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とまときらい

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#愛知#あいち
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ろあ

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雰囲気あるからみてって


#雰囲気のせてる
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🍊蜜柑🍊

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明日夫、残業あってお仕事の予定だったけど
私が具合悪いからと家にいてくれるらしい、、
職場の方々も奥さんのそばにいてあげな〜と
優しい、、。
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重めのジョナサン

重めのジョナサン

話そう

四人以上の飲み会になると、
私は必要最低限のことしか話さなくなる。
これは、たぶん私だけじゃないと思う。
賑やかで、笑い声もあって、
誰かがずっと話している。
場としては、うまく回っている。
それでも私は、
だんだんと言葉が減っていく。

そんな時
私はだいたい身体から先に反応している。

特に食べたいものもないのに、
やたらとメニューを眺めている。
もう何度も見たはずのページを、
また最初からめくったりする。
飲み物もまだ残っているのに、
グラスの中を覗き込んで、
氷が溶けているのをぼんやり見ている。

誰かの話を聞いていないわけじゃない。
相槌も打っている。
笑うところでは笑っている。

私がこうなるのは
話題の良し悪しの問題ではない。
前提が違うのだ。
何をしに集まっているのか。
何を共有したいのか。
何を終わらせたくて話しているのか。
それが揃っていないまま言葉だけが往復すると、

会話は雰囲気になる。
雰囲気は、人を包んでくれる。
場をなめらかにし、
沈黙を気まずくしないようにし、
誰かが孤立しないように働く。

雰囲気が悪いわけじゃない。
むしろ、雰囲気はいいことのほうが多い。
笑いもあるし、
空気も和やかだ。
ただ、
雰囲気は方向までは示してくれない。

どこに向かっているのか。
何が終わろうとしているのか。
誰が、何を持ち帰ろうとしているのか。
そこまでは、雰囲気は連れていってくれない。

だから私は、
雰囲気が成立している場で、
自分の身体だけが少し遅れる。
言葉は飛び交っているのに、
どこか遠い。

そのとき私は、
会話に参加していないのではなく、
会話の役割が変わってしまったことを
身体で察知しているのだと思う。

そして私は常にそう思っているわけでもない
なんだかとてもめんどくさい。

多くの場合、
私たちは「話したい」が先にある。
何かを決めたいわけでも、
何も話すことがなくても、
ただ、話したい。

だから私は今日もルームを探している。

私たちにとって話すとは
どういうことなんだろうか?

私は時折、饒舌に話したことを後悔する。

あんなに話したのに、距離が縮まらない。
それどころか、
話す前より遠ざかったように感じる。

あとから振り返ると、
私はただ、
話したいことを話していただけだった。

そして、そういうときに話しているのは、
たいてい「最近気づいたこと」だ。

相手に話しているようでいて、
実は、話すこと自体が目的になっている。

私は言葉を発することで、
自分の中を整理している。

そしてそれは、
話を聞く側に回ったときも同じだ。

「話を聞いてほしい」と言われた時、
その人はまだ、
自分が何を言いたいのか分かっていない。

むしろ、その出来事が
自分の中で何だったのかを整理するために、
話し始めている。

この二つのことは、
同時によく起きる。

そして、すれ違いを生む。
ここではまだ、
不確かなものについて、
見方の異なる二人が話している。

一方は、
いままさに起きていることを
生きている当事者だ。
一次情報を抱えている。

もう一方は、
その話を聞いている側だ。
どうしても二次情報になる。

当たり前だが、
聞いている側はどうしても
安全地帯に立つことになる。
手触りのない概念で、
考えるしかない。

この立っている場所の違いが、
距離を生む。

巷では、
「悩みを聞いてほしいと言われたときは、
何も言わずに聞いたほうがいい」
という風潮がある。
それは一理ある。

だが私は、
それだけでは足りないとも思っている。

わからないことを、
わからないまま引き受ける。

整理しきらないまま、
相手の世界に触れようとする。

その姿勢があってはじめて、
会話は「整理」以上のものになる。

私はわからないまま
相手の世界の輪郭に静かに触れようとする
ことを「同席」と呼んでいる。

同席した二人が、
それぞれの内面に向き合ったとき、

はじめて会話は、
「整理」以上のものになる。

人はおそらく、
起きた出来事に対する感情や、
自分がどこに立っているのかを、
完了させるために話している。

話し終えたあと、
すっと生活に戻れている会話は、
きっと、同席していた会話だ。

会話とは、それ自体が一つの行為だ。
けれど、話しているあいだ、
現実では何も起きていない。

ここに、大きな落とし穴がある。

私たちは、
話すことで行為をした気になってしまう。

あるいは、
話すことで行為を代替してしまう。
本当は歩いていないのに、
歩いたような気分になる。
本当は何も変えていないのに、
変わったような手応えだけが残る。

私は独立すると言ってから
実際に独立するまで、四年かかった。

この四年のあいだ、
私は何度も
「独立するつもりだ」と話していた。

誰かに。
何度も。
何度も。
その会話のたびに、
少し前に進んだような気がした。

理解された気もしたし、
自分で自分を確認できた気もした。

でも、現実は動いていなかった。
話しているあいだ、
私は確かに行為をしていた。
けれど、
独立という行為そのものは、
一ミリも起きていなかった。

今振り返ると、
あの四年の多くは、
行為の代わりに会話をしていた時間だったのだと思う。

ただ、
あの時間が無駄だったとは思っていない。

自分の気持ちや、
覚悟や、
置かれている現状を、
自分自身が引き受けられるようになるまでに、
どうしても必要な時間だったのだと思う。

話すことでしか、
そこに辿り着けなかった部分も、
確かにあった。

それでも、実際に独立を起こしたのは
言葉ではなかった。

私をその気にさせたのは、
すでに独立して生きている
先輩たちの背中だった。

彼らは多くを語らなかった。
正解も、方法も、保証もなかった。

ただ、すでにそこに立っていた。

会話は、私たちの足元を照らしてくれる。
迷子にならないための灯りにはなる。

今どこに立っているのか、
何に躓いているのかを、
そっと可視化してくれる。

けれど、
実際に一歩を踏み出させるのは、
言葉ではない。

行為を起こすのは、
すでに歩いている行為者の背中だけだ。

会話は、私たちの足元を照らしてくれる。
でも歩くのは、いつも自分だ。

だからそれでも、話そう。
同席したり、すれ違ったり、
ときどき置いていかれたりしながら。

言葉を連れて生きよう。

自分が何を語るのか、耳を済ませよう。
自分が何者なのか確かめよう。

たまには来た道を振り返ろう。
きっと一直線じゃない。

そんなこんなで、
私は今日もルームに潜る。
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