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初めまして! 管理人のゆうきちです^ ^ 大阪に住んでる、住んでないに限らず、大阪が好きな方は是非とも惑星へようこそ!! 皆さんで大阪の好きなスポットや食べ物をどんどん共有して、「行きたい!!食べたい!!」を楽しく広めていけたらと思います(*´꒳`*) 宜しくお願いしまぁーーすぅ!!

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2025年 夏も佳境 残りもキラキラ✨していこうヾ(•ω•`*)イコイコ♡ #ナイアガラ #大滝詠一
緑のしずく
薄く切ったオレンジを  アイスティーに浮かべて 海に向いたテラスで  ペンだけ滑らす 夏の影が砂浜を  急ぎ足に横切ると 生きることも 爽やかに 視えてくるから不思議だ カナリア·アイランド カナリア·アイランド 風も動かない…   #カナリア諸島にて  #大滝詠一   爽やかな南国の風をあなたに🍀🍀
マサヤス 龍之介
岸辺🏝のコラムᝰ✍🏻 # 30 #大滝詠一 #ナイアガラ ☆『EACH TIME/ 大滝詠一 1984 ♯ 1       ♫ペパーミント・ブルー まで』 本年も残り1カ月余。 寒さ一層厳しくなる折、読書子に於かれましては気候差、温度差にご注意遊ばされますようご自愛くださいまし。 年の瀬ともなりますと毎年、2013年の12月30日に亡くなった御大大滝詠一さんのことを思い出す。 あの日は大阪の赴任地から早めに帰省して当時の彼女とドライブを楽しんでいた。運転していた車が京葉道路を快走していたときだった。 自前のCDにも飽きてラヂヲに切り替えた夕刻のニュースで耳に飛び込んできた大滝死すの報に暫くはハンドルを握る手から力が抜けて行くのを感じながら意識だけはキチンと運転しなければ💦…との思いに駆られたことを昨日の様に思い出す。 解離性動脈烈…ニュースで聞き慣れない病名で亡くなった事を聴き、当日の朝林檎🍎を食べていての突然死と言っていたが正直解せなかった。然し、死んだ事は仕方のない事実。 余りに早過ぎる死に空しさと憤りと…なぜ?…と言う問い掛けが数日間頭から消えなかった。 あれから早12年と言う歳月が流れ様としている。 前回の『風街とデラシネ』田家秀樹 '21 初版 角川書店版 # 14-30 の項はアルバム「A LONG VACASION』の軌跡を辿ったが、今回は彼の最期のアルバムとなった『EACH TIME』のレコーディングデータを中心に話を進めて行こうと思う。有難いことに近年、堀内久彦氏が70年代からの大滝のレコーディングをまとめた著書が昨年までに刊行されたのでそれで『EACH TIME』のレコーディングの全容は把握出来る。参考資料は最後に付記しておく。 2004年2月18日、赤坂キャピトル東急に於ける湯浅 学氏から御大へのロングインタビューでの回想では、最初に録音した楽曲は♫夏のペーパーバック と言っているがコレクティングデータではこの楽曲の録音は1983.3.21となっており 最初の録音曲はun cutで1983.1.21である。このデータだけでは楽曲が分からなかった。インタビューでは1983.1.19に♫夏のペーパーバック と語っている。そして1.21に録音したのが1984年の渋谷陽一の番組で掛けたと言われているのがこのun cut である。しかしこの謎のun cut は昨年3月21日にリリースされた『EACH TIME 40th Anniversary Edision』に所収されていた、それまで未発表音源であった♫shuffle off であることが確認できる。 1.27には♫バチェラーガール を録音と語っており、これはデータと合致する。 大滝詠一の場合こうした証言とデータの乖離がかなり頻繁におこるが、これも性格ゆえ、致し難し。それについては山下達郎もそういった指摘をラジオでしていたことがある。 堀内久彦氏が昨年までに著したレコーディング・ダイアリーは主に大滝詠一亡き後にナイアガラエンタープライズを率いる大滝の娘婿の坂口修氏からの録音テープの開示があったのが大きい。大滝詠一本人の判断で大滝はレコーディング中のミュージシャンたちとのやりとりの様子を克明に記録していた。堀内久彦氏はそれを文字起こししてゆく。『EACH TIME』の各曲はすべて六本木ソニーのスタジオで行われた。今回堀内久彦の労作のおかげで断片的だった情報が白日のもとにされて、その全容が掴めたのだ。感謝しかない。 先ず、ハッキリしたのが、最初に録音されたのが ♫夏のぺーパーバック か♫shaffle off か、の問題は湯浅学と大滝詠一との2004年の対談でも話し合われていたとおり♫夏のペーパーバック であった。1983年1月19日 。ドラムは上原"ユカリ"裕。ベースはこのアルバムの殆どの楽曲が長岡道夫。 長岡はナイアガラセッションの常連ベーシストのように言われているが、長岡が大滝のレコーディングに呼ばれたのは実はロンバケセッションからであった。ロンバケの頃の長岡と言えばあの、SHOUGUNのベーシストであり、1978年にeg.の芳野藤丸らとバンドを結成して、松田優作主演のドラマ「探偵物語」の音楽を手掛けてヒット、多忙な頃だったと云う。70年代後半の大滝セッションのメンバーはKB.の井上鑑を中心としたメンバーたちであり、その頃のベーシストは金田一昌吾であり、これにds.の宗台春男を加えれば泣く子も黙るピンクレディーのバッキングを数多くこなしていた。それで大滝の70年代最後のアルバム「Let's Ondo Again」所収の♫ピンクレディー は正にそう云う理由から大瀧が発想して生まれた楽曲だった。ところが、金田一が79年一杯でスタジオミュージシャンを辞めて札幌に帰ってしまったので、代わりのベーシストとしてインペグ屋から声が掛かり長岡にお鉢が回ってきたのだと云う。本年11月1日に発行されたばかりの湯浅学のロンバケの本の中で湯浅は長岡にもインタビューしていて、貴重な数多の証言を取り付けている。 さて『EACH TIME』の初日セッションのミュージシャンたち他のメンバーでは eg.に村松邦男。ここでのeg.村松の役割は殆どリズム。ソロは鈴木茂が担うがこれらリズムを先に録り、後にこのリズムセクションを聴きながら鈴木がソロを弾くのだが、そのダビング作業日が別立てで組まれているので、この初セッションに鈴木は不参加である。大滝のリズムセクションの要とも言えるagに大滝は4人呼集している。ロンバケセッション以来の安田裕美と吉川忠英、そしてこの日はベテラン奏者の石川鷹彦も大滝セッションに初参加している。更にナイアガラサウンドの肝とも言うべきperc.所謂、カスタネット隊としてはティン・パン・アレーの重要メンバーの一人、浜口茂外也(作曲家浜口庫之助の子息)、斎藤ノブほか総勢4人が揃えられて、粗方のリズムセクションの人々は一同に会した。大滝の紡ぐ所謂ナイアガラサウンドは全員せーので、一発録りとよく言われるが、このようにリズムはリズムで全員を集めて一発録りされるが、後日gのソロをダビングしたりストリングスやブラスセクションはまた別録りなのである。厳密な意味での一発録りとはちょと違う。大滝はレコーディング時にミュージシャンを集結して輪の真ん中でマイクでこれら塊の音群にそれぞれ冗談を交えながら細かい指示を出してゆく。時に口伝えで、時に音楽用語を駆使して。そのコール&レスポンスの模様はこの堀内久彦の書に詳しいのだが、1月21日、二回目のセッションで、♫shuffle off がほぼ初日と同じメンバーが呼集された。結局はボツになる録音だったがこのドキュメントを読むとそんな演奏でも大滝はダメ出しをしたりかなり綿密にミュージシャンたちにあれこれ要求している。次が、2月5日の録音でこれはアルバムには入れなかった曲で翌年NHKからの番組主題歌として採用された♫マルチスコープのテーマ(ゆらりろ) として使用されON AIRされ、それから暫くは放置状態だったものが1990年代の山下達郎との新春放談オンエアー時にリクエストが届きそこで初放送後、1995年3月21日にリリースされた「EIICHI OHTAKI Song Book II 大滝詠一作品集 VOL.2(1971-1988)」と言う大滝本人監修による大滝の楽曲提供作品集の中で初披露された。 そしてその翌日は前々から構想を練っていたと言っている♫1969年のドラッグレース これもデータ通り1984.2.6の録音。この日はギター🎸の鈴木茂に予めファイアーバードを持参することを頼んでいたと言う。それであのハードなアプローチが生きた! お次は2月9日に♫恋のナックルボール の未発表テイク。本テイクよりも大分テンポを落としてダースベイダーの声迄いれている(?)。これはデータには未記載であり、かなりややこしい。このテイクは2004年3月21日リリースの「EACH TIME」20周年エディション盤で初リリースされた。2月15日火曜日にアルバム本来の同曲のヴァージョンが録音された。 そして薬師丸ひろ子から映画主題歌のオファーを受け一旦アルバムはオミットとなるが、何せアルバム制作期間中なのでミュージシャンは当然『EACH TIME』と同じ、従ってミキサーもメインの吉田保(吉田美奈子実兄)が司るからサウンドもアルバムと全く同じなのである。この録音が♫探偵物語 と♫すこしだけやさしく になり♫すこしだけ… が2.20 ♫探偵物語 が2.22 に録音。この時点では曲のタイトルは♫すこしだけやさしく が探偵物語で♫探偵物語 は海のスケッチ だった。大瀧の解説によると、それまで薬師丸について何もしらなかった大瀧はこのオファーが来て慌てて薬師丸の主演映画を観たらしい。とある映画の中で薬師丸が久保田早紀の♫異邦人 を唄うシーンを観て印象に残り薬師丸にメリーポプキンのイメージをダブらせたという。そこで作ったのが♫すこしだけやさしく だったという。ところが、この明るいタイプの曲は余りご本人に気に入って貰えなかったようで、もう少し暗くしっとりしたタイプの曲を、という注文があり、急遽作ったのが♫海のスケッチ だった。映画主題歌ということもあり当初から主題歌は映画のタイトルそのままで行くことになっていたことから、そーなったというのが経緯らしい。 間髪入れずにアルバム楽曲に戻り2.27に♫木の葉のスケッチ を録音、アルバムのクレジットでも確認できるMr.北村英治 ことジャズクラリネット奏者の北村英治をスタジオに招聘してこの楽曲で印象的なソロを吹いた。 その翌日に薬師丸ひろ子の♫探偵物語(変更前だから実質的にはすこしだけやさしく Vo.ダビング、3月1日にはミュージシャンの各種ダビング作業を行う。薬師丸の歌入れ♫海のスケッチ 3月3日、ミックスを終えて完成させたのが3月5日。場所はいずれも東芝のスタジオであった。 因みに映画「探偵物語」の音楽は加藤和彦がプロデュースを手掛けて作曲も彼だった。翌日の3月6日日曜日に大滝はレコーディングの合間に東芝EMIの3スタへ行き薬師丸のサントラ盤用劇中セリフの録音に顔を出しており、加藤の仕切るサントラには関与はなかったものの、礼を尽くしている。 そして3月11日金曜日にアルバムでも一番華がある♫ペパーミントブルー を録る。ドラマーは山下達郎の右腕ドラマーだった青山純に替わっている。 しかし、これを大滝はシングルカットしなかった。それに対する発言はないのだが、この曲について大滝は「…ずーっとあのアルバム聴くたんびに、なんかね、葬式のアルバムみたいな気がしてさ。とにかく(歌詞も)終わる話ばっかりなんだよなあ(笑)。うまくいかない話と終わる話ばっかりで。唯一♫ペパーミントブルー みたいなものも、良さそうででも陰がもの凄くあるんだよね。」と20年目に回想している。 確かに言われてみればそうだが、そんな本人の感慨とは関係なしに真っさらな心情で聴いていただければそれなりにリゾート🏝感なアプローチに聴こえるはずだ。 レコーディングを開始してから凡そ2ヶ月。当初このアルバムは1983年7月28日にリリースされる予定だったが、大滝の細かいディテールにまで拘る音作りなどから後から制作期間は伸びてゆく。 続 参考文献 ・ALL ABOUT NIAGARA : 大滝詠一 増補改訂版 白夜書房2005年12月7日刊 ・大滝詠一Talks About Niagara レコードコレクターズ2014年4月刊 ・大滝詠一レコーディング・ダイアリーVOL.3 堀内久、
きっと
さらばささら 今月幕が閉じても この葉達は この通りを走り続けるよ きっと… #ささらホール #ありがとう #音楽をソッと置いておく人 #大滝詠一 #奥州市
マサヤス 龍之介
HE IS MY HERO #29 [LAST] #長嶋茂雄 と#大滝詠一 本月11日放映NHKの長嶋さんのドキュメントで自称ナイアガラーの私が1番熱く観たのが大滝詠一の長嶋愛の件であった。既に放映前からネット上では情報が流れていたのだが、その内容までは知らされていなかった。ゲストには生前大滝さんと親しかった音楽評論家の萩原健太と最初期の大滝さんの一番弟子であった伊藤銀次が対談していたのだが、萩原は'77リリースのアルバム『ナイアガラカレンダー』の中の♬.*゚青空のように は実は長嶋さんに捧げた楽曲だったと生前大滝さんが語っていたという初出の情報にファン誰もが驚いたのではないだろうか?この楽曲はアルバムの中でも大滝さんが目指していたウォールオブサウンドに仕上げた極めて大滝さんらしい明るい楽曲で、私などはそうした曲のよさやサウンド面ばかりに気を取られて大滝さん自ら書いた詞の方にはまるで着目していなかったのである。 この話は恥ずかしくて家族にも打ち明けられなかったというから、大半の人は知らなかったと想像出来る。1984年に『EACH TIME』というアルバムを出して以降大滝さんも長嶋さん同様長い隠居状態にあったが、1993年の山達のサンソンに出演した際に長嶋さんの監督復帰の話を聞いて12歳も若い自分が何もしないでいいのか?と自責の念を語る音源やら(個人的にはこのときの録音テープは持っている)その年のヤクルト戦のニッポン放送の巨人戦で解説に大滝さんが登場した際に誰もが予想していなかった二塁走者緒方の三盗を予想し、見事的中させている。その音源も披露されていた。 大滝さんはその日、スポニチの記者が折角だから長嶋さんと直接会えるようお膳立てしようか?という夢のような話をわざわざ断っている。ファンという分をわきまえていた人だった。 さて、このコラムは長嶋さんの面白発言ばかりを取り上げてまだまだ紹介し切れていないが、ここらで打ち上げよう。 それにしても長嶋さんの唯一無二な明るさは朝に語るのが最も相応しいとしみじみ思いながら、この項を閉じたいとおもう。 約1ヶ月に亘り、最後までお付き合い頂いた皆様に深謝申し上げますm(_ _)m ニコニコ顔 しかめっ面 君はお天気屋さん 笑顔が欲しい ぼくの心 いつでも君のもの
きっと
魔法 かけてくれた 天使が ここに いるんだよ きのう 見つけた時計 今も チクタク動く 続いているよ ずっと前から そして これからも やっと 見つけた 車のキー 今も チクタク動く 雪の中ではなく ずっと手袋の中で🧤 きっと… #うれしい予感 #渡辺満里奈 #大滝詠一 #さくらももこ #今日の一曲