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え


歳上ってこの感じだったわ、、!
っていう久々の安心感。
遠すぎず、近すぎず、心地よい感覚。

いい人すぎて、私にはもったいないかもしれないけど、
気になる存在。

すすみたいなあ。

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鮭の切り身(調理済)

鮭の切り身(調理済)

私はモテるのではなく友達の恋を上手くいかせるキューピット的な脇役の存在でありたい(願望)
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きしま

きしま

固定回線が今ないのでルーム行けてないけど、まだ存在してるので忘れないでね。
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リピート💫

リピート💫

今回の甲州街道旅は旧車祭りで賑わう谷保天満宮からのスタートです。天満宮と言えば菅原道真を祀る社として連想されますが、谷保天満宮の創建者はその菅原道真の三男である道武が903年に現府中市日新に道真の木像を祀ったことに始まります。江戸初期の甲州街道は日新から〝石田の渡し〟を使い多摩川を渡河していましたが、このルートは低地を通ることから多摩川が氾濫する度に通行ができない状態が続きました。そこで水害の少ない立川崖線上を通るルートを整備し現国立市青柳付近から万願寺の渡しで多摩川を渡っていましたが、谷保天満宮はこの万願寺の渡しルートに合わせて社を建てたことから現在でも南から参拝するかたちをとっています。尚、谷保天満宮は湯島天神、亀戸天神とともに〝関東の三天神〟とされています。江戸時代の蜀山人(大田南畝)が『神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん』と一句詠んだことから〝野暮天〟の語源は谷保天満宮とされています

多摩川を渡り日野市側の土手を左折すると60m ほど先に日野の渡船場跡があります。解説版には1834年の江戸名所図絵や大正8年の写真も掲げられているので往時の雰囲気を感じることができます

日野宿は1605年に大久保長安の進言?により整備されたそうです。手前の府中宿や次の横山宿に比べると日野宿は小さな宿場町ではありましたが多摩川を控えた日野宿には防衛拠点としての役割もあり宿場の東西には大きな枡形道が設けられていました。幕末には当主の佐藤彦五郎指導する天然理心流の道場があり、佐藤家に姉が嫁いでいる土方歳三をはじめ、後の新撰組隊士たちが稽古に勤しんだそうです

第二次世界大戦終戦間際の昭和20年8月、八王子市は180機にもおよぶ米軍機の空襲を受け市内の80%が焼失、死者約400人、負傷者は2000人を超えたそうです。その際、多くの人々が大和田橋の下に身を潜め命を取り留めたそうで、このことを後世に伝えるため大和田橋に落ちた焼夷弾17発のうち15ヶ所をカラータイルで、2ヶ所を透明のアクリル板で示しています

#リピ散歩 #旧街道旅 #甲州街道 #日野市 #八王子市
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