共感で繋がるSNS

関連惑星

バスケの星

5365人が搭乗中
参加
バスケットボールは好きですか?

バス釣りの星

321人が搭乗中
参加

コントラバスの星

224人が搭乗中
参加
コントラバス好きな人とか コントラバスに興味ある人とか クラシック好きな人とか コントラバスを弾くかーうちゃんを応援してくれる人とか 大きな楽器が好きな人とか ただちょっと興味ある人 集まってください 音楽や楽器に無知でOK かーうちゃんはかなり頭悪くて うつ病で療養中のアマチュア コントラバス弾きです youtube→コントラバスと生きる かーうちゃん

献血の星

171人が搭乗中
参加
献血をよくやる人、やらなくても献血に興味がある人 私たちの献血によって助かる命があるので 輸血が必要な人たちの助けにもなれると嬉しいです 献血に関するエピソードなど意見交換などできたらと思っています 楽しんで献血について知ることが目的です🎵

今日の献立の星

154人が搭乗中
参加
今日作る予定のご飯、昨日作ったご飯。 キラキラしたおうちご飯だけじゃなくて、明日誰かが真似できそうな 日々の糧を投稿求む! 明日の献立何にしよう〜のお手伝い🤝 ※写真?映え?そんなんかまへんかまへん!✌️ ※投稿本体に記載がある単語は検索が可能。上手く使ってね。

献立の星

130人が搭乗中
参加

手と血管の星

30人が搭乗中
参加
🖐️

フルーツバスケット

16人が搭乗中
参加
フルーツバスケットの星です ぜひみんなで語り合いませんか?

放課後瀉血倶楽部の星

12人が搭乗中
参加
放課後瀉血倶楽部へようこそ!通称シャケ部で楽しく血液を愛でないか。血液好き、ゴアグロ好き、えログロナンセンス好きなんでもござれ。ホントに瀉血しないでネ♡ 自己責任だぞ。ちゃんと滅菌済のニードル使えよ。鉄分摂れな。傷口放置するなよ。自分の体は大切にしろよ♡♡ 幼少の頃から血液に惹かれて、邪な気持ちで医療現場の下請けもしていました、大槻ハナヂが管理人です。安心して血まみれに(表現です ならないでね)なってちょうだい!ROM専も歓迎よ♡【注意】ここは自傷行為を推奨している場ではありません。してしまったなら仕方がない、ただそんな人を追い出さない。それが管理人の考えです。

☦️血物 める☦️の星

11人が搭乗中
参加
For Meru, and Meru alone.

人気

関連検索ワード

新着

ウンドド

ウンドド

バス 電車
GRAVITY
GRAVITY
ぼい

ぼい

#GRAVITY初心者
今日からGRAVITYをはじめました!よろしくね〜!
■名前
ぼい
■趣味
サッカー、バス釣り、お菓子、ONEOKROCK
たくさんの友達ができますように!✨
GRAVITY
GRAVITY2
みちる

みちる

夕べバス乗り場で、スーツを着た若い男の子がおばあちゃんにバス乗り場を教えてあげてて、その場所まで連れてってあげてました。
いいもの見ちゃった。
優しい男の子大好き
GRAVITY
GRAVITY4
みぃ✨🫧

みぃ✨🫧

ケーキを食べたことがない人に
ケーキの美味しさはわからないように
私には浮気する人の気持ちがわからない
4時まで浮気の仲裁をしていたけど
内容が真っ黒でバス酔いみたいに
何度も気持ち悪くて吐きそうになった
@たかちぃ✨🫧 がいてくれたから
心強かった

GRAVITY
GRAVITY59
ショウ

ショウ

スマホの裏なに挟んでる?スマホの裏なに挟んでる?

回答数 111>>

バスの定期
高校生の星高校生の星
GRAVITY
GRAVITY
コガネ

コガネ

もうすぐ、曾祖母の一周忌を迎える。
あれからもう一年が経つのかと思うと、改めて時の流れの速さを実感する。

102歳まで生きた曾祖母。
102という数字を改めて考えると、本当にすごいと思う。

せっかくなので、一周忌を迎える前に、曾祖母の葬儀のときのことを記録として残しておこうと思う。


朝6時過ぎ、祖父から母に電話がかかってきた。

朝早い時間に電話がかかってくることなんて滅多になかったので、ベッドで横になりながらスマホをいじっていた私も気になり、リビングまで行った。

すると母から、

「婆ちゃんが亡くなった」

と、一言だけ告げられた。

その瞬間、何かを考えるより先に、学校やバイト先へ休みの連絡を入れなければいけないこと、喪服を準備しなければいけないことなど、やらなければいけないことが次々と思い浮かんだ。

でも、一度落ち着こうと思い、とりあえずゴミを捨てに行くことにした。

外は晴れていて、青空が広がっていた。

そんな青空の下、ゴミを捨てに行く途中で、曾祖母との思い出が頭の中に浮かんできた。

気づけば涙が止まらなくなっていた。

急いでゴミを捨てた私は、そのまま駆け足で家に戻った。

母には泣いているところを見られたくなかったので、玄関で涙が止まるのをしばらく待った。

その後、葬式までの間は喪服の準備などで慌ただしく、悲しいと思う暇もないくらいバタバタしていた。

そして葬儀の日。

私は、曾祖母からもらった数珠を持って式に参加した。

今まで何気なく持っていたものだったけれど、この日は少し違って見えた。

曾祖母からもらったものを身につけて、曾祖母の葬儀に参加している。

そう思うと、なんとも言えない気持ちになった。

いざ葬式で、曾祖母の笑顔が写った遺影を目にすると、また涙が溢れてきた。

写真の中の曾祖母は笑っていた。

いつもそこにいた曾祖母が、写真の中にしかいない。

そのことを改めて実感した。

読経の最中も涙が出そうになった。

でも、隣には小学生の妹がいた。

なんとなく泣いているところを見せたくなくて、必死に涙を引っ込ませようとしていた。

葬儀が終わると、みんなで用意されていたオードブルを食べた。

遺体がある横で食事をするという状況だったので、正直、食欲なんて湧くはずがなかった。

それでも、これは曾祖母が生前に用意してくれていたものだと思うと、残すなんてことはできなかった。

だから、全部美味しくいただいた。

後から父から聞いた話なのだが、この食事について、文句を言っていたご老人が1人いたらしい。

私はその場では知らなかった。

でも、その話を後から聞いたとき、どうしても許せなかった。

曾祖母が準備してくれていた食事なのに。

この日、曾祖母を送り出すために集まって、最後の時間を過ごしているのに。

そんな場で、その食事に文句を言っていたということが、どうしても引っかかった。

今でもその話を思い出すと、少し腹が立つ。

食事が終わると、知らない人同士――おそらく親戚なのだろう――が会話をしていた。

その横で、私は妹と一緒に棺掛けにメッセージを書いた。

ちょうどハロウィンが近かったこともあり、私たち2人はイラストをたくさん描いた。

その結果、葬式とは思えないくらいポップな棺掛けになった。

しかも、周りから勧められて調子に乗ってたくさん描いたので、気づけばほぼ私たち2人で面積の3分の1くらいを占領していた気がする。

悲しい場ではあったけれど、こういう少し可笑しい思い出も残っている。

今思い返しても、あれはあれで私たちらしい最後のお別れだったのかもしれない。

そして、この頃のことを振り返ると、今でも少し気になっていることがある。

曾祖母が入院していた場所の看護師さんたちから、あまりいい顔をされていなかったらしい。

これも私自身が直接見たわけではなく、後から聞いた話ではある。

それを知ったときは、正直、戸惑いを抱いた。

もちろん、実際に何があったのか、私にはすべて分かっているわけではない。

曾祖母がどんな人だったのかを私は知っている。

少なくとも私にとっては、大切な曾祖母だった。

ただ、看護師さんたちの気持ちも、まったく分からないわけではない。

「もうすぐ亡くなるかもしれない人のそばにいて、何度も対応しなければならない」という状況が、看護師さんたちにとってどんなものだったのか、私には分からない。

毎日のようにそういう人たちと接していれば、精神的に疲れてしまうこともあるだろうし、仕事として向き合い続けることの大変さもあるのだと思う。

そして後から、もう一つ聞いたことがある。

曾祖母は生前、祖父に「早く死にたい」と言っていたらしい。

それを聞いたときは、胸が締め付けられるような気持ちになった。

102歳まで生きた人が、最後にはそんな言葉を口にしていた。

長い人生を生き抜いた曾祖母が、最後にどんな気持ちだったのか。

私には想像することしかできない。

ただ、最後まで生きることと、最後まで生きたいと思うことは、きっと同じではないのだろう。

そんなことを、後になって考えるようになった。

葬式の2日目は、火葬の日だった。

棺桶の中にみんなで花を入れたり、最後の挨拶をしたりした。

1日目にあれだけ泣いたのだから、もう涙は枯れたと思っていた。

けれど、「これが本当に最後に会える機会なんだ」と思うと、また涙が止まらなくなった。

ふと横を見ると、母が泣いていた。

生まれてから今まで、母が涙を流しているところなんて見たことがなかった。

その姿を見た瞬間、さらに涙が溢れてきた。

やがて棺桶の蓋が閉まり、みんなでバスに乗って火葬場へ向かった。

窓から見える空は、雲ひとつない青空だった。

バスの中は、親戚なのだろうお爺ちゃんやお婆ちゃんたちの話し声で賑やかだった。

その中で私はイヤホンをして、窓の外を流れていく景色を眺めていた。

周りの声は聞こえているのに、どこか上の空だった。

火葬場に着くと、無機質な部屋に案内された。

昨日よりは少ないものの、親戚の人たちも集まっていて、部屋はかなりきつきつだったのを覚えている。

曾祖母に最後のお別れの挨拶をして、喪主である祖父が、棺桶の乗った台を奥の部屋へと入れていった。

そのとき、これで本当に最後なんだと思った。

祖父が戻ってくると、昨日と同じように上の階の部屋で食事をとることになった。

部屋の横には、遺体が火葬されるまでの所要時間が表示されていた。

その数字を見ながら食事をするのは、なんとも言えない気持ちだった。

さっきまでそこにいた曾祖母が、今は下の部屋で火葬されている。

その現実感のなさと、妙に現実的な「残り時間」の表示が、今でも記憶に残っている。

そして、火葬が終わった。

みんなで先ほどの無機質な部屋へ戻ると、そこには、曾祖母だったであろう骨と灰、そしていくつかのボルトが台の上に転がっていた。

さっきまで一人の人間だったものが、骨と灰になっている。

それを見ても、まだどこか現実感がなかった。

足元から順番に骨を拾い、骨壷へ収めていく。

初めて経験することだったので、なぜか妙に緊張していたのを覚えている。

それが、私が覚えている曾祖母の葬儀の記憶だ。

あの日から、もうすぐ一年が経つ。

一年という時間は長いようで、振り返ってみると本当にあっという間だった。

当時のことを思い出すと、今でもあの日の青空や、玄関で涙が止まるのを待ったこと、曾祖母からもらった数珠、棺掛けに妹と描いたイラスト、バスの窓から見た景色、火葬場の無機質な部屋まで、いろいろな場面が浮かんでくる。

悲しかったことだけではない。

腹が立ったことも、悔しかったことも、少し可笑しかったこともある。

そして、最後まで曾祖母のことを大切に思っていた家族の姿も、ちゃんと覚えている。

葬儀というのは、ただ一人の人が亡くなったことを悲しむだけの時間ではないのかもしれない。

その人が生きてきた時間や、周りにいた人たちとの関係、自分自身がその人からもらったものを、改めて考える時間だったのだと思う。

曾祖母が亡くなってから一年。

時間が経つのは本当に早い。

でも、こうして思い出してみると、あの日のことはまだこんなにも細かく覚えている。

これから先、もっと時間が経てば、細かいことは少しずつ忘れていくのかもしれない。

だからこそ、今のうちに残しておきたかった。

曾祖母を見送ったあの日に、自分が何を見て、何を感じたのか。

一周忌を迎える前に、こうして記録として残しておく。

きっとこれも、私なりの曾祖母への最後のお別れの続きなのだと思う。

#おもいで
GRAVITY
GRAVITY5
もっとみる

おすすめのクリエーター