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思考

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個体としての人間には興味無いけど、色んな人の「現在こういう人間である」というのを見た時に現在に至るまでにどういう経緯があったのか、この人の自尊心、プライドの核がどこにあるのか、なにか反転してそういう特徴として出てるのか
みたいな背景事情には興味があるかも。自分を含め人間の心理構造が興味深いなってのは常々感じてて、それ故に大半の人間は観察対象でしかないんだと思う
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✘‎ࡇ✘霧澪↛🔪↚

✘‎ࡇ✘霧澪↛🔪↚

なんか、DMで背景投げられるけど最近どーも思わなくなってきた‪𐤔‪𐤔
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りょた✹🍓*゚

りょた✹🍓*゚

埋もれた為、再投稿です
譲▶永久吹き出し、30日ルーム背景
求▶星粒
 DMで星粒提示お願いします
 いくらかじゃなく希望書いてください
 土曜日までなにもなければ吹き出し砕きます
アイコン交換の星アイコン交換の星
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わとそん

わとそん

 戦争という極端な状況を目にすると、当事者ではない人々が「戦争はやめるべきだ」「平和的に解決すべきだ」と声を上げる行為が正しいのかどうかが、しばしば議論の的となる。
確かに、当事者から見れば「戦争を経験したこともないのに」「事情を知らないまま口を出すのか」と反発を生むこともあるだろう。しかし、このような摩擦は、戦争に限らず、あらゆる場面で生じうるものだ。

 第三者の立場には、当事者だからこそ見落としがちな視点を提示できる利点がある。一方で、距離のある立場ゆえに理解の浅さや無責任さを指摘される危うさも抱えている。外側からの意見は、ときに状況を前へ動かす力となるが、同時に、機微や背景を十分に考慮しないままに放たれれば、当事者を傷つけたり、かえって事態をこじらせたりする可能性もある。

 また、ただ寄り添い、相手の立場を尊重するだけでは望む結果に至らない場面がある。これは、武力支援が必ずしも戦争の終結に近づくわけではないのと同じで、表面的な「支え」が必ずしも物事を良い方向へ動かすとは限らないことを示している。ときには、耳の痛い意見が必要な場面も存在する。

 このように見ていくと、第三者が意見を述べることは、無責任な干渉にもなり得るし、状況を改善するきっかけにもなり得る、両義的な行為であることがわかる。重要なのは、意見の内容そのものだけではなく、その意図や伝え方、当事者との距離感といった要素なのだろう。

 では、第三者はどこまで踏み込んでよいのか。外側からの声はどこまで正当で、どこからが越権となるのか。
その境界は、一体どちらが正しいと言えるのだろうか。
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