共感で繋がるSNS

関連惑星

安楽死の星

312人が搭乗中
参加
安楽死を考えている人たちが集まるコミュニティです。

グラビティ老人会の星

120人が搭乗中
参加
若い子と話してて感じた ジェネレーションギャップを吐き出して みんなで励まし合いましょう!

ネット老人の星

33人が搭乗中
参加

死別の星

30人が搭乗中
参加
死別を経験された方が、押し寄せる悲しみの波を受け止めるたびに、想いをこぼせる場所があればいいなと思って作成しました。 グリーフケアの一助となれば幸いです。 情報交換の場にもなれたらいいなと思います。 死別の対象はご家族、恋人、友人、問いません。 死別を経験されていない方が、パートナーを亡くした方と出会う目的での参加はご遠慮ください。

インターネット老人の星

30人が搭乗中
参加
鼻☆塩☆塩 やあ。 ここは古き良きインターネットを楽しむ人間の集いだ。 オタク向けのコンテンツがまだ世間に受け入れられてない時代からインターネットを楽しんできた強者達よ。 今まで抱えてきた「好き」を、この星で存分に放出してくれ。 君の参加を、心待ちにしているよ。

死ぬかと思ったの星

22人が搭乗中
参加
「余計なことして死にかけた」 「なんでこんなことに…?」 「恥ずかしすぎて、もう死にそう!」 グラビティなら投稿できそうな、ちょっと自慢の死にかけ体験を教えてください!

死生観の星

23人が搭乗中
参加
「人生は死ぬまでの暇つぶしである。」 生きるという概念、死をも超越したワシ、その2つが交わる『死生観の星』は超ひも理論をも翻す。 ここで一句       死       生    う  観    ん え  ち ぐ  ぶ ち  り ょ  ぶ ん  り ぱ

ガチャ爆死報告の星

20人が搭乗中
参加
「ガチャが当たらない…」 「また爆死した…」 「やたらみつけるの投稿で単発でペカリましたの報告が目に付く…」 そんな経験ございませんか? あなたの心、切なくなりませんか? ここはそんな鬱憤を晴らすための星です! みなさんの爆死報告を教えてください! そして、みなさんの爆死報告をみましょう! なんということでしょう、心が晴れていく。 「切ないのは、私だけじゃなかったんだ…。」 みんなで共有しましょう。

ネット老人会の星

19人が搭乗中
参加
くぁwせdrftgyふじこlp

老荘の星

18人が搭乗中
参加
老子荘子の思想を共有〜あれこれ考えず楽に生きよう〜!

人気

関連検索ワード

新着

めんちかつ

めんちかつ

🕰️ 仏教における時間と因果律:説一切有部(せついっさいうぶ)から中観派への道のり

現代物理学が時間と空間の概念を絶えず問い直すように、古代インドの仏教思想家たちもまた、時間と因果律(縁起)がどのように存在し、作用するのかについて深く、そして熱い議論を交わしました。

この壮大な思索の旅は、万物が実体を持つと考える一派から、すべては空であり、無常であると主張する革新的な思想へと展開していきます。本稿では、仏教における時間論と縁起の展開を、主要な宗派の視点から探り、その深い哲学的な意味を解き明かします。

Ⅰ. 説一切有部(せついっさいうぶ)の時間論:三世実有と実体としての「法」

1. 「説一切有部」とは?

「説一切有部(Sarvāstivāda)」は、紀元前後にインドで栄えた初期の有力な部派仏教の一派です。その名の通り、「一切有(すべてが存在する)」ことを説くのが特徴であり、特に過去・現在・未来の三世にわたって、構成要素(法)が実体として存在することを主張しました。

2. 「三世実有」の主張

説一切有部の核となる思想が「三世実有(さんぜじつう)」です。これは以下の点を意味します。

過去有(かこ・う):過去に滅した現象や行為(法)は、その作用力は失っても、実体としては今も存在し続けている。

現在有(げんざい・う):現在の現象は、もちろん実体として存在する。

未来有(みらい・う):未来にまだ生じていない現象も、実体としては既に存在している。

彼らは、世界を構成する最小の実在的な要素を「法(ダルマ)」と名付けました。この法は「自性(svabhāva)」、すなわち固有の本質を持つ、固定された実体であると捉えられました。

説一切有部にとって、時間が流れても、この「法」そのものは滅することなく、三世にわたって実体として存在し続けます。私たちが「時間」として認識しているものは、この法が過去・現在・未来という位(あり方や状態)を変化させることによって生じる現象に過ぎないのです。

3. 三世実有と因果律(縁起)の成立

この「三世実有」の立場は、仏教の根本原理である因果律(縁起)を論理的に基礎づけるために不可欠なものでした。

縁起とは、「これがあるから、あれがある」という相互依存の関係、すなわち原因と結果の法則です。説一切有部は、三世実有によって、この因果律を以下のように説明しました。

過去の業の作用:もし過去の行為(業)が完全に「無」になって消滅してしまうならば、なぜその過去の業が、現在の結果(苦や楽)を生み出すことができるのでしょうか。説一切有部は、過去の業が実体として存在し続けるからこそ、それが因となって現在の果を引き起こすという、業の持続性と因果の確実性を担保したのです。

過去の法(因)が実体としてあり続け、それが現在の法(果)を生じさせるというメカニズムによって、彼らは仏教の核となる「業報思想」を強固に理論づけました。

Ⅱ. 中観派(ちゅうがんは)の登場:実体の否定と「一切皆空」の確立

1. 中観派(ちゅうがんは)(Madhyamaka)の革新

説一切有部の思想が、法に実体(自性)を認めたのに対し、後に現れた「中観派」は、その一切を徹底的に批判しました。中観派の祖は、紀元2世紀頃に活躍したナーガールジュナ(龍樹)であり、その思想は後の大乗仏教に決定的な影響を与えました。

2. 「一切皆空」と「諸行無常」

中観派は、釈迦の教えをより忠実に、より厳密に理解しようと試み、「一切皆空(いっさいかいくう)」と「諸行無常(しょぎょうむじょう)」の立場を極限まで推し進めました。

諸行無常の徹底:仏教の根本教義である「無常(Anitya)」とは、すべての現象は絶えず変化し、留まることがないという事実です。もし説一切有部が言うように、過去・現在・未来にわたって法が自性(固定された実体)を持つならば、それは「不変」であることになり、「無常」の教えに矛盾します。中観派は、法に実体を認めると、それは変化しない常住なものとなり、仏教の根本を否定することになると主張しました。

一切皆空:中観派の主張の核心は、「空(śūnyatā)」です。これは「何もない」という意味ではなく、「自性がない(無自性)」という意味です。あらゆる現象(法)は、それ自体で独立して存在する固有の実体を持たず、すべては他のものとの関係性(縁)によって仮に成り立っている(仮有)と捉えます。

中観派の批判の要点:

説一切有部が過去の法に実体を認めることで、時間の流れや変化という概念自体が説明できなくなる。なぜなら、実体とは不変であるはずだからです。もし過去の法(因)が実体としてあり続けるなら、それは「過去」ではなくなり、また「因」も「果」に変化できないことになります。

3. 実体を否定して、なぜ縁起が成立するのか

説一切有部が「三世実有」という実体論によって縁起を確立しようとしたのに対し、中観派は、実体(自性)を否定するからこそ、真の縁起が成立すると主張します。

これは、ナーガールジュナの『中論』における、非常に逆説的で深遠な論理です。

1説一切有部の論理

存在:法は実体(自性)を持つから存在する。
縁起:法が実体を持つから、因果律(縁起)が成立する。

中観派の論理
存在:法は実体を持たない(空)から存在する。
縁起:法が実体を持たないからこそ、因果律(縁起)が成立する。

「空」と「縁起」は同義:中観派にとって、「空」と「縁起」は二つで一つの真理です。

すべてが縁起によって生じる → 自性(独立した実体)を持たない → 空

すべてが空である → 他のものとの関係性(縁)によって仮に生じる → 縁起

実体があれば縁起は不可能:もし原因(因)と結果(果)がそれぞれ固有の実体を持っていたと仮定します。

因と果が完全に同一であれば、それは単なる自己同一性であり、変化も生成もありません。縁起は成立しません。

因と果が完全に別個であれば、両者の間には関係性がなく、因が果を生むという繋がりが論理的に説明できません。縁起は成立しません。

ナーガールジュナは、因と果、生と滅、常と断といった二元論的な対立(二辺)を徹底的に論破し、その中道を空としました。法に実体がないからこそ、法は絶えず変化し、他の法と関係を結び、生じたり滅したりという「はたらき」を持つことができ、この「はたらき」こそが縁起なのです。

Ⅲ. 原初仏教における時間と縁起の捉え方

説一切有部と中観派の議論は、釈迦入滅後の哲学的な展開ですが、その根底には、釈迦の教え、すなわち原初仏教の思想があります。

1. 時間についての態度の保留

原初仏教、特にパーリ語経典に見られる教えでは、時間それ自体に関する抽象的・形而上学的な議論は、多くの場合、保留(無記)されました。

実存的な時間:釈迦の関心は、衆生が直面する苦(Duhkha)と、そこからの解脱にありました。時間は、過去を悔い、未来を憂うという苦を生み出す心理的な枠組みとして捉えられましたが、時間が実体として存在するかどうかという問いは、解脱という目的から見て無益な議論であるとされました。

「今」の重要性:修行においては、過去への執着や未来への期待を断ち切り、「今・ここ」に集中する正念(sati)が重視されました。時間は、固定された実体ではなく、絶えず変化し続ける瞬間(刹那)の連なりとして、動的な実存の中で体験されるものと捉えられていたと考えられます。

2. 「十二縁起」と動的な因果律

原初仏教において、時間の流れと因果律を最も明確に示したのが「十二縁起(十二因縁)」です。

十二縁起は、衆生が老死という苦しみに至るまでの生命の連鎖(輪廻)を、12の要因(無明、行、識など)の繋がりとして示します。

十二縁起:無明があるから行が生じ、行があるから識が生じ... 生があるから老死が生じる。

これは、静的な「法の実体」ではなく、「あるもの」が原因となって「別のもの」を生じさせるという、非常に動的かつ実存的な因果の法則です。

この原初の十二縁起は、説一切有部の三世両重の因果(過去の因が現在の果を生み、現在の因が未来の果を生むという二重構造)や、中観派の一切皆空という極端な哲学へと展開していく、すべての仏教的時間論・因果律の原点となったのです。

Ⅳ. 結論:仏教の時間論と縁起の二大潮流

仏教における時間論と因果律(縁起)の議論は、「実体」を認めるか否かという哲学的な対立を軸に展開しました。この展開は、仏教思想の深さと、教えを論理的に基礎づけようとする試みの真摯さを示しています。

1. 仏教的時間論:実体と刹那滅

仏教の時間論は、以下の二つの大きな潮流に集約されます。

1説一切有部(部派仏教)
時間の捉え方:三世実有:過去・現在・未来の法は実体(自性)として存続する。時間は法の位の変化。
意味:業報の持続性を論理的に確立した。

2中観派(大乗仏教)
時間の捉え方:刹那滅:法は実体(自性)を持たず、生じた瞬間(刹那)に滅する。時間の流れは、刹那の連続的な生成と消滅。
意味:諸行無常の教えを極限まで徹底した。

中観派が採用した「刹那滅(せつなめつ)」の思想(法は生じた瞬間に滅する)は、実体の否定(空)と強く結びつき、真の「無常」を体現する時間論となりました。

2. 仏教の因果律(縁起):実有の縁起 vs. 空の縁起

縁起の捉え方も、時間論と密接に結びついています。

説一切有部の縁起(実有の縁起):過去の法が実体として存在し続けることによって、原因と結果の必然性が保証される。「因果の確実性」を重視した実体論的な因果律。

中観派の縁起(空の縁起):法が実体を持たず「空」であるからこそ、常に変化し、他のものと関係性を結び、依存して生起するという動的な縁起が成立する。「因果の必然性」を、実体の否定という逆説的な論理で確立した、関係論的な因果律。

3. まとめ

仏教の哲学は、私たちが当たり前と考えている「時間」や「存在」の概念を深く掘り下げました。

説一切有部は、業報の持続性という実存的な問題を解決するために法に実体を認め、時間の流れを「位の変化」と捉えました。対照的に、中観派は、無常という根本原理を徹底するために法の実体を否定し、空という洞察を通して、すべてが関係性の中でのみ成立するという、より徹底した動的な縁起の思想を確立したのです。

この仏教の時間論と因果律の議論は、固定された「私」や「世界」という概念から離れ、絶えず変化し、相互に依存し合う流動的な現実への洞察を深めることを促していると言えるでしょう。

#縁起

#存在論

#仏教哲学

#時間論

#空の思想

仏教の星仏教の星
GRAVITY
GRAVITY12
女神せおび

女神せおび

安楽死・尊厳死の導入に賛成?反対?安楽死・尊厳死の導入に賛成?反対?

回答数 71>>

賛成なんだけどわたしが老死したあとであってほしいハハハハハハ
哲学哲学
GRAVITY
GRAVITY5
ぬん

ぬん

もう気ままにバイトしてそこそこ生きていきたい、30ぐらいになったら老死したい
人生100年時代って嫌だね、
GRAVITY
GRAVITY6
Qoo

Qoo

大学行きたくない
でも明日友達とパーリナイだから頑張る僕偉い
強靭無敵最強粉砕玉砕大喝采
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無限耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜
GRAVITY3
GRAVITY14
もっとみる

おすすめのクリエーター