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( キケロは古代ローマ帝国の政治家、思想家)

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《過去の今日の出来事(🚃と🚌関係)》
営団地下鉄(今の東京メトロ)南北(なんぼく)線の駒込(こまごめ)駅〜赤羽岩淵(あかばねいわぶち)駅間が開業(1991年)
《過去の今日の出来事(🚃と🚌の事以外)》
京都に教育者で神学者の新島襄(にいじまじょう)先生と🇺🇸の軍人で宣教師で神学博士のジェローム•ディーン•デイヴィス先生が私塾の同志社英学校(どうししゃえいがっこう)(今の同志社大学(どうししゃだいがく))を開校(1875年)
大日本帝国憲法が施行されるのと同時に第1回帝国議会が開会(1890年)
「国際フェンシング連盟(FIE)」が設立(1913年)
🇯🇵初となるアメリカンフットボールの公式試合が東京の明治神宮外苑競技場(めいじじんぐうがいえんきょうぎじょう)で開催(1934年)
🇺🇳が🇵🇸をアラブ国家とユダヤ国家に分割する決議を採択(1947年)
🇺🇸航空宇宙局(NASA)がチンパンジーのエノスを地球1周させる事に成功(1961年)
トランスカナダ航空831便が離陸直後にモントリオール近くの野原に急降下の後に墜落して乗員乗客118人全員が死亡(1963年)
《今日の名言》
過去にのみ固執するは愚かなり
マルクス•トゥッリウス•キケロ(紀元前106年〜紀元前43年:共和制ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者)
《今日の単語》
仄か(ほのか)
意味1:光•色•香りなどがわずかに感じられるさま。
意味2:明瞭でないさま。
《今日の見つけた写真》
東京メトロ南北(なんぼく)線の車両
《今日の一曲》
浮世小路のblues
宮本浩次さん(2021年リリース)
《今日の個人的一言》
今日の一曲は東京メトロ南北(なんぼく)線が駒込(こまごめ)駅〜赤羽岩淵(あかばねいわぶち)駅間が開業した事にちなんで東京都北区赤羽(とうきょうときたくあかばね)出身のエレファントカシマシのボーカルの宮本浩次さんのソロ曲をセレクト
俺は神奈川県川崎市溝の口(かながわけんかわさきしみぞのくち)生まれ(地元民は「のくち」って呼んでる)で同じく武蔵小杉(むさしこすぎ)育ち(地元民は「こすぎ」って呼んでて個人的に「むさこ」って呼んでる人がいると誰彼関係なくガチギレする)なんだけど川崎っ子がテレビに出てる所を見ると東京者みたいな感じになってるのが理解できないし俺は東京の言葉を話すつもりは一切ない(俺は東京の言葉を話してる人を見ると嫌悪感を抱く)

浮世小路のblues

sin・bun
この季節になると 毎年のことながら 体の変化を感じるんだけど どう?
楽曲は.オイゲン・キケロ
写真は.盲目の秋



アヌ君ダダ漏れ(17
ルネサンス前衛時代の恋愛と詩人の話
ルネサンスがない頃の、恋愛相手と,語る間に思いついたものが散文詩や叙事詩でこれらを語りながら、神の道を昇段する芸術家を詩人と呼びました。
ルネサンス前期(構想、構築期間は、恋愛と神についてと詩人と恋愛対象と神についてを話し叙事詩に落とし込み、散文詩形式とその恋愛対象と対話をする事にありました)
つまりルネサンスは元々恋愛と神に対する話と恋愛対象の考えを愛する
というような事が前衛(流行っていたのです。
これらを先導したのが、ペトラルカでキケロという有能な哲学者などを受け継いで
ルネサンス前の歴史が刻まれます
フランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304年7月20日 - 1374年7月19日)は、イタリアの詩人・学者・人文主義者。ペトラルカは、学者としてはキケロに範を取ってラテン語の文法を整備し、また詩人としては一連の抒情詩集(カンツォニエーレ(イタリア語版))を物した。なお、「ペトラルカ」とはラテン語式に付けた名で、本名はフランチェスコ・ペトラッコ (Francesco Petracco)。
ペトラルカ
生涯
編集
中世イタリアのアレッツォ生まれ。父であるラテン系公証人(英語版)セル・ペトラッコ(英語版)は、詩人であり政治家でもあったダンテとも政治的に繋がりのある人物である[1]。グェルフィ党(教皇党)白派に属したが、黒派との政争に敗れ、フィレンツェを追放された亡命者であった。一家は1309年にアヴィニョンに居を移したローマ教皇クレメンス5世に従い(アヴィニョン捕囚)、1311年フランス、カルパントラに移転。
その後、モンペリエ大学(1319年 - 1323年の期間に在学)とボローニャ大学(1323年 - 1325年の期間に在学)の学生になり法学の学門を修めた。はじめは法律を専攻していたが、古典文学を好むようになりペトラルカの主要な関心は詩作などの文筆活動とラテン文学にあった。法学や法学生に反感を抱くようになった。 詩人ジョヴァンニ・ボッカッチョと友人になったのもこの頃である。ペトラルカはまた、中世にはだいぶん形の崩れていたラテン語を古代ローマの古典的作品の形式にならって純正化することを考えた。各地へ旅行して、古代の写本を熱心に研究した。
1326年に父の死を受けて、ペトラルカは教皇庁のあるアヴィニョンへ戻り、経済上の理由からジョヴァンニ・コロンナら、カトリックの聖職者のもとで書記として働いた。法学の勉強をやめていた。その後は休む暇なく執筆や読書に勤しんだ。ペトラルカは詩人また学者として名声を博し、1341年には古典古代以来初めて、ローマ国会議事堂において桂冠詩人 (poeta laureatus) の栄誉を受けた[2][3][4]。 。
ペトラルカの作品で、もっとも知られる作品はラウラと呼ばれる女性へ捧げられた一連の恋愛抒情詩群である。これは『カンツォニエーレ』(Canzoniere, 歌の本)と題された詩集にまとめられている。1327年、アヴィニョンのある教会でペトラルカはラウラの顔を初めて見たというが、この女性についてはほとんど知られていない。ラウラが実際に誰かについては諸説あり、ラウラという名前は、ペトラルカがこの女性に与えた変名である可能性もある(恋愛詩において相手の女性を匿名にすることは古典期のラテン詩人にも類例がある)。謎の恋人とペトラルカは、実際には交際を持たなかった可能性が強い。ペトラルカとラウラはその後、会うこともなく、1348年にラウラは死亡したという。ペトラルカはその後も、ラウラを失った悲嘆を歌う詩など、ラウラへ充てた詩を書き続けた。
このほか『凱旋』(1352年)、『アフリカ』(1338年)といった壮大な叙事詩も書き残している。ペトラルカは、後半生を北イタリアを旅行しつつ、学者として過ごした。生涯結婚しなかったペトラルカであるが、3人の子をもったことが知られている。子どもたちの母親は不詳のままである。1347年と1354年、ローマの再興を図るコーラ・ディ・リエンツォのコーラ革命に期待を寄せるがコーラの失脚(処刑)で政治に失望する。1353年から8年間はミラノのヴィスコンティ家のもとに身を寄せるが、ミラノとフィレンツェは対立関係にあったため、友人ボッカッチョからも批判を受けた。1361年、ヴェネツィアへ移住する。 1367年頃、ペトラルカはパドヴァに定住し、 宗教的瞑想のうちに最後の日々を送り、1374年にアルクァのエウガニアの丘で没した。
彼のソネットはルネサンス期に注目、賞賛され、抒情詩の模範とされた。また自らの時代に無知が蔓延っているという観念の下に「暗黒時代 (Dark Ages)」という言葉を造った人物ともされている。
2003年、ペトラルカの墓に葬られていた遺体が生理解剖に付された。遺体からは、ペトラルカが同時代人に比して長身だったことが伺われる。しかし、2004年に発表されたDNA鑑定からは、葬られていた頭蓋骨がペトラルカのものでないことが明らかにされた。

蓬莱フ

くりねずみ
回答数 7>>
フィロソフィア(知恵を愛する者)という言葉はソクラテスよりも百年以上前にピタゴラスが言ったとされたもので、ソクラテス自身が哲学という言葉の意味を厳密に定義したわけではないと思います。
確かに『パイドロス』には以下のような記述があります。
『これを「知者」と呼ぶのは、パイドロス、どうもぼくには、大それたことのように思われるし、それにこの呼び名は、ただ神にのみふさわしいものであるように思える。むしろ「愛知者」(哲学者)とか、あるいは何かこれに類した名で呼ぶほうが、そういう人にはもっとふさわしく、ぴったりするし、適切な調子を伝えるだろう。』(岩波文庫175〜176P藤沢令夫訳)
これはあくまでプラトンが書いたことであって、ソクラテスが実際に「哲学とは何ぞ」ということを話したわけではないということです。
ピタゴラス、ソクラテス、仏陀、孔子、イエス、人類の偉大な教師はみな書く人ではなく話す人でした。おそらく、テクストに束縛されたくなかったのでしょう。自らの教えが、弟子の心に残って成長し、花開いていくことを望んでいたのだと思います。
『パイドロス』には書かれた言葉と生きた対話を比較する箇所があります。書かれた言葉は自力で返答したり、自分の意味を説明したりしない。何かを語っているように見えるが、それは固定されて動かない。書かれた言葉は死んでいるのです。それに比べて対話は、確かに書かれた言葉のように残りはしないけども、飛び立つ鳥のように生き生きとしている。
パウロはこう言っています。「文字は人を殺し、霊は人を生かす」と。これは、あらゆる規則や教義、思想において、その文字面や形式(文字)だけに囚われると、本来の目的や生命(霊)が失われてしまうという教えです。
私としては、哲学はもっと身近で、誰にでも開かれたものであってほしいと思ってて、ソクラテスの態度もまさにそれだったのだと思います。「これは哲学」「これは哲学ではない」と線引きして、哲学を象牙の塔に押し込むこともないでしょう。これは彼の思想に明らかに反している。キケロは「ソクラテスは哲学を天から引き下ろし、人のうちに住まわせた」と述べています。SNSの場において、血の通った生きた人間が、生きた知識を共有し合うこと、哲学とはそういうものだと思っています。

なお
生きることとは、考えることだ。
To live is to think.
(キケロ ※紀元前106~前43
共和政ローマの政治家、文筆家、哲学者)

Doncye
回答数 18>>
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シン・スガワラ
神奈川県川崎市溝の口生まれ同じく武蔵小杉育ちで横浜市鶴見区在住
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よろしく!
好きな物事:バス、電車、音楽、お出掛け
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