
もけけのす
「娘さんを僕にください!!」
と叫ばれて、「子供おらんわボケ!!」と怒鳴り返し通り過ぎるものの、直後に奥さんから電話で「妊娠、したみたい」と言われて血の気が引いて、その後無事に女の子が生まれて徐々に不安が大きくなるホラー、どうですか

にゃめ
俳句🍀
朝晩寒くなりました🙂⛄️
冬は割と好きです。空気が凛と澄んで。
お鍋や温かいお茶の美味しい季節です🍵
凛とした 凍つる空気の 伸びのする
朝露の点る 葉の揺れる様に❄️
短歌🍁
#おはようございます
#ファインダー越しの私の世界


なつお
というわけで今日は挫折の余韻に浸ってます
さて、次に意欲が湧くのはいつになるかな

にゃめ
日中は暖かいですけど🌸もう冬。
街角が少しずつクリスマスムードですね🎄🎅
「まだ残る 星の瞬き 冬の朝」💫
俳句🍵
今日も1日良い日でありますよう😊🌈
#空を見上げて
#おはようございます


めあ(シャンメリー)


にゃめ
俳句🌖
将棋の藤井聡太とライバルの伊藤匠。
将棋というゲームが深い哲学を内包した
アートで有る事を教えて貰いました😊
僕も趣味でやりますが敬意を持って
愉しんで行ける様な気がします🍁
ありがとう🌸
ポストには まだ届かない 君の手紙
見上げる月の 夜の空高く
短歌🌃
#ファインダー越しの私の世界



めんちかつ
哲学への最初の扉は「死」だった
「哲学とは、死について考えることである」
この衝撃的な言葉を知ったのは、大学生の時。中島義道先生の著書『哲学の教科書』を読んだときのことでした。
そして、その言葉の出典を辿ると、16世紀フランスの偉大な思想家、ミシェル・ド・モンテーニュの『エセー』にたどり着きます。モンテーニュは、まさに「哲学するとは、いかに死するかを学ぶことである」と述べています。
なぜ、哲学という学問は、生きている私たちが「死」について考えることから始まるのでしょうか? そして、この「死」というテーマこそが、一般の人々が西洋哲学を難解だと感じる理由を解き明かす鍵になるのです。
一般の人には理解されない「西洋哲学」の壁
「西洋哲学」と聞くと、多くの人が「難しい」「何を言っているのか分からない」と感じるかもしれません。
私たちが学ぼうとする「存在論」「時間論」「世界論」といったテーマは、日常生活からかけ離れているように見えます。
例えば、
存在論:「存在する」とはどういうことか?
時間論:「時間」は客観的に流れているのか?
世界論:「世界」は本当に私が知覚している通りに存在しているのか?
これらの問いは、私たちの「自分は生きていて、時間の中で世界に存在している」という当たり前の前提を揺さぶります。なぜ哲学者たちは、わざわざそんな遠いところから物事を考え始めるのでしょうか?
「死」を学ぶことが哲学の中心にある理由
その答えこそが、「死」です。
モンテーニュが言うように、「哲学をするとは死について考えること」です。
私たちが「死」という避けがたい事実と真正面から向き合ったとき、初めて西洋哲学が追求する根源的な問いが、切実な問題として立ち現れてきます。
「私が死ぬ」ということを考えたとき、「私とは何者か(存在論)」という問いが生まれます。
「私の死」は「私の時間が終わる」ことを意味し、「時間とは何か(時間論)」を問わざるを得ません。
「私が消滅した後の世界」を想像したとき、「世界は私がいなくても存在するのか(世界論)」という根本的な疑問に直面します。
つまり、西洋哲学の難解なテーマとされる「存在」「時間」「世界」は、「私は必ず死ぬ」という最も切実な事実と切り離せない、「死」にまつわる哲学的な諸問題だったのです。
死を知ることで、真に哲学の問いを共有できる
私たちが日常で触れる「死」は、悲しみや喪失感といった感情的な側面が中心です。しかし、「哲学の学び」としての死は、そこから一歩踏み込みます。
死を学び、死について深く理解すること。それは、西洋哲学が本質的に問おうとしてきた「真の問い」を、哲学者たちと共有するための出発点になります。
「存在論」や「時間論」といった言葉の難しさに惑わされる必要はありません。
まずは、「私はいずれ死ぬ」という避けられない事実から、あなたの哲学を始めてみませんか。それは、難解な学問ではなく、あなた自身の生と世界を理解するための、最も根源的で切実な学びとなるはずです。
#哲学 #死 #モンテーニュ #中島義道 #哲学入門


めんちかつ
介護現場におけるセクハラ、暴力問題を投稿しました。Lemon8で17000閲覧です。一緒に議論しましょう。
#セクハラ #介護 #暴力

めんちかつ
はじめに:なぜ私たちの話は届かないのか?
私たちが誰かとコミュニケーションを取るとき、そこには「相手に伝えたい」という意図と、「相手から何かを受け取りたい」という期待が存在します。しかし、特に日本人とのコミュニケーションにおいて、この当たり前の前提が揺らぐ経験を持つ人は少なくありません。私も先日、60代の男性とのLINEのやり取りで、まさにその壁に直面しました。私が経験したことや読んだ本の内容など、彼にとって有益だろうと「私が」思った情報を伝えたにもかかわらず、彼の反応は常に「同意しない」「いいよねとも言わない」というものでした。この体験は、私が日頃から感じていた「日本人は会話を軽視し、相手が語ることを信じず、情報交換も好まない」という仮説を裏付けるかのような出来事でした。
「嘘」と「思い込み」:日本人特有の不信感
私が彼に「あなたは私の話は全て嘘だと思っているんでしょう?」と問いかけたところ、返ってきたのは「そうではないけど、全て思い込みだと思っている」という言葉でした。この返答は、一見「嘘ではない」と否定しているように見えますが、「思い込み」という言葉には、相手の語る情報に対する根本的な信頼の欠如が明確に表れています。「嘘」と断定するほどではないにしても、客観的な事実として受け入れるのではなく、あくまで個人の主観的な解釈や感情の産物として捉えている、ということです。
この「思い込み」という言葉が持つニュアンスは非常に重要です。それは、相手の経験や知識を価値ある情報として認識せず、また、それを自身の世界観に取り入れようとしない姿勢を示唆しています。結果として、情報交換という本来の会話の機能が損なわれ、一方的な意見の表明や感情の吐露に終始してしまうのです。この根底にあるのは、他者の言葉や情報に対する、ある種の「根本的な不信」と呼べるものかもしれません。
ネット社会が映し出す「他者不信」の構造
この根本的な不信感は、リアルな会話だけでなく、インターネット上のコミュニケーションでも顕著に表れています。SNSなどで誰かが有益な情報を投稿すると、「ソースはどこだ」「それは間違っている」といった批判的なコメントが殺到することが少なくありません。一見すると、これは情報リテラシーの高さ、つまり情報の真偽を厳しくチェックする能力の表れのように見えます。しかし、本当にそうなのでしょうか?
私は、この現象の裏には、真の情報リテラシーとは異なる構造があると考えています。つまり、彼らは「疑り深い」のではなく、単に「真偽を確認する能力に欠いている」だけなのではないか、ということです。
「疑り深さ」と「確認能力の欠如」は違う
情報リテラシーが高い人というのは、提示された情報に対して批判的な視点を持ちながらも、その情報の根拠や背景を多角的に検証し、最終的に自分なりの判断を下せる能力を持つ人を指します。彼らは、感情的に「違う」と拒否するのではなく、論理的に「なぜそう言えるのか」を問い、必要であれば自ら調査し、情報を補完しようとします。
しかし、SNSなどで見られる批判の多くは、この建設的な姿勢を欠いています。彼らの多くは、情報の「ソース」を確認する手間を惜しみ、あるいは確認する方法を知らず、ただ自分の既存の知識や感情に合わないというだけで「間違っている」と断定します。そして、このような「他者への不信」を募らせている人々に限って、ネット上の詐欺やフェイクニュースに簡単に騙されてしまうという皮肉な現実があります。これは、彼らが本当に疑り深いわけではなく、情報の本質を見抜き、その真偽を正しく判断する能力に欠けていることの証左ではないでしょうか。
なぜ日本人は「真偽確認能力」に欠けるのか?
この「真偽確認能力の欠如」は、日本社会の様々な側面に起因している可能性があります。
同調圧力と「忖度」文化 日本では、幼い頃から集団の中での「和」を重んじ、異論を唱えることや、個人の意見を強く主張することが避けられる傾向にあります。学校教育においても、画一的な正解を求める傾向が強く、自ら疑問を持ち、多様な視点から物事を考察する訓練が不足している可能性があります。この結果、他者の意見に対して「それは違う」と論理的に反論するスキルや、自分の意見を明確に伝える力が育ちにくいのかもしれません。また、相手の意見を「忖度」し、表面的な同意を示すことで摩擦を避けようとする文化も、本質的な議論を阻害しています。
情報過多と思考停止 現代は情報過多の時代であり、私たちは常に膨大な情報に晒されています。特に日本はネット環境が整っており、様々な情報が手軽に手に入ります。しかし、その一方で、情報の受け手が「思考停止」に陥りやすいという側面も持ち合わせています。深く考えず、表面的な情報や、権威あるとされるメディアの情報を鵜呑みにする傾向があるのです。そして、一度信じた情報と異なる意見に直面すると、それを「間違い」と決めつけ、深く掘り下げようとしない姿勢が生まれます。
「正しさ」への執着と「誤り」への恐怖 日本社会には、「正しいこと」を追求し、「誤り」を避ける傾向が非常に強いように感じられます。これは、完璧主義や責任感の裏返しでもありますが、一方で「間違えることへの過度な恐怖」を生み出します。他者の情報に対して「間違っている」と指摘することは容易ですが、自らがその情報の真偽を深く検証し、もし間違っていた場合に責任を負うことには抵抗があります。そのため、安易な批判や否定に走り、自らは安全な場所に留まろうとする心理が働くのかもしれません。
共感と感情優位のコミュニケーション 冒頭の私の体験談にもあったように、日本人は会話において「共感」や「同調」を強く求める傾向があります。これは、相手との心理的な距離を縮め、安心感を共有したいという欲求からくるものですが、その一方で、論理的な情報交換や意見のすり合わせを疎かにする結果にも繋がりかねません。相手が「思い込み」を語っていると感じても、それを論理的に問い詰めるよりも、まずは感情的に寄り添うことを優先するため、結果として情報の真偽が曖昧なまま放置されやすいのです。
コミュニケーションの「質」を高めるために
このような状況を改善し、より質の高いコミュニケーションを築くためには、私たち一人ひとりが意識を変えていく必要があります。
「傾聴」と「理解」の姿勢 まず、相手の話を表面的な情報として捉えるだけでなく、その背景にある意図や感情を「傾聴」し、「理解」しようとする姿勢が不可欠です。相手の言葉を安易に「嘘」や「思い込み」と決めつけるのではなく、「なぜそう考えるのだろう」「どんな経験がその考えに至らせたのだろう」と、より深く掘り下げて考える習慣を持つことが重要です。
「問い」を立てる力 情報の真偽を確認するためには、適切な「問い」を立てる力が求められます。「なぜそう言えるのか?」「他にどんな情報があるか?」「その情報の根拠は何か?」といった、論理的で客観的な問いを投げかけることで、建設的な情報交換が可能になります。そして、その問いに対して、感情的にならずに冷静に答えを導き出す訓練も必要です。
「自分も間違えうる」という謙虚さ 私たち自身の知識や経験も、常に完璧ではありません。「自分も間違えうる」という謙虚な姿勢を持つことで、他者の意見や情報を受け入れる扉が開かれます。相手の意見が自分の既存の知識と異なっても、すぐに否定するのではなく、一度立ち止まって「もしかしたら、新しい発見があるかもしれない」という柔軟な思考を持つことが大切です。
多様な視点を受け入れる寛容さ 世界は多様な価値観や視点で成り立っています。自分と異なる意見や情報に触れたときに、それを「間違っている」と断じるのではなく、「そういう見方もあるのか」と多様な視点を受け入れる寛容さを持つことが、豊かな情報交換を可能にします。
まとめ:不信感のその先へ
日本人のコミュニケーションにおける他者不信は、単なる性格の問題ではなく、社会構造や文化、教育といった複合的な要因が絡み合って形成されたものだと考えられます。他者の話を「思い込み」と捉え、情報交換を避け、表面的な共感を求める傾向は、深い議論や新たな価値創造を阻害する可能性があります。
しかし、私たちはこの状況をただ嘆くだけでなく、変えていくことができます。相手の言葉に耳を傾け、適切な問いを立て、多様な視点を受け入れることで、より建設的で信頼に基づいたコミュニケーションを築くことが可能です。そして、それは単に個人的な関係性の改善に留まらず、社会全体の情報リテラシーを高め、より健全な情報流通を促すことにも繋がるはずです。不信感の壁を乗り越え、真の情報交換が活発に行われる社会を目指して、私たち一人ひとりが意識を変えていくことこそが、今求められているのではないでしょうか。
#日本人の不信感 #会話の壁 #信じられない #思い込みの罠 #情報リテラシーの闇 #同調圧力


にゃめ
俳句☘️
朝晩寒くなって来ましたね🙂
温かい珈琲が美味しいです。
声優の野沢雅子さんが文化功労者に。
声優界初の快挙🥇悟空の声も素敵でした🌸
今年も後少し。良き日々送れますように😊
少しずつ 冬へと移ろう 街角に
君との思い出 まだ纏う僕🌃
短歌☘️
#ファインダー越しの私の世界


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