共感で繋がるSNS

関連惑星

人気

関連検索ワード

新着

瑞樹

瑞樹

あるお話でね、花が枯れるまでは覚えて
いてねってもうすぐ死んじゃう人が友人に
伝えるシーンがあったの。
その人は結局余命宣告通り死んでしまった
んだけど、ふとそのお花をよく見てみると、
「造花」だったんだ。

人の記憶って、作られたもののほうが
忘れないような気がする。ただ流れてできた
ものよりもずっと濃い味を持って残り続ける。
洗脳とかはそれの悪い例だけどね。
きっとみんな、どこか偽って生きることは
あると思う。けどそれでもいいじゃない。
綺麗な姿で残りたいって、結構あたりまえ
のことなんじゃないかな。実際、わたしは
造花好きだな。

変わらないものの良さを私はやっぱり
捨てられないなと思いつつも、その良さを
ずっと感じるためには自分は変わり続けて
停滞を避けないと戻って来られなくなっちゃう
から、やっぱり生きるのは難しい。
GRAVITY
GRAVITY
桃色苦労婆

桃色苦労婆

⚠長文注意⚠

大学の時付き合った6個上の元カレのことを、母は大嫌いだった。「あの人はやめた方がいい」「早く別れた方がいい」と、それでたくさん喧嘩した。結局別れたけど、最終的に母の言ってたのことは正しかったと思った。

それからというものの、何人かと付き合ってはきたが、母に否定をされるのが怖くて、好きな人が出来たとか付き合ったとか、そういうことを一切話せなかった。

だから、母と恋愛話したのは、大学の6つ上の元カレが最後だった。

今の彼と出会って、この子とは続くだろうと思ったのかなんでだか分からないけど、付き合う前からお母さんに「こんな面白い子がいてね」って話しておきたい、ちゃんと公認の上で付き合いたい、そう思った私は、好きになった段階で正直に話した。

最初年齢を聞いた時は驚いてて、でもかと言って否定はせず「どんな子かは分からないけど、まぁこれから大学いったらなかなかむずかしいよねー。それにこれから受験じゃん。それどころじゃないんじゃない?」って返ってきた。

私は否定されなかったことが何よりも嬉しかった。
母親には、「ちゃんと大学生になったら付き合うって約束だからまだ付き合わない」と宣言した。そのあと浪人期を経て(🤮)丸2年かかってようやく付き合った。

それからというものの、会うことを隠さずに堂々と会えることがこんなにも幸せなのかと噛み締めている。

クリスマスも本当は熱海に日帰りする予定だったけど、おばあちゃんが骨折したからお母さんの仕事終わってからじゃないといけなくなってしまった。そのことを申し訳なく思ったお母さんが、代案のチームラボのチケット2枚買ってくれた。そしてそのお礼に、私たち二人から母親にクリスマスマーケットで何かプレゼントを買うことにした。

母と私と彼。堂々と隠さずに言えることが、こんなに幸せなんだって、気づかせてもらった。
本当に彼には感謝がたくさん。
年の差恋愛の星年の差恋愛の星
GRAVITY1
GRAVITY2
無個性

無個性

狩野英孝、昔未成年と付き合ってて相手父に直接謝罪した人

人気なのも分かる
GRAVITY
GRAVITY1
りゅ

りゅ

待って狩野英孝おもろすぎる
GRAVITY
GRAVITY3
うざみ

うざみ

「Cloud クラウド」(2024年)スリラー ドラマ


あらすじ・感想↓(✱少々ネタバレあり)





町工場で働きながら転売ヤーをしている吉井、工場の滝本から昇進の話を持ち込まれるが転売ヤーとしてやっていく為に辞めて転売ヤー1本でやっていくことに決める。家も携帯も全て変え新たな場所で恋人の秋子とアシスタントの佐野を連れて新生活を始めるが…

☆前半は転売で吉井が成功する話なんですが後半は転売ヤーに怒りの鉄槌を食らわすという感じの流れになります。ここから内容に触れるんですが、アシスタントの佐野くんって何者!???そしてなんでここまでして吉井を助けるの?なんで?教えてー!!ってなるストーリー。。まじで理由が「アシスタントだから」だけで不思議なんです。ちょっと笑いました。
ただおもしろかったー。転売ヤーの被害にあった人は雲のように集まって吉井に敵意を向けます。正しくCloud☁吉井は最悪な顛末を迎えるのか…どうなのか…というハラハラ感がすごかったです!Netflixでも近々配信予定なので、これを機に不条理スリラーを楽しみたい方オススメです!

ちなみにカップル役の菅田将暉と古川琴音ちゃんは菅田将暉の「虹」で夫婦役でめちゃめちゃMVが良くて泣けます。。この作品でもパートナー役として出ててそこにも親近感が湧きました。
アマプラ見放題

#菅田将暉 #古川琴音 #荒川良々 #窪田正孝
#アマプラ
GRAVITY

菅田 将暉

映画の星映画の星
GRAVITY
GRAVITY4
なお

なお

なぜ「たった一回」のミスで約束の地に入れなかった?モーセの岩を打った話から見る神との関係性

僕は最近、こんな自分自身の経験を思い返していました。

ついカッとなって、大切な人にきつく言ってしまった後、「ああ、またやってしまった…」と後悔する瞬間です。

その時、聖書の中のモーセの一つのエピソードが、以前よりも深く胸に刺さるようになりました。

民数記20章に記された「水が出る岩」

荒野を旅するイスラエルの民が、またしても水がないと不平を言い始めました。

その時、神はモーセにこう命じられます。

「杖を取り、兄弟アロンと共に民衆の前に進み出よ。彼らの目の前で岩に命じて水を出させなさい」(民数記20章8節、大意)

ここでヘブライ語原文を見ると、神が命じた言葉に注目すべき点があります。

神は「岩に命じなさい」と言っています。

ヘブライ語で「命じる」を意味する「דַּבֵּר」(ダベール)は、言葉で語りかけることを指します。

つまり、神はモーセに「岩を打て」ではなく、「岩に言葉で語りかけよ」とお命じになったのです。

モーセの「二度打ち」

しかし、モーセはどうしたでしょう。

彼は民の前でこう叫びました。「聞け、反抗する者たちよ。われわれがこの岩から、あなたがたのために水を出さねばならないのか」(同10節、大意)

そして、岩を二度、杖で打ったのです。

確かに水は出ました。民と家畜は飲むことができました。

でも、僕がこの場面を読むたびに感じるのは、モーセの行動の中にある「わずかな、しかし決定的なズレ」です。

神は「岩に語りかけよ」と命じられたのに、モーセは「われわれが…出さねばならないのか」と言い、岩を打ちました。

その「二度」という動作の中に、僕はつい見逃してしまいそうな重大なことが隠れている気がしてなりません。

カナンの地に入れなかった理由

神はその後、モーセとアロンにこう宣告されます。

「あなたがたはわたしを信じず、イスラエルの人々の目にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが与えた地に導き入れることはできない」(同12節、大意)

たった一度の、岩を二度打った行為。

なぜそれが、約束の地カナンに入れないという、これほどまでに重い結果につながったのでしょう。

僕が思うに、ここでの核心は「行為そのもの」よりも、「行為に表れた心の姿勢」にあるような気がします。

モーセはその瞬間、神の指示を正確に伝える「器」としてではなく、民の不平に苛立ち、自分自身の力と権威を示そうとしてしまったのではないか。

「神の聖なること」を民の前に現すべきところを、「自分たち」を前面に出してしまった。

そのわずかなズレが、神との関係における決定的な違いを生んでしまったのだと、僕は感じずにはいられません。

僕自身に問いかけること

この話を読むたび、僕は自分自身に問いかけます。

自分もまた、神に委ねるべき場面で、つい自分の力や方法に頼ろうとしていないか。

人々の前に立つ時、神の栄光を現すよりも、自分の正しさや能力を示そうとしていないか。

モーセのこのエピソードは、神と共に歩むことがいかに細やかで、全人格的な関わりを求めるものかを教えてくれます。

たとえ長年信仰の道を歩んできた者でも、一瞬の心の緩みが、神との関係を損なうことがある。

それほどまでに、神は私たちの「心の向き」を大切にしておられるのだと感じます。

---

僕は今、モーセ五書をマンガで学び直しています。

一つの場面、一つの言葉の重みを、じっくりと味わいながら。

もしこのモーセの物語に興味を持たれた方がいらっしゃったら、ぜひマンガ版でその深みを感じてみてください。

気になった方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。

#モーセ五書マンガ
#民数記
#神との歩み
GRAVITY2
GRAVITY3
もっとみる

おすすめのクリエーター