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たかゆ

たかゆ

けいとちゃんのデッドライン
カッコ良すぎるわ〜♡

#恋のDestination公演
#塩月希依音
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吉田賢太郎

吉田賢太郎

​魂の防波堤
​SNSという 騒がしい海で
覚えのない 波が立っても
ぼくは 動かない
石像のように ただ黙っている
​「何があったの?」
「どうして黙っているの?」
外野の声は 風のように吹き抜けるけれど
ぼくは 言葉を返さない
​なぜなら 知らない記憶に
嘘の言葉を 重ねたくないから
無理に合わせれば 結び目はほどけ
もっと大きな 嵐になるのを知っている
​ぼくが動くのは 世界が壊れる時だけ
「公(おおやけ)」という 最後の一線を超えない限り
この静寂は 誰にも譲らない
​何もしないことは 逃げじゃない
自分を守り 明日を守るための
もっとも静かで もっとも強い
ぼくだけの 戦い方なんだ
​【このポエムの本質】
​この詩では、以下の3つのポイントを中高生に伝わるように表現しました。
​誠実さとしての沈黙:わからないことに無理に答えず、嘘をつかない誠実さ。
​トラブルの回避:反応することで火に油を注ぐリスクを、賢く避ける生存戦略。
​自己決定の強さ:刑事事件という明確な基準(デッドライン)を持ち、それ以外では自分のペースを乱さない意志の固さ。
​自分の心の「平和」を維持するために、あえて「何もしない」という能動的な選択をしていることを伝えています。
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ほっぺ

ほっぺ

昨日一昨日憂鬱な気持ちで過ごしてたけど、YouTubeでたまたまNMB48の11期生の青春のデッドラインをPRせよという動画で、琵琶湖の周りをリレーで6キロ走り、けん玉チャレンジ、自転車でまた長距離、その後全員で縄跳び48回チャレンジ(この時もう夜)、その後ドミノチャレンジという、体力と集中力を育成するような事をし、その中で自然発生的にみんながそれぞれ意見したり、走る時、何する時も話しながら良い人間関係が出来ているのを見て感動した。

そのおかげで不安も吹っ飛び、元気づけられた。

やっぱりステージに立つ人というのは、ステージに立っている間、常に集中し、体力落ちるのを感じさせる事ないパフォーマンスをし、それが出来るまでのレッスンを毎日のようにやっていて、ステージに立っている間は初めて見た人にも凄いと思われるような事をやってこその芸能だと思った。

久々にこんなに感動して、また頑張ろうと思えた。
きっと手を抜かずにこれをやれる子達は、社会のどこに行っても大丈夫な人間になれるんだろうな。
逆に手を抜く子は、やっぱり外に出てもダラダラしているんだろうな…

『初日』という曲の中に、48グループの良さが詰まっていると再確認した。

社会のどこにいても、頑張ってる子はいいね!
コンビニやドラッグストアでハキハキ頑張ってる新人さん見ても、気張り過ぎて疲れないようにね、頑張ってって思いながら支払いしてる。

なんか良いきっかけだった。
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竜胆

竜胆

グループホーム生活🏠🏔️
1キロ痩せて筋肉が多少落ちてる👟
今日はちょうどよくチートデー
徳島の金ちゃんラーメンつい買っちゃう🍜
300カロリーにビタミン系も入っているとは🫢
よくラーメン🍜とおにぎり🍙の組み合わせしてる人居るし挑戦してみようかなと調べてみたところ🔍
チートデー用だなとそっと閉じたのでした😌
本日のお昼🕛
デッドライン👛
カップ麺の金ちゃんラーメンしょうゆ味🍜
閑話休題
きょうだいせんそう🪖
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象山ノート

象山ノート

映画の感想だけど🤔
映画「宣戦布告」

『宣戦布告』が突きつける「決断」の不在と統治の真理
映画『宣戦布告』は、単なる軍事シミュレーション映画ではない。それは、平時の論理に埋没した国家が、想定外の事態に直面した際の「麻痺」を鮮明に描き出した、残酷な政治寓話である。本作が公開から時を経てなお、中古市場で価値を高め、人々の関心を引き続ける理由は、劇中の混迷が現在の日本にとっても「明日起こりうるリアリティ」だからに他ならない。

1. 逐次投入という戦術的自死
本作において最も痛恨なのは、政治が「法的な体裁」を優先するあまり、軍事・警察における最大の禁忌である「戦力の逐次投入」を繰り返した点にある。
警察からSAT、そして自衛隊へと、小出しに戦力を投じる行為は、現場の命を危険に晒すだけでなく、相手国にこちらの底知れぬ「迷い」を露呈させる結果となった。当初の座礁の時点で「間接侵略」を想定し、3時間という明確な外交的デッドラインを設けた上で、自衛隊による即時制圧を選択していれば、事態は核戦争の危機にまでエスカレートすることはなかったはずだ。

2. 「法治」の履き違えと外患誘致
劇中の政府は、憲法1から100までを文字通り守ることに拘泥した。しかし、守るべき国民の命や国家の存立基盤が揺らいでいる中で、形式的な「法守」を優先することは、事実上の統治の放棄である。
抑止力が機能しない法体系を放置し、現場に射撃許可すら出せない現状は、敵対勢力に対する「外患誘致」に等しい。1から100までマニュアルに従うだけならば、総理大臣という最高責任者は不要である。法の想定を超えた「101番目」の事態において、自らの責任で一歩踏み出し、判断を下すことこそが、人間にしか成し得ない「統治」の本質である。

3. 歴史の審判と指導者の覚悟
もし、マスコミの非難や反対勢力の「違憲」というレッテルを恐れず、国民と隊員の命を守るために「殲滅命令」を下す総理大臣がいたならば、映画としては「つまらない」結末になったかもしれない。しかし、その「つまらなさ」こそが、国民にとっての真の平和である。
同時代に「独裁者」と罵られ、政治家としてのクビを飛ばそうとも、数十年後の歴史がその決断を「救国」として正しく評価する。その孤独な覚悟こそが、かつての日本の指導者たちが持っていたはずの、そして現代が失いかけている「精神の気高さ」ではないだろうか。

結論:当事者意識という名の鑑賞術
本作を「さらば映画よ」と切り捨てず、常に「俺なら、どうする」という当事者意識を持って観ることは、知的な訓練であり、国防への一つの誠実な姿勢である。
『宣戦布告』の評価が今、再浮上している事実は、我々国民が「綺麗な言葉だけの平和」の限界を悟り、泥をかぶってでも決断を下すリーダーの登場を、切実に待ち望んでいることの証左であると言えるだろう。

#映画 #宣戦布告 #日本国憲法 #警察 #SAT #自衛隊
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