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はうちゃん

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☆『別れのブルース '37』

淡谷のり子。服部良一がコロムビア・レコードに移籍してすぐの1936年昭和11年に早速アップテンポのスイングジャズ風流行歌♫おしゃれ娘 を淡谷に提供している。服部はマイナーレーベル時代から淡谷の洋楽テイストなレコードをかなり聴き込んでおり、淡谷のり子と云う女性シンガーにかなり早い段階から注目していたことが自伝に書かれていた。そんな淡谷の才に、服部は入社早々からいきなり、かなりな4ビートのリズムの利いたスイングセッションを宛てがい、効果の程を実感した。
淡谷は1929年昭和4年に東洋音楽学校声楽科を首席で卒業、卒業公演でウェーバーの♫魔弾の射手のアガーテのアリア をその美しいソプラノで披露して、翌日の新聞でも取り上げられ「十年に一度の新星」と賞賛され、誰もがクラシック界へ進むものと思っていたが、元々、没落していた青森の実家、淡谷家を支えて行かねばならず、クラシックで自分の身辺の生活費からまとまった仕送りを賄うのはとても無理と云うことで、流行歌手の道を選択したのだが、当時流行りのヨナ抜き短音階の演歌風流行歌だけは唄うまい、と決めこんでおり、唄うならフランスの香気溢れるシャンソンや情熱のラテンのリズムであるルンバやタンゴといった所謂、ジャズソング系のものに自分の表現法を賭けようと意気込んでいた。東洋音楽学校在学時の頃の実家は赤貧状態でそんな状況でよく音楽学校へ淡谷も行ったな、と思うほどだがそこが淡谷のり子と云う人物を表している。要するに、好きな事には身を賭してでも打込みたいという欲求を抑えきれなかったのだ。身銭は自分で稼ぐ…の精神でバイトを始めたが、選んだのが当時絵画界でも先鋭的だった太平洋画会の裸婦のモデルだった。やがて倍率の高いオーディションを勝ち抜いて淡谷は何とかモデルになることが出来た。高名な画家、田口省吾の「裸婦臥像」が二科展に出品されたモデルが若き日の淡谷だった。田口のアトリエで裸になっていた或る日、休学していた東洋音楽学校で淡谷のピアノの講師をしていた吉原が「おい田口、いるか」と怒鳴り込んできて、裸の淡谷を咎めた。淡谷は一目散に逃げ出した。吉原は田口へ淡谷が音楽学校の生徒で前途有望な娘であることを話した。後日、田口は淡谷へ「キミのことは吉原君から聞いたよ。そういう悩みも打ち明けて欲しい。僕は全て呑み込んだから君は学校へ戻り給え」そう言って淡谷のみならず、目を患っていた淡谷の妹の治療代も田口がすべて面倒を見てくれた。おまけに学校へ戻った淡谷を待ち受けていたのは、それまで一介の生徒に過ぎなかったのにいきなり特待生になり月謝免除という素敵なご褒美だった。これは単(ひとえ)に吉原先生の尽力によるものだったが、同じ東洋音楽学校で淡谷の声楽の師、久保田稲子の一押しも功を奏したようだ。久保田は早くから淡谷の才能を見抜き、経済的にも立ち行かない淡谷家の実情の事も把握した上で敢えて厳しく学校では淡谷に接したが、1歩学校を出ると、お腹を空かせている淡谷にカツライスを奢ってくれたと云う。そして淡谷が壮年期になってからもずっと淡谷を陰で応援し続けた。1985年昭和60年にNHKラジオ第一でオンエアされた淡谷の特別番組にも未だかくしゃくとしていた久保田がラジオ出演して淡谷と対談したテープを私は持っている。こうして見てくると淡谷のり子と云う人物は、周囲に数多の良き理解者たちに恵まれた、とも言えるであろう。東洋音楽学校(現.東京音楽大学)では大正期から高名な声楽家だった荻野綾子に最初は気に入られたと自伝にも書いてあった。荻野綾子、吉原先生、久保田稲子、田口省吾と来てやはり服部良一とのコンビは日本にブルースを浸透させたいと云う服部良一の思いを、作詞家になり立てだった藤浦洸、♫別れのブルース のディレクターだった山内義富に淡谷当人のチームが一丸となり受け止めて、その目標の為に努力した甲斐もあり、成功したミッションだった。
♫別れのブルース は最初は服部良一が日本のブルースを作るべきだ、と藤浦洸とコンセプトをあれこれディスカッションしながら案出した。その数日後、服部は横浜の本牧界隈のチャブ屋街にある一軒のバーで洋酒を傾けていた時に退廃的なシャンソンの♫暗い日曜日 が流れ出した。その時のレコードはその前年の秋にリリースされたばかりの淡谷のり子が吹き込んだものだった。服部はフランス本国版のダミアが唄った盤が好きだった。服部はその時の衝撃を自伝にこう綴っている。「…淡谷のり子の声だ。(中略)今、この本牧のチャブ屋で聴くと、一層の哀愁が強まり心が震えるのを覚える。淡谷のり子だ。本牧を舞台にしたブルースを彼女に歌わせよう。もっともっと低い、ダミア張りの声で…僕はバーを出ると、嬌声が飛び交う夜のチャブ屋街を夢遊病者のように歩いた。ブルーな旋律の断片が、見下ろす港の、沖から寄せる黒い波のように暗く悲しく浮かび消えていった」この服部の記述は貴重である。♫別れのブルース は当初本牧ブルース と題されたのだが、コロムビア・レコード宣伝部からの強い反対に遭い、仕方なしに♫別れのブルース に改変したものだった。つまり何故本牧だったのかの動悸がここに記されているからであり、話は共案者の藤浦洸にも飛び火するからである。翌朝、服部は社で藤浦を捕まえて会議室で昨夜の興奮を話した。そこで藤浦に軍資金として2円50銭ばかりを握らせて…君も早速本牧へ行って詞を掴んできて欲しい…これで、本牧ブルースを作ろう!藤浦はこの時はまだコロムビア・レコードのエドワード文芸部長の私設秘書、と云うかなり曖昧な肩書きで、社内を彷徨いていたので給料も安かったらしい。藤浦の著書には30円渡された、となっていて金額に可也の差異があるのが気になる。藤浦はやはり本牧へ行き裏ブレ気分を満喫してきたが、後日「それでも中々、詞にすることは難しい」と焦燥していた様なので、服部はアメリカの有名なブルース曲を書いたW.Cハンディの書いた名著『ブルース』を藤浦に進呈して、ブルースの基本形である三行詩形の十二小節で見事な『本牧ブルース』を数日後に書いてきた。ハンディの『ブルース』効果が早くも現れたのだ。
♬.*゚窓を開ければ 港が見える
最初藤浦はここだけしか書かない。服部が怪訝な顔をすると、「君なら、次をどうする」藤浦お得意の茶目っ気だ。自信がある証拠だ。服部もふざけて…犬が西向きゃ、尾は東…とカマした。痩身の憂愁詩人は、勿体ぶって首を振り、ペンを走らせた。
♬.*゚メリケン波止場の 灯が見える
服部は「うん、いいねえ。君の得意のカタカナが出たね」
♬.*゚夜風 潮風 恋風のせて
今日の出船は どこへ行く
むせぶ心よ はかない恋よ
踊るブルースの 切なさよ
録音当日、淡谷と服部が少しもめた。「私はソプラノよ。こんな低い音、アルトでも無理じゃない。歌い出しが下のGなんて無理よ」昭和10年代に入ると淡谷は俄然、シャンソンやタンゴの洋楽の日本語盤を積極的にレコードリリースしてゆく。♫ポエマ ♫ヴェニ・ヴェン ♫マディアナ など、兎に角綺麗なソプラノだった。だが、この『本牧ブルース』は彼女に当てて書いたのである。彼女の可能性に賭けた歌である。服部は少々語気を強めて云った。「ブルースはソプラノもアルトもないんだ。魂の声なんだ。マイクにグッと近づいて、無理にでもこの音域で唄って貰いたい」余りの熱量に淡谷も従ったが、その服部の狙いは功を奏したようだ。
だが、一難去ってまた一難、制作陣は仕上がりに自信満々であったが、社内試聴会で営業サイドが、難色を示したのである。「何だか詩も曲も頽廃的ですな。時局に対していかがなものでしょう」「第一このブルースってのはなんです?」
「今までにはないタイプの曲だから、少々心配ですな」「本牧と云うタイトルは知名度が薄いから変更するべき」山内DE.が矢面に立って、懸命の防戦をする。漸く、タイトルを♫別れのブルース と改題して売り出すことで妥協をみた。だが、営業のおエラ方から「やっぱりブルースが気に入らん。別れの曲 とか別れ小唄 とかに出来ないか?」その戦況を黙って聞いてきた服部が憤然と反論した。「それではこのレコードが死んでしまいます。ブルースが、ボクらの目的なんです。今に、日本中のレコード会社が、どこも争ってブルースを作りはじめますよ。その時にコロムビアが後塵を拝して宜しいものでしょうか?時局とは関係ありませんよ」拍手をしたのは文芸部の面面で営業関係者は憮然たる表情だった。「ま、会社が辞を低くしてお迎えした服部先生がそれほど仰るのでしたら、これで行きましょう」昭和12年7月♫別れのブルース
はリリースされた。厳密な意味で我が国のオリジナル曲でのブルースと云うものは遡ること3年前の昭和9年にポリドールから藤田稔名義でリリースした若き日の灰田勝彦の♫浅草ブルース は服部の言うブルース音形で作られた我が国第一号のブルースである。だが、こちらは殆ど売れなかった。因みに作詞はサトウハチローで作編曲は本邦初ガーシュウィンの♫ラプソディー・イン・ブルー を日比谷公会堂で初演を務めた紙恭輔であった。服部も常々尊敬していた人で、どちらかと云えばクラシック系の人であった。
♫別れのブルース は営業や広報からほぼ見捨てられた形となり社としては殆ど無かった為にリリースから3ヶ月ほどは全く売れなかった。…やはりだめか。_| ̄|○ il||li♫別れのブルースプロジェクトの4人は意気消沈するしか無かった。昭和12年晩秋の或る日、満州・大連のダンスホール「ペロケ」で自分の楽団ホットペッパーズを率いて専属していた和製ルイ・アームストロングこと南里文雄から「この夏に東京で淡谷くんとレコーディングした♫私のトランペット も好評だが、それよりも淡谷くんの♫別れのブルース のリクエストが多い。よって、ショーのプログラムには最近じゃ♫別れのブルース を必ず入れてるよ」といった内容だった。不思議なこともあるもんだねえ……。服部が藤浦と話ていると、実は藤浦のところにも作家 浜中浩から絵葉書が来ていて「お前、へんなものを作ったね。♫別れのブルース 満州で大流行だよ。お前を連れて来りゃあ良かった、と皆言ってるぞ」同じような内容のものだった。それから数日後、漫画集団の横山隆一、近藤日出造、清水崑達がコロムビア宣伝部の玉川一郎のもとへ来て騒いでいた。「おい、玉川。♫別れのブルース ってのは、君んとこのレコードだろう。あれ、満州で大流行りだぜ。兵隊達も唄ってるし、病院の掃除の👩‍💼( '-' 👩‍💼 )オバチャンたちも唄っていた」驚いたのは玉川で、営業の方へ確認すると、もうすでに17万枚を突破していると云うではないか。「畜生め、売れているなら営業もそう云えや」後のユーモア作家玉川一郎は、機を逸すべからざると追いうちのキャンペーンに掛かった。♫別れのブルース は発売三ヶ月後に、まず外地で火がつき、長崎、神戸、大阪、横浜と港づたいに東上してきて最後は東京で爆発的にヒットしたのである。川崎のコロムビアプレス工場は連日徹夜作業でも注文に応じ切れない程だったと云う。港港から拡がって、全国の港では自分の港になぞらえて愛唱されているところが面白い、と服部自らが語っている。メリケン波止場と云うのはどこにでもあるようだ。




参考文献:
なつめろの人々 藤浦洸 読売新聞社刊 1971年
ブルースのこころ 淡谷のり子 新日本出版社
1978年
ぼくの音楽人生 服部良一 日本文芸社 1993年
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GALVON
こんにちは😃ガルボンです。なんか コサックダンスに憧れる よろしければ、 ライン スタンプもあるよ😃 Galvonで探してみて下さい
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はうちゃん
27歳、上京女。 反逆者の美学。 上京後、適応障害と鬱病を経てそれでも夢と未来の為。 ゴールデンカムイとジョジョは義務教育。 問いただしたい、命の意味と人生の役目。
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しか🦌
鹿ですフィーヨー 山に住んでます 趣味は美味しい草探しと蹄でギター弾くことです 友鹿はいないです 僕を好いてくれる牝鹿募集中 鶴折れます、ミニマムです 最近の趣味はトンカチの頭を磨くことです
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𝒚𝒐𝒖-ゆぅ-
𝑨𝒑𝒆𝒙 & 日常垢 𝑨𝒑𝒆𝒙 𝑳𝒆𝒈𝒆𝒏𝒅_ 𝑷𝑺𝟓勢 使うレジェント⇨ワットソン、ローバ 好きな武器⇨フラットライン&car &トリプルテイク 以下の場合🙅🏼‍♂️遊びません🙅🏼‍♀️  1.PCの方(キーボード、マウス音うるさい)  2.高校生以下  3.射撃場•カスタム  4.バックミュージック流す  5.プレデター経験者  6.意味の無い射撃、仲間を殴る  7.一緒に遊んでる人に暴言  8.お前呼び
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やっさん
夫婦仲、家計、家族、両親、人生設計、仕事、悩みは尽きないけども、人生一度きり、前進あるのみ、やれる事はやりたい、実現させたい、成功させたい‼️ 日々、頑張ってます(^^)
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