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はっち
#ミラクル9

カン


新一
円空仏像
橇にして

臼井優
回答数 70>>
ぼっちだけに
あ、笑うとこですよ〜…

ドロ谷
レアメタルと燃料の値段高騰とか空中橇免許の更新とかパスポートの更新とかトナカイの餌代とか領空通過許可申請とかなんか言ってたかな
そう言えばうちのソリの橇検そろそろじゃなかったっけか、この前ライトつかなくなってトナカイの鼻使ったんだっけ?
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てつべえ
〈日本海軍で、バッターをもって下級軍人を教育するということは常識化していた。しかし、何人もこれによって心腹するということはあり得なかった。たとえ命令通り動いたにせよ(無茶な)、それは畏敬しての心理から動いたものでなかった(中略)ただその通りにしなければまた痛い目に遭わされるという自警から行い、走るだけのことである。(中略)
年次の古い下士官たちにとっては、こういう「特攻」というドタン場にあっても、下の者を可愛がってやろうという思いやりはチリ一つ持ち合わせがなかったのである。(中略)
だから、ちょっとしたことでも、遠慮や会釈はしなかった。(中略。夕食後、総員整列の号令がかけられ、古手の下士官による説教のあと)
かくて一人ずつ引き出され、バッターを振り上げられるままに尻を任せ、あちらでもこちらでも、ばったん、べったんというすごい響きの籠った音が痛みを込めて烈しく鳴る。〉
古参の下士官が代わる代わるにバッターを振るい、解散が告げられるまでに2時間もかかることがあったという。兵舎では古い搭乗員は二段になった寝台で寝るが、若い搭乗員は床の上にシラミの沸いた毛布を並べてごろ寝である。痛む体を毛布の上に横たえて、ほとんどの者が寝静まったあとでも、もっとも年次の若い搭乗員たちは上級者の飛行靴を黙々と磨いている。そして朝になればまた、靴の磨き方に文句を言われ、殴られるのだ。
〈「早く死ねば、それだけ得だ。何も苦労して長生きすることはない。長生きしたとてせめてあと半年とない命だ」
ああ、海軍にただ一つの秘密兵器「神雷」(注:桜花)を扱った捨て身の特攻隊は、かような戦に対する心境を加味している兵らをもっていたのである。(中略)
N兵曹は、甲板整列のあった度に自分たちに言った。
「要するに、バカになればいいんだよ。ここでいくらあいつ(古い下士官)がバカなことを言おうと、それに反駁する自由はこちらにはないんだ。いくら無理を言われても、ヘイヘイと聞き流して、気にかけなかったらいい。なぐられればそれでいいんだ。それが軍隊、海軍なのだからな」〉
やがて、飛行訓練が始まる。佐伯のような水上機出身者はまず、零戦に乗って陸上機の性能を知らなければならない。K1は高度3000メートルで投下されるので、零戦で高度3000メートルまで上昇し、エンジンを切って滑空で基地に着陸できるように訓練する。訓練用の零戦は中古品ばかりだが、故障もせずに飛んでいたという。
零戦での滑空訓練が終わると、順次、K1の搭乗訓練がはじまる。K1ももとは桜花の練習機型だから、帰還のための車輪などつけることはできない。車輪の代わりに橇をつけ、翼端には地面につかないよう半円状のプロテクターが取り付けられた。K1の着陸地点は、飛行場南側の広い草原である。そして、K1に各自一度ずつ乗れば、「技倆A」、すなわち、いかなる状況でも作戦可能な搭乗員とみなされた。
方向感覚もわからず、頭も真っ白
「神雷の回想」には、大田正一のことも書かれている。大田は桜花を発案後、中尉に進級していた。
〈「あいつだぜ」F兵曹が指さして言った。
「大田中尉だ、コン畜生め」
「あいつがくだらんものを作ったために、われわれが死ぬるんだ」〉
――これは、70年後、大田の息子、大屋隆司に話した内容そのままである。
そして佐伯は、昭和20年1月17日、K1の搭乗訓練のさい、事故で重傷を負う。以下は、佐伯が私のインタビューに語った言葉である。
「陸攻からK1に乗り込んだら、さっきまでついていたはずの、額の防護物(着地のさい、前のめりになって計器板に頭を打ちつけても大丈夫なよう飛行帽前面につける)がなかった。いくら探しても見当たらず、準備に手間どったせいか陸攻はまた、旋回を始めました。
桜花の操縦席は爆弾倉の中なのと桜花の翼が邪魔になって、自分がどこを飛んでいるのか、方向感覚さえわからない。それでやっと、隙間から利根川らしいものが見えたとたんに、何の合図もなく投下されたんです。投下のときのマイナスGで体が浮き上がり、K1の風防の天井にしたたか頭をぶつけました。頭の中が真っ白になって慌ててしまい、K1の飛行特性のことなど頭から飛んでしまいました。失速は御免だと操縦桿を突っ込み、ふと速力計を見たら250ノット(時速約463キロ)を指しとった。正規の速度は170ノット(315キロ)だからスピードの出しすぎです。それに操縦桿を突っ込みすぎたものだから地面がすごい勢いで迫ってくる。
操縦桿を引くと、また舵が効きすぎて上昇をはじめた。外を見たら、飛行場がはるか向こうに見える。いつの間にか基地から遠ざかる方向に飛んでいたみたいです。しかも閉めたはずの風防が風圧で開いて、それを力いっぱい閉めようとする間にも高度は下がっていく。左旋回で飛行場に戻ったのはいいけどスピードがつきすぎていて接地ができない。それで、強引に機体を地面にこすりつけて止まろうと思ったら、K1が地面でバウンドして飛行場外の砂利の山にぶつかったんです。そこで意識を失ったんですが」
36針縫う怪我で生き残る
砂利の山を越えて向こう側に落ち、ひっくり返ったK-1から、佐伯は瀕死の状態で引き出された。佐伯の傷は両足打撲と頭と顔に36針縫う裂傷。一週間は目が見えなかったという。
このため、佐伯は神之池基地に残され、結果的に生き残ることになる。
K1での人身事故は終戦までの9ヵ月のあいだに4件、うち死亡事故は2件で死亡者2名。。海軍航空隊の事故による殉職者の総数は、昭和19年が476名、昭和20年が611名だから、他の機種に比べてけっして多くはない。K1による殉職者数は全体の0.2パーセントにすぎないが、じっさいの事故の件数よりも、投下直後に数百メートルも落下し、滑空に入るまでがきわめて不安なこと、エンジンがないために着陸に失敗したらやり直しが利かないことが、搭乗員に与えたプレッシャーは大きかった。(第2回に続く)

てつべえ
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)
太平洋戦争末期、日本海軍は、1.2トンの爆弾に翼とロケットをつけ、それに操縦席をつけたような形の特攻兵器「桜花」を開発、実戦に投入した。「人間爆弾」とも呼ばれた桜花は、母機の一式陸上攻撃機に懸吊され、投下されたら滑空で、あるいはロケットを吹かして敵艦に突入する。のべ10回の出撃で、桜花は米駆逐艦1隻を撃沈、6隻に損傷を与えたが、その戦果はとても犠牲に見合うものではなかった。生き残った元桜花搭乗員は戦後も長く結束を保っていたが、今年(2026年)、ついにその最後の一人が亡くなった。
【後編を読む】「早く死ねば得」人間爆弾・桜花の搭乗員が語った日本海軍の悲惨な実態
私は2023年6月、『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』(小学館)という本を上梓している。大戦中、桜花を発案し、終戦直後に自決したとされながら、戦後は戸籍も名前も失ったまま半世紀近くを別人として生きた大田正一とその家族の数奇な運命を描いたノンフィクションだ。この作品のなかで大きな役割を占める桜花特攻隊員が、貴重な日記を残していた。「死」を目前にした隊員の目に映っていたものとは――。(第1回前編)
人間爆弾「桜花」の発案者に対し渦巻く思い
拙著『カミカゼの幽霊 人間爆弾をつくった父』(小学館)は、「人間爆弾」とも呼ばれる特攻兵器「桜花」の発案者とされる大田正一の数奇な人生を描いたノンフィクションである。大田は終戦直後に自決したとされ、戸籍も名前も失ったまま半世紀近くを生きた。
この本を書くにあたっては、それまでに30年近く、多くの当事者にインタビューを重ねてきたことがきわめて役に立った。大田に関しては、「叩き上げのノンキャリアの特務少尉が海軍の方針を左右できるはずがない」、つまり黒幕がいたはずだという同情的な意見もあれば、特攻隊の下士官兵搭乗員のなかには呪詛に近い言葉を投げかける者もいた。
なかでも、大田に対し辛辣だったのが、元桜花搭乗員の佐伯(旧姓・味口)正明・元上飛曹(1926-2022)である。佐伯は昭和20(1945)年1月17日、桜花の練習機・K1での訓練で着陸に失敗、顔面と頭部を36針縫う瀕死の重傷を負い、そのために出撃することなく茨城県の神之池基地で終戦を迎えた。終戦時19歳。
「大嫌いでしたね」
会いに来た大田の息子・大屋隆司に対し、挨拶もそこそこに佐伯は言った。
「神之池でしょっちゅう会ったけど、直接話をしたということはまずなかった。大田少尉のことは、極端に言うたら(われわれの間では)ボロクソやった。最低の人間や。あいつがこういうこと(桜花)を発明したから俺たちは死なないといかん、そう思う者がかなりおったはずです」
「くだらんものを発明しやがって」
隆司は、じっさいに桜花で死ぬはずだった当事者から、面と向かってそのことを突きつけられたのは初めてだった。
「じつはこんど、人間爆弾の桜花というのを海軍省が作ったんで、そのパイロットになって『敵艦に命中せい』っていうんですよ。自殺ですよね。桜花は爆弾の形しとるでしょ。だから(着陸するための)車輪がないし、練習機には橇をつけた。それで(訓練中に)ジャンプしてね、ほんで私、ケガしたから生き残れたんや」
佐伯は神雷部隊の戦友と4人で写った写真を指して、「私を除いて3人とも戦死しました。私だけが生き残ったわけやからね。みなさんに説明するとき涙が止(や)みません」と言い、さらにこう言葉を継いだ。
「終戦のとき、大田さんへの非難の声もさかんに耳に入ってきました。あんたが桜花というものを上へ、生産をやれと申告しただろうが、ということでね、だいぶひどい目に遭(お)うたようです。殺されてもおかしくなかったでしょうけどね。それで本人も、『わしもこれでは生きておれん』という気持ちになったんやろうと思います」
終戦の3日後、佐伯は大田が零式練習戦闘機を操縦し、神之池基地を飛び立つのを目撃したという。
「あの人は操縦員じゃない、偵察員やから見よう見まねでね。神之池の滑走路をヨロヨロしながら、ちょうどボロの古いミシンでね、布を縫うように上がっていくでしょう。車輪を出したまま南東の方角に向かって、そのうちに飛行機の姿が一つの点になって見えなくなった。どこかで死のうと思ったんでしょうね。私らも、あっちへ飛んで行ったんなら太平洋に墜ちるしかないと話してたんです」
佐伯は、現在の自分自身の気持ちとしては大田正一への恨みはないと語り、つとめて隆司を傷つけまいとする気遣いを見せた。だが、言葉のはしばしに大田への反感はにじみ出てくる。
「おそらく復員した連中のなかには、大田さんを憎む立場の人もおったんでしょう。逃げ回ってたというのは、それが心の底にあったんでしょうね。お父さんは、死んで目をつぶるまで頭にあったと思う、『お前がくだらんものを発明しやがって』という批判がね……」
あらかじめ覚悟はしていたが、やはり面と向かって父のことを「大嫌いでしたね」「最低の人間や」と言われるのは、隆司にとっては心が折れそうになるほどつらいことだった。
思いがけず特攻部隊へ入隊
佐伯正明は戦争中、「大空の記」と題するノート8冊(本来もう1冊あったが、最初のものは戦災で焼失)におよぶ手記を、終戦2年後の昭和22(1947)年には「神雷の回顧」と題した手記を書き残している。いずれも、当事者ならではの視点で書かれていて、資料的価値も高い。
ここでは佐伯の手記を、5回に分け紹介する。旧漢字、旧仮名遣いは現代の書き方に修正するが、日時や人名を意図的にぼかしている部分はそのまま紹介する。
佐伯は、昭和18(1943)年4月、乙種(特)飛行予科練習生、通称「特乙」1期生として海軍に入り、予科練での基礎教程ののち、北浦海軍航空隊で飛行訓練を受けて水上偵察機の操縦員となり、大津海軍航空隊を経て天草海軍航空隊に配属された。
特攻志願のくだりの日記は戦災で失われたが、佐伯は生前、私に、昭和19(1944)年8月、「必死必中の新兵器」の志願が募られたさい、それがどんな兵器かもわからないままに志願に応じたと語っている。
「神雷の回顧」によれば、昭和19年10月、フィリピンで「神風特別攻撃隊」の出撃が始まったときも、「陸上機の連中は忙しくなったな……と他人事のように思った」と記している。天草空は、操縦員9名、偵察員4名、飛行機も零式観測機、二式水上戦闘機、零式三座水偵が数機ずつある程度の小さな部隊だった。佐伯は、志願はしたが水上機の自分が特攻隊に編入されることになるとは思わなかったという。だが、その日は突然やってきた。11月中旬のことである。
〈のんきに水上機で毎日洋上をのり廻していたら、今度こそ本当に自分たちにも「転勤」の追加が来たのである。他人事ではなく、自分たち三名に来た。(中略)戦闘機隊かもしれない。そう思ったが、それにしては様子がへんだと思った。何もかもわからんままで入隊してしまった。(注:11月17日のこと)
「七二一空」(注:第七二一海軍航空隊、通称神雷部隊)に転勤して第一番に思ったことは、ここで使用する小型機は「K1」(ケイワン)というのだということ。(注:K1は人間爆弾桜花の練習機型)
全然予備知識なぞ持ち合わせなかった自分たちが、それを見たいと思ったのはムリもない。
しかも、これが今、全海軍あげて活躍を期待されている特攻機だということも知った。(中略)
K1について、実際に見たのは入隊翌日であった。兵舎で、夕食後がやがやと騒ぎながら総員外出してしまったあと、(一緒に転勤した)三人が残っていると、F兵曹の同期生H兵曹が外出もせずに居残っていて、早速昔友達のF兵曹と話し出した。
「おい。手前見たか」(予科練からこの二人はテメエとよんでいたらしい)
「アレか」
「そうだよ、見たのか」
「いーや、まだだ。うるさいそうじゃないか」
「バカ、見ておけ。何も尻込みすることはない。どうせそれに乗ってしぬんじゃないか。だれが見て文句を言うやつがある」〉
18歳の佐伯少年によるK1観察の記録
K1の格納庫は、たとえ士官でも立ち入りを禁止されていたという。部隊では先輩のH兵曹に言われるがまま、三人は飛行場に出て褐色に塗られた格納庫に向かう。番兵が立っていたが、搭乗員とみると中に入るのを黙認してくれた。
《まわり一面桃色に塗った魚雷型の小さいノッペラボーがおかれているのに目がつく。K1だった。
近寄ってポンとたたく。随分と丈夫だ。カラカラと風防をあけて座席の中へまたがり込む。風防ガラスをカッチリとしめると、とたんに空気の流れがとぎれて、蒸し暑いような感じがした。
前面の計器板には必要な計器…(アップ計)(速力計)(旋回計)(左右傾斜計)(高度計)などがせまい板上にひしめき合っていて、そのそばに、ロケット切換装置が大きくとりつけられてあった。
座席に座ると、アタマが風防ガラスの天井にとどきそうに低かった。外から見ると小さい形をしている割に風防ガラスが突出しているという感じだったが、実際入ってみるとそう広くないのに気がついた。座席右側はフラップの目盛りがついた金具がつけられてあり、危急の際にがっくりと外れて体を放り出す離脱装置があった。ハンドルをぐっと傾けて力いっぱいひっぱると側板ががちゃりと二尺ほど外れて、せまい機体からラクにとび出させる仕掛けになっていた。
これを使用するのは練習のさいだけであるので、もちろん実機(注:桜花)にはこんなものはみられず、落下傘をいれるだけの余裕をもたしてもいなかった。(中略)
操縦桿は踏み棒(注:フットバー。方向舵を動かす)と共に、固く固縛装置によってしめられ、ネジ式の細長い金具が引きとめていたが、これをしないと陸攻の腹の下でパタパタと翼が動くので、陸攻までがゆらいで危ないので、とりつけたものであった。
もちろん上空に達してこれにのりこんだら、第一番に落下傘をつけ、次にこれを外しておかねばならない。ちょっと手間がかかるが、あわてさえしなかったら一分位で外せる。(中略)
このK1の製造は、と尾部を見ると、ワク内に「横須賀空技廠」とかかれていた。〉
18歳の佐伯が、近い将来自分が乗ることになるK1を冷静に観察しているのがわかる。
私は「銀河鉄道999」等で知られる松本零士氏のアニメで「桜花」の存在を知った。戦争は古今東西を問わず人を狂気に陥れる。絶対に繰り返してはならないと強く思う。

新一
怪盗ネコネコ団
キジトラの寅吉親分
風邪引いて鼻水止まらない
それをよそに若い衆
雪にはしゃいで遊んでる
かまくら作って滑り台
スキーにスノボ橇滑り
三毛猫ミウちゃん(生後6ヶ月)
生まれて始めての雪だね
おしるこ出来たにャー!
みんなで食べて温まろう
それを見ている寅吉は
元気があるなら仕事しろ

シオン
はい。
新たな年は、午年ね🐎[大笑い]
やはり、オラが町の帯広で馬と言えば…。
ばんえい競馬ね[ほっとする]
馬橇を挽き、坂を登るレースに御座います。
スピードより、パワー。
力こそ、パワー・・そんな名言も有りましたね🤣
そして、此方ではレースの協賛権が買えまして…昔は1万円だったかな?🤔
まぁ、分かりやすく言うと・・。
お金で、『レースの名前』が決めれるのです[ほっとする]👛
言いたいことが、言えない世の中も...。
これで全て解決🤣
帯広市に遊びに来たら、是非に御利用下さいませ😂
あっ、忘れてました💦
明けましておめでとうございます🥳
今年も、マッタリお願い致します[ほっとする]









ペガサス幻想
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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23517

新一
初めまして、閲覧有難うございます。
神経発達症持ちの独身です。
どうぞ宜しくお願いします。
心理カウンセラーを目指してます。
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ドロ谷
これを読んでいるということはプロフィールを開いてしまったということですね?
ということはつまりこれが読まれてしまったということか、、、
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てつべえ
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シオン
暫く経ったので、あらためて自己紹介です🤗
趣味は・・沢山在って、線引きが自分でも分からないですね😅
投稿の写真を観て感じて下さい。
『考えるな、感じろ。』byブルース・リーです🤣
性格は・・自分の楽しみに生きてます。人の価値観より、自分の価値観重視です😁
特技は…何でも美味しく食べます😋『喰わず嫌いは人の好き嫌いに繋がる』昔の祖父の教えですね🤣
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