『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント/著池内紀/訳文春文庫主人公のグルヌイユは、匂いの絶対的な天才である。世界の全てを“匂い”で把握していく。しかし、彼自身は全く“匂い”というものがない異質な存在である。世界から存在していないもののように扱われる。彼の産まれたパリは、悪臭と汚泥に満ちていて、その描写のリアルには辟易するほどだ。グルヌイユは匂いの天才として開花していく。彼の調香は、人々を愛と陶酔と狂乱と呼べるものに導いていく。しかし、彼は名声にも金にも権力にも全く無頓着だ。あるのはただひたすらに「魅惑的な香り」「この世で最高の香り」のみである。彼は、共感も愛も一切呼び起こさない。初めて人を殺めたのも、理由は「香り」で、それ以外の理由は全くない。その執着は彼の生きる意味だ。それが本当の悪なのか、こちら側にも問うてくる。何故なら、処刑場に集まった群衆はグルヌイユという悪を処罰するために来たはずなのに、あっという間にその場が反転していく。瞬く間に、愛と狂乱の奔流に呑み込まれていく。正義とは、悪とは、いったい何なのだろう?パヒュームは何のためのものなのだろう?グルヌイユが消費されてしまうのは何の、誰のためなのだろう?香水という美しく魅惑的なものが、人間の裏側をひっくり返して見せてくる。香りという一瞬の美が狂気をはらむ。目には見えない香りでむせかえるような、素晴らしい小説だった。