
デイク
真面目、いい人と思われるくらいなら、ちっぽけで糞みたいな存在で居たい。いい人なんて居ないんだよ。ふりをしているだけ。
僕がここにいる意味
この世が存在する意味
この世のはじまりと向かう先
この世の結末
これらを全て知りたい

デイク

デイク
一つもわからなくていい。
何か互いが感じるものがあるならそれでいい。
友に求めるのはそれだけ。

デイク
ありふれた存在を縛り付ける呪い。

デイク
でも人に当たっても何も解決しない。
そんなことする暇あったら、自分にできること、協力をあおげることがないか、良い方法はないか模索しよう。視野を広く持て。しっかりしろ、俺。

デイク

デイク

デイク
特色が集まったものに名前をつけて、境界線を引いているだけなのだとしたら、死ぬも生きるも本当はないのかも知れない。
生きているという錯覚で死ぬという錯覚で、すべてはただの延長線で断続的に続いていて終わりがない永遠。僕は僕であり僕でない。
世界はただ流れているだけ、僕はただ流れているだけ。ただいくつかを繋ぎ止めて流れることができる方向が制限されているだけ。世界もきっとそうやってできてる。流れと流れにくさ。でも大まかには流れている。

デイク
いきなり吸収はできない
焦らない、きちんと自分の糧にする

デイク
言葉はあくまで指標。
思考もあくまで指標。
事はただ起きる。
見て、聞いて、考えて、やってを繰り返す。
向き合う。
思い描かずに向き合う。

デイク

デイク
世界の進むスピードが速すぎる。資料も、自分の観測結果も刻々とかわる世界についていけない。
ほぼだいたいあってるで進めるしかない。ある過去データで傾向が程度見えたら、大枠を決め、曖昧なまま、予想外の事象を適宜誤差修正しながら進めなければならない。
理想通りにいかない。まったくもって理想通りにいかない。

デイク
すべて真実できている。
見えていないだけ。
ゆっくり観察する時間を持たないだけ。
見ろ、見ろ、見ろ。

デイク

デイク
実際は愛されることなどさして求めてなくただ思い通りになって欲しいだけ。でも具体的にどう思い通りになればいいとかも実はない。
結局あるのは突き詰めに突き詰めると最後にあるのはこの世界への困惑。なにをどうしたらいいか、どう向き合えばいいかずっとずっとわからない。何度言葉にしても、何度なにかで試してもずっとずっとわからない。
その答えが、その答えさえあれば。いや答えはとうにある。答えが無いのが答え。いや答えはあるけどこれっていう正解はその時その時で変わる。
でも受け入れたく無い。受け入れられない。明確な、確かな何かを求めてしまう自分がここにいる。

デイク
この世に生まれたから。
ソレと関わってしまったから。
知ってしまったから。
思い浮かんでしまったから。
僕はソレをやらざるを得ない。

デイク
やってしまう。繰り返してしまう。許せるとか許せないとか、良いとか悪いとか、無関係にまるで鼻で嘲って笑うかのようにとある段階まで達すると堰を軽々しく切ってやってしまう。
出来るのにやらない、やめるという選択肢の難しさ。他のことなら手間と思うこともいとも簡単に成し遂げてしまう。自制する難しさ。

デイク
友がいないとか、家族がいないとか、恋人がいないからとかでもない。
むしろ生きていて1人になることはできない。にもかかわらず誰ともわかりあえた気がしない、そんな孤独。
目の前に似た姿の何者かがいるから、ひょっとしたら自分と同じなんじゃないかという愚かな錯覚。
人は生まれながらにして孤独。使い古された言葉。わかっているのにズキズキする。

デイク

デイク

デイク
頭ではこういうものは巡り合わせとか、学びの機会だとか切り替えよう切り替えようとするのだが、一体何が学べたのかすら振り返ってもわからない。
前より堂々としてたとしても間違った方に進んでる気もしなくはない。それでも進むしかない。そして来たチャンスに食らいつくしかない。

デイク

デイク

デイク
得られる者と得られない者。
死する者。病。
恐怖。悲しみ。妬み。
奪い合い。
害を与えるものの排除。
管理。
秩序。
秩序を乱すもの=悪。
善悪。
目に見えない支配。
善による善に当てはまらぬ者の排除。
悪の心を癒す娯楽。
娯楽と判別できず逸脱する悪。
悪を叩く悪。
支配を強める善。

デイク
しかしそうやって断ってきたはずのものは徐々にこの身に取り憑いて進ませまいと肩にずっしりのしかかってくる。それでいいのかと。我々を犠牲にしてまですることがそれでいいのかと語りかけられている気がする。むろんそんなの幻想だ。だけどたまらなく苦しい。

デイク

デイク

デイク

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しかし実のところ生まれてこの方ずっとやりたい事なんてない。どちらかと言うとやりたいとか、やりたくないとか。
漠然とした願望はある。しかし現実と乖離した夢物語だから楽しいのであっていざ実現しようとするとグロいところがたくさん見えて萎える。それらに目を瞑って突き進んだこともあるがコンナハズジャナカッタ感はいつも拭えていない。かといって何もしないのは時間を無駄にしてる気がしてもっとしんどい。
もはやなにに藻搔いてるのかわからない。勝手にジタバタおぼれてるだけ。でも浮いてるだけじゃ退屈で、どこかにあるはずの楽園を探し続けている。

デイク
自由を得て満たされる為には金も権利も資格ももっと必要だけれども、この踊らされてる感がなんともいえない。資格取るのにも金、金、金、取ってからも機材とか維持費とか検査で金、金、金。この国の資格制度は技術があるかうんぬんじゃない。技術があっても無免許なら違法だし、技術があんまりでも免許があれば有資格者だ。
技術があればよくないか?なぜ資格が必要なんだ?なぜにそんなに金がかかる?なぜに国に認められなければならない?

デイク

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私有するから強欲になる。
しかし私有することはこの世の摂理。
私有が問題なのではなく、不条理を甘んじている自分が悪いのだろう。ルールだから、権利だからと、既得権益者たちのいいなりになってそれを仕方がないと割り切る自分が悪い。

デイク

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しかし、それでも今意味がある事以外にすがるものはない。これ以外の道標を僕は知らない。だから意味を問う。意味を問うていく。

デイク

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町の施設に対して活気ある人が足りないのだ。Googleマップ上は営業中でもやってない店なんてザラだ。お盆だからではない。人がいない。
人が住んでこそ町だと思い知らされる。町が人をつくるのか、人が町をつくるのか。そのどちらでもあるのか。
ただただ寂しい。悪あがきのように行われる地域再生も妙に痛々しい。町すらブランド化して商品化しなければならないなんて。
おそらく今の日本人にとってこの国土は広すぎるのだ。土地を持て余してる。そんな中の人口の奪い合い。どこまでいっても大小の競争社会だ。

デイク

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こうなったらいいなはあるけど、仮にそうなっても2年程度で飽きが来るのわかってる。この場所じゃないととか、これじゃないととか、この人じゃないととか特にないんよな。最初はどこでもそれなりに楽しめる。でも段々つまらなくなって鬱陶しくなる。
ここにいてもまだ深掘りすればまだまだ味わえるのにな。その気は生まれてこない。五体が健康で、なんとなく居場所があってなんとなく学びがあって、なんとなく実感がもてるならどこにいようがどんな生活だろうが不満はない。

デイク

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やるだけ。簡単なことなはずなのに耐えらないから止めてしまう。思えば自分の人生、いつもそうだった。耐えられそうにないとレベルを下げ、耐えられなそうなことはしてこなかった。そうやって自分を益々下へ下へ甘やかし、向上できたかもしれない機会を捨ててきた。
そのおかげでなんとか精神を保ち今日この日まで5体満足で生存できたというのはあるだろう。しかしただ生きているだけでは、もう老いるしかない。
ただ生きるだけでは意味がない。もう言い訳ができない。申し訳程度のお情けで場所を頂き生かされてるだけでは、生きた心地がするわけがない。
死ぬかやるか、やって死ぬか。やらないという選択肢を選んだらこのただ生きてるだけのループから抜け出せない。やれ。ただ生きようとするな。もうお前にはそんなに時間がない。

デイク
