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太郎さん

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『フェルナンデス』をめぐり、石原吉郎をめぐるとき
                               
『フェルナンデス』

フェルナンデスと
呼ぶのはただしい
寺院の壁の しずかな
くぼみをそう名づけた
ひとりの男が壁にもたれ
あたたかなくぼみを
のこして去った
   〈フェルナンデス〉
しかられたこどもが
目を伏せて立つほどの
しずかなくぼみは
いまもそう呼ばれる
ある日やさしく壁にもたれ
男は口を 閉じて去った
   〈フェルナンデス〉
しかられたこどもよ
空をめぐり
墓標をめぐり終えたとき
私をそう呼べ
私はそこに立ったのだ

「フェルナンデスと/呼ぶのはただしい」
と石原吉郎は書いた。石原の第三詩集『斧の思想』所収『フェルナンデス』の冒頭である。『石原吉郎全集』(鮎川信夫 粕谷栄市 編集委員 花神社 1980年7月20日 初版第一刷)の『年譜』によるとこの作品は、1970年、「ペリカン14」に掲載された。
「〈フェルナンデス〉」のリフレインが二度ある。この「フェルナンデス」とは誰か。もし私の推論が正しいとすれば『贋作ドン・キホーテ ラ・マンチャの男の偽者騒動』(岩根圀和著 中公新書 1997年12月20日発行)に載る偽者アロンソ・フェルナンデス・デ・アベリャネーダのことだと思われる。
石原はこの「贋作」についても知っていただろうと推測されるが、『石原吉郎全集』のなかにも、フェルナンデスについての言及はない。「男は口を 閉じて去った」のである。この「男」というのは、石原が洗礼を受けた師のエゴン・ヘッセル氏であり、石原自身でもある。

石原はインタヴューにおいても対談においても、用心深いと言っていいほど正確に言葉を選んでいるのがよく判る。石原の「声となる均衡」への留意はこの詩集の表題作『斧の思想』に表れている。「およそこの森の/深みにあって/起こってはならぬ/なにものもないと」。
 
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太郎さん

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『フェルナンデス』をめぐり、石原吉郎をめぐるとき 6                       

「〈フェルナンデス〉/しかられたこどもよ/空をめぐり/墓標をめぐり終えたとき/私をそう呼べ/私はそこに立ったのだ」
 「しかられたこどもよ」と石原はしずかに呼びかける。「空をめぐり/墓標をめぐり終えたとき」。ここには石原のシベリア体験による「空」ばかりの土地で、いつ死ぬかも知れない生(せい)の不確かさ、「空をめぐり/墓標をめぐり終えたとき」が見えるようだ。「私をそう呼べ/私はそこに立ったのだ」。私を「フェルナンデス」と「呼べ」。「そこに」とは石原における「贋作」の境遇、あるいは「贋作」の時代じだいのことだろうか。戦中に諜報部員になり、戦後のシベリア抑留、祖国にいながらの遠い祖国、それらの「贋作」の時代に「私はそこに立ったのだ」と石原は証言する。つまり、石原自身が「ひとりの男」であり、「くぼみ」であり、「しかられたこども」であり、「フェルナンデス」であり、エゴン・ヘッセル氏であり、遡ってはカール・バルトであったのだ。さらに言えば、表題のとおりこの詩の内容そのものが「フェルナンデス」であったのだ。これらは幾重層ものコノテーションになっている。かてて加えて、この詩の終りは始めに戻るのだ。つまり最終行「私はそこに立ったのだ」は「フェルナンデスと/呼ぶのはただしい」に戻るという円環構造になっている。

最後に石原が詩を書く動機について確認しておきたい。
一九五五年石原四十歳の八月 詩「葬式列車」(〔文章倶楽部〕)発表と共に読者代表として鼎談「作品と作者とのつながりをどうみるか」に参加。出席者 鮎川信夫、谷川俊太郎。この鼎談の発言には詩人の全詩業にかかわる興味深いものが含まれている。抜粋記載(全集未収録)。

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太郎さん

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『フェルナンデス』をめぐり、石原吉郎をめぐるとき 4                       

詳細は前記の本にゆずるとして、以上のことを石原がどこまで知っていたかは不明であるが、何ヶ国語にも堪能だった石原は『贋作ドン・キホーテ』の事実を知っていたのは確かだと思ってよいだろう。

石原の『フェルナンデス』にもどる。
 「寺院の壁の しずかな/くぼみをそう名づけた」。
 この詩の疑問に思われる点を検閲(けみ)してみたい。「寺院の壁の しずかな/くぼみをそう名づけた」この「寺院の壁」とは『嘆きの壁』のことだろうか。石原がそこへ行った記録はないが、とうぜん『嘆きの壁』の「イメエジ」が石原の脳裏にあったはずである。その「しずかな/くぼみを」「フェルナンデス」と親しみをこめて「そう名づけた」のである。
「ひとりの男が壁にもたれ/あたたかなくぼみを/のこして去った」。石原にとっては『贋作』である歴史の経験も親しいものになっていたのではあるまいか。繰り返しになるが、この「男」は石原が洗礼を受けたというカール・バルトに直接師事したエゴン・ヘッセル氏、また石原自身のことでもある。推量はしょせん推量にしかすぎない。しかし一体どの歴史が正しいのか、石原には石原の経験した歴史があるのである。それを個人史と言うならば、われわれ個々にとって生(き)の個人史のみが確かなものである。

 「〈フェルナンデス〉/しかられたこどもが/目を伏せて立つほどの/しずかなくぼみは/いまもそう呼ばれる」
「〈フェルナンデス〉」は「しかられたこども」でもある。「しかられたこどもが/目を伏せて立つほどの」。「しかられたこども」が本当に反省を促されたとき、われわれは「目を伏せて立つ」のではないか。「目を伏せて立つほどの/しずかなくぼみは/いまもそう呼ばれる」そうしてうな垂れて、「壁」に「もたれ」る。そこに「しずかなくぼみ」ができる。まず石原自身が自省して「壁にもたれ」、『ドン・キホーテ』、『贋作ドン・キホーテ』にならざるを得なかった、過去であり未来であり得る人びとに「そう呼」びかけているのだ。当然「しずかなくぼみは/いまもそう呼ばれる」「〈フェルナンデス〉」
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