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どうやったらこの人みたいな音出せるんだ?
#ジャズ
Afternoon in Paris

かえる
ミチフミ龍之介
☆Eddy Lang と Django Reinhardt
マヌーシュスイングの創始者であることは誰もが認めるところであるが、このジャンゴラインハルトのウィキを読んでいてどうもオカシイ記述があったのでここで訂正しておく。
…アメリカでジャズ・ギターの開祖とされることの多いチャーリー・クリスチャンよりもはるかに早い時期から、ギターを主役とした即興演奏を行っていた…
ジャズギターの開祖はチャーリークリスチャンでもジャンゴラインハルトでもない、エディラングである。
ジャンゴラインハルトはラングとジョーベヌーティのギター&ヴァイオリンのコンビを模倣した形で1931年にステファングラッペリとコンビを組んだ。
ジャズ史の基礎中の"キ"である。
ラングはジャズギターで欠かせない人工ハーモニクス、ウォーキングライン、歌伴に必要な単旋律のランやアルペジオ奏法、一つのブルース曲の中でピックと指弾きの使い分け、ブルース奏者からの表現法を借用したスミア、カデンツァでの十六音符や三十二音符を使った単旋律のラン、デッドストリングコード、再アタックを生む同一フレット上での指換え、耳慣れないグリッサンド、ジャズピアニストの技法に似た十度の並進行、平行ナインコード、伝説化したロニージョンソンというブルースギター奏者とのデュオでの二本のギターがまるで四本かと思わせる技術、そしてシングルストロークグルペッド。
全てのジャズギタリストたちに莫大な遺産を残したのだ。
ジャズギターに必要な技術の殆どをラングは盤上で披露しただけでなく、モダン時代に入ってからもタル・ファーロウしかマネ出来なかった技術でさえあった。
それらは1926年から晩年に近い1932年にかけての多くの録音で聴く事が出来る。エディラングはヴァイオリニストのジョーヴェヌーティとのコンビで数々のジャズ演奏を世に問うた。それを謂わば模倣する形でジャンゴラインハルトがステファングラッペリとのコンビを結成したのだ。
1933年ラングは扁桃腺除去手術の全身麻酔から二度と起きることはなかった。
そんなラングが活躍していた1928年、この年の10月26日未明、ジャンゴはキャラバンの火事を消そうとして、半身に大やけどを その結果、彼の右足は麻痺し、左手の薬指と小指には障害が残った。
彼を診察した医師がギターの演奏は二度と無理だと思うほどの怪我であったが、ジャンゴは練習によって独自の奏法を確立し、ハンディキャップを克服した。
やけどの影響で左手に麻痺が残ったため、メロディを弾く時は主に人差し指と中指で弦を押さえ、薬指と小指はコードを弾く際に高音弦を押さえるのに用いる程度であった。
ジャンゴの演奏を記録した映像を見ると、薬指と小指の2本の指を深く曲げたまま、残りの指のみで演奏しているのがわかる。盟友のステファン・グラッペリは、『メロディ・メイカー』誌1954年3月13号で、ジャンゴはその特殊な奏法から、独特のコード進行を導入するに至ったという分析をしている。
ジャンゴの演奏は、技巧の面だけでなく表現力の面でも評価が高い。『Guitar World』2008年7月号の記事「50 Fastest Guitarists of All Time」において、ジャンゴのフィンガー・ビブラートは「ギター界で最も叙情的」と評された。
本日はそんな叙情的なジャンゴのソロが聴ける♫Melodie au Crepuscule たそがれのメロディー の珍しいオーケストラ演奏にヴェラレーンのヴォーカルがフューチャーされたVer.でお聴きいただく。
この曲は1943年7月7日に大戦最中のドイツ占領下のフランスで録音されたが、戦後になってジャンゴはギターコンボで数Ver.録音され、LP時代によく復刻されたのだが、戦中のこのVer.は東芝から80年代に出た20枚組の圧巻のジャンゴ全集の中でさえ、ジャンゴのソロの部分のみ復刻されたが完璧な形での復刻は中々お目にかかれない。
サブスクリプションではオリヂナル盤でフルコーラスのヴァージョンがアップされており、この音源は貴重では無くなった。ドルビーBが大層効いてノイズリダクション化されたサブスク本回はお聴きいただく。



Melodie Au Crepuscule
