「どうして俺が特別であってはいけないんだ。誰が決めた。」 ───成瀬将虎元私立探偵ということで、ミステリ系かな?と思って手に取ったこの本でしたが、推理要素もそんなに多くなく、蓬莱倶楽部というあるひとつの企業を巡るいざこざにずっと巻き込まれていく、というストーリー。最後の最後の種明かしを楽しむために1冊を読んでいくような感じでしょうか。こちらの作品、ネットに転がっているレビューを見てみても賛否両論といったところでしたが個人的には最後のところはすごい好きでしたね。小説(特にミステリ)を読んでいて最後の種明かしで思考停止させられるようなどんでん返し系が好きだというのもあってか自分にはとても刺さりました。あといちばん言及したいのはタイトル『葉桜の季節に君を想うということ』ですね。こちら一目見ただけではなんだ恋愛系か?と思わされる(実際それ系の話も触れられはする)のですが、特に深く物語に関わってくることもなく、ただ間違いなくこの作品の根幹に根付いているんですよね。全てを読み終えたあとでその真意に気づくとまぁ、なんとも言えない感慨に襲われました。ネタバレを避けたいのであまり深くは触れませんが、これから先の人生を無為にして生きたくはないなぁと思わされましたね。今ある幸せを噛み締めながら、なんていうとありきたりですが、それでも今を大切に、そう思えるような。
自分は、なにか人より優れているところがあるわけでもないし、ましてや完璧な人間なんかでは決してない。だから、一体自分は何をしているんだろうかとか、何をして生きていくんだろうかとか、そういう、答えのない無意味な疑問を抱くことが往々にしてある。そしてその度にまた自分を見失って、こんなはずじゃなかったのにな、なんてどこにもあるはずのない正解を探してしまう。でもそれが無駄なことだとか、間違ったことだとは思わない。生きていく過程で、不満を飲み込む過程で避けては通れないものだと思っているし、そうやって自分は悪くないんだなんて思い込むことでどうにか正気を保っている。そうはいってもどうしても、受け入れられないことだとか、自信が失われるようなことが目の前に立ち塞がって、今まで必死に積み重ねてきたものとか、どうにか押さえ込んでいたものとか、そういったものをすべて台無しにしてしまいたくなることがある。どれだけ努力しても届かないこともあれば、あとほんの少し、手を伸ばすことができたら届いたかもしれなかったこともある。あるいはいつかは届くかもしれない。でもそうやって答えのない問いを追い求め続けること自体疲れることで、どうしても逃げたくなるんだよな。完璧であろうとは思わないし、そうあれるとも思わないけれど、どうしても理想ばかりが邪魔して、何もなし得ない自分が情けなくなるんだ
昔から、自分の中にずっと根拠のない確信があって。人生どうにかなるだろう、きっと全部上手くいくなんて気楽に考えてる自分がいて。さも自分が万能のような、あるいは優秀なような。そんな錯覚をしている人格が、自分の精神の奥深くに強く根付いている。それは時に慢心を生み、そして時に安心を生む。対極的なその作用の中で恩恵と損害を受けながら、どうにも哀れなその勘違いを訂正する気にもなれず、こうして今まで連れ添ってきた。けれど最近、よく思う。なんとかなる、じゃだめなんだ。なんとかしなきゃ、なんにもならない。現実っていうのは残酷で、何もしない者には何も与えないし、何かを行動したとて得られるものは成果か虚無かは定かではない。自分の意思から起こした行動がどう影響するかも分からずに、自分が主観のはずなのに、世界は全く自分の制御下には置かれていない。どんな行動をしても、たった一人の人間が世界に及ぼせる影響なんてものはほんのささいなもので、あるいは行動をしたところで何も変わらないのかもしれない。そう考えると人生そのものが酷くちんけなものに思えてきて、頑張る理由とか、明日を迎える理由とか、そういう大義がするりと指の間をすり抜けてゆく。それでもどんなに辛くても明日は勝手にやってきて、こっちの事情なんて全く考慮なんてしてくれやしない。不条理で、理不尽で、なんにも思い通りにならなくて。それでもどこか、確信してる。だって、絶対いつか報われる。気持ちひとつで、なんとでもなる。そう思えるから、頑張れる。頑張ってみようって思ってみる。結局多分また中途半端で終わるし、何か夢が打ち砕かれるようなことになるかもしれない。ようやく現実を突きつけられることになるかもしれない。それでも大丈夫。明日は勝手にやってくる。否応なく前を向かされる。過去は振り返るだけでいい。思い出は浸るだけでいい。そこに何も残す必要はない。明日はやってくるが、過去は過ぎ去っていくだけだ。
「ビリヤニ食べに行こう 思わず 言った言葉 SNSで昨日知った情報」「僕もまだ 食べたことないんだ 美味しいって噂らしいけど」やっぱり初見のインパクトが強すぎたし歌詞についても色々と言われてますが、この前無事に初披露もできてその時ほんのりこの曲が理解できた気がしたので書きます上記の歌詞ってたぶん主人公が好きな子に言ったセリフですよね。いつものメンバーで遊んでて、その帰り道2人になって、どうにか今の関係を変えたくて誘ってみたいけどおあつらえ向きな口実も何もなくて、そうやって考えてたら無意識のうちに、自分もそんなに詳しくもないけど相手が思わず食いつきそうな聞き馴染みのない言葉が飛び出した。相手の子は少し変わった子なんでしょうか、インドの炊き込みご飯だって説明したらきっと一緒に行ってくれると思ったんでしょうね。だから昨日SNSから得た情報だったとしても、まだ自分でも食べたことがなかったものだとしても誘う勇気が出たんじゃないでしょうかそうやって誘いたいけど誘えない、という悩みに苛まれてなんでもいいから誘っちゃえ!っていう感じなんですかね。なんだ案外大胆なのか、なんて思っても実はそうじゃなくて、先に自分で食べないと、とか蘊蓄たれてみたいな、なんて考えるいじらしさも見せています。そういう不器用さもなんだかいいですよね。いきなりビリヤニ食べに行こう、なんて誘われたら『ビリヤニってなんだ.......?』ってずっと考えちゃいますもんね。それほどまでにインパクトが強いし、現に自分もこの楽曲のタイトルが発表されたときはずっとビリヤニについて考えてました。そういう効果まで狙ってたんなら脱帽物ですが、それはさすがに考えすぎというものですね#乃木坂46 #ビリヤニ
「努力は必ず報われる」なんて口にできるのは努力をしてそれが報われた人だけだし「結果じゃなく過程に意味がある」なんて豪語して説得力があるのは結果を得た人だけ『死人に口なし』なんてのはよく言ったものですが、実際人生の途中で夢敗れた死人たちは恨みつらみを吐き出すこと以外には許されていることなどないのでしょうね何も努力は無駄だとか、どうせ失敗するんだしとか、ネガティブなことが言いたいわけではないですが、見返りの確証のない努力というのはただひたすらに辛くて、怖くて、孤独で。将来が暗闇に包まれていて1寸先も見えないような状況の中で、手探りに必死にもがきながらこうして運命に抗おうとすることに意味なんてあるのだろうか、なんてふと考えてしまいます何かがしたいわけじゃないし、大それた夢なんて叶うわけなんてないのに、まるで使命感に駆られるように胸の内から湧き上がってくる所在の分からない焦燥感に駆られて、自分を誤魔化す為だけに何かをした気になっているそれが自分の弱さだし、あるいは強さなのかもしれない真っ当に向き合ったらきっと折れてしまうからだから結果のわかりきったエンドロールでも、必死に目を逸らしながらそれでもなお席に座り続けるせめて何かしらのほんの少しの希望を見ようと手を伸ばしてみるきっとどこかで希望の風が吹いている気がして、なんの確信もないままに足掻いてるそれだけじゃ周りの視線なんて何にも変わらないってわかってるけど、それでも自分に言い訳するように、どうにか踏ん張って本気になりきれないままで中途半端に夢を語ってみる「逃げたら楽なんだよ」なんて何度も囁いてくるやつがいるけれど、それでも「そんなんでいいのかよ」って向き合ってくれるやつがいる自分はその声に報いるべきなのかは分かりませんが、ほんの少し、もう一度だけ、夢を見てみようと思います
『裸足になってどうするつもり? そのままどこかへ歩いていくの? ねぇ何をしたいんだ?』『だからその道が荊だと知りつつも 裸足で歩いて自由を見つけてみたくなった』今更ながらに語ります。自分が乃木坂46を推し始めた時期的に、アイドルだった絶対的エースを知らないんですけど、それでも今なお乃木坂ファンの心を占め続け、彼女に憧れてアイドルを志す人もいるらしいという話を聞き、偶像だった時の齋藤飛鳥さんを見てみたかったなぁと思うばかりなのですが、思い出が褪せることなく輝かしいのと同様に楽曲もまた朽ちることなく奏でられ続けます。そうした中で心に染み付いて離れなかったのが「ここにはないもの」でした。初めて聴いた時はこれが齋藤飛鳥さんの卒業シングルなんてことは知らなかったんですが、その事実を知った後に歌詞を見てみれば浅いファンなりに言いようのない感動のようなものを覚える部分がありまして、それが上記の歌詞なんですが、どうやら「裸足でSummer」が初センターらしく、卒業シングルでそのアンサーソング的な歌詞が織り込まれていることがなんというかグループからの愛を感じて爆発しそうになりました。MVの最後の置き手紙が『ありがとう』とか『さようなら』とかじゃなく『いってきます』なのも本当にいいですよね。しかもそれを受け取るの山下美月さんと遠藤さくらさんっていう。グループの全てを初めからずっと見続けて、同期がどんどんと卒業していって見送る側だったのが、今までのその全てを託すように気心の知れた後輩と娘に手紙を残す。本人の決意とか、思いとか。そんなのがめちゃめちゃに詰まったMVだったと思います#乃木坂46 #ここにはないもの #齋藤飛鳥
いつだったか、小学校の頃の担任の先生が好きだと言っていたことを思い出して今更ながらに観てみました。「思ってるだけじゃ伝わらない」これは古くから色々な作品で取り扱われてきたテーマでしたが、1番深く、より端的にそれを表現したのがこの映画なのではないでしょうか。言葉が人を傷つけるから固い殻に閉じ込めて言いたいことも言わないでおけば、誰かを傷つけることはなくなる。過去の失敗から学ぶことができることが人間が人間たる所以ではありますが、その学習も、方法を間違えてしまえば全く見当違いな結果を生み出すことになります。ほんの少し、ネタバレをさせてもらいます。最後のミュージカルのシーン。成瀬が遅れてやってきて、本来とは違った形で幕を下ろす。これ見てる途中、もっと具体的にいえば成瀬がいなくなってミュージカルがどんどんと進んでいくシーンで、『なんでこんな展開にしたんだろう』ってずっと思ってたんですよ。自分は創作物は元々そういう世界観でやってきた作品以外はもれなく全てハッピーエンドで終えてほしい派なので、ミュージカルが大成功→お母さんと成瀬が仲直り→坂上くんに告白して終わりみたいな結末になるんだろうなって思ってんですけど見終わってこうやって感想を書いてて、あのシーンはああじゃないと意味がなかったかもしれないなって思ったんです。というのも、あそこで成瀬が演じたのって「少女の心の声」なわけですよ。ずっとずっと心に硬い殻を作って、思ってること、言いたいことに蓋をして隠し続けた少女が自分を元にして作った物語で、最後のクライマックスのシーン。今までの全てをぶちまけるように心の奥底からの叫びを誰かに届けようとする。そういうシーンなわけですよ。つまりは成瀬が初めて本当の意味で心の声を口に出すんですよね。言葉で説明するのは難しいんですけど、成瀬が心の声を演じることで、ようやく成瀬が心のままに言葉を言えるようになったことを表現してるじゃないかなと、そう思うわけです。そうして考えてみると、やっぱりタイトルの秀逸さに驚かされますよね。『心が叫びたがってるんだ』こんなタイトル自分の一生を使っても考えつくことができない気がします。どこか他人事というか、まるで心が自分の制御下にないみたいな、自分の一部じゃないみたいな。それほどまでに心が独立して先行して、この溢れ出る気持ちをどうにかして君に伝えようとしてる。すばらしいですね。結局、成瀬を迎えに来たのは思い描いた王子様ではなく玉子だったわけなんですけれどもね。あとこれは完全に個人的な好みですけど、やっぱり『今、話したい誰かがいる』がとてもよかったです。結局それを聞きたいがためにこの映画見たまであります。けど映画もめちゃめちゃ面白かったです。
「切なくて 甘酸っぱい 香りが誘うんだ」「この香りに惹かれ どこかで君が気づいてくれたなら あの頃を語り合おう」ネーブルオレンジって基本的に失恋ソングだと思ってて、過去の失恋をずっと引きずってる感じですよね。その失恋を『切なくて甘酸っぱい香り』と表現してて、『柑橘の青春』だったわけです。君が住んでいるらしい街の駅の改札を抜けて、あてもなくただ一つ握りしめてきたネーブルオレンジを持って彷徨いながら、君が『この香り』に惹かれてやってくることを願う。『この香り』っていうのは最初にも出てきた失恋のことで、たぶんあの頃には叶わなかった恋心ではあったけれども、君も同じ気持ちを抱えていて、抱えたままで生きてきて『切なくて甘酸っぱい香り』を知っているのなら、あの頃をやり直すように2人になりたい、とそういう曲なんでしょうか人は嗅覚がもっとも記憶に残りやすいらしいですから、未だ色褪せずにあの頃の香りを本能で求めてしまう、なんていうのもロマンチックでいいですよね。#乃木坂46 #ネーブルオレンジ
じゃあ例えば、今よりほんのちょっとだけ社交的だったとして。今よりほんのちょっとだけ人と話すのが得意だったとして。今よりほんのちょっとだけ人の目を見ることができたとして。だとしたら、この人生は何か変わってたんだろうか?きっと変わってたんだろうね、もっと楽だったんだろうね。でも、案外今の自分も別に嫌いではなくて。あぁ、また同じことの繰り返しか、なんて涙でぐちゃぐちゃになってる自分を恥ずかしく思えなくて。今まで経験したことの何か一つでも欠けてたら今の自分にはなれなかったんだって思ったら、なんだか今の自分を素直に愛せるような気がする。大切に思えるような気がする。後悔が何も無いわけじゃないし、やり直したいと思うことだって尽きないけれど、でも、それも全部ひっくるめて自分なんだから、こうやってすぐ浸っちゃう自分も、それを客観的に見て恥ずかしく思う自分も、全部愛してこそだと思う
今までアイドルらしいアイドルにハマることはなかったんですけど、今絶賛乃木坂46にハマってまして、「乃木坂工事中」がYouTubeで配信されてるのでずっと見てますちなみに元々ある一人のメンバーのことを単推ししてたんですが、少し前にセンターを務めたらしくその楽曲を聞いて、first takeのやつも聞いて、そしたらなんか箱推しになってました(?)もっとはやく出会えてたらなぁ、とか思うんですけど、なんやかんや今がベストタイミングのような気もします
自分某青い鳥SNSとかやってても定期的な絡みとかめんどくさくて投稿にリプ残したりするのほとんどやらなくて、向こうから反応してくれる人じゃないと長い間繋がってられなかったから、グラの何とかノックとか流れ星?とかいうシステムがすごく気楽で好き。
サブスクで配信されてたので今更ながらに見てきました。アイドルなんていうのは自分みたいな凡人からしてみれば想像すらできないような本当に雲の上の存在でさそがしキラキラしていて、それでいて強くて美しいんだ、なんて思ってたんですだからこの映画の前半でトントン拍子で話が進んでいくような展開があまり好きではなくてなんだ、結局才能じゃんとか、環境がよかっただけじゃないのって、そんなふうに思ってたんですが原作を読んでいないので詳しいところまで推測するのは難しいのですが、おそらくこの作品って一般的に考えられてるアイドルのイメージ、例えばさっき自分が挙げたようなことの裏側に潜む苦悩だとか汚れた部分だとか、そういうのに焦点を当ててるんじゃないでしょうかよくも悪くも才能でしか生きていけない業界なんじゃないですかね、アイドルって歌が上手ければ売れるし、顔がよければ売れるし、愛嬌があるのもある種才能ですもんねただ絶対にアイドルになりたいと願う主人公と、ただ流れに身を任せるだけの周囲との温度差とか、アイドル活動に向ける熱意とか、そういうのがどんどんと浮き彫りになっていって、特に響いたのが「近くの人を笑顔にできない人が........」ってセリフですほんと深いですよねアイドルなんていうのは数え切れないほどの人数を相手にしてるわけで多くの人を笑顔にしたいと願えば願うほど近くの人たちを疎かにしてしまうそうして挫折してしまうこともある業界とは思うんですが、結局伝えたいことって最後のシーンに全部詰まってましたよね「夢を叶えることの嬉しさは夢を叶えた人にしかわからない」的なやつ。夢を語ることは誰にだってできますが、それを実現させることができる人は一体どれだけいるのでしょうか何があっても諦めなければ、偶然でもたまたまでも運がよかっただけでも案外なんとかなる。そういうことが伝えたかったんじゃないでしょうか原作も読みたくなりましたねカットされているシーンも多いでしょうから、『トラペジウム』を語るにはまだ早い気がしますところで余談ですが、この「トラペジウム」というのは数学だったり天文分野で使われる用語らしく、意味は「どの2辺も平行でない四角形」、いわゆる「不等辺四角形」という意味だそうで、逆に言えば「すべての辺が交わる四角形」ということですね。エモい。どれだけ4点が離れていようと、最後まで最後まで辺を伸ばせば必ずどこかで交わるようにできている。「信じていたものが信じてたような形してないと気づいた時も」
何するのが正解なんだろうね自分の夢だとか大人になったらやりたいことだとか、そういうのは思い描けてるけど、それでもそれをするにはまず大学に行かなきゃいけない。でも別にどこの大学でもよくて、適当に入れそうなとこ入って適当に4年間過ごして、それで卒業したらやりたいことします、でも悪くないんだけどねそれでも変なプライドに邪魔されて、自分はもっとできるんだなんて自惚れてわざわざしんどい道を選んでる険しい山道を歩くことはとても大変だけど、綺麗に整備されたコンクリートの上を歩くだけじゃつまらない
授業時間たりないからってプリントと答えだけ渡して、それ全部埋めとけとだけ言って授業内では扱わないけどゴリゴリテストに出しますってそれ不労所得と一緒だからなまじで自称進は決められた時間内に日本史の範囲終わらしちゃだめって法律でもあるんかね