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白いト

Tom
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柚々

はしるくん

えいえ
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白いト
shin
つまり、「手先が器用であるもの」は「精神が狭量である」というステレオタイプが存在したというか。
としゆき
回答数 20>>
強調された醜が強いせい的嗜好として発現したりするというのは、人間の倒錯的な行動や作品群を見ても明らかに存在します。
人によっては汚物が崇める対象になったりもするし、そういう倒錯的な癖を合わせもった異性しか対象にできないという人間は実際に存在しますから、醜に美を見い出すという、人間の美意識の基礎的な設計、つまり深層心理と形成心理とのシステムの様なものが美化と醜化に深く影響して決定づけていくのではないか、と考えました。

夢見る機械の修理屋

実存OK
……ということはわざわざ言葉にしなくても自明なのだが、(チッ)吐き気のするような記憶や記録や習慣などといったものは果たして捨てていいのか?
仮に捨てていいとして、私は果たして本当に「捨てた・捨てた事にするような気持ち」また、事実として捨てることと同時に、私自身にそれは捨てたことだと自分を信じ込ませることができるのか?
ここで私自身が捨てたとして、私ではない他の誰かが拾うに過ぎないのであれば、一切合切を「ないもの」にするわけではなく、在るということを引き受けながら少なくともあと50年間ほど、また同時に一日のうちに幾度となく訪れる、時間のどの最中にいるかも自分自身で見失うような倒錯、あるいは時間の中に存在していないような感覚、そういった、常識的に考え得る人間では認識できないあきらかに異常な情報量の大系処理を自分自身で行いながら、感情を動力源にして意志伝達に努めれば良いのか?
きっと死ぬまで結局筆を取らざるを得ないのだろう。
何ひとつほしいものはないが、「必要」というそれには一体、どこからどこまでが含まれており、私に必要なものはないのだとしたら、私自身もまた存在しているということも「過剰」であるように私は直感的に捉えられる。
本当に必要なものはないし、ほしいものもないし生命力が強すぎる私のような(人間としての)存在を、普通に私自身が生かして置けない。ストレスがかかるたびに更に逞しくなっていくのも、自分で許せない。
何度死のうとしても結局助かり、一方で自分自身が搾取・悪意に晒されていると思うと一瞬にして動力に変換してしまう私が許せない。
しかし、どうしたって私が私という人間である以上、何度精神を、自分自身を自罰的に破壊しようと試みても、保護策を過剰だとしか認められないことや、自由を奪われ続けることに服従しなければならないと思うと、まったく身の毛がよだつね。それらをさらにエネルギーにして文筆に精を出すみたいな、みたいなこともまた、非常に、許し難い。本当にあり得ない。
更に大きな愛情で包んでしまってそういった私自身を愛そうとする穏やかさみたいなものが与えられているのもまた許せない。さっさと適当に死にたい。

sae
もうパンダは全て返していいよっていう
国民の諦めが
ある程度あるような気がする…
仲の悪い人にいつまでも借り物してるのは
いろんな意味で倒錯してるもんね

あらあ
「石破前首相はそろそろ黙ったほうがいい」理不尽な怒りを中国ではなく高市首相へ向ける倒錯、“鳩山由紀夫化”が止まらない(集英社オンライン)
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