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勝訴
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アヌ君ダダ漏れ(17

アヌ君ダダ漏れ(17

アイドルが滅多刺しから,
警察の不備を見抜きましょう

ストーカーの原因は凄く短絡してる箇所の浮き彫りで明白になります,すなわち、未然防止策で動こうという事に「法案」が変わらない、つまり
「警察」は単なる無能の集団な訳

SNSもそうでしょつまり「誰かが誰かを助けようとしない」のは助けても無反応や悪態示すなら
「そりゃ誰も助けない」なので,この手の啓蒙活動なんぞ、アヌ君は死んでもやらない

理由は簡単でまずそれを変えないとならないのは
法務省管轄と警察👮なんだろ?て事
て事はしろーとのアヌ君が思う事を給与泥棒(税金泥棒)のこいつらが
捜査過程が怠慢や隠蔽で
抜けるのは当たり前なのです


誰もストーカーに苦しまない未来へ 闘った9年、小金井刺傷事件の被害者・冨田真由さんの独占手記

 「つらい、苦しいという言葉が当てはまる日の多い9年でした」。2016年に東京都小金井市のライブ会場でファンに刺され、一時重体となった冨田真由さんは、事件後の日々をそう振り返る。心的外傷後ストレス障害(PTSD)と後遺症に耐えながら、ストーカーによる凶行を防げなかった警視庁などの責任を明らかにしたいと裁判を続けてきた。


今年7月28日、ようやく迎えた裁判の結末は、再発防止に向けた対策強化と見舞金支払いという「勝訴的和解」(代理人弁護士)だった。冨田さんはどんな思いで闘ってきたのか。共同通信に寄せた手記をご本人の了解を得て、全文公開する。(取材・構成 共同通信=山脇絵里子)
▽「殺されるかもしれない」

 事件が起きたのは2016年5月21日。当時大学3年で音楽活動をしていた冨田さんはライブハウス前の路上でファンの男に首や胸などを刺され、一時は生死をさまよった。その12日前、男が一方的にプレゼントを送りつけ、SNSに執拗な書き込みをすることに恐怖を感じ、警視庁武蔵野署を訪れて相談していたが、署は「切迫性がない」と判断して本部のストーカー専門部署に報告していなかった。

 警視庁は事件後、「安全を早急に確保する必要があると判断すべき事案だった」との検証結果を公表し、謝罪した。ただ、冨田さんが「男に殺されるかもしれない」と訴えていたことは「聞いていない」と否定した。


2019年7月、冨田さんは警視庁が会場周辺の見回りなどを怠ったとして、東京都などに損害賠償を求め、提訴に踏み切った。

▽心えぐられた証人尋問(手記より)

 事件に遭う前に相談していた武蔵野署の担当者から直接、話を聞きたい。警察の対応のずさんさが明らかにされることで、ストーカー行為への認識や対応がさらに変わってほしい。そして、同じような事件がひとつでもなくなり、ひとりでも多くの人が救われるきっかけになってほしい。そう願い、提訴することを決めました。裁判当初、私は正義感や使命感、そんな強い気持ちに満ちていたように思います。

 警察は、はなから非を認める気はなかった。6年間続いた裁判の中で、一番感じたことです。書面でのやり取りを通して返ってくる不誠実な答え。真実を述べることを誓う法廷で、真実を装って語られる作り話。非を認めるどころか、必死に身を守ろうとする姿をずっと見てきました。裁判が進むたびに、やるせなさを痛感する。それはとてもつらい時間で、覚悟を決めてはいたけれど、強い気持ちを持ち続けることは難しかったです。
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小鮎

小鮎

車の修理費と代車費用全額負担してもらえるよう論破しました✌勝訴!!
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ゆき

ゆき

やったー!!!!!
勝訴!!!!!!
事故の過失割合
7:3で私が悪くなくなった!!!!!
シングルママパパの星シングルママパパの星
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狼

道徳的主体として「豚を法廷にたたせた」という史実がある。あなたならどこに着眼して論じる?道徳的主体として「豚を法廷にたたせた」という史実がある。あなたならどこに着眼して論じる?

回答数 5>>

道徳的主体とは、『善悪や義務を自ら判断し、それに従って行動できる、自律的な存在を指す』言葉らしい。

 主体があるとして法定に立たせたなら、その豚には豚なりの自律能力と判断能力があるという事になるので、その前提で進めねばならず、それはつまり、豚なりの権利主張が可能という事になる(やや飛躍だが、そう言う前提と扱いをしなければ、主体を持つとは到底言えそうにない)

 しかし、実態としては豚に主張があったとして、それを完璧に汲み取り、人間が人間のために作った法律で、豚の主張を公平に扱う事が出来るかと言えばおそらく無理でしょう。猿の惑星を観れば分かるが、被告人(正確には被告豚)として立たせたとしてまともな裁判にはならず、豚が勝訴する事は難しいし、裁判官だったとしても豚の判断を反映させた裁判結果は人間からすると納得など難しいものになるでしょう(例︰人の100万~1億倍優れた犬以上の嗅覚を持つ豚が考える異臭問題の受忍限度が人間より圧倒的にハードルが高かったとしても、社会的な受忍限度≒人間の受忍限度で考える方が人間主体社会ではそれを反映させられないはず)

以上の問題を解決するためには豚の豚権を守る活動と法律整備が必要があるが、果たしてその必要があるか?

 この疑問は現在の多様性問題で実際に起きている。
 必要ない、とするなら人間は豚に優先される上級民であり、今まで通り豚を殺して権利を無視して置けば良い。必要だとするなら、ではどのように豚の権利を守るかを真剣に考えなければならず、これは正直容易ではない。

 中世で行われていたのはおそらく「豚に主体があるとして扱った上で、法律の中で裁くという形だけ整える事で、人間全員が納得(安心)して結果を受け入れられる」為に行われた事で、豚の主体など本気で考える気は無かっただろうと邪推する。
 豚だったらそれで良かったんだけどね。

 豚は豚(家畜)のままでいるべきか? 割とゆゆしき問題である。
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