる。
生きることだってそうだ。時々生きる価値
という議論が出る時、決まって私は答えを
出すことができない。他者からみた私の
生きる理由を答えるのなら「価値はない」
と迷わず答えられるが、自分から見ての
生きる価値となると、わからない。
これができるようになりたい、こんなことが
したい。それはあるけれど答えにはならない。
だって結局、私は生きると言うことにも深い
興味を持っていないのだから。
もちろん死にたくはない。生きているから。
でも、深く知ろうとはしていないのだろうな
と感じている。
考えることは好きだ。自分の今を知れるから。
1日のちょっとした変化だけで私は楽しい。
別に多くを求めないわけじゃない。
私はただ、疲れているのかもしれない。
体をどれだけ休めようと、良いものを見ようと
自分で動こうと、生きているだけで疲れる。
その上人の愚かさや素敵さまで追加される
となると、私にはとても息苦しい。
こうして考えられるだけで幸せだとまでは
言わないけれど、ひどく、疲れている。
いつからこんなに退廃的になったのだろう。
答えは自分の中にしかない。でも私は、
その理由を見つけたいと本気で思えるの
だろうか。

瑞樹
するためだけの不愉快な妄想。
こんなもので救われてしまう軽い考え方
だからこそ、逆に簡単に傷つくのだ。
試行錯誤は素敵なことだ。私には行う事が
リスクに思えすぎて試行はあまりできて
いないが、自分の範囲でしていたいなと
なんとなく感じてはいるくらいには、
素敵だと思う。苦しかったりするけれど
それは別に悪いことではないと私は思う。
にも関わらず、答えを先走って見つけようと
する私はなんなのだろう。一体なぜ未だに
「答えさえわかればいい」と思って
しまうのだろう。
勉強でもそうだ。
人生の発達が遅れてきた私の、ごまかしの
きく方法は、「答えのみを見つける」こと。
過程まで考える時間はなかった。
周りは私が1ページを読むうちに
5ページは容易く進んでいるのだから。
一度ついた差を取り戻すのは極めて難しい、
ならば先に要点を見つけるしかない。と
私は考えた。確かに学校であれば、成績
維持くらいはできる簡単なリスク処理だ。
答えが見つかれば進む道がわかる。
取り零したものは、復習や実践で学べば良い。
それ自体には、それほど悪いと感じたことは
なかったような気がする。
ただ予想外だったのは、私がそこで「広げる」
ということをしなかったことだ。
私にとってはその「答えを見つける」ですら
すら容易ではなかったということ。
他者の言葉をいくら借りようと、本を読んで
みようと、一向に答えは定まらない。
むしろたどり着いたと思った先が、
「これはほんとうに自分が考えて見えた
答えだったのだろうか」と全てが嘘のように
見えたのだ。
実際、当たり前なのである。答えというのは
考えた先に見つかるただの副産物であり、
それに同じものなどありはしない。なにせ
人間が全く同じ思考で同じ環境で、能力で
生きることなどありえないのだから。
けれど私はそれに気づくにはあまりに頭が
足りなかった。都合の良い答えは、あまりに
綺麗に見えてしまったから。
考えたはずなのに、何も考えてなど
いなかったことに気がついたのは、
やっぱり元の自分を見つけた時だった。
考えることはとても難しい。
人間は1人では生きていない。集団で大抵
生きている。その中で純粋に自分だけで
考えるなどとてもできない。
ただ、その中で自分として考えるかどうか
くらいは選べるのだ。迷っても苦しんでも、
そこから逃げなかった人間は、どんなもの
より価値があると私は思う。
まさしく、「自分の人生を生きている」と
私は思ってしまう。そんな人たちを見るのが
とても好きで、けれど同時に羨ましい。
私にはそれができなかった。他者に判断を
委ねるのが楽だった。
だがその「楽」は、決して人生を楽しくなど
してくれないのだ。

瑞樹
良いことをしていたい。他者の利益になる
ようなことををして、本当に嬉しそうに
しているのを見るのが、私は好きだ。
けれど時々ふと思う。これは、ほんとうに
「良いこと」だったのだろうか、と。
無性に私は不安に思うのである。
選択を間違えたのではないか、これはその
対象にとって良い結果だったのだろうかと
思うのである。
基本的には、他者の求める反応をしようと
私は努める。不安には共感と受容を、怒り
には共鳴を、緊張には楽観的に紐解く
作業を。普段から馬鹿であることを印象に
つけて、私に求められた役割をただ果たす。
そうやって私は、実感は恐ろしく存在しない
けれど確かに相手のことを整えられるような
「良いこと」をしてきた。
してきた、けれど。違和感は増えていく
ばかりである。
良いこと、と言われて私は大抵人を
「助けること」を思い浮かべる
が、実際、良いことが人を助けること、
とは必ずしも言えるのだろうか。
人は、適応していく生き物だ。
他の個体と関わりながらも、最終的には
一個人として結論を出せる。
しかしそこにもし、干渉された跡が
残ったとしたら。「そのままの君で良いよ」
「こういう方法もあるよ」そんな言葉が、
考えを変化させ、より苦しい道に進ませた
としたら。
それは他者が、無責任にその人の人生を
捻じ曲げたともいえるのではないだろうか。
他者の人生は、他者のものであるにも
関わらずだ。
考えすぎだとよく言われる。だが私は、
その影響を考えると私は、ひどく恐ろしい。
いっそ人にいいことなどしなければ良いと
すら考えてしまうほどに。
けれど何もしない私も、また悍ましく見える。
だから、結局寄り添うことを選ぶ。それすら
他人を受け入れない私は表面でしかないが。
捨てることは、いまだできていない。
「良いこと」ってなんだろう。私にとっての
良いことはいったいどんな形をしている?
他者のために生きるわけでもないのに、
こんなことがずっと、頭の片隅にいて、
気になって仕方がない。

瑞樹
誰のためでもなかった人生なのに、
いつのまにか誰かに差し出そうとしていた。
踏みとどまったからこそ、気にかけてくれた
人に何も言わずに別れを告げるという筋違いな
行為を犯した私は、言えなかった言葉を頭で
ただ反復している。
「人に何かをしてもらったら、きちんと
感謝しなきゃいけないのよ」
幼い頃から教わってきた、実感のない、人へ
お返しする唯一の方法。見ないふりをする事
はできても、なかったことにはできなかった
ふと手を見れば、震えている自分が目に映る
ああきっと、これが「人生の選択」という
ものの結果なのだと理解する。後悔も執着も
驚くほど鮮明に見えた。
足掻いた先にも苦しみがあるのなら、尚更
死にたくなる人もいるのだろうなとふと
考えが浮かぶ。こんな風になってもいまだ
感謝の一言すら思いつかないのは、きっと
あなたとあんまりにも感情を動かさない
冷たい会話ばかりしていたからだろうな。
これだけ後悔しても、強く存在が記憶に
残っているだけだと私は分かる。
罪悪感と呼べるものがどこにも残って
いない。それでも私は自分が血も涙も
ない人間ではないと知っている。これはただ
「そうなるしかなかった」だけで、感情は
きちんと残っているからだ。
あなたの幸せをそれでも願ってる、なんて
綺麗事すらも言えない。形のない届かない
願いはただの送る側の自己満足でしかない。

瑞樹
できないと思う。記憶となった人間は大抵
綺麗に美化されがちではあるが、それを
抜きにしても、人は、人にされたことを
忘れないものである。
きっと誰しも人生で1人くらいは、今も
心を揺らすような、忘れられない人間が
存在するのではないだろうか。
ふと思い出した時、どんな感情になるの
かは人それぞれだけれど、きっとその人は
自分の人生を語る上で不可欠なほどに
存在感を放つに違いない。
伝えられなかった言葉も、できなかった行動
ですらも、全てなかったことになどできない
それでも生きている今を否定なんてしない。
その出会いに意味があったと思えるから。

瑞樹
人が変われば立場も変わる。貴方も私も
もはや交わる立場にはいない。相談事は
永遠には続かない。
誰のことも見ないまま、消えていく。
何もないまま、あなたから去っていく。
それはきっとおかしなことなんかじゃない。
妄想を捨てた。世界はすこし静かになった。
あなたの答えへの渇望をコントロールした。
世界はまた、私の考え中心で回り始めた。
これもまたおかしなことなんかじゃない。
変わったのは私1人だけ。彼にこのことを
伝える日が来ないのが最善であると、
それだけは十分に理解できる。
元々手助けと、ほんの少しの背中を押す行為
を彼に望んでいたのが私だ。貴方の善意だけ
私はもらうつもりでいたのだろう。
よほどの迷惑女だと、つくづく思う。
もう一歩気づくのが早ければ彼にこんなに
迷惑をかけることはなかったのに。
けれどやっぱり彼と関わったからこそ今の
この状況で、時制で、気づく事ができたから
やはり避けられなかった。これが最善手だ。
私はきっと、ひどく長い夢を見ていた。
彼の論理に沈んでいる時、私はどこか遠くの
世界を眺めて、穏やかな場所で守られて、
自分が溶けて消えていく感覚と塗り替え
られていく常識に楽しんでいたような
気がする。
こんな思考の休息をとったのは初めてだが、
おそらく人生でも、この体験をするのは
これから先そうそうないと思う。
相手が相手だからだ。私の人生で、彼の
ように「賢いの一言ですら片付けられない
超人的な存在」に会う機会は、金輪際もう
きっとない。
痛いほど苦しかったはずの依存は、
おろして仕舞えば何の重みもなかった。
足元は宙から浮くように、初めから
何もなかったかのように消えていく。
ああきっと、彼との出会いももはや
存在しなかったかのように私はこれから
生きていくのだろう。記憶にはもちろん
残るけれど、私はもう自分の考えを確立
することにしか興味がないような気がする
から、彼の論理を受け入れるつもりは
さらさらないのかもしれないな、とふと
思ってしまった。
きっと私は後悔するだろう。けれどそれは
望んだ後悔である。効率よりも自分を選んだ。
だから、これでいい。感謝することは
できなかった。それだけはきっと忘れる
事ができないけれど。

瑞樹
ずっと同化してきたが故に自身の価値観や
感情すら他者に委ねてきた存在がいる。
自分の考えと他者の考えを比較する以前に、
取り込むことを考える癖がついている。
その考えでいると、他者の考えにいい悪い
なんて本来ならあまり関係がない。
なぜならそれは生存戦略としての「同化」
にとって、どうでもいい事だからだ。
勝手に引用して、いつの間にか自分の考え
だったかのように形を変える。それだけで
いいのだから。
たとえほんの少しだけ、違和感が残るとしても
それが自分自身でないとふと冷静になった時に
気づくとしても、それは些細な事である。
最近、よく考える事がまた一つ増えた。
同化は依存よりも手軽で楽だということ。
行動には移していない。何も変えない。
自分以外は誰も苦しまない。危害がない。
しかし、誰に相談するにも自分の今を
塗り替えるための、引用すべきものとして
会話することは、もはや会話ですらなく、
脳は常に不安感や目の前の安心への欲求を
引き出してくる。
「また見捨てられる」
「お前の考え方よりもよっぽど固まった思考
が目の前にある。『参考』にしよう」
そう言ってくる。
これが参考などという生優しいものではなく、
自分自身が考え、たどり着いた答えでもない
ことを知っている。耳を塞いでも、
目を閉じても、誰かに頼ればいいという優しい
声が聞こえてきて、しかしそれは目的とは
全く違うものだと踏みとどまるには一体
どれほどのエネルギーを消費するだろうか。
一度同化する人生を選んだ人間は、その違和感
を消して回ろうと過去にしたらしたほど自我
なんてものが簡単に消失する。自分の考えに
自信が持てなくなる。説明ができない違和感。
けれどその違和感すら徐々に消えていく。
ソースは自分から放り投げているのだから。
しかしいずれそれに気づいて仕舞えば、
人は同化前にどれほど強固な自分を築いて
いても、不意に自分の考えにヒビが入り、
崩れていく。
安易な気持ちで同化などしないことを
私は強くお勧めする。どんな怪我よりも、
どんな言葉よりも、自分が壊れることより
辛いものなんてないのだから。その隙を
自分自身で作ることは、どうかやめて
欲しい。
あなたの価値観はまだあなたによって
作り出されたもののままでいて。
誰かの価値観に、感情に、汚染されないで
いてくれることを、私は願っている。
嘘と本当の区別もつかず笑えてしまうくらい
に同化してしまったなら、もはやどこにも
自分なんていなくなってしまうのだから。

瑞樹
言った事実を自分が思ったかのように
伝えて、その時の違和感すら目を瞑って。
そうしていたら、感情すら他者に受け渡して
しまった。信念も価値観も、私が私として
考えたものはもうどこにも残ってないって
いうのに。
一体私はいつまでないものを探してるの。
なくしものじゃなくて、元から自分なんて
存在してなかったんだよ。
他者が白って言ったら白なんだよ。
ほんと、馬鹿らしい人生だこと。

瑞樹
認知の歪みから繰り出される今までの思想と
どこまで違うものが出て来るのか試してた。
そうして2週間ほど経つ。そこで今日、
思い出したかのように涙が溢れた。
ぽつぽつ。顔が歪む感覚はなかった。
そうして泣く自身を認識して、どこか安心
した気持ちになったのを、覚えてる。
私はただ自分を安定させるために感情を
整理しようと今を変える練習をしている。
痛みや苦しみには、ちょっと慣れた。
だけど別に感情を無くしたいとか、そういう
目的はないから、普通に泣く。でも今回は
泣いている理由が導き出せなかったから、
多分ただの変化時のストレス。
別に悲しくなくても人は泣けるのね。
知ってるよ。だってだから私お葬式で
嘘泣きしてしまったんだから。まあ意図的に
泣くことだったり、今回みたいに生理的に
泣くこともある。

瑞樹
正しくありたいわけじゃなかった。
いい人でありたいわけじゃなかった。
私が本当に欲しかったのはただ生きて
いてもいいと私が思える理由だけ。
他者に依存したのも、その価値を自分で
見出せなくて、他者からのそれで埋めよう
としただけ。
私は大切をしらない。だって依存以外
での優先をを私は知らないから。恋だって
愛だっておんなじ。私にはわからない。
他者に価値を見出す事自体、とても苦しくて
恐ろしかった。ああまた、私の感情を乱す
ノイズが現れたと思った。
甘いようで深い本質のような言葉に縋る
のは過程を理解できないから。
耳障りのいい部分だけの様に一見感じる
それにどれだけの重みがあるのか知らずに
ただ「これが答えだ」と錯覚することが
できるから。
真っ当に生きれたら。依存ではないけれど
楽しい人間関係であれたなら。世界が静か
だったなら。私はそれ以上なんて求めない。
平穏をください。誰の承認もいらない。
放っておいてください。ただ生活をさせて
ください。それだけで私は誰よりも幸せに
暮らしてみせますから。
人に関わったことによって得たものを後悔
なんてしないけど、失ったものだって
ちゃんとわかってるつもりなのです。
痛かった、とても。苦しかった、自分が
なくなっていくみたいで。それを望んで
いたはずなのに、本当は違うと私は常に
叫んでいた様な気がする。
感情的になることが苦手だ。
自分ってどんな人ですかと聞かれることが
苦手だ。それを知ってどうしたいのと
言いたい。あなたはあなたの人生を生きれば
いいだろうし、その人生にわざわざ私を
組み込む必要はない。嫌いとかじゃないよ。
本当に、他者を自身の人生にいれる理由が
わからないの。だって自分の行動以外
人生に変化なんてないんだから。

瑞樹
人は何かに対して好意的であったり
憧れを抱いたりすることがあるだろう。
その中で、熱狂的な人々がとあることを行う
ことがある。それが今回話したいと思った
「同化」というものである。
巷で噂の「自認〇〇」というようなものや、
少し意味合いが違うが「擬態」というものに
近いような気がする。少なくとも、自身の
考えや価値観を一方的に無視してその考え
そのものを全てとして自身を塗り替える行為
といったん定義する。
同化を行うことに対し、私は非常に恐怖を
感じている。妄信的に信じるということ、
それはきっと信頼された人間関係の中で
起こりうる自然なものであると同時に、
例えば宗教でいう神と信徒のような、
自身の人間性を塗り替えるような根本的な
自分の喪失にもつながるからである。
他者の言葉を表面で理解し、神格化する
ような人間にはなりたくないと心から
思うのは、その妄信がいつかどこかで
矛盾を引き起こし、からっぽの自分だけが
残ってしまう事が恐ろしいからだ。
特別な人間になりたいと願った人ほど、
陥りやすいのではないだろうか。
良いところを吸収、いや、この場合は外付け
と言おう、外付けすることで「完璧な自分」
を作り上げてきたとして、そこに自身の考え
がなければないほど、他者からの評価や意見
によってその価値が確立されたものほど、
それが本来の自分でないとされた際に簡単に
崩れていくような気がする。
他人軸で生きている自覚がないまま、
ふとした瞬間に崩されるような感覚をもつ。
非常に恐ろしい体験だった。
今が楽しければいいと本気で思っていた私は
悪意ではなく、善意で、興味を持って自身に
ついて聞かれた際に初めてこの感覚に陥った
相手に合わせる、優しくするというのは
他者の価値観と同化することではない。
そこに対して違和感を持てることこそ、
自立したもの同士の関係性だと私は思う。
誰かの意見が正しいわけではない、
誰かの意見が間違っているわけではない。
ただそこに自分の意見があるかどうか、
その違いによって、その考え方が「同化」
という依存めいたものであるか「自立」
であるのかどうかが変わってくる。
自分の考えが崇高である、または軟弱である
と考えることは他者との比較以外で存在する
のだろうか。自分の考えに自信を持つ必要は
必ずしも存在しない。必要なのは自信では
なく、自分が導き出したその答えに対して
根拠のある確信を持てることだと思う。
そこに優劣をつけるのは論外として
良いと私は感じる。
無論そこに対して大切な価値観を傷つけ
られたと憤慨することも自然ではあるが、
よほどのことでない限りその批判自体に
感情を動かす必要があるとは私は思わない

瑞樹
結びつきなんだよ。切っても切り離せない
とっても難しい問題なの。特に依存って
いうのはタチが悪くて、ネガティブなもの
以外にも好きだとか安心するだとか、そう
いった部分にも簡単に入り込んで手放せ
ないようにしてくるの。しかもほとんど
無意識なことが多い。
安心要素を他者に委ねている人がなかなか
そこから抜け出せない場合ってあるじゃない?
あれは、本当に本人も変えたいと思っている
んだけど、変える時のエネルギーが半端じゃ
ないこととか、変わっている最中に他者に力を
借りすぎたり現実逃避で甘い安心に浸ってたり
してまた依存思考に囚われて、せっかく進んだ
部分が帳消しで全部無になってしまうこととか
が影響しているんだ。
ただ単にその考えを帳消しにするだけでは
今までの人生で培ってきた考えの癖に沿って
また歪んだ考えが浮かぶだけなんだ。
その問題を解決したからといって、
たどる道筋を変えていかなければ根本は
何も解決されないのね。
むしろ解決されるたびに人に依存するように
なるっていう悪循環が生まれる。
難しいの、本当に。
この流れを断ち切るには、依存しなくても
生きられたという確固たる経験と自信が
なければいけないんだよね。他人に頼る
ことについて問題解決中に感情が芽生えた
時点で、本来危険だよ。感謝もそう。
後からちゃんと感謝できるんだから、今は
自分の問題解決に集中して。大丈夫だから。
力を貸してくれる他者に対して責任を感じて
しまう人達がもしいるとしたら、どうか
気にしないで。
解決すること、解決に向き合う姿がいちばん
感謝の形になってるから。
解決していないことを隠すようになるよりも、
今現在どこにいるのか、どんな苦しさが出た
のか正直に伝えて欲しい。
忘れないで。あなたを見ている人は必ず
いるし、孤独じゃない。その上で貴方は
誰の力を借りずとも、生きられるように
なるから。そのためには必ず自分の言葉を
よく聞いて、どこに認知の歪みがあるのか
見つけることが大切だよ。

瑞樹
これは珍しく確信めいたものを感じた。
どんなものにも原因があって、それらは
道を辿っていくことで見つけることができる。
私はずっとなぜ生きたくないのかとか、
どうして優しい人でないと生きていては
いけないと思うのかを考えていたけれど、
これは、あまりにも単純なことだったのだ。
能力が足りないことから来る無力感や
不満、攻撃性、それらへの罪悪感、消えない
無駄な努力という概念、孤独感。思い込み、
絶対的な答えへの執着と考えの浅さ。
どれも私が逃げ続けてきた自分の過去。
努力を諦めた私が平穏のために隠した
浅ましい私の人生が詰まった欠点。
理解が遅いから、どうせ表面しか理解
しないからと理由を正当化した自分の
愚かさが、今の私を作り出した。
もちろん、頑張っていた時期の私を責める
つもりはないけれど。それこそ、そうする
ことでしか生きられなかった私に関しては
例外とするが、それ以外の私には失望する。
わかっていたはずなのだ、この日が来ると。
気づけてよかったことではある。
私にとって現実が辛い理由は力がないから
ただそれだけのことだったのだ。
人なんていらない。正直なところそう
思っていたのは私に余裕がないからでもあり
その状態で人を信じるのはあまりにリスクが
高すぎたからだ。今もそう。だから私は人に
頼ることができなかった。
バカだからすぐに騙される。それはあまりに
恐ろしいことだ。私は私の人生がすでに主要
なところまで来ていると知っているのに
いまだに動けずにいるが、動かないのが理由
というよりは動くと危ないところを常に経験
していると言うべきか。防具を皆つけて行って
そのうち挑戦できることが増えるけれど、私の
場合は何も増えていないから逃げることばかり
覚えているような感じなのだ。
ああ、気付いたところで孤独だと言うのに。
でもほんとうは気づかなければならなかった、
この問題を解決するためには。

瑞樹
全てが欲しいんだ。本当はね全て欲しいの。
何でかって言えば自分を保つための能力すら
ないからなんだよ。つまり自立できないから
他人に縋りたくなってるの。
私はそんな状態で人と付き合うとかは本当に
無理。私自身が傷つくのも怖いし、依存する
ってほんとに惨めなんだよ。諦めた先だし。
それでいて相手のことも考えるなら、
こんなやつを付き合わせたくないというのも
あるんだ。いい人であればあるほどこれに
付き合わせることになるから、絶対いや。
私の人生が終わることの方がよほどマシ
なんだから。本当はそれも無理だけど、
私はだから早く自立したい。
苦しくない時に付き合いたい。
それが無理なら1人にならない場所へ。
私は寂しい人だから。弱くて何もない人。
だからどんな人生を送るかなんて想像
しているんだよね、いつも。
そうなるかはわからないよ。でもおそらく
頼れないね。私は頼ることが悪で、上手く
やりくりして生きる勇気もない。
前はそれをしようとしていたけど、私は
耐えきれなかった。そう、それをしていて
より肯定できなくなったんだよ。自分を。
やっぱり私普通が欲しかったな。

瑞樹
信じられなくなった人の温もりを感じる。
都合よく自己を肯定してくれる言葉は、
確かに自分を救ってくれるよね。
けれど、それだけだ。
気持ちを救ってくれたからと言って、何か
私が変わるかと言われたらそうじゃない。
動けなくなった私を、誰かが救うわけでは
ないのだから。
そうやって何度も何度も繰り返してきたの。
私はいつの間にこんな場所まで来たのかな。
幼すぎてびっくりだよ。むしろよくここまで
子供として生きてこれたなあって。
綺麗事がいまだに好きなんだよ。綺麗事の
醜さを思い知ったにも関わらずそれしか
自分を救ってくれないからって、何もない
空っぽな幻想に縋ってる。
みんながいろんなアーティストを推すのと
同じようにね、私は言葉を推してると思う。
でもきっともっと歪だった。人を理解しない
からこそ、表面の言葉でしか人を判断しない
私では、言葉を推してると言うことすら失礼
に当たるような気がする。
私は何をしようにも、もう天井が近くにある。
だって褒めてもらいたいとか、私今とっても
素敵だとか、思うことすら辛くて仕方ないの。
せっかく飛ばしてくれたのに、そのままでいる
のが嫌だから手伝って欲しかったのに。
私は、籠の中から飛び出せない。だって私が
飛び出しても、世界は何も変わらない。
それでも本当に生きたいって言えるの?
何も成し遂げない、何にもなれない、
どこにも自分を肯定したいと思えるところが
なくて、肯定するのも嫌で。
そんな人生、初めからなかった方が私には
よかったのかもしれない。
「生きるためにその選択をした」
彼のようにそう思えたらよかった。ずっと
ずっと思っていたのはそんなことばかり。
努力ってどうしたらできるの。だって
突っ走ることしかしてこなかった。
考えて走ったら、置いて行かれてしまった。
嘘をつくことばかりするようになった。
分かったような口を聞かないで。分かった
から私を理解したから何なの。だからって
一体君に私の何が変えられるって言うの。
そう、もはや心の底ですら拒絶していて。
誰にも救ってもらおうとすらしなくて。
感情なんて面倒なものがなければ。
私の人生はきっともっとつまらなく、
そして今よりは穏やかにいただろう。
機械になりたいな。誰かの迷惑にも善
にもならないただ回り続ける機械になりたい
それすらも苦しいと、感情しかない私は
言うけれど

瑞樹
私は1人では立てないけれど、生きるために
他人を利用するのが何より醜くて辛かった。
誰もがそれでも、1人で立てないなら仕方ない
じゃない、と言う。そうだね、きっとそうだ。
じゃあ、一体。どうしろと言うんだ。
そうでしか生きられないのなら、それは
もはや死んでいるようなものじゃないか。
知っている、それでも生きてるって分かって
いるんだよそれでも。でも、こんな人間は
生きていてはいけないの。
もう嫌なの。当たり前なんだよみんな
苦しいことも隠して生きているんだから。
それでも無理だったの。だからまた、
拙い学習ばかりを積み重ねていく。
こんなことに意味があるのかと問いながら
それでも学ぶときの虚しさを、一体どう
感じれば良いのだろう。
あの人のように答えのわかる人生だった
のならば少しは生きたいと思えただろうか。

瑞樹
ルッキズムがなかったら他人がいなかったら
私は今頃死んでると思う。
いつまでも甘さの抜けない自分を、甘さを
乗り越えた人々が道すがら助けてくれて
いただけ。
とても苦しいなと思う。
一体どれだけの人を私は犠牲にしてきた
んだろうな。その苦しさに耐えきれなくて
私は今もここにいる。ネットに出会ったのは
いつだったかな。自分なんてなくても良い
からこそここにいて、取り繕って少しだけ
息ができるような気がした。
でもネットなんて本当はない方がよかった。
私はいつまでも救わない。自分を救わなく
なってしまったから。こんなものに縋った
私が1番悪い。

瑞樹
その中で感情が動いたことだけには驚くほど
記憶がある。それはけれど、欠けたものの
おかげでマイナスが強くて何だか寂しい。
知識は毒だと思っていた。
知ったかぶりをすることがどんなに愚かで
嫌なことだろうと思って、私自身が表面に
ばかり目が行くからどうせ学んでもそう
やって偏見まみれになるだろうって、
投げ出してきた。でも今なら思う。
それはきっと逃げてしまったのだ。
いま、本を一冊読むだけでも分かる。
ああこれは、基礎の知識がある前提で
話をされているのだ、と。私がこの素敵な
本からいくら吸収しようとしたとしても、
記憶として入るのも、学びを自分で解釈
して活かすのも、どれも弱々しいのだと。
ああ私は今まで何をしてきたのだろうと、
己を恥じた。けれど止まることはできない。
したくない。もう置いていかれたくない。
いつのまにか差は開いてしまったけれど、
それでも私はまだ生きていて。生きては
いけないほど浅ましく、人に対して思いやり
が何なのか答えも出せない愚か者だけど、
仮説を立てる面白さだけでも知りたくて。
だからまだ、素早く流れすぎる世界の
眩しさに憧れてしまう。苦しさの先を私は
知りたい。楽に生きる事がいい人生だった
なんて私は言いたくない。まだ死ねない。
何も返せてない。誰かに生かしてもらった
この命を粗末に扱う勇気なんてない。
たとえこの遅れが、孤独をもたらしてしまう
としても、まだ間に合うって信じたい。

瑞樹
人として変わっていくのが怖いよ。
いろんな場面があるよね。決断しなきゃ
いけない時が来るの。毎回逃げることなんて
できやしないのに、どうしていつもこの足は
すくんで動かないのかな。
恋も愛も私にはすぎたもので、いつも遠くで
見つめているくらいがちょうどよくて、
ほんの少しもらうくらいで充分で。
けれどそれではだめなんだよね。
死っていう根本的な恐怖があって、私たちは
それに抗うこともできずに消えていくことが
決まっている。その時、私なら、誰かのせい
にし続けた人生なんて嫌だなって思う。
誰のせいにもできなかった。せめてそう
言いたい。願うなら、誰かのために生きたい
と思えたって、自分を生きたってそう言う
ことができたらいいのにって思うよ。
何にも縛られたくなんてなかった人生なのに
自分は自分を縛ることを望んでいた。
おかしいな、ほんと、おかしいなあ。

瑞樹
いつも正座のしすぎで痺れた足みたいな感覚
を見つけるんだ。頭の中で何となく想像して
いたけれど形のなかったものが、少しの不快感
と心地良さの入り混じった実感によって初めて
知ったような気分になるから。
本当はみんな心のどこかで分かっていると
私は思う。見ないふりをしているか、はたまた
あるのは分かっているけれど見つめる距離が
難しくてよく見えないか、そんな感じがする。

瑞樹
それを、こんなにも寂しいと思えたのは実際
ほんとうに初めてだった。寂しい。怖いより
寂しいが勝った。人って本当に不思議だな。
ずっと迷ってきたのに、ずっと苦しんできた
のに、初めから生き方が決まっていたかの
ように進みたいところへちゃんと向かって
いるのだから。けれどその過程には必ず人
の存在があって、どう足掻こうと感謝以上に
この気持ちを表せる言葉がないように感じる
君に本心からの感謝を伝えられることが、
何より嬉しい。私はいつだって感謝を忘れ
貰うだけの人生だったから。貰ったことに
罪悪感を感じるというあまりに不誠実な
対応ばかりしてきたから。あなたにまで
そうなってしまうんじゃないかって、そう
思っていたの。だから、よかったなあ。
さみしいまでおもえてよかったなあ。
なんだかお兄ちゃんみたい。君は、そう。
やっぱり君は下の兄弟がいる人だね。
受け止めてくれてありがとう。本気で
向き合ってくれて、答えを尋ねてくれて
ありがとう。そして、ごめんなさい。
貴方に何かを返したいのに、今の私は
やっぱりまだ、本当の意味で大切を返す
ことができないと知っている。
貴方の想いを未来に繋げるくらいしか、
私は誠実な返し方を知らない。
どうか許してください。それでも貴方が
してくれた「善」が何より救いでした。
ほんとうにありがとう。

瑞樹
やりくりして耐えればいい。
けれど人間性や能力をつけるにはその時間の
中で考えたり行動したりして「体験」をして
いかなければならない。
人生において愚かであるのは、そこで本当に
何もしていないこと。怠惰が愚かだと言われ
ることがあるのはそういう類の話だと思う。
私は、行動の面も思考の面も中途半端に
生きてきた。真面目に生きてきたと言えば
そうであろうが効率的ではきっとなかった。
それが今、私がここに立ち止まっている理由
でもある。
個人差は年を重ねるにつれて顕著になる。
着実に自分を積み立てていった人間に
私は敵わない。問題解決を避けた人は小さな
絶望にいつか押しつぶされるのだろう。
私も、いつかそうなるのだろうか。
今のように取り繕うことすらできずに、
抗う気力も無くして他人に縋って生きる
のだろうか。
それはとても、とても恐ろしくて悍ましいね

瑞樹
けれどね、それを全てだと思わない方が
いいと思うんだ、わたし。
確かに人の命に優劣はつけられないよ。
表面的なものだけでは測れないから。
ただ、そう。人は優劣じゃなくて感情や
考えで人を「優先」して、判断するの。
自分にとって利益のある人間か、今後も
付き合っていく存在か。そうやって誰もが
無意識のうちに選択する。母数が多い方を
単純に見て、それが優秀な人であることが
多かっただけ。選ばれないのは劣っている
からではなくて、その人が誰かにとって
「優先すべき人」でなかっただけなんだ。

瑞樹
「君はまだ俺のことを何も知らないし」
君は私にそう言った。確かに、とそう思う。
ある程度の生い立ちのこと、今していること、
情報はいくらかもらったけれど、私は君の感覚
というか思想を、いまだに掴めないままでいる
否、それは君を知るのが怖いからとも言える
のだが、一旦そこは置いておくとして
君とはどんな存在なのか、私は考える。
神様?狂人?「ギフテッド」?
出てきた言葉はどれも名称で、君自身を指す
ものではない。なら、実際の君は一体どんな
姿をしているのだろう。ふと、気になった
君の人間としての部分はどんな姿をして
いたっけ。ああ、そういえば、君はとても
飽き性なんだよね。その日にやろうとしても
次の日には興味を無くすような、そんな姿を
目撃したことがある。好奇心が長く続かない
ことと似ているから、きっとそんな感じかな
それから、君は結構皮肉屋なんだよね。
人をいじるのがとても好きな感じだった。
動画のリールを見る時、一つ一つに君は
茶々を入れては無邪気に笑う。不思議と
悪意は感じられないのに、確かな嫌味が
入っているのが、どこか知性を感じたっけ
あとは、なんだろう。ああ、意外にも君は
寂しがりやっぽいよね。人を嫌いというが
内側に入れた人間にはだる絡みというか、
頭を空っぽにしたようなただの接触を連発
しようとする。頭は1番いいだろうに、君が
どこか末っ子のように見えるのは、きっと
そういうところがあるからなのかな
表面で見える性格のようなところはそんな
感じかも。
まあけど、なんでいうのかな。もちろんそれ
だけで済むことはなくて。
時々君に真面目な相談をしている時、普段とは
違う君の思想に触れることがある。ここを憶測
で深掘りするのは怖いけれど、少しだけ
君は、どこかに強い恐れと自己防衛があるん
じゃないかと私は思ってる。なんだろう、
自分が傷つくことに君は怯えているような気が
するんだよね。しかもおそらく対人に関して。
確信はもちろんないけれど、考える事が生きる
目的である君が理解をしない部分が存在する。
それが「人となり」だ。
関心がないと言いながら、君は人をよく見て
覚えて、勝手に入ってくる情報を頭に残す。
にも関わらず、人が理解できないと君は
いうのである。
なんとなく、違和感を感じている。
おそらく周りから見ても君は人に対して
そこまで反応を示していないように見える
だろう。けれどどこか、君は人に踏み込んで
欲しくないが故に人を必要以上に理解しよう
としないよう線引きしているようにわたしは
感じる。残念ながら根拠はなく、わたしの感覚
そのものだけれど。
君は一体何を隠してるんだろう。
気づいていないのかな。気づかないフリを
してるだけなのかな。

瑞樹
変わらない。私はそれをよく知っている。
だって1番偽善的だったのは、許せないほど
性格が腐っていたのは、私だったのだから。

瑞樹

瑞樹
君と話す機会はもうないと、そう思って
いたのに。私はまた君と話していた。
まあ、たまたまの偶然で。結局、そこに
君がいたからだけど。
君はどこか疲れていた。一回しか会った
こともないのに言うことではないけど珍しい
と思った。わからないまま、君は語り始める。
君は、いろいろなものを知りすぎたことを
後悔していると言った。世の中が無に
なっていくみたいだと。誰にも自分の内面や
外面を触られたくないのだと。
私は、少しだけ悲しかった。君が化け物を
頭に飼いながらも人間であろうとしてより
苦しくなったのが、まるで望んでこうやって
生まれたわけではないと叫んでいるようで。
君は自分が愚かであることも知っている。
私たちはどうやら本当に真逆なのに、なぜか
行き着く先は似ていたみたい。
その過程には天と地のような差があるけれど
君の言葉は前よりも、私に届くような気が
した。
君はどうしたって人間だから。参っている時
人間らしくなる君が、あまりにも近くにいる
ような気がしてならなかった。
私はそれでも、いやだからこそ君が羨ましい。
そう伝えるとそれは言わないほうがいいと
強く伝えられたけど。
君に問われて考えた。私は君に何を求めて
いるのかって、そう聞かれて、考えた。
そして思った。きっとね、私は自分には
決して再現できないものが知りたいのだと。
だから君と話すのだと、そう思った。

瑞樹
無害で、あたたかくて、だれもが
ほっとできるような、そんな人になりたい。
