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タク

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ジャズに興味が出て貸しレコ屋に行って、無知ながらジャケットを見てコレ!だと思って借りたアルバム。
アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズのサンジェルマンのジャズ・メッセンジャーズ。
ライブ盤です。若きリー・モーガンのトランペット。ボビー・ティモンズのブロック・コードで攻めるピアノ・ソロ。
高校生の頃の自分はマセていたなぁ。
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ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

デヴィッド・ストーン・マーティン画廊 # 15


#レコードジャケット #JAZZレコード


☆『イリノイ・ジャケー』

村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
 1956年のアルバムで、ジャケーのリーダーアルバム『Groorin' Jacquet』がジャケー最後のアルバムとして紹介されている。ここでの収穫は圧倒的なアート・ブレイキーのドラミングであろう。
別に派手なドラムソロがあるわけ訳でもないが、この人のリズムには陰影がクッキリとしていてジャズの醍醐味を尚一層感じられる。そのシンバルレガートを味わえる絶好のプレイは他の追随を許さない。日本のドラマーにも強烈な影響を与えた。同時代なら白木秀雄、BLANKEY JET CITYにいた中村達也の師匠として有名な日野元彦らのジャズマンらからポップス方面でも、つのだひろ、村上秀一まで多岐にわたり、ブレイキーの日本での根強い人気振りがこれだけで判る。80年代には幾つかのCMにも起用されていた。汗だくに成りながら、一心不乱にドラムを叩く様子がブラウン管から流されていた。
来日も多く当時お昼の名物番組『笑っていいとも』にも出演していたのを記憶している。
出世作は泣く子も黙るアルバム『モーニン』。
日本でもジャズに興味のない方でも一度や二度は必ずや耳にしたこともあろう。ブルーノートの代表的名盤、そして4000番台の華麗なる始まりを告げるファンファーレ的な表題作の印象的なイントロ、何処を切り取っても印象に残る名曲である。曲を書いたのはベニーゴルソン-t.s.がブレイキーから託されてバンドメンバーを一新したピアニスト ボビー・ティモンズ。リー・モーガン-tp.とゴルソンのユニゾンから始まる名イントロダクションに終始鳴り響くティモンズのピアノ、そしてボスのブレイキーの得意技ナイアガラロールがアクセントとして要所を押さえている。ブレイキーの面目躍如に足る名盤としてこの演奏は、100年後にも世界の何処かで流れているであろう。
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Weary Blues (Remastered)

イリノイ・ジャケー

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てっちゃん2

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グラミー賞2度獲得のミュージシャン死去、84歳 自宅で睡眠中に亡くなる 五輪式典で2度も楽曲使用
よろず〜ニュース

ジャズミュージシャンのチャック・マンジョーネさんが死去した。84歳だった。世界的なヒットを収めたシングル「フィール・ソー・グッド」などで知られたチャックさんが22日、ニューヨークにある自宅で眠っている間に息を引き取ったことを遺族が発表した。

1940年にニューヨークのロチェスターで生まれ、ジャズ科目で知られるイーストマン音楽学校で学んだチャックさんは、1960年代にピアニストの兄ギャップと共にパフォーマンスをスタート、アート・ブレイキーのジャズ・メッセンジャーズにトランペット奏者として参加、その後ソロアーティストとして活躍するようになった。

 1970年代に入るとサックス奏者のジェリー・ニーウッド と4人組のジャズグループを結成、人気を得た。1977年にはアルバム「フィール・ソー・グッド」がビルボード200で2位を獲得、世界的なスターとなり、その長いキャリアにおいて2度のグラミー賞を獲得している。

 また、「チェイス・ザ・クラウズ・アウェイ」が1976年モントリオールオリンピック、「栄光をめざして」は1980年レークプラシッドオリンピックと、2度もオリンピックの式典で楽曲が使用された。

(BANG Media International/よろず~ニュース)

ジャズは奥が深い。私が知らない人が二度オリンピックの音楽を担当して居るとは。


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