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出がけにバタバタして薬を飲み忘れたのを電車で思い出す。実際効いているかも疑わしい薬を一回抜いたくらいでどうこうなるものでは無いが、プラセボって逆の時の方が強いとこういう時思う(文体がめちゃくちゃだが書き飛ばしなので失敬)御守り代わりに小銭入れにある安定剤だけが頼り。
いつもこっちの都合などお構いなしに電話して来るannが夜半過ぎ珍しくLINEでメッセージを送ってくる。
「どうしたらいいかわからない。」
この一行にどんな不安や苦しみや焦燥が込められているか、僕には分かる。分かりすぎて僕まで不安になるほど、いつも笑ってる彼女の置かれてる状況も理解している。具体的な不安を一つ一つ潰してあげようとメッセージを飛ばしたがそれっきり既読もつかなくなった。チャンダネに電話して可能ならannの様子を見に行ってくれと頼んだら、朝になるけど行くと。
女の子達は、強がりばかりであまり僕を頼ってはくれない。人望の程度だと言われればそうかも知れないが、もっと僕を困らせたり八つ当たりしたって良いのに、そうしてくれたら僕の心も少しは安心するのに。借りくらい取り立てれば良いのにと、なんだか少し腹が立って悲しくなった。
朝になって帰ったらセキュリティの警告が鳴らず、玄関の靴を見る前にannかチャンダネが居るのが分かった。両方居る、と少し安心して部屋に入ると一面に例のオレンジ色の大小いくつもの箱が散乱していて、軽い眩暈と苦笑い。寝室から出て来たチャンダネに「なんだよこれは?」と言い終わらないうちに手のひらを振り唇に人差し指。視線の先を追うとannが寝て居る。「カッタ、イイネ。」と囁くチャンダネに片付けるようにと囁き返す。まるで猫が獲物を見せびらかす為だけにわざと持ち帰るネズミ。きっと、いや間違い無くこうした欧州ハイブランドは、彼女の様な消費の仕方が正式な作法であると頭ではなく、光景そのものが訴えていてそれに僕はなんの異論もなく理解する。理解とは、そもそもこういう事だとすら思う深さで。annの寝顔にキスして、チャンダネを外に連れ出し、牛丼を食べに行く。僕は、この子達がcheapな食事をする姿が堪らなく好きだ。

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三十時間起きていたら流石に憂鬱が酷くなり、約束していたクリスにキャンセルのメッセージを飛ばし薬を飲んで気絶した。起きて時間を見たら、予定ギリギリで慌てて飛び起きるとチャンダネが来ていて料理をしている。何時に帰るのかと聞かれ、午後には戻ると言ったら、帰ったら遊ぼうと言う彼女をハグして急いで出かける。
昨日と同じ様に晴れているが、昨日は強い風で僕の住んでる周りは畑が多く、酷い砂埃で街中が黄土色の霧に包まれていたけれど、今日は穏やかだ。気温もそこそこ低いけど、昨日辺りからやはり不要なアドレナリンが出ていて、薄い中綿が入っているだけのコートの下で冷たくなるほど汗をかくので辟易する。
帰るとチャンダネがメイクも済ませお洒落をして大人しくドラマを観ていた。「いやおとといの晩しこたま遊んだろう?街には出ないよ?」一瞬不服な顔を作ったが、ヒジャブの下で育った彼女は、無表情でいる事がコンプレックスで、芝居がかった表情を作るのを楽しんでやっているだけ。最近は全く気にならなくなった。「おにぎり持ってピクニックに行こう。」と言うと、今度は本当の笑顔になってはしゃいだ。
米軍の通信基地エリアは、東京ドームが二つくらい入るんじゃないかという広大な低い青々とした雑草に覆われた空き地で、ぐるりと巡らされたフェンスと、基地の対岸側の日本が小さく見える。フェンスわきの長い一本道を訥々と歩く。チャンダネはずっと梅干しの(さっき二人で握ったおにぎりに入れた)思い出を話し、初めて食べた時のショックや、最近は食べられるようになったどころか、凄く好きかも知れない...意訳するとこんなような。得意げに上を向く鼻。ペルシャ系特有な、その内部はどうなってるんだ?ってほどびっくりするくらい高い美しい鼻を横から眺めているだけで、いつも溜め息が出るほどうっとりする。しばらく黙って歩いていると、
「オンガク?ワタシ、オシエテ。」
と思いつめたトーンで低く言う。僕は堪らなく彼女が愛しくなる。最近ずっと僕とannのブルースjamをニコニコ眺めていたが、彼女の心中が分かって切なくなる。
「チャンダネに楽器は必要ないだろう。あなたのキスは、どんな音楽より豊かで、俺とannはチャンダネのキスにメロメロなんだから。」
流石に回りくどい日本語をほとんど首を傾げて聞いていたが、最後の部分だけ素直に正しく理解したら、僕の肩を引き、鮮やかに身を入れ替え僕を抱きとめる。ソシアルダンスやミュージカルで良くある、お姫様にキスするシーン。僕はお姫様だ。
360度全て青い空を眺めながら、色々な表現を考え、その後書く為に色々考えたけれどもどれも陳腐で、アミノ酸が云々とペダンチックなブラフで逃げようとも思ったけれど、適切ではない。
チャンダネのキスは、甘い。
どうしてなのか、甘いんだよ。

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連日銀座に通ってて目的も無いなんてどうかしているけれど、自分の親がカメラマンのくせに「撮影」の下らなさをdisりまくってチャンダネを怒らせたから仕方がない。まぁ「あんなにシャッター切って時間かけて1枚採用なら俺にも出来る」とか初歩的な事を敢えて当て擦っただけだけど、日本人的な甘えは、西洋は勿論中東なんかで通用するわけがない。
annは来週半ばまで休みだからとついて来たけれど、アンティークの時計やライカばかり眺めている僕にうんざりしてるなら家で待っていればいいのに「新橋でクマモトオイスターを食おうぜ。」って言葉だけに素直で可愛い。
僕らのトライアングルは、奇談そのものできっと荷風よろしく何も起こらず突然消える。僕は、その行く末をしっかりと捕らえるつもりだし覚悟も出来ている。後半は怪しいけれど。
今日の銀座は、眠たくなるほど寒くて、チャンダネに抱かれてannに手を取られ歩く僕らは、きっと多分浮いているけれど、実際自分達が思うほど人は他人に興味がない。
美しい女の子達が、生の牡蠣を飲み込む姿がとても好きだ。グロテスクな神秘そのものをごくりと取り込む様は、冷厳で、神々しい。

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サイプレスヒルを下ると鉄道列車の墓場があり、前から三番目の車両が横転し明るい空を仰いでいる。新しい太陽はちょっとリベラルなふりをして、そんなの十五年古いぜとうんざり。今年こそ何を信仰するか決めようと思うけれど、面倒だ面倒だ。日々GOとあの子は囁くけれど、ラ・ペルラのランジェリーじゃ納得しないだろう。一年で最も憂鬱な一週間が始まった。
すれ違ったコーギーが立ち止まって、夜明けにしては懐っこく僕を見たので、「一人でどこに行くんだ?」と気紛れに声をかけた。少しだけ彼は立ち止まったが、直ぐに僕に興味を失って、外苑東通りから何通りだろうね?ル・クールや弦月がある通りに消えて行った。
最近彼女が忙しくて、少しだけ久しぶりなチャンダネが六本木で飲んでるから一緒に帰ろうと電話して来て、彼女と落ち合った。また酷く出来上がった彼女は、「あたしに会えなくて泣いて居たでしょう?」と笑いながら酒臭い頰を寄せて僕をハグした。「annが居たから平気だったよ。」と答えると、意味深にカルデラ色の瞳を見開いて片方の眉だけ吊り上げた。
あえて白玉の堂々としたベースが僕の感傷を優しく撫でる。僕とチャンダネは、Air podsを片方ずつ耳にして、始発を待つホームでずっとチークを踊った。時折わざと酔ったふりでよろけ、僕の腕を強く掴む彼女の求めるままキスをする。酒臭ぇ。
助け船がホームに滑り込んで来た。

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朝でも夜でもない線路脇の一本道を行く。朝陽に炙られて、建物や木々、電柱と電線、凡ゆる物が真っ黒な影絵になって、幼い頃美しさとその裏にある邪悪な何かを敏感に感じ(小人や妖精という西洋的なファンタジーだけれどそれはやっぱり毒として盛られていると今でも思う)、小さなトラウマにさえなっている、天気予報で見た藤城清治の影絵を思い出す。
チャンダネの話しを、僕もannもあえてしない。予想通り彼女が先にドロップアウトしたけれど、あまりにも唐突で早かった。僕らは寂しくて傷付いているけれど、少なくともチャンダネ自身は全く気にしていなくて、いつも通りの気紛れに任せて生きているので、もしかしたらいつか戻って来るかも知れない。でも、女の子が戻って来るなんて事は、僕は生まれてこの方一度も経験していないから、多分そんな事は起こらない。annはそんな素振りは見せないけれど、最近仕事を減らしてずっと家で本を読んでばかり居るから、僕よりも落ち込んでいる。
アントニオ・カルロス・ジョビンの「三月の水」を弾いてannに歌わせてみる。ボサノバの代表的な名曲だけど、この曲の歌詞は、あえて僕が書く必要がないほど、世界中の人々を魅了し、歌の歌詞としては最上級の評価を得ている。単語の羅列から成る構成は、単純に詩としても優秀で、やはりポルトガル語で聴くのが最も美しいと思うけれど、凡ゆる言語に訳したとしても美しさが損なわれない詩なんて、僕はこれ以外に知らない。何度聴いても聴くたびに印象が違うのは、きっと自分の心の状態を美しく映し出してくれる鏡の様な機能がこの歌にはあるからだと思う。
「この歌の意味分からないでしょう?わたしも分からない。」
annは歌い終わると静かにそう言った。寂しい自分に語りかけるトーンで。

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衝動的に「今日もう、行こう。」と、まだ大家に退去の宣言をする前に、次の部屋を決めようと不動産屋に行った。新居はものの1時間で決め、どうしたって何かが物足りないのだから、とにかく安い所だと。持ち込めない家具の処分や、諸雑な問題は山積みだけれど、帰り道に僕は清々として笑っていた。もう、この道を歩く事も、もしかしたらこの駅に降りる事もない。それは、僕にとって一番必要だった事かも知れない。
「もしもし?俺は、自由になったよ。」
チャンダネに電話した。彼女は、いつもの嬌声ではなく、とても落ち着いた、まるで大人の女性みたいな声で言った。普段の彼女とは、信じられないくらい発音の良い日本語で、まるで何度も練習したような。
「annもわたしも、はやおを愛してる。」
多分僕は、今日の事を死ぬまで忘れない。昨日までの事は、全て悪い夢だと思う。

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僕が引っ越すと言うとannとチャンダネは自分の家に来いとゴネ出して、僕は「俺の家が欲しいんだ。」と突っぱねると、じゃあわたし達も一緒に連れて行ってと大騒ぎになった。家探しは難航した。僕一人ですら全長2mの大型クローゼットを全部塞ぎ、それでも入り切らぬ大量の服を持て余している。着せ替え人形がお仕事の彼女達は、言わずもがな。結局2LDKのリビング1部屋が僕等のウォークインクローゼットに。きっとズラリとビッグメゾンが並ぶ。
久しぶりの福生は、呆れるほど変わらず昔のままで、そこら中に若かったり、子供の自分が見える。大学受験なんてほっぽりだして横田に潜り込む手段を手に入れたら、ゲートの向こう、アメリカが僕の学校だった。バーマシェイブ、パレードグロス、ルートビアー、マリファナ。僕が海外に無防備になり、飛んでもない失敗を繰り返したのは、第五ゲートと第二ゲートの甘さの所為であった。
この後、福生を冒涜した作家の大ボラをネチネチと一つづつ暴く文章が続いたが、思い止まる。どうも情緒が不安定で、Twitterでマメにreplyやいいねを付けてくれるレベッカとはるかに感謝しなければならない。安定剤と導入剤を投下したら、きっともう明け方近くだろう。もしかしたら、また今日も泣くかも知れない。僕自身が泣いてる理由すら、もう良く分からないのに。
annとチャンダネ二人と暮らしていたら、僕は完全に婚期を逃す。もう既に逃しているのだから、致命的だと思う。きっと二人は、前触れも予感もなく消える。彼女達は、ただの遣いで、役目を果たしたら当然の如く呼び戻される。今までの何人ものミューズ達と同じ様に。
結局僕は、他人と上手い関係が築けないのだ。後は、諦めて仕舞えば良いのだけれど、此処までボロボロになっても自分にはとことん甘い。いつもの様に、適当な流れのままフレーズの帰結を探して上手い事恰好をつければ良い(あくまでも自慰として)のだけれど、今日は気が向かない。
ちゃんと茹でたての暖かい春雨を素早く混ぜ、まだ暖かいままで、生インゲンと鬼灯を使った正式なヤムウンセンと、たっぷりのパクチーが添えられたカオマンガイが食べたい。パクチーはどうとでもなるけれど、ちゃんとしたヤムウンセンを出す店が見当たらない。
肩が痛い。あの子達に寝るとメッセージを飛ばしてから、寝てしまおう。
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