KAZU
アラ米の母との暮らしに悩み中
スミマセン、ココでデトックスさせてください。
写真撮影
ドライブ
インテリア
マンガ
お酒
KAZU
いつものことだけどw
家の中にあることは確信できるんだけど、母の思考回路が理解できない
基本マジメさんなので、【大切なモノ】こそ、複雑なところにしまい込み、行方不明となるモノ多数
片耳補聴器は、とにかく小さいから、母が毎晩ちゃんと定位置に仕舞ったか、を、確認していたんだけれども
一ヶ月たってもみつからない
そのうち補聴器が無いことに慣れてきたっ!?
おともだちとの会話が噛み合わなくも、平気な母
ワタシとは意思疎通ができていると思いこんでいるので、暮らしになんの心配もない
ワタシさえ優しく対応できれば、母は満足らしい
でもワタシは困る
依存症な母の全てに答えるのは至難の業
とにかく四六時中ささいなことでも人と関わっていたい人なので、ワタシの心がもたない
なので、メーカー推奨の買い替え時期にあたってちょと悔しいけど、早くも買い換えることにした
耳鼻科の先生に進められた、両耳用に
両耳用になると、それぞれを繋ぐチェーン的なものがつけられるから、紛失も無くなるだろうし!
快調!
赤い紐で繋がれた両耳用の補聴器、母はたいそうお気に入りw
高かったけど、ヨカッタヨカッタと思っていた一週間後
まさかー
夜中に震度5弱の揺れ
さすがの母も起き出して
避難場所で必要なものを着々と準備していく
スゴイなぁ〜と感心してしまうが、
そして、一便肝心な補聴器をン忘れちゃいけないとばかりにしまい込んだー!?
ワタシはそれをみていなかった〜😣
もうわからない〜〜
おろいろ探しても出てこない〜〜
無くしたことを忘れてることも
忘れてる母〜〜
そうしてまた一ヶ月経つ
両耳用補聴器30万円
(補聴器は高いほうがぜったいいい!)、ドブに捨てたのか?
どこに仕舞い込んだんだろう?
KAZU
今夜はハンバーグ!
(業スーの冷凍だけど)
鉄分が取れるから♪と、お気に入りのスキレットで焼いてくれて、見た目もおしゃれ
レンコンとかブロッコリーとか
根菜なんかも付け合せされてて
88歳のお料理にしてはセンスいい!
でも〜薄くない?
このハンバーグ、薄くない?
焼いたら縮む肉々しいハンバーグは
わかるけど、薄くなるって?
やたらと香ばしいし
あははぁ〜
やっぱり焦がしたのか
で、コゲ部をこそげ取ったからハンバーグが薄くなって
この手の焦がしのごまかしを、子供の頃からなんど味わい、ガッカリしてきただろうか
トーストに始まり、目玉焼き、チキンレッグ、豚肉ステーキ
電子レンジがなかった時代の、フライパンで温めてくれた、唐揚げや天ぷら、前の晩の野菜炒めや焼き魚
母はいったい、どれだけの食材と期待感をこそげ落としてきたんだろう
でも
そんなのは大したことじゃないでしょとでもいうように、まるで何事も無かったかのように、『美味しいよ〜♪』といって提供する母
この前向きというかポジティブというか、くよくよしない感じ
見習ったほうがいいのか?
いや
ワタシは、失敗を引きずるのはよくないけど、母のようにすっかり忘れて能天気&無邪気になって、周りに迷惑をかけるのはもっとイヤだ
老化なのか気質なのか
腹をたてるだけムダなのかもしれないw
KAZU
隣の母宅へ朝食に行く
玄関からすでにご飯の炊けるいいにおい♪
昨夜はちゃんと炊飯セットできたんだなぁw
母さん、ありがと!
それにしても、いいにおい
新米だからって、こんなにも違うもの?
さて、お茶碗によそいましょうか
ん!?ん〜〜?
むっちり重たい
しゃもじがさっくり入らない
あぁ、またもち米を炊いたのねw
どうりで、香りもいいはずだ
でも母さん、お正月にはまだちょっと早いヨ(笑)
KAZU
母の、満面の笑みと、お疲れさんのねぎらいと、美味しいご飯あるよ♪の言葉の出迎えに、疲れも吹っ飛ぶ❤
さて、いざ!晩酌🍶
栄養バランスを考えたトマト
ワタシの好物のチーズ
お馬鹿さんの一つ覚え的な
(晩酌には)枝豆、は鉄板
そして、焼き魚(干物)
今夜も娘のために、精一杯のおもてなし
感謝しかない♪
アツアツの焼き魚からいただくー!
んー!?!?!!!?
変な味!?
まさかの、腐ってた(笑)
買ってから何日経つんだろう?
でも、母はもう、いつどこで買ったかも、思い出せない
出張前に、冷凍庫に入ってるのを確認できた干物かな?
冷蔵庫か室温に置いておいたのかな?
ワタシの帰りが遅くて冷めちゃったから、トースターで温め直したというけれど、何日前に焼いたお魚なんだろう?
うーん、母の愛、恐ろしい
ワタシはこれまでもこれからも、何を食わされるんだろう?(笑)
母の愛よりカラダのほうが大事だよね😅
KAZU
小さいとひと
弱いひと
困っているひと
には、優しくするべきだ
と、考えて、実際に行動もする
だからなのか、
子育ても
寝たきり義母の介護(10ねんも!)も
苦労だと思ったことはない
と、言っている
スバラシイ!
実にスバラシく、嬉々としてお世話をしている母は、神々しささえ感じる
でも
輝きすぎて、母自身が見えない
母の本質はどこか
本心ではなく、『人には優しくするものだ』というルールを守っているだけのように見える
性善説以外の考え方を、あえて見ていないようだ
そこからはみ出すのが怖いとでも思っているように
光が強ければ闇も濃くなる
『こうするべき』『こうあるべき』という思考にとらわれての親切なので、母のその親切はあまりにも独善的
おせっかいの度も超える
本当に相手のためになっているのか?を、考えようとはしない
どうみても、タイミングも悪いし、コトを大げさにしてお相手は恥ずかしそうだし、おっちょこちょいだからスマートな親切にはならないし
独善的なので、せっかくの母の親切は半分も喜ばれない
だけど、母は喜んでいる?
おあいそで言われた『ありがとう』を、本気で感謝されたと喜んでいる
私、今日もいい行いができた!
私、今日も良い一日を過ごせた!
だから私は素晴らしい人間でしょう?
性善説に依存しているように見える
これは母の生い立ちに関係すると思われる
KAZU
妖精化対策のお薬を追加したんだけど
やっぱり副作用かなぁ
シャッキリしっかりしているときと
ボンヤリまったりしているときの
自分自身の差にに不安があるご様子
母『補聴器を外してるのに
声が聴こえるの〜』
私『なんて、聞こえるの?』
母『〈半信半疑〉って』
おおお〜♪
不安な感情を
言語化できている母は
スゴいのかもしれない?😅
KAZU
これからはここに記録していこうかなと!
デトックスという言い訳のグチも、減らしていきたい
第一弾!
『町内会老人会のIさんがお引越しするからって、送別会に誘われたの。町内会主催だから会費ないんだって♪寂しいけど、ここまでしてくれる町内会ってスゴイよね!母さんこの町で暮らせてヨカッタ😊』
『だからIさんに記念品贈りたいんだけど、おねーちゃん選んでくれる?おねーちゃんが選んだほうが喜ばれると思うの』
ハイ、キタ!
依存&無邪気&無神経&無責任
でも私自身がとても忙しい時期だったけど
送別会はあさってというので母を連れ出す時間もなく、仕方なく私が用意して渡した
そして当日!
勇んで行ったら、日時の勘違いで即く帰宅w
やっぱりねー
で、三日後の正しい日時、そろそろ出立時刻なのに焦りまくって探しモノ
『贈り物失くしちゃった〜』
やっぱりねー2
でも贈り物覚えてただけスゴい
それに50年来のお友達に対する母の思いを叶えてあげたくて、少し遅れると町内会長さんに電話したら!?
『送別会ではないですよ〜忘年会も兼ねた老人会の集会です。そもそもIさんの引っ越しなんて聞いたこともないですが?』
やーっぱりー3
いったい、どういう回路で
Iさんの引越し&送別会になったのかな?
母のトンチンカン発想は
いつも彼女自身の良心を
満たす内容に変換されている
老人会は楽しかったらしい
報告のおしゃべりが止まらないw
ヨカッタネ
そして、贈り物のことは忘れ、とうぜんいまだ見つからず
はいはい、想定内ですよ
けれどもやっかいなことに
警戒心も強くって
しまい込んだら最後、本当にわからない、出てこないモノのなんと多いことか!
娘心も甲斐なくw
KAZU
将来の両親の介護のために、デイサービスで働いて、認知症を含めいろんなご高齢者のお世話をさせていただいてきたけれども
他人と身内の差
まさか身内が?しかも母親が認知症になるとか!?
身内に対する期待感が、こんなにも大きかったことにびっくり
そして認知症って、
モノ忘れたけじゃない、
むしろ、人格崩壊、なんだな
ますます無邪気に能天気になる母は
まだラッキーなのかも
疑りや被害妄想や攻撃性
だれしも持っている
母にその一面がみえたら
『それこそが人間らしいのだ』
と、受け流そうと思ってはいるけれども
共依存のため、母が壊れたら
私もどうなるかわからない
でも
『母には優しくしたい』
『母を安心させたい』
『母が満足な見送りをしてあげたい』
を、ぶらさずに母に対峙したい
ホントのところ苦手な人格の母だけど、
子育てに全身全霊をかけてくれていたこともわかっている
そこに、感謝したい
感謝の気持ちが伝わる介護とは
日々、試行錯誤、勉強
でもきっと伝わると信じて!
KAZU
まだまだ年相応よりはずっと元気なのだけれど
こんなにも親離れができていなかったんだなと、日々自分にガッカリする
母を、親だと思うと、腹が立つ
母を、老人だと思うと、悲しくなる
まだまだワタシは、母に母親を求めている
怒りと悲しみより、優しさを多くした
付き合いができるようになるのかな
これからも、気持ちが行ったり来たり
することもあるだろうけれど
優しさ多めに向かって
少しづつ、少ーしづつ、オトナになって
いくしかないな、ワタシ
それしかないんだな
だって母を独りにしたくないんだもん
KAZU
母は、もう母親という頼れる存在ではなく
ただの子供がえりが始まった老人なのだ
『母のいうことはききなさい』
『母親なんだから敬って』
『家族なんだから許して』
娘に精神的に依存して生きる母
子供のろから
ワタシは母の慰め役だっだ
天真爛漫で感情的な母が苦手だった
感情的といっても、怒る泣く、ではなく、明るく無邪気にはしゃいでいることが多いんんだけど、空気を読まず天真爛漫に感情を口から垂れ流しにするところが、大人げなくて嫌いだった
『子供なんだからかわいいって言ってるんでしょ!』
といって、私の失敗を笑い、話のネタにする
子供にプライとかあるなんて
まったく思いが至らない母
いままでどれだけ傷ついてきたか
いま、母と暮らしながら
その復習をしている
ワタシがされてきた過干渉をやり返す
母の失敗を『年取ったねぇ』といって笑ってやる
人前だろうと夜中だろうと
でと、それは報われることはないと、諦めがつき始めた
だって、虚しい
〈お年寄りはただただ優しくされたい(叱られたくない呆れられたくない)〉
という生き物なのだ
もう、別の生き物なのだ
悲しいことだけれど
ほぼ幼児のときに感じた母への安心感はもう得られることはない
悲しすぎることだけど
母が、わたしに対するいまでのま過ちを認識し反省謝罪してくれることは、無い
淋しい悲しい無念だ〜
それでも、明日もガマンに我慢を重ねて、どうしたら優しく母に接することできるかを、考え実行するんだろう
母とワタシと
不毛なのはどっちかな
KAZU
★無垢は劇薬
つまり、
純真無垢・天真爛漫を良しと
する人には近づいてはいけない
母のことだ
母のような
純真無垢・天真爛漫な人は
無邪気で無垢で
そして無神経である
adhdで認知症予備軍の母を
言葉に置き換えてみてなっとく
思いついたまま行動し
思ったことをそのまま口からタレ流す人
グチや悪態は、
それをグチや悪態とわかっていても止められない、というのなら可能性はある
母なのような人は
自分がグチを垂れ流したり
悪態をついているなどとは
これっぽっちも思っていない
根底にあるのは
『悪気など一切ないのだから
いつもどんなときもどんなことも
ワタシは悪くない、非はない
さらに正直で素直な自分をもっとな褒めて♪』
ということ
人を傷つけるこたは有り得ない、と
だからその言動で、
たとえどんなにワタシが傷ついても
『悪気なんてなかったから、自分は悪くない』と本気で思っている
人の気持ちが読めないadhdな母
自分が悪者になりたくない、
純真無垢でいたい母
たとえ自責を認ざるをえなくても
『ホントに母さんが言ったの?覚えてない、わからない』
と、認知症を利用
いちばん許しがたいは
『そんなことぐらいで怒るなんて、
アナタ(娘のワタシ)もおかしいんじゃない?と、人を傷つけておきながら
相手に責任を添加すること
思いついたまま無邪気に毒を吐き
罪悪感なく無垢な毒を垂れ流す
純真無垢という名の毒薬
母が、毒薬なのか?
認知症老人の常識なのか?
母はやはり、単なる認知症老人なのか?
KAZU
ADHDではなく、認知症と認めざるをえない
昨日、母に頼まれて年末のお使い物に、デパートでお菓子系購入
どんなお菓子か食べてみたいだろうと、母の分も
目論見通り、パッケージのステキさに大喜びし、『お父さん(お仏壇)にまあげよう♪』と
そしてワタシの帰宅が遅かったので
『明日、コーヒーと一緒に食べようね』
『そうだね!明日が楽しみだね♪』
と、いうところまでは認知症は認められない
ADHDもなくおだやかw
そして翌朝
お仏壇にあげたはずのお菓子がない
母に確認すると
『え〜?お母さん知らないよ』と本気で答える
探すと、開けたパッケージがゴミ箱から出てきた
『やっぱり食べたんでしょう!しかも夜更けに!!』
『え〜?お母さんが食べたのかい?』
『そんな遅い時間だったかい?ぜんぜん覚えてない』
食べたい衝動を抑えきれず
時間の概念も本能の前では吹き飛ぶ
母のカラダを気遣っているこちらの苦労も水の泡
しかも、一番おいしそうな味付けのを食べやがったw
でも認知なら仕方がない
と、ワタシも気持ちを落ち着けたら
『そんなに食べたいんだったら、また買ってきてよ♪』
と、ペロリと言う
謝罪や反省はポーズのみでココロが伝わらないどころか、ようやく落ち着けた気持ちを逆なでする
ADHDと認知症の最強ダッグ!?
こんな小さなことだけど、積み重なると腹ワタが煮えくり返るほどの激情
母と、一緒に感動したい娘心は、ワタシのわがままなのかな
KAZU
調子にのりすぎ、やっぱりプチ燃え尽き
したいことはたくさん思いつく
仕事も、家事も、遊びも
でも、実際にやろうとすると、できない
おっくう?
めんとくさい?
仕事しないと食べていけないのに
家事やらないと仕事もできないのに
カラダを動かさなきゃいけないので、尿意すら腹が立つ
気分転換?
何をしたら気持ちが変わるだろう
食べることも
読書も漫画も
snsも漫画も
ドラマもTVも
なにもなんにもしたくない
でも何かしないと時間はもたない
寝る?
でと眼をつぶると、気持ち悪い映像が浮かんでギャーッ!てなる
そもそもなにもしてないから眠くもない
だけど眼をあけていると、現実(片付かない家や仕事)が見て、不安でキャーッ!ってなる
やっぱりワタシおかしいのかな?
いや、ワタシ、自分を甘やかしすぎて、本当のナマケモノになったらしい、、、、
病院に行ってみてもいいのかな?
KAZU
元気印(adhd)の母もおちつくw
腹立たしくなるほどの言動が少なくなった
とても助かるw
でも、世間で言われているように
認知症は急激に加速する
油断はできない
ぼんやりするのも
いきなり行動するのも
母がいい気分でいてくれるなら
それでいい
《母にはしっかりしてて欲しい》
という欲望が、母のトンチンカン行動に
怒りをぶつけてしまう原因
では、
母はもうしっかり者ではないのか?
認知症の老人なのか?
そんな目線で母を見ることは罪ではないのか?
いや、現実を見よう
母の母心にはもう充分応えてきた
母が、一個人として
安心して満たされて暮らせるように
ワタシ自身の子供心をいい加減に手放そう
KAZU

KAZU
怠け病なんて病があるのか?
自営業である
働けば働くほど、利が出る
ガマンは最小限でよく
好きなことを磨き
極めていくことができる
幸せを!200%体感できる
が、
磨き極めることを、休みなく
続けなければならない
それは、常に登り道
休むためにも力が要る
もしも力を入れず休んだら
登ってきた坂道で停まることができず
転げ落ちるということである
自営業者が
力を抜かず休むとは
どういうことか?
怖い、わかりたくない
これ以上頑張れない
でも休めない
坂道の途中で止まっているだけでも
エネルギーの消費は激しい
必要最低限の仕事をこなす
(坂道の途中でとどまる)
だけで、疲労困憊
だけど、もうちょっとがんばれば
なだらかな場所(止まる力が要らない)
が見えている
あそこまで!
もうちょっと!
もうひとかんばり!!
でも、もうひとがんばりができない
もうね、伸び切ったゴムなの
現状維持(坂道の途中で停まる)だけで
いっぱいいっぱい
だけど、現状維持の力も危うい
また余力があるうちに頑張りたい
やりたいことはいっぱいある
いまから、ひとつづつでも始めたい
わかってる
やらなくちゃ!
やったほうがいい!!!
わかってるの!!!!
カラダが、ココロが動かないの
やろうと思うと
怖さと不安で吐き気かするの
でも何もしてないからって
ラッキーだなぁとも思えない
やりたいのに、できない
あのときからやっていれば、、
と、後悔がおおきい
だから早く活動したいのに!!
なんでワタシは
こんなに怠け者なんだろう
怠けてごめんなさい
なんにもできずにごめんなさい
ワタシは元来の怠け者ダメ人間なのか?
怠け病という病のせいだと
甘えてもいい?
このくらいの休みはあっていい?
ような気がする
確かに、転げ落ちてるときは
引力のせいなので
自身は何も感じず考える
必要もない
KAZU
食事も仕事も家事も、一人でこなす
あんなに、憧れたのに
いざ一人になると、何もできない
というか、何もしたくない
ただ、だた、心も体も動かしたくない
でも、それが許されるというのに
なんて贅沢なことだろうと思うのに
いざ、やってみると満喫できない
家事すべても、1〜10までの仕事も
自分でしなければならない
いま、何をするか、どうしたらいいのかの
検討・決断も、すべて自己責任
自由は不自由って、ホント!
でも自由がいい!!
乗り越えたい
その不自由さを楽しめるように
己を律する強さを身につけたい!
KAZU
ワタシがやりたい!と思って
募ったメンバーなのに
ぜんぜん、理解し合えない
てか、言葉が通じない!?
それぞれの主張が、思いが
強すぎてまとめきれない
や、思いや考え云々の前に
言い方!言葉遣いョ!
サラリーマン(といっても、一般事務。
だからこそ全体が見える)時代が長い私と
最初から個人事業主との価値観の差
まずは全体をまとめたいワタシと
まず個々(または小グループ)でやるうちにまとまっていくんじない?というメンバー
気がつけは、立ち上げ者のワタシが、孤立
立場が変われば、正義も変わる
が、通用しない独立独歩なメンバー
いいはいい、ダメはダメ
白黒しかないなんて
グレーゾーンって、知ってる?
合意形成って、したことある?
一歩引くとか、
今回は我慢するとか、
自分が所属する全体のために
自分の主義を抑えつつ活かす
いやーいやー
白黒しか知らない人たちと
関わりたくないー
だって、怖いんだもん
自分たけの思いを、
全体を考える打合せ内で
ぶちかませる才能
羨ましくもあり
いや、かかわりたくない😑
KAZU
少し、前向きエネルギー多めw
ワタシ、がんばる!
優しいだけがとりえの旦那様を養わなきゃいけないし
アラ米母の人生を楽しむお手伝いをしてあげたいし
末っ子パワーさく裂で長女(ワタシ)に依存気味な妹を自立させなきゃいけないし
ワタシ自身、いじめられた歴史があるからこその自分史をしっかり記したい
過去の経験で培った八方良しを求めるエネルギーを、形にしたい!
KAZU
タレ流しする人が、羨ましい反面、
社会人としてみっともないと思うし
でもなんだかやるせないのは
悪いご機嫌をぶつけられたら
バカにされた感じで腹立たしいし
惨めだし、怖いし
10も20も年下にでも
感情的に正論をまくしたてられると
怖い、怖い、怖い
単なるヘリクツだとわかっていても
人の、オトナの怒りって、とにかく怖い
怒りは、寂しさ孤独を呼び
だから仲間をつくりたがり
仲間ができたら守るために
さらにヘリクツをまくしたて
異を唱える者を
仲間(数的優位)意識で
落とし込む
怖い〜怖い〜
KAZU
前回投稿と真逆
でもどちらも本心
両極性に引き裂かれそう
母に期待はしないと覚悟したばかりだけど
そんな母と些細なケンカになった際
『なんでそんなな解釈するかな?』
と、母親面されたり
『一般論を言っただけなのに』
と、良心を攻撃されたら
日頃からの我慢が
吹き飛んでしまう
『ここまでこんなに我慢して
優しく接してきてやったのに』と、
怒りが納まらない
でも
怒りにまかせて罵詈雑言になっても
言葉を母にぶつけても
あの女はきょとんとしている
『怒る』ことがわからない
無邪気でおめでたい、
現実を見ようとしない夢見る人間だから
KAZU
ワタシ自身が理解や納得を超える
母の『変化』、を認めたくなくて
やっぱり受け入れたくなくて
恐怖で悲しくて不安でイラついて
その母に対して八つ当たりを
してしまうなどという、本末転倒な
いまだに親離れができないワタシ
けれども
母は80をとうに過ぎて
ワタシも50をいくつもすぎて
ようやく、決心できた感じ
母が高齢になった、のではない
『母親』が『お年寄り』になった、のだ
しっかり者だった
いつも明るく前向きだった
失敗は笑って受け流していた
自分のことより人のことな人だった
そんは大好きな母が変わっていく
子供が思春期でガラッと変わるように
オトナも、ガラッと変わるものなのだな
母は、娘ワタシに対して
『あんなに可愛かったのに、、』と
思いながらも思春期の変化を乗り越えて
愛し続けてきててくれてきた
だからワタシも
いま隣にいる母を受け入れて
愛して優しさ返しをしなくてはいけない!
いや、そうしたいのだ
力強く安心感の象徴だった母
でもだんだんと感情的になって
思ったことが口からダダ漏れで
家族依存症から
心配性&過干渉が強くなってきた母
『感謝』と、
母のために頑張ったことに対する
『達成感』の充足のためにも
毎日をキチンとていねいにと!
KAZU
お誕生日のお知らせにメッセージをする
だけどなぜだかワタシにだけ、当人からの返信がない
ワタシにだけ、ということがたぴたびある
仲がいいと思っている人から、とくに返信スルーされる
なかなか、落ち込む
ワタシにだけ返信がないというのは
そのSNSを見ている人全員が
知ることができるわけで
公開処刑的な
恥ずかしさ
みじめさ
恐怖を感じる
ワタシは、大切にされていない
粗末に扱ってもいい存在だと思われている
一生懸命に育ててきたつもりの関係が
こんなにもカンタンに蔑ろにされるとは
考えすぎ?
卑屈?
子供の頃、クラスの女子全員に
ある日突然無視されるという
いじめをうけたときの動揺が蘇る
人間関係ん繋ぐことは
いまだに薄氷を踏む思いだ
KAZU
なんだろう?
いつだろう?
どういう感じだろう?
寝たきり祖母の介護と神経質な父に
いっぱいいっぱいだった母のために
2つ下の妹の面倒も含め
長女として「手のかからない子」
としてがんばった幼少期
adhdなために無神経な母を、
ガマンし続けた神経質な父が
ヒステリーを起こさないように
努めた若年期
大人になっていく私自身が
いつまでも母の求める娘でも
あり続けようと我慢した青年期
就職して仕事と私自身の満足と
家族依存&不安性な母のために
長女業の両立にを配った成長期
おかげで遅れた婚期も
実家と婚家で板ばさみ
責任感と焦燥感と
達成感と無力感
両極な感情に引きさがれる半世紀
そんなワタシもadhd
母と同じか
憎いけど大切な母
母の生き様を肯定し
それを乗り越えた私自身が
満たされる日々はいつくるのか
いつか
たった一日でも
そう思える満たさせた日が
あると信じて今日も悩む!
KAZU
大好き!
腹立つ!!
大好き!
ムカつく!!
大好き!
許せない!!
大嫌い!
そばにいて!!
大嫌い!
私をわかって!!
大嫌い!
優しして!!
大嫌い!
大好き!
大嫌い!!
大好き!!
大嫌い!!!
大好き!!!
KAZU
悲しいことだけど
ワタシは受け入れることにした
母が、老人であるのだということを
母親としての頼もしさを
もう期待しないことにした
ワタシのことを理解して欲しい
と願い続けてきたけれど
それはもう叶わないことだと
受け入れることにした
そのために、ながらくずいぶんと頑張ったけど
求めた結果は出なかったけど、もういいや
私はがんばった
やれるだけやった
満足
母だって
母なりに母親として
がんばってくれた
はっきりいって
子育てに依存していた
『いい母』と言われることだけが
母を満たすことができた
さらに母は不安性
一人でいるときはいつも
ぐるぐる考えてなやんで
ため息ついて悲しい顔をして
ある日、学校から帰宅したとき
私に気づかずに
泣いていた母を見てしまった
いつも明るく頼もしい母は
仮の姿なのだと感じた
ワタシの安心な暮らしは
母の不安を隠す頑張りの
おかげなのだと思った
だから母の不安は長女である
ワタシが払ってあげようと
でも、母にはそんなワタシの
頑張りは伝わらない
母自身だけが家族のために頑張っている
という実感が欲しいから
お互い、相手に認めさせたいという
共依存の、なんと長かったことか
優しく柔らかく温かな
穏やかな日々を求めている母
この年になっても
『いい母』といわれることを
求めることをやめられない母
そのために、ワタシがどんなに心を使っても
それを理解しようとはしない母
それでもいい
純粋に、母のためを思うなら
老人としての母を受け入れ
ひたすら優しくすること
苦しかった共依存から
ようやく脱出できそうだ
KAZU
あと何年、義母とこうして昔ながらの年越しを迎えられるかな
KAZU
ワタシのこと『大丈夫』だと言って
『その悩みは、近いうちに解決する』とか
『悩み多くても、ドン底にはいたらない』
とか言って、ワタシを安心させて
このままでは
この精神状態では
人に迷惑)心配を掛けてしまいそう
旦那さんのほうが気が小さいから
頼ることはできない
ワタシがしっかりしなければ!!!
家族みんなの暮らしが壊れてしまう
がんばるから、
一生懸命がんばるから、
何をどうがんばったらいいか教えて!
だれか、教えて、、、
このままでいいのか
何をどうがんばればいいのか、、、
依存症の老人と旦那を抱えて
これ以上どうしたらいいか、、
KAZU
自分で判断できない
周りの人に、『いい一日だった』と言ってもらわないと、不安で仕方がない
でも!誰かと過ごすということは
誰かの都合に合わせなくてはいけないこともあり、
いつもワタシが納得する評価をくれるわけでわはない
でも、一人で過ごすと
自己肯定感が低いので
満足な一日だったとは、とうてい思えない
きょうも、不安な一日が終わる
明日も満足できないのだろうか
いい一日だったと満足して暮らすには
どうしたらいいのか
周りの人に依存し過ぎか
KAZU
怪訝な顔をされたり
迷惑そうに対応されたり
面倒くさそうに返事されたり
上からものを言われたり
小馬鹿にされたような態度をとられたり
雑な返しをされたり
テキトーな対応されたり
怖いというか、腹立たしい
ADHDなワタシは、協調が辛くて苦しくて
でも自分らしくある(協調しない)ことは
社会性に欠けるため、生きづらいだけではなく
人に迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまう
大切な人を失ってしまう恐怖
大好きな人を傷つけてしまう恐怖
だから、がんばってがんばって
協調してつるもりなんだけど
その頑張りを笑われているようで悲しい
悲しくて腹立たしい
でも、根底にあるのは恐怖
『カズはなんかヘンだから』
という理由で、中学生のとき
クラスの女子リーダーの一声による
村八分は半年続いた
村八分も悲しかったけど
それを男子に笑われたりして
惨めだった
ワタシは、ヘンなのか
何が?とこが?
あんな惨めで悲しくて恐怖なことは
二度と経験したくない
必死で、普通であろうと努力する
でも、笑われる
笑われていると思ってしまう
人を信じられない
『この人もいつかはワタシに嫌気をさして離れていくかも』
その思いが、いつも消えない
どんなに好きな人が現れても
客商売なのに
お客様にバカにされないかと、不安
バカにされたら
もつ二度と買いに来てはくれなくて
そしたら、どうやって食べていけばいいんだろう
お客様に笑われるようなワタシを、
仲間や友人(だと思っている人)はけして助けてはくれない
助けてくれないどころか、きっと一緒になって笑って、バカにして、ワタシに攻撃してくるだろう
あの中学生のときのように
あのとき先導した女子リーダーは
幼馴染だった
長年仲良くしていたつもりだった人からの
思いもよらない攻撃
誰を、何を信じたらいいのか
やっぱりワタシが悪いのか
ワタシは何か、人に不快感を与えてしまうのか
考えろ、考えろ
あんな恐怖はもうイヤだ
いい年していまだに囚われているなんて
怖い、怖い
いつかみんなに嫌われる
人は、嫌いは人を攻撃する
怖い、怖い、怖い、怖い
ずっと、こうして生きていかねければならないのだと、最近覚悟ができてきた
KAZU
誰かなためになら、頑張れる
は、依存ですか?②
旦那さんはとても自律したひとだった
思った以上に
家族の縛りがきつかったワタシは
男性とはみんな差はあれど
『家族はオレが頑張る、オレが支える』
と思っているものだと思っていた
でも、父親を早くになくして
抑え込まれることなく
無理強いされることなく
奔放に生きてきた旦那さんは
自由と無責任を履き違えていた
旦那さんは、
頑張りたくない人だった
頑張る、や、責任という
緊張感に耐えられない人だった
だから、ワタシがいくら
旦那さんのためにと頑張っても
旦那さんにとっては迷惑なだけだった
自営業だから、
ふたりで頑張るしかないんだけど
旦那さんは二人分も頑張れないという
一人だったときも十分がっんばってきたから、
これ以上頑張れないって
いまでどおりで充分だって
家事もある程度できるから
ワタシに頑張られて、自分も頑張らなきゃ
いけなくなるのがイヤだって
そうか、子供もいないし
それぞれ自律して稼いで食べていければ
それでいいか
結婚っていうより、都合のいいお友達的な
いいのかな
結婚したのに自分のためだけに働く?
いや、それならワタシはその仕事に集中したいよ
わたしのやったことの成果を喜んでくれる人に集中したい
たいして喜んでもくれない旦那さんのために何をしたらいいんだろう
何もしなくていいのかな?
旦那さんのためになにもしないで
仕事に集中する?
結婚した意味あるのかな?
結婚とか、旦那さんに
期待しすぎ?
これは依存?
お互いに充実した仕事を持ちながら
家庭を気づいている人たちもたくさんいるのに
わたしには、難しい
なぜか。
ながらくモヤモヤしてきたけど
いよいよ経済的に厳しくなって
ワタシも自身で稼がなきゃいけなくて
でももう年歴的にお努めは無理で
だからワタシも自営業をと
目論んでいるんだけど
その仕事は、
旦那さんにも喜ばれない
母たちには心配をかけて
それをやりたい!という志しもなくて
ぜんぜんやる気が起こらない
誰かに喜ばれるとわかっている
ことなら頑張れるのにな
やっぱり、こういう思いは依存なのかな
なんで、自律できないんだろう。。。
KAZU
は、依存ですか?①
本当に小さな子供の頃は
ADHDなワタシはとても自由でした
高齢出産だったので
両親はとても私に甘かった
自分自身の喜びのために生きている
ワタシでいいのだと思っていた
でも小学校に上り
『どうして私達と同じものに
興味がないの?』と友達から
敵視されるようになった
賢いな妹も、世間の目を恐れて
その友達と一緒にわたしを笑い
攻撃的になった
祖母の介護がおわって
燃え尽き症候群になっていた母は
次なる目的地として【良い母】を
目指しはじめ、過干渉が始まった
神経質で平和主義な父は
いつも我慢し過ぎで
家族内での些細な不和に耐えられず
自分が怒りまくって
場を凍らせていた
で、ワタシは思った
もし、ワタシが
頼れる姉として、妹とケンカすることもなく
誇れる娘として、母に不安を与えることもなく
気が利く長女として、父にいつも安らぎを与える
ことができたら、ワタシの家庭は
いつも安泰ではないのか
でも、自分を抑えるだけでは苦しいから
『自分の我慢が誰かの役に立てたら』
と思うようになった
さらに
『誰かの役に立てることで、
なおかつ自分の喜びにもなること』
に昇華させたら、
あるいみで一石二鳥というか、
喜びも倍になる!
だからワタシは頑張れた
ナンバー2的な立場や
解決しなければいけないという共通の目的に
向かう集団のトップとかに、燃えた
秘書とか主婦とかも憧れ
好きな言葉は『縁の下の力持ち』
なので、自営業の人と結婚して
仕事も支え、家庭も守れる女になりたかった
なんと頑張った甲斐があって理想はかなった
が。
KAZU
マンガに出会ったのは小学校2.3年生ごろ
月刊なかよしの“キャンディキャンディ”だったと思う
ちょっと厳しかった私自身の家庭環境もあり、
『いまの私の環境が変で、世の中はもっとわかりやすく、このマンガのように単純明快!』
『マンガのように、頑張れば、報われる』
『マンガのように、不思議な世界はほんとにあって、いつもわたしを見守ってくれている』
『人生は、あのマンガのように素晴らしい』
などと無意識に、現実逃避をつづけて、40年
いまだに、リアルのほうが架空の世界に肝腎るのです
だから、リアルでは生きにくいのです
KAZU
妹が来られないと知るとホッとする
いいんだろうか、これで
家族が一緒にいることが嬉しくて仕方がない母と妹
愛なんだろうけれど
家族だけでは満足できない私は
母たちと同じ密度の愛を返すことができない
がんばってもがんばっても
同じ愛を返すことができない
なんて罪深い
『そんなことはない』とも言われるけれど
罪深い、と、感じることで
足りない愛を埋めている感じなのかも
ごめんね、ごめんなさい
家族の愛だけでは満足できなくて
ごめんなさい
家族以外にも愛を使ってしまって
ごめんなさい
KAZU
無邪気でで過干渉な母を、ワタシの人生の本筋ら排除できなかった
無邪気で天真爛漫な母が可愛らしくて仕方ない
85歳
超元気ではあるけれど
集中力、体力が日に日に低下していくのがわかる
母との別れの日が怖くて仕方がない
KAZU
めげないということは
『いつでも明るく前向きで生命感あふれる』
と、いったところか?
それは、わたしの母
『アラ80で明るいなんて、いいじゃない!』
と、周りは言う
でも、わたしにとってはまるで便所の100ワット
母には、暗い、という概念がない
わたしが静かに考えていたいときも
『どうしたのどうしたのどうしたの?』と、うるさい
悩んでいる
ことを誰にも相談できないどころか
表現さえできなくなってしまった
母にとって、暗い(悩む)ことは
不安でしかたがないことなので
『有り得ないこと』となってしまうのだ
KAZU
お母さん!お母さん!!お母さん!!!
母85才
なのに甘えてしまってゴメンナサイ
仕事やわたし自身の暮らしがうまく行かず、
だから母の『年寄には優しくして♪』攻撃に、対応できない
母に、優しくしたい
一日でも長く『長生きして幸せ♪』を味わってほしい
なのに、『子供としてまだ甘えたい』が、抑えられない
八つ当たりしてごめんなさい
早く、仕事を起動に乗せなければ!
早く、早く、わたし自身の暮らしを落ち着かせなければ!!
早く!早く!!早く!!!
母が元気なうちにー!!!!!
KAZU
一般的に朝と言われている時間に起きなくてはいけない
起きたらすぐに白湯を飲んだほうがいい
朝といわれている時間に食事(朝食)を摂らなければならない
洗顔し
歯磨きし
メイクし
着替えて
外出作業
帰宅予定を家族に報告し
持ち物確認して外出
通勤のアレコレで消耗
日中の勤務で疲弊
帰宅時の人混みと虚しさに虚無感
帰宅して家族サービス(夕飯&会話など)で疲弊
入浴または洗顔、歯磨き、着替えまで体力がもたない
最近は、気力も持たない
あたり前のことなのに
みんなフツーにしていることなのに
なせこんなにも苦しい
なぜできなない?
したいのに、なぜできない?
みんなはフツーにしているのに
なぜ、私にはできない?
苦しい
苦しい
苦しい、、
いざ、外出!
KAZU
何もしたくない
自分のことは
何もしたくない
料理も掃除も
自分一人のための
家事がとくにどうでもいい
だけど
整理整頓された空間が好き
身の回りは潔癖なほど清潔がいい
栄養や素材や安全や
映えにこだわる料理も得意
だから
家事ができないことが余計につらい
家事をしなくていい
ことは、とても楽だ
けれど、一人暮らしだから
家事をしないと
部屋は乱れ、
探さなければモノにたどり着けず
不潔な寝具や下着では
リラックスすできず
栄養が偏った体は
異臭を発しているかのような不快感
だったら、やれば?
なぜできない?
やるか、やらないか
だけでなく
やるならキチンと!という潔癖
怠けゴゴロと完璧主義
両極が極端すぎて、苦しい
苦しい
苦しい
苦しい
KAZU
って、思える心理ってなんだろう
「だって、かあさんは〜」
「だけど、かあさんも〜」
「でも、かあさんだって〜」
何をいっても否定から入る
自分を守る言い訳ばかり
母はなぜこんなにも
自分を守ろうとするのだろう
やっぱり、兄弟姉妹も多いし
自分に自身が持てない
育ち方だったんだろう、
せめて私の母としては
自信をもってもらいたいと
娘として頑張ってきたけど、裏目に
「母としては、間違ってない」と
思い込んで、娘の私を否定しまくり
KAZU
わたしは母を
わたしが思う通りにしたいのか
母の思う通りにしてあげたいのか
いずれにしても、エゴには変わらない
KAZU
仕方がないんだけれど
認知症なわけでもなく
年齢的には正しいことなんだけど
そもそもADHDな母だから、直情的な行動にずーっとガマンしてきた
子供の頃は、母の考えなしの行動と失敗にたいして、ガマンしフォローし続けたら、いつかは母は、社会人としてお手本となるような大人な面を見てせてくれるかもしれないと、その期待のために頑張ってきた
でも期待は裏切られた
でもでも母な理に頑張ってくれたこともわかる
でも
わたしにとっては、母の大人度は足りなかった
諦めるしかないのか
社会人としての先輩の背中は、見ることは叶わないのか
母に残された時間が短いから
焦ってしまう
母とのココロ穏やかな暮らしかてきないまま
母を旅立たせてしまうかもしれないという恐怖
母の最晩年なのに、子供に気を使わせてしまうという後ろめたさと、自分のダメさ
KAZU
GW真っ只中ですね
こどもの日なのにばあちゃんの祥月命日で、
だから子供の頃はばあちゃんを恨んだこともあったけれどw
毎年家族でお墓参りをして、家族で過ごせて幸せだったね♪
今年もそのばあちゃんや父さんの田舎をドライブできたりして楽しかったね
今週末は母の日
それと合わせて、5/5は一日中母さんと過ごす日と決めている
今年も24時間ご一緒できた
嫌いだけど好き、な、母
嫌いだから、好き?
好きと嫌いはエネルギーは同じだから♥
お母さん
今年も元気でいてくれてありがとう
残された一緒の時間は
少しでも大切に、仲良くいたいと思うのに
ゴメンナサイ
優しくしてあげたいと思うのにゴメンナサイ
頼りになる母、を、いつまでも求めてしまってゴメンナサイ
KAZU
「母親」としての母が、、、、
母に求め過ぎなことはわかってはいるが、、
もともと感情や感覚が言葉に垂れ流しの人ではあった
心配〜不安〜怖い〜悲しい〜
を、直情的に口にするので
聞かされた娘としては
母親が困っているなら助けたい、なんとか不安を軽くしてあげたいと思うのは当然のことと思い、とにかくそんな母の感情を癒やすことに必死だった
母親が不安でいる状態って
娘だって不安だし
母の不安を軽減する苦労は
母のためなのか?自分のためなのか?
優しさか、エゴか?
でも、ワタシのその行為が母にとっては好都合らしく、言葉の垂れ流しは留まるどころか、ひび増えていく
そして、娘のワタシがそのために努力して苦労して悩んでいるなどどは露ほども感じていないことが判明
今夜も夕飯時に「痛い、ほ〜〜痛い」と連発
残り物を包むためのラップの歯に指を引っ掛けたらしい
「大丈夫?血が出たのかい?バンソウコウは?」と、わたしが返すと
「なんともないよ!ちょっと引っ掛けただけ〜そんな大げさな」と、ケロッとして言う
わたしはそのときまだ晩酌中でとても上機嫌だった
母は、ワタシのその至福な気分を壊しただけではなく、人が心配した気持ちまでも軽く流しやがった
あまりに腹が立ったので、「なんともないならなぜ痛いと口にするのか?」と聞いた
母「痛いと口にしたら、痛みが半減するんだって♪」
私「痛い、と聞かされた方の気持ちは?人に不安を与えたり、幸せ気分をぶち壊しにしてでも、痛みを半減したいの?自分が楽になれればひとはどうでもいいのかい?」
母「壊されたくなかったら、無視したらいいんだってよ♪いちいち反応するほうがおかしいでしょ」
母は、聖人君子が大好きで
娘にもそうであれ、と押し付けてきた
なのに、母は、自分の感情を優先する
母に、聖人君子を求めていた私が悪いのか?
「年寄り(弱者)には優しくあれ」との教えは、ただただ「自分に優しくしてほしい」ということだったか
いままで何度も裏切られてきたけれど、
今夜もまた、母か嫌いになるカードか切られてしまった
でも母から離れない
「母を見捨てる」という
常識や良心に反する行為が
私には耐え難いから
「母を見捨てる」行為をしても
なんら反対や咎を受けずに済むのなら
とっくにそうしている
KAZU
でも、販売が苦しい
苦しいから、安くして販売しやすくする
でも、利益は減る
安いから買う、お客様は
作品の質が見えていないので、
買っていただいても嬉しくない
擦過のモチベーションが上がらないから
生産量も上がらない
薄利なのに、多売できない
家計が苦しくなる
いや、生産しない旦那さんが悪いんじゃない
リピートしたくなるほど、お客様の心に響かない接客しかできない自分が悪いのだ
わかっている
でも、ワタシも本来は、製作していたい人間なのだ
買ってもらうためだけの、会話やコミュニケーションは苦痛でしか無い
作品の質を気に入ってもらえた嬉しさからくるコミュニケーションのおかげで購入に繋がる、ことが理想
だけど、売りたいがために値下げした作品には質はない
質が伝わらない接客は、苦行
お客様にも申し訳ない
KAZU
コキゲンな気持ちを、
ライブで聴いてもらいたい!
がんばったこと
嬉しかったこと
楽しかったこと
未来にワクワクしてること
その計画
酔ってるからってわけじゃないよw
嬉しくてコーフンしたとき、
感情そのまま、受け止めてもらいたい
一緒に
喜んででほしい、楽しんでほしい
わくわくしてほしい
と、思って、よく電話していたのは
結婚前の旦那さんだった
そして当時の旦那さんは
よくよく理解してくれた
母や父には、まったく
理解してもらえなかったのに
それが嬉しくて、
かけがえのない人になって
結婚してくれて、嬉しかった
でも
ワタシの
嬉しかったこと、わくわくすることに
旦那さんは、旦那さんになったとたん
責任を持たなければならないと
思って、苦しくなったらしい
優しいのか
駄目オトコなのか
旦那さんどころか
ワタシの扶養家族的になってしまった
とにかくいまのワタシは
そんな優しすぎる旦那さんのことも含め
聴いてもらいたいのだ
確認したいのだ
ワタシは、ワガママなダメ人間で
甘えてばかり、理想論ばかり
現実と人の気持ちが見えてない
足りない人間だ
ということを
ちゃんと認識して
だからこそカラ周りでも
努力してることを
認めてもらいたい
頑張ってるワタシを
認めて欲しい
そして、上手くアドバイスして欲しい
って、わがままなのかなぁ、、
KAZU
家族やお友達との団らんのときでも
まったく聴いていない
いや、話の表面はわかっている
言葉通りに受け取っている
でも、その話の真意には思いがいたらない
話に、真意があるということもわかっていない
言葉通りの、実情だけが母のすべて
そして、その言葉をそのまま受け取り
その実情を共感てまきることに喜びを感じている
たから母は、人の話をよく遮る
「ワタシも知ってるー!」
「わかるー!」
見たことがある、行ったことある、聞いたことがある
あらゆる記憶を呼びおこし
相手の話に共感しようとするが
そのあとが、よろしくない
「私はね、、、」
「母さんもね、、」
「昔は〜、、」
相手の話の場をを
自分の話の場にしてしまう
共感のつもりが、略奪w
しまいには、落としどころまで
奪っててしまう
相手は最後まで話せず、
全然違うオチに誘導されられてしまう
いやいや、オチがあればまだいいかも
「あれ?母さん何をいいたかったんだっけ?」
と、なるのがいつものパターン
悩みも
相談も
モヤモヤも
何一つ、母に話して解決したことはない
いやいやいや、だから母には話“さ”ない
KAZU
ありがとうございます♪♪
インスタやフェイスブックとか
たくさんのいいね!ありがとうございます♪
インスタやフェイスブック
表の顔のワタシにまでいいね!くださり
ありがとうございます♪#
