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きんち

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チェイビス足速いフレコミだったけどベーランはたいしたことなさそうね。今回はしょうがない次回は代走だそう。
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異能者

異能者

なんか

サイドFにウンコのプラモデル置いてるんだって

ガンダムに特化した
それも逆シャア関連と限定に特化したサイドF
と言うフレコミだったのに

プラモデルよりも
グッズの方が多いとか
ウンコプラモデルとか

大丈夫かな?
サイドF

#ガンダムベース
#ガンダムベース福岡
#サイドF
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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

サザンオールスターズとその時代 # 80

#サザンが1番


☆『桑田佳祐の90年代 .1』

1990年に入ってすぐの1月13日、サザンの9枚目のアルバム『Southern All Stars』がリリースされた。実質的には次のアルバムになる『稲村ジェーン』のサントラと同時進行で制作されたらしい。桑田佳祐のファーストから共同製作していた小林武史や素晴らしいガットギターを随所で披露した小倉博和が音作りに大きく貢献している。アルバムタイトルについては昨年出版された小貫信昭著『いわゆる「サザン」について』によれば…前作から4年半という歳月を経て…原点に還るという意志も見受けられる。…と記しているが、40年以上も桑田佳祐に取材してきた割に底が浅いな、と云うのがこの本を読んでの第一印象である。そうしたフレコミで発行前から宣伝されていたので、どれだけの大部の書になるのかと期待していたが、実際書店で平積みされたのを見たときに…え?となった。総ページ254ページ。書き飛ばさなければサザンの46年の歴史を振り返るのは無理である。本書の内容についてはそれなりのものにはなってはいるが、データブックとしてはイマイチである。
アルバム2曲目の♬愛は花のように (Olé! は映画稲村ジェーン でも使用された楽曲でフォルクローレやサルサミュージックに強くインスパイアされた桑田の紡ぎだす新たなジャンル曲として新鮮に耳に響く。歌詞もスペイン語なのが心地よい、
♬忘れられたBig Wave は桑田が仲良くなったばかりの山下達郎に敬意が表しているかのような一人多重コーラスを披露して聴く者の度肝を抜いた。当時日本生命のCMで桑田本人も出演してこの楽曲が使用されたが、余りに斬新なこの曲に釣られて、決めあぐねていた私は生保契約をニッセイに決めたのは云うまでもない。
♬You は現在でもファンが必ずスキに入れるほどの名曲として位置づけられる楽曲である。普遍的なメロディラインは誰もが魅了されるし、サビのキメ…I Remember You はカラオケで唄っていても気持ちよい。この部分はエアーサプライと云う指摘もあるが、ドラムの打込音とともに別に気にはならない。しかしガイドメロディが無いと出だしからつまづくのでカラオケで歌う際はご注意されたい⚠️
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YOU

サザンオールスターズ

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マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

Uber Jazz ♯ 42

 ☆『スイングジャズの花形ボーカリスト.17』
 
ハリージェイムスのバンドによる初のスタジオREC.は1937年12月1日で、初っ端のボーカリストはヘレンヒュームズだった。ハリージェイムスの後にカウント・ベイシーのバンドへ移籍して開花したボーカリストだった。シナトラにせよ、ヒュームズにせよ、ハリージェイムスのバンド時代には彼・彼女らの良さを活かせなかった。最初にジェイムスがバンドを結成した時はベニーグッドマンやカウント・ベイシーのバンドメンバーが多数名を連ねていた。生来のハリージェイムスの人間性が好人物であり友達の輪が瞬く間に拡がり、バンドボス達からも愛されたのであった。
特にリズムセクションのウォルターペイジ-b
ジョージョンズ-ds.がベイシーバンドから、バッククレイトン-tp.もバックアッパーとして2回目の録音まで付き合っていた。ベニーグッドマンバンドからはハーシャルエヴァンス-ts.ジェスステイシー-p.らが参加して凡そ3回目まで付き合った。
ハリージェイムスがベニーグッドマンバンド時代にスタープレイヤーとして君臨したことによるベニーやジョン・ハモンドプロモーター人脈からの賛同もあっただろうし、カウント・ベイシーもメンバーを貸出すのに快諾したことも、ハモンド効果であろう。初期のジェイムスバンドは"白いベイシーバンド"と揶揄されたものだったが、ハリーはそのフレコミを気に入っていた。ハリーはカウント・ベイシーのバンドスタイルが大好きだったので、揶揄を好意的に受け止めていた。しかしハリージェイムスのこうしたバンドサポートに賛同した同時代ミュージシャンではデューク・エリントンも進んでメンバーを貸出した。デュークはハリーとは後に共同で作曲までものしている。1938年4月27日の第4回録音ではデュークの所からハーリーカーネイ-bar.saxがサポートしており、黒っぽさを演出していた。この録音に限りベニーのところからデイブタフ-ds.も参加していた。デイブタフは'38.1.16のベニーグッドマンのカーネギーホールコンサートでズタズタになったリズムセクションの要であったドラムスを矯正する為にベニーはジーンクルーパを解雇して替りにタフを起用してバンドの立て直しを図った。デイブタフはジーンと違って派手で、矢鱈ドラムスを叩きまくるパフォーマンススタイルではなく、スネアを有効的に活用出来るドラマーとしてベニーのバンドのリズム矯正に寄与した。デイブタフはエディコンドン率いるシカゴ派のメンバーでジェスステイシーらとは同僚だった。1939年に入り第5回録音の頃になるとかなりオリジナルメンバーが出揃って出張メンバーの姿は粗方消えた。同年2月20日の第5回録音ではバンドテーマ曲となった♫Ciribiribin やハリージェイムスの後の十八番となる♫スイート・ジョージア・ブラウン、それにこれもハリーのリサイタルやライブでは必ず取り上げる♫Two O'Clock Jump もこの日に録音された。この日の録音ではボーカリストはバーナイス・バイアスだったがこの日と次の第6回録音、1939年4月6日と2回分の録音で降ろされて翌5月24日の第7回録音からは新進のコニーヘインズに取って替わる。そして次の第8回録音、7月13日から例のフランク・シナトラがバンドに加わる。当初、シナトラという名前は余り馴染みが無かったからハリージェイムスはシナトラという名前を変える様命じたらしいが、シナトラが頑強に本名に拘ったのでそのままで行くこととなった。1939年11月8日、シナトラのハリージェイムスバンド最終録音日にシナトラが唄ったバンドテーマ曲
♫Ciribiribin を本回はお聴き頂く。


※ 画像は初期ハリージェイムスバンドの音源が多く所収されているドイツFLAPPARレーベルの1枚。30年以上前に新宿・帝都無線で購入した。
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Ciribiribin (They're So in Love)

ハリー・ジェイムス&ヒズ・オーケストラ

スイングの星スイングの星
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