関連惑星
ENFPの星
335507人が搭乗中
参加
恋愛の星 公式
303153人が搭乗中
参加
世界がキラキラしてる恋愛も、涙ポロポロの恋愛も、ここでならなんでも話してグラ。
INFPの星
294565人が搭乗中
参加
ESFPの星
210549人が搭乗中
参加
ISFPの星
202147人が搭乗中
参加
ゲームの星 公式
189161人が搭乗中
参加
🎮 ゲーム好きな人が住んでる星🎮
┏━━━━━━━ゲームの星━━━━━━┓
┃皆様のゲーム愛を投稿でお願いします!┃
┃一緒に遊ぶ友達を増やそう ┃
┃好きなゲームで語り合おう ┃
┃イベントも打ってるので ┃
┃ぜひ参加してください! ┃
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┏━━━━コマンド━━━━┓
┃ たたかう ▶︎とうこう ┃
┃ にげる どうぐ ┃
┃ ┏━━━━じゅもん━━┻━┓
┗━┫▶︎みなさまが楽しめる星 ┃
┗━━━━━━━━━━━━┛
音楽の星 公式
182120人が搭乗中
参加
笑顔が溢れる瞬間も、心が静まるひとときも、音楽はすべてを語りかけてくれる。感じたままに、自由きままに、ここは音楽の星。
夜更かしの星 公式
158149人が搭乗中
参加
夜更かし好きの方、みんなでゆるく語り合える、まったり深夜の居場所を作りました。
INFJの星
151158人が搭乗中
参加
Girls onlyの星 公式
150316人が搭乗中
参加
ココロのこと・カラダのこと。女性ならではの話題を共有しよう。
人気

まひまひ
回答数 4>>

クニッチ

koko
#モンスト


なつまる



ツユクサ
#モンスト好きと繋がりたい #モンスト #モンスターストライク #ゲーム好きと繋がりたい




デスティーノ
回答数 166>>


ぴこぱ
「シロじゃない!まっクロ!!!」

シュウ
シロ×クロ
シロ×マーキス
シロ×タイガ
シロ×テオ
シロ×シャーリーン
シロ×テクト
シロ×ライト
ってところですかね全部シロじゃねーか‼️

まこさん

もっとみる 
関連検索ワード
新着

パコとチューギニア
高校の恩師のメッセージを思い出します。
歴史の浅い途上国では、祝日を国民一人ひとりが責任を持って祝います。
日本では祝日をただの休日と捉える人も増えているようですが、思いを繋ぐバトンを受け取る日があるのなら、その日を全力で祝って欲しいものです。
#途上国の日常



m
#いいねでこちゃ
#話し相手募集中
#愛知
#02

のゅわな
seiの8時間を過ごす相手は見つかるのか?
頑張れ!Gravityの寂しがり民達!

なお
僕は最近、こんな自分自身の経験を思い返していました。
ついカッとなって、大切な人にきつく言ってしまった後、「ああ、またやってしまった…」と後悔する瞬間です。
その時、聖書の中のモーセの一つのエピソードが、以前よりも深く胸に刺さるようになりました。
民数記20章に記された「水が出る岩」
荒野を旅するイスラエルの民が、またしても水がないと不平を言い始めました。
その時、神はモーセにこう命じられます。
「杖を取り、兄弟アロンと共に民衆の前に進み出よ。彼らの目の前で岩に命じて水を出させなさい」(民数記20章8節、大意)
ここでヘブライ語原文を見ると、神が命じた言葉に注目すべき点があります。
神は「岩に命じなさい」と言っています。
ヘブライ語で「命じる」を意味する「דַּבֵּר」(ダベール)は、言葉で語りかけることを指します。
つまり、神はモーセに「岩を打て」ではなく、「岩に言葉で語りかけよ」とお命じになったのです。
モーセの「二度打ち」
しかし、モーセはどうしたでしょう。
彼は民の前でこう叫びました。「聞け、反抗する者たちよ。われわれがこの岩から、あなたがたのために水を出さねばならないのか」(同10節、大意)
そして、岩を二度、杖で打ったのです。
確かに水は出ました。民と家畜は飲むことができました。
でも、僕がこの場面を読むたびに感じるのは、モーセの行動の中にある「わずかな、しかし決定的なズレ」です。
神は「岩に語りかけよ」と命じられたのに、モーセは「われわれが…出さねばならないのか」と言い、岩を打ちました。
その「二度」という動作の中に、僕はつい見逃してしまいそうな重大なことが隠れている気がしてなりません。
カナンの地に入れなかった理由
神はその後、モーセとアロンにこう宣告されます。
「あなたがたはわたしを信じず、イスラエルの人々の目にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが与えた地に導き入れることはできない」(同12節、大意)
たった一度の、岩を二度打った行為。
なぜそれが、約束の地カナンに入れないという、これほどまでに重い結果につながったのでしょう。
僕が思うに、ここでの核心は「行為そのもの」よりも、「行為に表れた心の姿勢」にあるような気がします。
モーセはその瞬間、神の指示を正確に伝える「器」としてではなく、民の不平に苛立ち、自分自身の力と権威を示そうとしてしまったのではないか。
「神の聖なること」を民の前に現すべきところを、「自分たち」を前面に出してしまった。
そのわずかなズレが、神との関係における決定的な違いを生んでしまったのだと、僕は感じずにはいられません。
僕自身に問いかけること
この話を読むたび、僕は自分自身に問いかけます。
自分もまた、神に委ねるべき場面で、つい自分の力や方法に頼ろうとしていないか。
人々の前に立つ時、神の栄光を現すよりも、自分の正しさや能力を示そうとしていないか。
モーセのこのエピソードは、神と共に歩むことがいかに細やかで、全人格的な関わりを求めるものかを教えてくれます。
たとえ長年信仰の道を歩んできた者でも、一瞬の心の緩みが、神との関係を損なうことがある。
それほどまでに、神は私たちの「心の向き」を大切にしておられるのだと感じます。
---
僕は今、モーセ五書をマンガで学び直しています。
一つの場面、一つの言葉の重みを、じっくりと味わいながら。
もしこのモーセの物語に興味を持たれた方がいらっしゃったら、ぜひマンガ版でその深みを感じてみてください。
気になった方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
#モーセ五書マンガ
#民数記
#神との歩み


長井頼通

トリプトファン
“ ”!!承認欲求!! “ ”

うしこい
もっとみる 
