思えば小学校から高校までの授業って、「うだうだ言わずにやれ!」みたいな雰囲気だった。「なぜ?」と考える前に教え込まれて、納得できない状態のまま、試験が始まり採点される。マゾヒズムのルーツはそこかもしれない。
志紀島さんのドゥルーズ論も、(問題提起は良かったのだけど)途中から人間の精神構造をカテゴライズする流れに入り、最終的に「社会に順応してもアウトだし、革命を起こしても宜しくないし、ヤンキーとして生きるしかないかぁ」みたいな話になっていて、何の為にわざわざ「マゾヒズム」や「スキゾ」や「自閉症」といったセンシティブなワードを使っていたのか分からなかった。非常識な思考回路を突き抜けた先に常識的見解に着地するなら、最初から常識の外に踏み出さなくて良かったのでは。