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スティーリー団

スティーリー団

「過去を否定せず、現在を肯定する」
そのために最も都合がいい言葉が、

「気づいた」

です。

この言葉がやっていること
• 過去の自分
→「無知だった」ではなく
→「まだ“知らされていなかった”」
• 今の自分
→「勉強した」ではなく
→「真実に触れた」

👉 努力よりも啓示に近い。

これで、
• 過去:責任は軽く
• 現在:価値は大きく

できる。

AIより
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キモオタク

キモオタク

ボーイズラブのアイデアは無限に湧き出てくる どうせなら新しい数式とか出てきてほしかった わたしの啓示だけキモオタクすぎる
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DJ シンスケ!

DJ シンスケ!

悟りは、深く理解する事であり、実現する事。

ロダンは究極まで考え抜き、
キルケゴールは愛を突き放し、
ショパンはポーランドを離れる転機に、
芥川龍之介は絵仏師良秀家に、
芸術や思想を見出した。

土の時代だから暗いし重い。


だからシンセサイザーでは単一の単調マイナースケールに、美や愛や悲しみを見出して行こうとした。ありがちな道筋だ。


風の時代。

軽やかな悟りとはどんな調子なのかを深く理解し実現しようと考え抜いた。

僕の一つの解は、同主調であった。

マイナーでもメジャーでも、共通した音がある。それは突如生まれる!

本当の悟りは、軽やかに明るい境地にあると僕は感じている。

-----
それは突然、啓示のようにやって来ます。

悟りは、自然に、自由に、
そして何の制約にも妨げられる事無く始まります!
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Realization 2026

DJ Shinsuke !

音楽の星音楽の星
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重めのジョナサン

重めのジョナサン

私の番が来た

私は最近、ずっとエッセイを書いている。
決意や覚悟があったわけではない。
気がつくと、書いていた。
あるとき、ふと思った。
私はなぜ、こんなにも
言葉を探しているのだろう、と。

私はいま、生きるという行為のただ中にいる。
違和感があり、喜びがあり、
説明しきれない手応えがある。
そして私は知っている。
それらは時間が経てば、やがて私の中に沈んでいくということを。

だから私は、言葉を残しているのだと思う。
それが何だったのか、
あとから確かめられるように。

子どもの頃、
周りの大人たちは確かに生きていた。
それぞれの人生があり、生活が流れていた。
苦労も、戸惑いも、喜びも、傷もあった。
いい顔をしている日もあれば、
世界の終わりみたいな顔をしている日も。

でも、不思議なことに、
それが何だったのかを語る人はいなかった。
どう通過したのか。
そのとき何を受け取り、何を失い、
何が残ったのか。
誰も言葉にしなかった。

ただ、生活だけが流れていた。

私自身の生活も、同じように流れていった。
そのなかで、私はあることに気づいた。
私は、
私として立っている時間と、
そうでない時間を行き来している。

たとえば、SNSを見ているとき。
どこの誰かも知らない人の言葉に、
批評家のような顔をして
「分かったこと」を言いそうになる瞬間。

そのとき私は、
何も引き受けていない。
世界と距離を取り、
自分を安全地帯に置き、
頭で組み立てた理屈を
真理のように語っている。

その瞬間、私は不在になる。

また、
自分で決めた目標を
自分で淡々とやっているだけなのに、
気づけば「上位何%か」
を検索している瞬間がある。

そのとき私は、
現実に意味を付け足している。

だから私は凄い。
だから私は価値がある、と。

このとき現実は、
私の生ではなく、
意味に置き換えられている。

不在と置換。
どちらも、現実を歪める。

不在は、
起きていることへの当事者性を失わせる。
世界はセピア色になり、
私はどこにもいなくなる。

置換は、
世界を概念や役割や物語に押し込める。
生はデフォルメされ、
ラベルだけが残る。

私は、そのどちらにも留まりたくないと
強く思った。

私はいま、
自分として立つということを
通過し始めている。

なぜ、言葉を残したいのか。
それが、少しずつ分かってきた。

私は、自分がどこに立っているのかを
確かめているのだ。

子どもの頃、
誰も語らなかったあのブラックボックス。
生きるとは何か。
人と関わるとはどういうことか。
自分でいるとは、どういう状態か。
それを、私は理解したい。

正解としてではなく、
通過として。

私は知っている。
この手触りは、
いつか必要な時間が過ぎて、
私の中に落ちていくだろう。

でも、その前に、
ちゃんと言葉にしておきたい。
これは主張ではない。
啓示でもない。
誰かを導くためのものでもない。
ただ、
私がここを通ったという痕跡だ。

私の番が来た。
それは何かを成し遂げる番ではない。
何者かになる番でもない。

自分として立ち、
通過し、
その手触りを引き受ける番だ。

私はそれを、
丁寧に、
言葉にしていく。
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はしぷー

はしぷー

そっちは元気?こっちはちょっとお疲れモード…そっちは元気?こっちはちょっとお疲れモード…
そんなことゆり
引越し前日に🚚アルミホイルと
サランラップとティッシュ箱と- ̗̀📦 ̖́-
後忘れましたが色々丁度切れて❌
縁が切れた啓示みたいになりました( 'ω')🫢
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まみ🌏🚴 🦔⸒⸒💡

まみ🌏🚴 🦔⸒⸒💡

久々に風邪ひきました💦

ここ数年年体調不良からのI年スタート続いてる気がする…😓

今年も体調気をつけてっていう啓示として戒めながら頑張って行こうと思いますー😅😅


寒い日続きますので、皆様もお身体気をつけてー
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重めのジョナサン

重めのジョナサン

海も湖も揺らいでいる

「浮気をしない、かっこよくて、家庭的な男
の人なんていない」
こういう言葉を、わりとよく耳にする。
特に若い頃は、半ば常識のように語られる。

でもそれを聞くたびに、私はこう思う。

いる。普通に。

ただし、たとえ存在していたとしても、
その人の前には現れない。

それは、魅力が足りないからでも、
努力が足りないからでもない。
場所や運の問題でもない。

目線の高さが異なるだけだ。

目線の高さが違うと、
同じ場所にいても、
同じ景色を見ているつもりでも、
視界に入るものがまったく違う。

この「見えない」という状態は、
拒絶されているわけでも、
選ばれなかったわけでもない。

見えない側から見ると、
そこに感情の揺れはほとんどない。
怒りも、失望も、期待もない。

木が揺れているのを見るように、
雨が降っているのを見るように、
自然物を見る感覚に近い。

そして重要なのは、
彼らは「関わらない」と
決めてすらいないことだ。

関わるかどうかを
検討する段階に入っていない。

こうしたズレは、
恋愛に限らず、
仕事でも、人間関係でも、
至るところで起きている。

だが、ほとんどの人は
それを「目線の高さの違い」として
認識できない。

だから、別の説明を探し始める。

私が美しくないからだ。
もっと自分磨きをすればいい。
そういう場所に行けば、
出会えるはずだ。

一見、前向きに見える。
だがこれは、
現実と自己像を
同時に歪める発想だ。

ここで一つ、問いが立つ。
気づかないまま生きることは、不幸か。

結論から言えば、
条件付きで、不幸である。

本当に一ミリも気づいていないなら、
この問いそのものが立たない。
違和感もなく、
この話について考えることもない。
その場合、話はここで終わる。

問題は、
どこかで「何かおかしい」と
感じている場合だ。
それは、
気づいていないのではない。
全く違うものを、
それだと信じている状態だ。

海を知らないのは、不幸ではない。
ただ、
湖を海だと信じてやまないのは、不幸である。

湖を前にして、
水平線を探し、
潮の満ち引きを待ち、
来るはずのない波に期待し続ける。

その間、
湖はただ湖として、
静かにそこにある。

やがて、人は海を知ることがある。
その広さと、深さと、
同時に危険も知る。
だが、
海を見たあとに
湖へ戻る人は、たくさんいる。
「私には、地元のこの静かな湖が合っていた」

それは諦めでも、逃げでもない。
知ったうえでの選択だ。

知らずに湖にいたのと、
海を見たうえで湖を選ぶのは、
まったく違う。

ここで、
もう一つ厄介な問題が生まれる。
目線の言葉が、
暴力になる瞬間がある。

もっと広い世界がある。
本当は、海のほうが自由だ。
その言葉自体は、間違っていない。
だが、

相手が湖を湖として
選んでいるとき、
それは道案内ではなく、
価値の押し付けになる。

相手の静けさを停滞と呼び、
慎重さを恐れと断定し、
選択を逃げだと決めつける。
その瞬間、
言葉は啓示ではなく、裁きになる。

さらに厄介なのは、
湖にいる人自身が
その言葉を内面化してしまうことだ。
本当は呼吸ができているのに、
自分を疑い始める。

これは他者からの暴力であり、
同時に、
自己への暴力でもある。

それでも、
石を卵だと信じて
温め続けたい人はいる。
それは必ずしも、愚かさではない。

人は、
勘違いを真剣にやることで、
予想もしなかったものを掴む
ことがあるからだ。

石は、
どれだけ温めても
卵にはならない。

その真剣さは
真実の代わりにはならない。

だが、
その真剣さによって、
別の真実を掴むことはある。

自分の体温、
時間の重さ、
自分が何を大切にしてしまう人間なのか、
という事実だ。

問題は、
石を温めたことではない。
問題は、
いつまでも
「これは卵だ」と
言い張り続けることだ。

気づいたあとも
手を添えるかどうかは自由だ。
だが、
孵るはずだと信じ続ける限り、
世界は歪む。

この考え方が嫌われる理由は、
残酷だからではない。
わかりにくいからだ。
そして、
私たちがよく知る
物語が生まれないからだ。
成長譚も、
成功譚も、
救済譚も、
ここにはない。
ただ、

人が自分の立っている場所と、
自分の目線の高さに
気づいてしまうだけだ。

それでも、
語る価値がある。
なぜなら、
物語が生まれない場所にしか
現実は存在しないからだ。

この考え方は、
人を導かない。
背中も押さない。
その代わり、
足元を照らす。

わかりにくくてもいい。
物語にならなくてもいい。

私はまだ海を見ていない。
あるいは、
一度見て、湖に戻ってきたのかもしれない。

だが今は、
湖を海だとは思っていない。
それだけで、
世界は驚くほど静かだ。
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ぽんすけ

ぽんすけ

今日はマイケル・シェンカーだ!

神の啓示を受けてきます🍀
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