共感で繋がるSNS

関連惑星

ENFPの星

344936人が搭乗中
参加

恋愛の星 公式

304452人が搭乗中
参加
世界がキラキラしてる恋愛も、涙ポロポロの恋愛も、ここでならなんでも話してグラ。

INFPの星

301707人が搭乗中
参加

ESFPの星

216136人が搭乗中
参加

ISFPの星

207066人が搭乗中
参加

ゲームの星 公式

193846人が搭乗中
参加
🎮 ゲーム好きな人が住んでる星🎮 ┏━━━━━━━ゲームの星━━━━━━┓ ┃皆様のゲーム愛を投稿でお願いします!┃ ┃一緒に遊ぶ友達を増やそう ┃ ┃好きなゲームで語り合おう ┃ ┃イベントも打ってるので ┃ ┃ぜひ参加してください! ┃ ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┏━━━━コマンド━━━━┓ ┃ たたかう ▶︎とうこう ┃ ┃ にげる   どうぐ  ┃ ┃ ┏━━━━じゅもん━━┻━┓ ┗━┫▶︎みなさまが楽しめる星 ┃   ┗━━━━━━━━━━━━┛

音楽の星 公式

187817人が搭乗中
参加
笑顔が溢れる瞬間も、心が静まるひとときも、音楽はすべてを語りかけてくれる。感じたままに、自由きままに、ここは音楽の星。

夜更かしの星 公式

158050人が搭乗中
参加
夜更かし好きの方、みんなでゆるく語り合える、まったり深夜の居場所を作りました。

INFJの星

154513人が搭乗中
参加

Girls onlyの星 公式

150580人が搭乗中
参加
ココロのこと・カラダのこと。女性ならではの話題を共有しよう。

人気

関連検索ワード

新着

ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

江戸--東京~浮世之夢噺  ♯ 3

☆浅草から麻布・三田・芝へ

永井荷風が吉原通いをはじめたのは十八歳のときで、「通だの意気だのといふ事に浮身をやつす夜雨になりて、居続けのせ朝も午(ひる)近く、女の半纏(はんてん)借りて寝間着の上に引掛け、われこそ天下一の色男と言はぬばかりの顔して、京町二丁目裏の黒助湯といふに行きしこそ、思返せば銭湯に入りし初めなるべけれ」と昭和二十年三月七日『断腸亭日乗』で回想している。その黒助湯は三日後の大空襲で焼失してしまう。荷風は二十歳の折、落語家朝寝坊むらくの門人となり三遊亭夢之助の名で席亭に出入りし、翌年には当時歌舞伎座立作者をしていた福地桜痴の門下に入り拍子木を入れることから始めている。渡米・渡仏の後、明治四十三年に荷風が慶応義塾の文科教授となった翌年、文科に久保田万太郎が入ってきて、荷風が始めた『三田文学』に刺激され作家を目指すのである。
 荷風、明治十二年生。万太郎、同二十二年生。川口松太郎、同三十二年生。
 昭和二十年一月一日。
 この日は前夜十時、午前零時、黎明五時の三回にわたってB29来襲。
 『除夜の鐘は凄絶なる迎撃の砲音。清め火は炎炎たる火の色なり。浅草蔵前附近に投弾ありし由。この一夜、焼けたる家千軒に近しと。』 
    山田風太郎著『戦中派不戦日記』より
 松飾りなくただ戸毎の国旗のみ。風太郎はこの日飲み過ぎて吐き、泥のごとく眠った。二十三歳、新宿淀橋の東京医専の学生であった。医学生という、学徒出陣を免れる唯一の学生の道に彼はいた。正月六日に浅草花月に三亀松の都々逸を聴きに行った風太郎は、その痛快なるべらんめえ調で「かの憎むべきB公が…」などといって笑わせる芸にさすがと感動している。
 戦後の十一月十七日浅草に行った山田風太郎は、露店で汁粉二円、コルクの栓五個五十銭、竹の皮五枚三円、キャラメル四個百円と見聞している。露店が立ち並ぶ浅草闇市、そこはかつて一葉が、下谷万年町の貧民窟から吉原に通う一能一術これも芸人、として描いた、よかよか飴屋、軽業師、人形つかい、太神楽、住吉おどりに角兵衛獅子といった"うさん臭い"無縁の徒たちが、しばし彼岸の里帰り、近代富国強兵の夢破れし寝ぼれ道、おっと来たさの次郎左衛門、幽霊ならぬうつし世に蘇ったの観があった。
三ノ輪浄閑寺は、写真家で鳴らした故荒木経惟(天才アラーキー!)の生家にんべん屋下駄屋の真ん前にあって、経惟(のぶよし)名付け親が住職であって、ここが遊女没して投げ込まれた投込寺である。「生れては苦界、死しては浄閑寺」と新吉原総霊碑に刻まれている。苦界はもともと公界(くがい)であって、公界とは、私的隷属や貸借関係から解放された「無縁」の場であって、不入権を持ち「いかなる暴力も禁じられ、犯罪者もその内部で逮捕されてはならない自由な場所」であり、したがって、そこに市ができるような場なのだった。その公界が楽(市)としての生命力を奪われ文字通り落としめられ、公界へ転形させられていく過程は、無縁の自由が無縁仏のようなさみしいイメージに零落させられ、家礼型の主従関係(主を選択し、とりかえることができる)から特定の人への私的隷属である家人型の主従関係へとって変わる過程でもあった。しかし、"無縁"の考え方を始めて論考した網野善彦氏が述べているように「文学、芸能、美術、宗教等など人の魂をゆるがす文化はみな、この『無縁』の場に生れ、『無縁』の人々によって担われている」(「無縁・公界・楽」)のである。そのような「無縁」の場はたいてい中洲とか河原、浜などの所属があいまいな境界領域にまずできた。寺や宿、橋詰広場なども「無縁」的性格を持った場であって、そうした公的性格を帯びた場を保護・管理することにおいて、権力は公的なものとして告知されたのである。

 江戸見坂は、山口百恵が結婚式を挙げた後移転して、いまはそこにない霊南坂教会下から、集古館大倉邸に沿って大きく曲がりながら虎の門明舟町へ下っていく急坂で、下りながら新橋から麹町あたりまでの大江戸が眺めわたせる絶景であった。しかし、いまではとりわけこの地域に傍若無人に林立する森ビルなどにはばまれて、眺望場絶望である。
 幕末の日本に滞在したスイスの外交使節団長エーメ・アンベールは、江戸を水の都ヴェネツィアと比較して江戸の運河による水路体系を称賛しているが、下町を中心とする水運の都が江戸の一方の顔であるとすれば、山の手の台地と谷が交互に繰り返すことで生ずる無数の坂は江戸のもう一つの顔であった。川・運河にかかる橋と坂が江戸ほど多い都市場世界でも類例を見ないだろう。橋とは、一休の頓智を待つまでもなく端っこのハシであり、坂とは境のサカであるから、橋と坂を無数に持った都市とは、辺境という他界との境界をそこ・ここに有した呪術的都市なのである。
 永井荷風の『日和下駄』は、「後から勢よく襲ひ過ぎる自動車の響に狼狽して、表通から日の当らない裏道へと逃げ込み、そして人に後(おく)れてよろよろ歩み行く処」に書かれたもので、「坂」の一節に「神社の裏手にある坂をば何となく特徴あるやうに思ひ、通る度毎に物珍しく其辺を眺めるのである」と記している。坂は境目であるから、そう言う場所を意識して寺社が建てられるのである。
 市兵衛町の南の窪地になる我善坊町は御先手組組屋敷のあったところで、将軍に謁見する資格を持たない御家人以下の下級武士が住んでいた、いわば江戸の社宅で、道の両側に長い短冊形の家屋が整然と並んでいる。落合坂を中の道として両側に短冊形に家が並ぶ我善坊町(現麻布台一丁目)は、細長い窪地になっていて四方を高台で囲まれた別世界の静けさを保っている。麻布の台地は大小さまざまな窪地を持っていて、そこは高台にあるメインストリートのチャラチャラとしたビルの喧噪と断然異なった窪という穴があいていて、そこには車が入ってこれない細い路地が入り組んでいる。
 飯倉片町は江戸期には大田原家上屋敷があった。この一画の小さな窪地には、スペイン村と呼ばれるコロニアル・スタイル、窓の形が全部違う洋風の長屋が三棟戦災をまぬかれて立ち残った。昭和十年頃、アメリカ農業視察団に参加した農業技術者上田文三郎親子の手で、西海岸で見たモーテルを原型として建てられたもので、湯殿(バス)を二軒で共用するため両側に扉がついた、いかにもモーテルの造りである。
東京の星東京の星
GRAVITY
GRAVITY9
ちょあ

ちょあ

新宿山の手から丸ノ内線までめっさ歩くやん‼️
GRAVITY2
GRAVITY14
のぶ

のぶ

僕の使命

僕の名前は「おかね」
人によっては「かね」と呼ばれることもあるよ。
僕の宿命は
お金という名前があること。
僕は日本生まれなので、親は国立印刷局もしくは造幣局なんだ。
兄弟も沢山いるよ。
僕の宿命は他にもあって、戦争や国によって僕の価値が変わったりすることなんだ。
でもね。。。不思議なことに僕を作ってくれた人間にとって価値はあっても、動物くんや植物くん達にとっては僕の価値はないみたい。彼らはまるで我が道を行くかのように僕なんて見向きもしないんだ。僕を見てくれるのは人間だけ。

僕の運命は
沢山旅をして、人の手に触れられて、時には外国に行くこともある。
人を喜ばせたり、人を悲しませたりすることもできる。僕の運命によって人の喜怒哀楽を変えたりすることもできるんだ。僕ってすごいだろ!!そして僕は日本で生まれたから価値が高いみたい。

でも、僕にも寿命があって、僕が古くなったり破られたり、燃やされたら、僕ではない他のお金くん達が作られる。そこで僕の一生の役目は終わるんだ。沢山旅をして、沢山の手に触れられて恐らく僕も含めてほとんどの兄弟達は日本で生まれて日本で死んでいく。
ネットワークの発展もあって、僕自身は存在しているんだけど僕が数値だけで生涯を終える場合もある。僕という存在はいるんだけど、実体がないなんて、まるで透明お金みたいだよね。(笑)

僕の使命というものもあるよ。
僕は人に喜ばれたいと思っている。人が自然な笑顔で僕を使ってくれることに僕はとても嬉しくなるんだ。まさに使命だから「神様に使われている」感覚がゾクゾクと感じるよ。僕は自分の意志で歩くことも走ることもできない。でも、笑顔の多い人のところにいって仲間を沢山集めたいと思っている。それが僕の使命なんだ。だって、暗い場所や怖い人の所に行くと、どんな使われ方されるかわからないもん。

君の宿命、運命、使命を聞きたいな。

GRAVITY
GRAVITY20
きなこ

きなこ

山の手線と京浜東北線動かないとかもうみんな休みにしてあげればいいのに😭
GRAVITY
GRAVITY7
みい

みい

山の手と京浜が停電で止まっていて新宿がカオスだ、、、[疑っている][目が回る][大泣き][びっくり]
GRAVITY8
GRAVITY37
1004 アキさん

1004 アキさん

速報!JR山の手線が停電で運転見合わせしています
GRAVITY
GRAVITY7
しろゆめ

しろゆめ

推しの子アニメを見返した。
いい作品を観ると感動と涙と同時に妙な虚無感に襲われる。それは多分自分の人生がクリエイターとして世に機能できなかったからだ。
怠けてた訳じゃない、逃げた時期もあった。だけど自分に鞭を打って慣れない環境に飛び込み続けた方だと思う。挑戦は何度も何度もした。努力が報われるなんて綺麗事は無いと分かっていても「いつかきっと」を胸に日々を生きてきた。
気付けば精神科に通っており鬱を診断され、もっと上のステージへ上がるために自分と向き合う時間が増えた。まず俺の両親は過程を見ずに結果だけで頭ごなしに怒り命令する人だった。
俺は三男で、期待されていない事が両親の言動や俺を見る目で感じ取れた。それは着々とゆっくりと確実に俺の自信を蝕んでいった。中学高校になるといつの間にかボッチになっていた。自分の住んでる県民性が嫌いだった。誰も俺と同じ感覚の奴がいなかった。専門学校で関西に出た。地元からは遠く、知らない人だらけだったが馬があった。初めて心の底から笑って、人と接する事ができた。僕は美容師だ。何年か修行して東京へ行くことに決めた。いつかきっとを叶える為に。しかしそこで待っていたのは蹴落とし合い、批判のし合いでメンタルが削られた。
それでも頑張ってメーカーの講師になれたり店長になれたりした。偉い人とも出会えた。芸能界に精通する人物とも出会えた。自分の店も持てた。だけど気付いたら歳だけ取って何も成し得ていなかった。いつかきっとは夢の向こう側へ行ってしまった。新しく挑戦するのに年齢は関係ないは半分嘘で半分正解だ。美容師という職業は歳を取るにつれ、顧客が付きにくくなる。だってオッサンより若くてセンスいい奴に切られたり話した方が新鮮だろ?40を超えて若い時に成し得ることが出来なかった夢の残骸の波が強く押し寄せる感覚に囚われるようになった。俺は結局誰からも必要とされず誰からも好かれない奴だった。カットが上手い下手よりも、偉い奴に好かれたもん勝ちというのが分かった。結果、俺は何人かの偉くて業界のトップの人達とで会う機会があったけど、いつかきっとを掴む事が出来なかった。
気付けばアニメに現実逃避するようになっていた。自分に都合のいいアニメばかり見て、壊れそうな自我を保ってる。
僕はエンタメが好きだしアートが好きなので、
アニメでもバケモンみたいな作品がある事を知った。そしてそれらを観ると、沢山の手練たちが集まって切磋琢磨して練り上げられた完成度の高いアニメが出来上がる。自分にとってそれは
推しの子だった。アニメーションも演出も音楽も我を忘れて夢中になる程画面に食らいついた。
そして、自分の掴めなかった「いつかきっと」がそこにあるんだと自覚して絶望した。
俺は12年死ぬ気で頑張った店を閉めて田舎へ帰った。うちは裕福じゃなかったから古びた家と古びた原付で今はオバサンサロンで時給1200円で働いてる。
こんな馬鹿げた結果はあるか?
怒りしか込み上げてこない。
友達たちは親の退職金で家と車を買って暮らしている。俺は自分の店の借金の返済をあと10年続けなければならない。原付すら買えない。
自営業の家なんて成功しなければ子供にとってはただの人生ハードモードだ。親の金で住居と移動手段を手に入れられるイージーモードな周りに悔しさと妬ましさを感じながら今なんとか生きてる。
怠けた時もあった。何度も何度も諦めずに挑戦した事もあった。ただ掴めなかった人生を歩いているだけだ。
こんな惨めなことあるか
よく世間では世の中には食べられない人達だっているんだから、それに比べれば幸せモンだよとか言うけれど、そんな屁理屈はクソだ。知ったことか。俺には俺にしか分からない生き地獄がある。これからどんなツラして生きていけばいいんだろう。これから何を糧に生きていけばいいんだろう。
GRAVITY
GRAVITY49
もっとみる

おすすめのクリエーター