共感で繋がるSNS

人気

関連検索ワード

新着

Wayla(わいら)

Wayla(わいら)

なんだって良いじゃねぇか(ニヒリズム)

(紆余曲折の自己否定からの)

なんだって良いじゃねぇか(大悲)

-悟-
GRAVITY2
GRAVITY2
liqpil

liqpil

部屋掃除してたら懐かしい音楽が出てきた。

比較される対象としてCosey Fanni Tuttiの自伝書を読みながらGudrunを聴いている。
理解される前提で書いていないCoseyの手記とGudrunの全くSweetではないニヒリズム。同じインダストリアルを通過したアーティストの温度差。なぜこの2人が交差しなかったのか。

Cosey

危険な構造を外から批評するより、中に入って確かめる

Gudrun

構造を理解する編集者

といった差異化はできるかもしれない。

• Malaria! → 社会の中でどう立つか→ 「ここに立ったら、世界はどう見える?」
• Throbbing Gristle → 社会そのものを壊せるか。→ 「世界なんて最初から壊れてるだろ?」

つまり2人が交差する下地は最初からなかったのかもしれない。
GRAVITY

Sweet

Gudrun Gut & THOMAS FEHLMANN

GRAVITY
GRAVITY2
なな

なな

ずっと私は一人な気がする、劣等感から逃れられない。劣等感もない人同士がまた幸せになっていくのかななんてすごくニヒリズム的になってしまってる。人生やめたい
GRAVITY
GRAVITY18
吉田賢太郎

吉田賢太郎

​🌌 君の世界は、君の「心」が創る詩 (ポエム)
​第1章:社会という名の檻 ⛓️
​僕らは気づく、この世界が不自然だと。
マナーやルール、それは誰かが作った檻。
本当の君の叫びを、本能を、そっと隠す仮面。
​でも、安心しなよ。
君の心をどこまでコントロールできるか、
それだけが、君が本当に支配できる領域なんだ。
人の評価や、過ぎた出来事? それは風。
掴めないものに力を使うのは、もうやめよう。
(コントロールの二分法)
​第2章:心の欠片と深い傷 🧩
​時に心はバラバラになる。
ストレスという嵐が、僕らの脳を歪ませる(統合失調症)。
もっとひどいトラウマは、自分自身をいくつにも切り離す(解離性障害)。
​君の中に複数の自分がいるように見えるかもしれない。
それは、傷ついた君自身を守ろうとした、愛の証だ。
外の人間を知り尽くす前に、
君の内側のすべての君を、まず愛してあげて。
レッテルを貼るのをやめ、すべてを抱きしめるんだ。
​第3章:意味の虚無と君の価値 💫
​夜空の星に、君が生きる意味は書かれていない。
探しても、探しても、この世界に客観的な目的なんてない。
(ニヒリズム)
​でも、それが希望だ。
無意味な世界だからこそ、君は自由だ。
​君の行動、君の涙、君の笑いが終わった後で、
君の心が「これは価値があった」と後付けする。
(後付けの結果論)
​全ては心次第で世界観が変わる。
世界は君を待っているんじゃない。
君が世界に、君自身の意味を書き込むのを待っている。
​君の世界観は、君だけの解釈で創られる、最高の詩なんだ。
GRAVITY
GRAVITY10
めんちかつ

めんちかつ

生の苦悩と死の多様性:ニヒリズムと他者への投影

苦悩からの解放とニヒリズムの根底

 生きることがすべて苦悩ならば、それから解放されること、つまり死ぬことは苦しみからの離脱を意味し、本来は幸福なものとして考えられるべきです。

 しかしながら、私たちの多くは死ぬことになんとなく嫌悪感や理不尽さを感じ、それを忌(い)み嫌い生きています。

 現在、自分の中に経済的不安や、自分の健康に対する恐れがない人々は、その幸福を享受し、自分があたかも永遠に死なないかのような錯覚を覚えます。

 ほとんどの人間にとって、幸福とは快楽と同義であり、さながらその精神的、身体的な快が永遠に続くのかの如く錯覚を覚えます。一つわかっていることは、私たちは必ず死ぬのであり、その意味ではどんな人生もむなしいし、さみしい、そうしたある種のニヒリズム、虚無主義が私たちの精神の根底にはいつもあります。

感情の他者への投影と「不幸」の忌避

 宴会で酒を飲んでいるとき、自分が気持ちよく酔っているときに、仲間や同僚がその宴(うたげ)を楽しんでいる様子が感じられないとき、私たちは不快感を感じます。それはつまるところ、私たちはいつも自分の感情や内面を他者に投影させます。自分の今の感情は、他者も今感じているであろう気持ちに近い、もしくは同じようなものだと常に推測するのです。

 うつ病の患者や、憂鬱質(ゆううつしつ)の人たちが忌(い)み嫌われるのは、ひとえにこの自分の気持ちの、他者への投影が原因です。私たちはいつも他者に、自分の気持ちを強制します。自分が悲しい時に他者が喜んでいると不快を感じますが、同時に自分が楽しんでいるときにそばにいる人が悲しんでいたり、憂鬱であったりすると、またこれに対しても不快を感じるのです。

呼吸と生:自発的な苦痛の選択としての自死

 ところで、私たちはどんな時に死にたいと感じるのでしょうか。生と死はひとつとするならば、生きることはまさに死ぬことでもあります。たとえば私たちは生きているときに、ただ一度だけ呼吸を止めます。するとそれはたまらない苦しみであり、次に息を吸うまでその苦しみは続きます。

 思うに水泳の得意な方は、息を止めるのが上手な方であり、生きることと死ぬこと、苦しみに耐えることのうまい人間だと察します。いつでもおぼれ死ぬことはできますし、呼吸を自由にできないのは苦しみでもあります。

 人間というのは呼吸をしないだけでも死ぬ存在なのです。それゆえに、自分から死のうという方は自分から呼吸をしない人にその考え方は等しく、自ら生を断つ人は、自ら苦しみを求める人でもあります。

 確かに死と、苦しみは同義ではありません。睡眠薬による自殺、飛び降りによる一瞬の自殺、前者はおそらくは薬物により死の苦しみから免(まぬが)れて死ぬことができる可能性がありますし、高い建物から飛び降りることは、おそらくは一瞬の苦しみを経(へ)るだけで、それはほかの死に方よりも楽な可能性もあります。
 
 生のあり方は人それぞれです。そして、死に方も人それぞれ、多様性があります。ある人はこめかみに拳銃を当てて自殺し、ある人は薬物により死ぬ。そしてまた違う人は車が多く通る道路に身を投げて死にますし、高いところから飛び降りる人、水の中に入り溺死(できし)する人、あげればきりがないほど自殺の仕方はあります。しかし、先ほど申しあげたとおり、人間は呼吸を一度しないだけで死ぬことができる存在です。むしろ、生きているほうがおかしいくらい、それは誰でもわかります。

二つの自殺の動機:名誉のためか、自己の苦のためか

 では人はどんな時に死にたいのでしょうか。一般的にわが国では自殺は尊い行為でした。一番有名なものは切腹であり、自分の名誉のため、あるいは大切な人、主君や家族の名を汚(けが)さないため、侍(さむらい)と呼ばれる人、もしくは帝国陸軍の軍人たちは、積極的に腹を切ったり、敵軍の中に万歳と飛び込み自決をしました。
 
 これらの行為は現代を生きる私たちにはわかりにくいことかもしれません。なぜならば私たちは生き恥をさらすことよりも、無駄死にすることを恐(おそ)れるのであり、一般的に他者に対する名誉よりは、自分自身の人生や幸福を尊重します。

 今の世の中で他者に対する、もしくは自分に対する名誉のための自殺は少ないかもしれません。しかし、自分が会社のために思うように仕事ができないから、人と比べて劣っているからとか、そういった理由で死ぬ方は多くいると思います。

 自分の生よりも他者への名誉や、他者の幸福を優先するときに、人間は自分のためではなく、彼らのために積極的に死を選び取ります。それは基本的に昔も今も変わらないと感じます。

 他方で、病苦による苦しみ、貧困ゆえの苦しみにより、積極的に死を選ぶ人もいます。これは徹頭徹尾(てっとうてつび)自分のための、自分を苦しみから守るための死であり、その理由はあきらかです。

無目的の自死と「幸福な人生」という幻想
 
 では人は苦しみから逃れるときに自死を欲するのでしょうか。ただ他者に対する自己の評価とか、他人に対する名誉のためにだけ死ぬのでしょうか。私はもう一つ、無目的な自死があると思います。時たま、人生に何も悩みのないような小学生が自殺したとニュースが飛び込むことがあります。それを見て世間の人たちは

「生きていればよいことがあったのに。」

 と口をそろえてつぶやきます。しかし、その良いことというのはいったい何でしょうか。ある人は結婚したり、子供を作って家族を持ったり、楽しいことはあるとおっしゃいます。しかしそれらの人生のできごとは、人生のイベントの一つであるだけでなく、苦しみの一形態に過ぎないと感じます。

 生きていても、恋愛もできない、結婚もできない、結婚しても子供が産まれない、それは新たな内面的な苦しみであり、自分の幸福を他者や、あるいは財産とかにまかせるおろかな試(こころ)みであり、その行きつくさきは幸福でないこと、つまり不幸な人生です。

 そもそも幸福な人生自体が存在するのか私は疑います。世間の人がおっしゃる幸福とは快楽の充足であり、その快楽が満たされないとき、またその人は不幸になる、もしくは不幸だと思い込むことになります。

 自殺する小学生はこうした人間の欲望充足としての生活を看過(かんか)したのであり、死ぬことでしか解決策が見いだせないと悟ったのではないでしょうか。生きていて、呼吸ができないとき、それはその人にとってとてつもない苦痛です。
 
 しかし人間にとっての本当の苦しみは、未来に対してあれこれ思案することです。
 
 現状が不幸ならばこれから先もきっと不幸だと思いますし、感じます。それは幸福な人が将来的にも安堵する人生を歩めるだろうと予期することと同じです。

結び:死者への眼差しと生きる者の責務
 
 自殺した人を見るとき、それはあわれみを感じるべきではないでしょう。むしろ死ななくてすんでいる自分の生をマシに思うべきです。願わくば、自死をしない、まわりの人を自死させない人生を過ごしたいものです。

#自殺の哲学 #ニヒリズム #実存の苦悩 #名誉と自死 #感情の投影
読書の星読書の星
GRAVITY
GRAVITY10
もっとみる

おすすめのクリエーター