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兎さん

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Q.融合次元の一人が負けましたがどうですか兎さん?
A.尖兵一人が負けた程度で痛む胸はないです
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蘇我霊幻道師准尉

蘇我霊幻道師准尉

「空白の150年」3世紀後半の邪馬台国滅亡から5世紀初頭の倭の五王の時代迄の事。

魏に送った人間が呉に渡り、邪馬台国の名前が魏呉両国に知られて三国志時代の最後、呉から逃げて来た水軍や王族とかが朝鮮経由で渡って来て邪馬台国の政権奪おうとしたんじゃ無いかな。
そして仏教を取り入れる辺り、中華思想の反映に近い建築になる。
280〜297年の呉の滅亡辺りから呉服が造られ始めるし、「呉の将軍達は世襲を許された私兵的な屯田軍を持ち、未開発地域で厳しい軍政支配を行っていた。屯田軍は土地開発(開拓)の尖兵であった。」とも評されている事から邪馬台国を攻めて「大和王権」としたんじゃ無いか。もっと言えば応神天皇14年(283年)に百済から渡来した秦の始皇帝の3世孫、孝武王の末裔である弓月君が秦氏とされている時点で、九州は確実に呉國の侵略を受けて、仲良くなったか、多くの国が滅亡したかのどちらか。

考古学の成果では、奈良盆地勢力が列島各地の豪族勢力(吉備政権、葛城政権など)と連合しヤマト王権へ次第に成長して行きその過程で北部九州の勢力は衰退した事を示唆しているとも。北部九州勢力が奈良盆地へ東遷の後、奈良盆地勢力を制圧してヤマト王権となったとする見解もある。。。となれば、北部九州は呉国屯田軍に制圧されて居ると言える!!!兎に角、我が国は幾度も外国から攻撃されて、仲良くなるか、滅ぼすかの二択だったのだ。そして逃げ延びた連中は部落を形成し、排他的になり、やがて差別される流れであった!と妄想して居る。
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ロウヒ

ロウヒ

ガヴFS、ストマック家を再生怪人扱いに割り切ったのはかなり難しい判断だったろうけど、ゾンブからの尖兵として戦わされる作劇と本編では叶わなかった対戦カードにさせるうえでストマック家個々人の内心描写をオミットしたのはハマってたなと思う
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黎明卿

黎明卿

かつては左派から帝国主義の尖兵みたいな扱いで攻撃されてきたジャイカさんが今はインターネット右派から売国奴とばかりに攻撃されてるの、隔世の感がある。有象無象は無視して地味にお仕事をされると良いですな。
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