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A子
#曲 #音楽好きと繋がりたい #GRAVITY日記 #音楽
Right Here - Human Nature Radio Mix

マンゴ

マサヤス 龍之介
☆『スイングジャズの花形ボーカリスト.22』
ハリージェイムズ楽団の最大にして彼の代表曲となったレコードが♫You Made Me Love You あなたのとりこ であろう。曲そのものは1913年に出版されたもの。何と100年以上前の楽曲である。当時は舞台劇が全盛期、アメリカではミンストレルショーと言って白人がわざわざ黒人の様に顔に靴墨を塗って舞台で戯けたり歌や踊りを披露したり、そんな文化が一世を風靡していた時代。
昔、日本でもシャネルズ=ラッツ&スターが扮していたのをご記憶の方もあるでしょう。あれはもっと時代が下り1950年代のソウルミュージックやドゥーワップと言った音楽が背景だったようですが、1910年代のアメリカのミンストレルショーは白人絶対主義が罷り通っていた時代、黒人は労働者階級としてそれをコミカルに白人が演じていたのである。これらは100年以上経た現在では差別的と見做されて公的な場ではご法度と成り果ててしまったが、演者が全て黒人を馬鹿にしていた訳ではない。その時の人気者アルジョルスンも黒人への敬意を表した上で演じていた。そのアルジョルスンがこの歌をThe Honeymoon Express"というレヴューで唄い、ヒットした。アルジョルスンの後年のアルバムにもこの歌が所収されている。
それをハリージェイムズ楽団はハリーの艶やかなペットで表現した。1941年5月20日に録音されそれがヒットした。全編インストゥルメンタルだったが、翌年ハリージェイムズ楽団が映画出演した際にヘレンフォレストが唄う場面が挿入されて、後年女性シンガーたちがこの歌をこぞって取り上げた。それだけヘレンフォレストの影響力があったことの証左である。私がSP盤を持っていたのはコニーヘインズの盤だったが、ハリージェイムズ楽団のレコード以上に甘くて今聴くとこれぞポピュラーソングといった趣きである。欧米ではこうした古い歌をリバイバルしてその時の時流に合わせた楽調でアレンジしてレコードにする文化が根強い。日本ではすぐに新曲を求められるが、西洋ではとっくの昔からカバーも文化だった。更に時代が下りコニーフランシスもそうしたカバー曲のヒットが多い。日本では♫VACASION が殊に有名だがアメリカ本国ではヒット曲の傾向がガラッと変わる。そのコニーフランシスもこの楽曲を取り上げている。
さて、ヘレン・フォレストに話は戻るが、1942、1943年の人気音楽誌『ダウンビート』と『メトロノーム』の投票で人気女性シンガーNo.1に選ばれたのがヘレンだった。後進の女性シンガーが憧れたのは無理もあるまい。この当時の女性シンガーと言えば、ハリージェイムズのライバル楽団だったジミー・ドーシー楽団の専属歌手だったヘレン・オコネル、ベニー・グッドマン楽団時代のペギー・リー、トミードーシー楽団専属のコーラスグループ パイドパイパーズに居てこの直後に独立するジョー・スタッフォード、ザビア・クガート楽団から独立したダイナ・ショア、誰よりも早くソロデビューしていたビリーホリデイ、ベテランのミルドレッド・ベイリー、映画の世界からソロシンガーへとデビューした変わり種リナ・ホーン、ビリーと同時期にチック・ウェッブ楽団からソロデビューしていたエラ・フィッツジェラルド こうした錚々たる面々を制しての名誉だった。
1942年7月22日 ロス・アンジェルスで録音された♫ I Had The Craziest Dream はヘレンにとっても又、ハリーにとってもフェイバリット ソングとなる。老齢になってからのハリーは日本人ジャズシンガー真梨邑ケイとこの曲を録音した際に真梨邑に「この曲は僕にとってのマイフェイバリットソングなんだよ」と語ったと真梨邑は話していた。確かにそう言ったのだらう。
続



I Had the Craziest Dream (Remastered)
