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いるか

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あ、終わったかもって思った瞬間は?あ、終わったかもって思った瞬間は?

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インドのバラナシでプージャ(夜の儀式)を観てる最中に、身体の寒気と咳が止まらなくなって身体全体に蕁麻疹が出てきたとき
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今日の御言葉

今日の御言葉

11月29日(土)

私達は神にプージャー(礼拝)を行っており、神を崇拝して神に従いたいと思っています。
誰の為に私達はこれを行っているのでしょうか?
私達は、自分自身の為に行っているのであって、神の為ではありません。
これを行う理由は、神の中に存在する善い性質の事を思う事によって、私達も、その善い性質を自分のものに出来るからです。

サティヤサイババ
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てらぽ

てらぽ

小5から着てるプージャがポケット擦り切れてザルになったから流石に新しいジャージに変えたいけどオススメのジャージある?
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勇者ばなお⚔️🛡

勇者ばなお⚔️🛡

葬儀はなんの為にあるのか

葬儀とは、死者のための“供養”であると同時に、
生者が「無常」を受け入れ、「生」を見つめ直す修行の場。
「供養」という言葉は、サンスクリット語の “プージャー(pūjā)” に由来します。
もともとの意味は――

「尊敬・感謝・敬意をもって捧げる行い」

つまり、

供養とは、故人(あるいは仏・祖先)への感謝と敬意の実践。

ブッダの教えでは、「死者を救う儀式」というよりも、
生きている私たちの心を整え、正しく生きるための行いとされています。

供養の本質は、

「故人を思う心を通して、“生きる私たち自身”が学び、成長すること。」

人は生きている限り、生もあり老いがあって病があり死があります。

「すべての苦しみは“執着”から生まれる。」

たとえば、
• 「こうありたい」という欲
• 「失いたくない」という執着
• 「嫌いだ」「許せない」という心の反発

これらが私たちの心を縛り、苦しみを生みます。
つまり、生きる苦しみは“外の世界”ではなく、“自分の心”がつくるもの。

生きること=苦をどう受け止め、どう超えていくかという探求そのもの

「生きる」という行為は、
単に時間を過ごすことではなく、
気づき・目覚め・慈悲の実践

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シフ

シフ

プージャでココナッツ叩き割ったら上手くパカッと割れずにヒビだけ入ったんだけど、そのヒビに皮膚が挟まれてココナッツが外れなくなるという珍事が起こりました。
これ、割れ方で運勢を占う的なところもあるみたいだけどどうなん?(多分Gravityに答えを持っている人はいないと思われる疑問)
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