ほたる
ゆるい繋がりを求めてやっています。プライベートから遠い趣味の話や雑談が好きです。創作がライフワーク。フォロー・解除ご自由にどうぞ。
散歩
カフェ巡り
読書
アニメ
人文・思想・宗教
ジブリ
EVA
マイペース
ほたる
ほたる
ほたる
ほたる
ほたる
ほたる

ほたる
回答数 5900>>
ほたる





ほたる
ほたる
物事を言葉によって永遠の世界へ投影してしまう行為は、今に生きる人間を人柱として神の世界に捧げるような残酷さがあり、感情や人の営為の連続性を、言葉によって断ち切ってしまうことに人は抵抗を覚えるものだ
永遠の対概念は刹那である 刹那に生きる私たち人間は永遠に憧れを抱き、いっぽうで刹那の唯一無二性に愛情を抱いている
ほたる
ほたる
2番サビの歌詞が好きすぎる
ほたる
ほたる
回答数 3741>>
ほたる
盛り付けちょっとあれだけど味はめちゃくちゃ美味しかった!✨

ほたる
回答数 5718>>
ほたる
『記憶のふるさと』
#創作 #小説



ほたる
普通にオシャレしてるだけなんだがなぁ…
ほたる
ほたる
もしかしたらこの匂いも人によっては「臭い」のか?🤔ちょうど豆を蒸したような匂いである(祖母が納豆や味噌を作っていたので、馴染んだ香りではある)
ほたる
ほたる
次に引くのは『考えるヒント3』(文春文庫)所収『美を求める心』の一文です
「言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。(…中略…)何んだ、菫の花だったのかとわかれば、もう見ません。これは好奇心であって、画家が見るという見る事ではありません。画家が花を見るのは好奇心からではない。花への愛情です。愛情ですから、平凡な菫の花だと解りきっている花を見て、見厭きないのです。(…中略…)美には、人を沈黙させる力があるのです。これが美の持つ根本の力であり、根本の性質です。絵や音楽が本当に解るという事は、こういう沈黙の力に堪える経験をよく味わう事に他なりません。ですから、絵や音楽について沢山の知識を持ち、様々な意見を吐ける人が、必ずしも絵や音楽が解った人とは限りません。」
戦争によって、バラバラに解体された現代の私たちの精神は、自分たちの人生の方向性を決めるための指針、すなわち私たちを常に中心に向かって引っ張ってくれる外的な力を見失い、サブカルチャー的な物語を消費するだけの、匿名的な塊として仮想的なインターネット上に浮かんでいますよね
「抜け殻」・「根無し草」などと例えられたりするような私たちの個人的な人格は、「今さえ良ければいい」という刹那主義やニヒリズムに回収されがちです 教養はオワコン、今は「知の集積の時代」だと言われたりもしますが、本当にそうでしょうか?
AIが私たち人間の学習モデルを模倣して、その処理能力はオリジナルである人間のそれを遥かに凌駕している 人間にあってコンピュータにないものとは一体何でしょう?そもそも、その2者をオリジナルとコピーとして比較・検討することに意味はあるのでしょうか?
私たちは、それぞれが違う世界を見ている その前提をどう捉えるのかも私たち次第なのかもしれません
小林秀雄『考えるヒント』は『小林秀雄全作品:新潮社版』にまとめられているものと、文春文庫版で全4冊に分けて出版されているものがあります (画像2枚目は新装版らしいです[冷や汗])頭の中が広がっていく快感が得られるのでおすすめです![ウインク]


ほたる
4月11日が小林秀雄の誕生日だったそうで
彼は1902年4月11日生まれの文芸評論家で、1983年に亡くなりました
現代に生きていると、人文学(歴史・哲学・文学など)を学ぶ目的や価値ってわかりづらいですよね
それがわかりづらいのにはちゃんと理由がありまして、その大元はしばしば人類史上最大の戦争と言われる第一次・第二次世界大戦にあると捉えられます
かの戦争以前は、私たち人類には共通の歴史観と目指すべき理想が(曲がりなりにも)ありました 「何のために生まれて、何をして生きるのか?」という問いに答えてくれる存在が私たちの外部にいたんですね、羨ましいね……[穏やか]
戦後、日本はもちろん、全世界的に人類という存在に対する懐疑と不安が広がります 科学技術と経済の発展が無限に続き、いずれ理想的な社会が完成する、というビジョンにヒビ(あれだけ大規模な破壊を目の当たりにしたのですからね)が入ったんですね 「そんなのはイヤだ!」と言ってもそうなってしまった以上、そのなかで生きていくしかないのが悲しいところですね
小林秀雄はそんな世の中の渦中に生きて、文学の世界で自分の意見を発信し続けました 彼のスタンスを私は次のように読み取ります
"真理や本質がどこにあるかはわからないけれど、そのなかで生きた人間の精神が存在することは常に変わらない 人間各個人が、どんな状況で、何を信じて生きたのか、本当のことはその人間の精神の内面、多様な外的世界に取り巻かれて適応し、形成された人間の精神の姿にしか見出せない"
後半に続きます……[照れる]


