無駄口を叩くなーの元ネタは牟田口から生まれたと翻訳しても(みなしてもOK)上官の隠蔽工作は「部下が悪いで一掃」そんな事実日本軍しか世界を並べても類を見ないのですという事は「責任なんて誰も取らない」(なので誰かが犠牲)や(その偽装工作)で兵士の酷い結果は突然兵士に繁栄するつまりインパール作戦の良いとこは全てこれで悟れるし時系列が繋がる訳ね一目瞭然 一刀両断という事ね「牟田口廉也は無能、悪玉、卑劣の“三冠王”と言ってもいい」各界専門家が分析する“無責任”日本陸軍エリートの実名太平洋戦争で日本を敗戦に陥れたエリート軍人を分析すると、現在の日本でも通じる巨大組織の問題が浮かび上がってくる。なぜエリートは愚策に走るのか。昭和の陸軍軍人を題材に、歴史、軍事、経営の専門家が座談会に集まり、「日本型エリート」の欠点を総括した。牟田口、服部、辻は人間的にも“悪玉” 楠木 昭和の陸軍軍人で、会社経営をするとしたら、最強の布陣はどうなるかを、経営学的観点から私なりに考えてみました。まず代表取締役社長は永田(鉄山)か石原(莞爾)。その下で、実際に事業を率いて貰うとしたら、栗林(忠道)、宮崎(繁三郎)、今村(均)、山下(奉文)などの方々が適任かと思いました。 新浪 栗林さんは経営者も出来ると思うな。競争相手に対してどう戦うべきか。その戦略を立てて実現する力は抜群ですから。あと海軍で恐縮だけど、最後の海軍大将の井上成美もいいと思います。先を見て人を育てていた。経営者は次世代の人材をどう育成するのかも、非常に重要ですからね。石原は、誰かがダメになった時のプランBとして使うのならいいかもしれない。保阪 いつか功績をあげて、軍中央へ戻りたいと思っていたのでしょう。連隊長として盧溝橋事件を引き起こしたのも、功を焦ってのことでしょうね。 山下 以前、盧溝橋を見に行ったことがあります。牟田口は太平洋戦争がはじまると師団長としてマレー進攻作戦に参加し、その後、シンガポールに向かいました。そこで出撃する部下に対して「お前とはもう会えないだろう」と言っている。部下が死ぬという前提に立って考えているんですね。それがインパール作戦の兵站軽視につながる。新浪 糧秣を現地調達するという方針には賛同できません。実際、この戦いでは戦死者だけでなく、多数の方が餓死や病死されています。また、現地で調達すれば、当然、現地の人たちから不評も買うことになります。牟田口は戦後も「弱腰の師団長が悪い」と言い続けた 保阪 この作戦自体も、一つには牟田口自身の焦りから生まれたものでした。上長にあたるビルマ方面軍司令官の河辺正三中将に「閣下と本職はこの戦争の根因となった支那事変を起こした責任があります。この作戦を成功させて、国家に対して申し訳がたつようにせねばなりません」と言ったといいます。 もう一つの理由が東條でした。東條は大東亜会議でアジアの解放を決議し、国策としたにもかかわらず、お題目だけに終わっていた。そこに牟田口が「戦えば必ず勝つ。私には自信がある」と、最初は作戦決行を渋っていた東條を精神論で説得。最終的には、インパール作戦がインド独立の後ろ盾になるという政治的判断から、敢行されることになったのです。新浪 やはりこういった人物を司令官にしてしまう人事の問題ですよね。牟田口も、東條には、期待している自分を切れないことがわかっていたから、確信犯的にやったのでしょう。川田 無謀な作戦に対して、佐藤幸徳、山内正文、柳田元三の3人の師団長が異を唱えていました。保阪 佐藤は補給が皆無だったため激怒して「止まって戦え」との命令を無視して食糧のある場所に独断退去したせいで解任される。柳田の師団は作戦発起後すぐに、中止を上申して解任。山内も病気で解任されます。前代未聞ですね。それでも牟田口は自分の非を認めず、戦後も「弱腰の師団長が悪い」と言い続けました。今でも自分の責任を認められないエリートはたまにいますが、ここまでの人は珍しい。 楠木 牟田口は「無能」「悪玉」「卑劣」の三冠王と言ってもいいのではないかと思います。 新浪 やはりトップが責任を取るのは大事なんですよ。終戦時の阿南惟幾陸相は、非常に難しい「戦争を終わらせる」という仕事を全うし、最後に自決した。自決という形がいいかどうかは別の話ですが、責任を取るという意識はあったわけで、昭和陸軍の面目を守った面もある。 山下 これは阿南陸相が腹を切った場にいた、義弟の竹下さんから聞いた話です。腹を切ってもなかなか死にきれず、長いこと唸っていたので、竹下さんが介錯しましょうかと聞くと、「しなくていい」と。「多くの兵士を亡くす罪を犯した責任を取る。だから苦しみながら死ぬんだ」とおっしゃっていたそうです。