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くりねずみ

くりねずみ

ソクラテスが批判したスタンスまで哲学と言うのはなですか?ソクラテスが批判したスタンスまで哲学と言うのはなですか?

回答数 7>>

「哲学」という言葉に縛られているのではと思います。

フィロソフィア(知恵を愛する者)という言葉はソクラテスよりも百年以上前にピタゴラスが言ったとされたもので、ソクラテス自身が哲学という言葉の意味を厳密に定義したわけではないと思います。

確かに『パイドロス』には以下のような記述があります。

『これを「知者」と呼ぶのは、パイドロス、どうもぼくには、大それたことのように思われるし、それにこの呼び名は、ただ神にのみふさわしいものであるように思える。むしろ「愛知者」(哲学者)とか、あるいは何かこれに類した名で呼ぶほうが、そういう人にはもっとふさわしく、ぴったりするし、適切な調子を伝えるだろう。』(岩波文庫175〜176P藤沢令夫訳)

これはあくまでプラトンが書いたことであって、ソクラテスが実際に「哲学とは何ぞ」ということを話したわけではないということです。

ピタゴラス、ソクラテス、仏陀、孔子、イエス、人類の偉大な教師はみな書く人ではなく話す人でした。おそらく、テクストに束縛されたくなかったのでしょう。自らの教えが、弟子の心に残って成長し、花開いていくことを望んでいたのだと思います。

『パイドロス』には書かれた言葉と生きた対話を比較する箇所があります。書かれた言葉は自力で返答したり、自分の意味を説明したりしない。何かを語っているように見えるが、それは固定されて動かない。書かれた言葉は死んでいるのです。それに比べて対話は、確かに書かれた言葉のように残りはしないけども、飛び立つ鳥のように生き生きとしている。

パウロはこう言っています。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」と。これは、あらゆる規則や教義、思想において、その文字面や形式(文字)だけに囚われると、本来の目的や生命(霊)が失われてしまうという教えです。

私としては、哲学はもっと身近で、誰にでも開かれたものであってほしいと思ってて、ソクラテスの態度もまさにそれだったのだと思います。「これは哲学」「これは哲学ではない」と線引きして、哲学を象牙の塔に押し込むこともないでしょう。これは彼の思想に明らかに反している。キケロは「ソクラテスは哲学を天から引き下ろし、人のうちに住まわせた」と述べています。SNSの場において、血の通った生きた人間が、生きた知識を共有し合うこと、哲学とはそういうものだと思っています。
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めいか

めいか

哲学は文学だと思いますか?哲学は文学だと思いますか?

回答数 20>>

私の認識では

・社会的・歴史的な扱い
・宗教的背景や共通概念の扱い
・時代・地域区分や文化的な区分の中での哲学書・文学書としての立ち位置
・書いた本人とそれを区分した人の認識

これらの要素によって「哲学か文学かどうかが決まる」と思っています。
一般的には「客観的とされる分類」ですね。


またそれとは別軸で、哲学書や文学書を読んだ人の中でその本がどちらに分類されるかは、「個々人の持つ背景や思考によって変化する」とも考えられます。

そして「読んだ人の背景によって分類が揺れる典型例」としては、

・ニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』
・プラトン『饗宴』『パイドロス』などの対話篇
・ヘーゲル『精神現象学』

といった、「哲学書でありながら、文学的にも読まれ続けてきた作品たち」が挙げられます。


なので結論としては【客観的な分類と読んだ人の認識・分類によって、どちらでもありうるし、どちらの概念も内包されている】ということになります。
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