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感情という心の動きも、思考も、意欲も、意識もまた無常である。
無常であるものは”わたし”ではない、と観察して、執われを離れる。
執われを離れた心は、安らぎと清浄と自由の中にある。
#サンユッタ・ニカーヤ

たっくん
“わたしは永遠であり、いのちである。わたしを信じる人は、死んでも生きている。わたしを信じて生きているものは、すべて永遠に死ぬことはない”と。
いつくしみ深い仏よ、この世からあなたのもとにお呼びになった者達を、お約束のとおり、あなたの国に受け入れてください。
すべての煩悩の絆から解放されて、寂滅の光のうちに迎えられ、目覚めた人々とともに、栄光ある輪廻のうちに立ち上がることができますように。
主・釈尊によって。南無三。
帰天直後に唱える祈り、仏教的再解釈
解説
“主なる仏”の文言は、譬喩品の「私は衆生の保護者であり、父である。三界において欲望に執着している愚かな衆生は、私の息子たちである」から考出。
“わたしは永遠でありいのちである”
の文言は寿量品の“私が覚りを得て以来、幾百・千・コーティ・ナユタ劫もの長い時間が経っているのだ”によって転用。
“わたしを信じる人は、死んでも生きている。わたしを信じて生きているものは、すべて永遠に死ぬことはない”
の文言は「薬王菩薩本事品」の「病即消滅・不老不死」の文により、また“私を”は、原始仏典・サンユッタ・ニカーヤの「私(釈尊=人)を見るものは法を見る。法を見るものは私を見る」によって転用。
“栄光ある輪廻”の文は寿量品の「私は、繰り返して衆生の世界に出現するのだ」より考出。
